1.退職の意思表示を撤回した労働者に対して行われる懲戒解雇
退職勧奨を受けたり、不正調査の対象になったりして、非自発的に退職の意思が示されることがります。こうした非自発的な退職の意思は、揺れやすく、しばしば撤回の対象になります。
他方、労働者から退職の意思を示された使用者の対応も揺れることがあります。典型的なのは不正調査の場面です。対象となっている労働者から退職の意思を示された場合、①辞めると言っているのだから解雇無効のリスクを冒してまで解雇に拘っても意味がないとする考え方と、②懲戒解雇なり普通解雇なり一定のけじめをつけた形でなければ周囲に示しがつかないという考え方のせめぎ合いが生じます。
このように労働者の側でも使用者の側でも意思決定にブレが生じる場面では、
労働者の側が退職の意思を示す、
使用者の側で退職を承認する、
労働者の側で退職の意思を撤回する、
退職意思の撤回が刺激となって、使用者の側で解雇権・懲戒権を行使する、
といったような混乱が生じることがあります。
それでは、このような経過が辿られた場合、労使間の法律関係は、どのように理解されるのでしょうか?
考え方ととしては、
① 使用者の側で退職を承認した時点で合意退職が成立しており、労働契約の終了が約されてしまっているのだから、後になされた解雇は意味をなさないとする見解、
② 使用者の側が労働者側の退職の意思表示の撤回に同意し、退職合意が白紙化された後、使用者側で解雇をしたものとする見解、
の二つがあり得ます。
近時公刊された判例集に、この問題を考えるうえで参考になる裁判例が掲載されていました。札幌高判令6.3.22労働判例1343-40宮田自動車商会ほか事件です。これは以下の記事で紹介した事件の控訴審判決です。
合意解約の申込みと辞職の意思表示の区別-熟慮期間を経た書面での退職願が合意解約の申込みと評価された例 - 弁護士 師子角允彬のブログ
2.宮田自動車事件商会ほか事件
本件で被告(控訴人)になったのは、自動車部品、輸入車部品等の自動車関連商品全般の卸売業などを事業内容とする株式会社です。
原告(被控訴人)になったのは、被告と期限の定めのない労働契約を締結し、営業職として働いていた方です。被告から懲戒解雇されたことを受け、その無効を主張し、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。
一審が地位確認請求を認容するなどしたことを受け、被告側が控訴、原告側が附帯控訴したのが本件です。
本件の特徴は、懲戒解雇に至るプロセスが複雑で、
令和元年12月28日に問題行動の事情聴取がされ顛末書と進退伺書の提出が示唆される、
令和2年1月14日に退職願いを提出する
令和2年1月22日、被告が退職願いの正式な受理を伝える、
令和2年2月19日、諭旨解雇が予定されていることが原告に告げられる、
令和2年2月27日、退職の意思表示の撤回の意思表示がなされる、
令和2年3月6日、被告から原告に退職願いの撤回ができないことが伝えられる、
令和2年3月27日、懲戒解雇の意思表示が行われる、
という経過が辿られているところに特徴があります。
このような事実関係のもと、裁判所は、懲戒解雇の意思表示は合意解約の承諾の意思表示の撤回にあたるとして、 合意貸借による労働契約の終了を否定しました。
(裁判所の判断)
「前記認定事実によれば、被控訴人が令和2年1月14日に本件退職願を提出したのは、令和元年12月28日における控訴人P1や控訴人会社の役員らとの面談で、控訴人会社から、社台スタリオンの件、トラストリオートの件、福岡旅行の件などについて事情聴取がされ、これらに関する顛末書と進退伺書の提出を指示されたことが契機となっている。その当時、被控訴人において、具体的な転職や独立の予定があったとは認められず、本件退職願の記載も、労働契約の解消を強く求めるといった趣旨のものではない。以上の事情を踏まえると、被控訴人が、本件退職願を提出した際に、控訴人会社との間の労働契約を積極的に解消したいとの強い意向を示していたということはできない。そうすると、被控訴人による本件退職願の提出は、労働者の一方的意思表示による労働契約の解約である辞職の申出ではなく、労働者と使用者の合意により労働契約を将来に向けて解約するための合意解約の申込みであったと解するのが相当である。」
