1.就業規則の周知性
労働契約法7条本文は、
「労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。」
と規定しています。
噛み砕いて言うと、就業規則の内容は、「周知」を条件に、労使間の労働契約の内容に取り込まれるという意味です。
ここで言う「周知」とは、実質的周知、すなわち「労働者が知ろうと思えば知りうる状態に置くことを指す。労働者が実際にその内容を知っているか否かは問われない。」(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第3版、令5〕197頁参照)と理解されています。
実務上、この「周知」は極めて緩やかに認定されています。事業所の一室にチェーンでつなぎ、コピーをとることも禁止するといった形で保管されていた就業規則に周知性が認められた裁判例もあるくらいです。
チェーンでつなぎ、コピーが禁止であっても、就業規則は「周知」されていたといえるのか? - 弁護士 師子角允彬のブログ
周知性が否定される事案は珍しいのですが、近時公刊された判例集に、就業規則の周知性が否定された裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令7.7.3労働経済判例速報2603-3 三和エンジニアリング事件です。
2.三和エンジニアリング事件
本件で被告になったのは、国内企業、外資系企業への労働者派遣業等を目的とする株式会社です。
原告になったのは被告の元従業員です。
本件は、原告が被告に対して未払時間外勤務手当等(いわゆる残業代)を請求する訴えを提起した事件です。
この事件には幾つかの争点がありますが、その中の一つに、就業規則の改定に伴う1か月単位変形労働時間制の導入の効力がありました。
変形労働時間制の導入は労働条件の不利益変更と理解されています。そのため、変形労働時間制を導入する就業規則の変更が有効であるといえるためには、変更の合理性のほか「変更後の就業規則を労働者に周知させ」ることが必要になります(労働契約法10条)。ここで言われている「周知」とは冒頭で言及している労働契約法7条本文の「周知」と同義です。
本件の裁判所は、次のとおり述べて、就業規則には周知性がないとして、変形労働時間制の適用を否定しました。
(裁判所の判断)
「変形労働時間制は、労基法が定める労働時間規制の例外として、使用者が同法32条所定の労働時間を超えて労働者を労働させることを認めるものであるから、新たに1か月単位の変形労働時間制を導入した本件改定は労働条件の不利益変更に当たる。したがって、これが原告に適用されるためには、労働契約法10条が定める周知性が認められることが必要となる。」
「この点、前記認定事実・・・のとおり、本件事務所においては、就業規則等が綴られたファイルが被告の担当者のロッカー内に保管されていたことが認められるところ、被告は、上記担当者が他の従業員に対して就業規則等の保管場所や就業規則等を自由に閲覧することができる旨を口頭で伝達していたと主張し、被告の従業員であるEもこれに沿う供述をしている。」
「しかしながら、Fは、本件事務所の担当者に対して就業規則等の保管場所や保管方法について特段の指示はしておらず、本件事務所における就業規則等の保管場所も把握していなかったことからすれば、本件事務所における就業規則等の保管場所や保管方法については基本的に担当者に一任されていたと認