「以上に対し、控訴人会社は進退伺の意義や本件退職願が提出された経緯を考慮すると、被控訴人には控訴人会社の意思にかかわらず退職する意思があったと考えるのが自然である旨主張する。しかし、控訴人会社の主張する上記事情を勘案したとしても、その当時、たとえ控訴人会社から慰留されたとしても労働契約を解消するほどの強固な意思を被控訴人が有していたとまでは認めることはできない。控訴人会社の上記主張は採用することができない。」
「次に、控訴人会社と被控訴人との間で労働契約関係を解消する旨の合意が成立したか否かについて検討する。」
「前記認定事実によれば、控訴人会社は、令和2年1月22日、被控訴人に対し、本件退職願が正式に受理された旨伝えているから、同日の時点で控訴人会社と被控訴人との間の労働契約が同年3月31日をもって終了する旨の合意が一旦は成立したということができる。しかし、被控訴人は、同年2月19日頃に控訴人会社から諭旨解雇処分を予定している旨伝えられたことがきっかけとなり、同月27日、控訴人会社に対し、退職の意思表示を撤回する旨の意思表示をしている。これに対し、控訴人会社は、被控訴人に対し、同年3月6日に本件退職願の撤回はできない旨伝えたにもかかわらず、同月27日には、被控訴人に対し、同年4月28日をもって懲戒解雇する旨の本件懲戒解雇の意思表示をしている。本件懲戒解雇は、控訴人会社と被控訴人との間の労働契約が同年3月31日を経過した後も同年4月28日までは維持されることを前提に、同日をもって懲戒解雇処分により終了するとの内容であると解さざるを得ないから、控訴人会社は、本件懲戒解雇の通知により、同年3月31日をもって労働契約を終了する旨の申込みに対する承諾を撤回し、改めて同年4月28日をもって懲戒解雇を行う旨の意思表示をしたものと評価するほかはない。そうすると、控訴人会社と被控訴人との間では、同年1月22日の段階で、同年3月31日をもって労働契約が終了する旨の合意が一旦は成立したものの、その効果が発生する前の同年3月27日の段階で、被控訴人及び控訴人会社の双方が合意退職の申込み及びこれに対する承諾を撤回する旨の意思表示をした結果、合意が撤回されて退職合意の効果が生じないことになったということができる。したがって、本件退職願の提出により、控訴人会社と被控訴人との間の労働契約が終了したということはできない。」
「以上に対し、控訴人会社は、労働者が自ら退職の意思を示している場合であっても、企業秩序の維持のため又は退職金を不支給とするために、使用者が懲戒処分を行うことは往々にして存在するのであって、懲戒処分と合意解約の申込みに対する承諾は矛盾するものではないから、控訴人会社と被控訴人との間の労働契約は合意解約の申込みに対する承諾により令和2年3月31日をもって終了した旨主張する。しかし、労働者から退職の意思が示されている場合に懲戒処分を行うことが可能で矛盾するものではないということはできるものの、本件懲戒解雇は、前述のとおり、控訴人会社による合意退職の申込みに対する承諾の撤回と評価するほかないから、合意退職により控訴人会社と被控訴人との間の労働契約が終了したということはできず、控訴人会社の上記主張を採用することはできない。」
3.懲戒解雇が合意退職の承諾の撤回だとされた
上述のとおり、裁判所は懲戒解雇を合意退職の承諾の撤回だと判示しました。
一般論として言うと、合意退職よりも解雇の方が争いやすいです。
労働者の側からも合意退職の申込みの撤回がなされていた事実を前提にするものではあるものの、使用者側の判断の揺れは合意退職の承諾の撤回と結び付けられました。当事者の退職の意思がブレる事案は割と良くあり、裁判所の判断は、実務上参考になります。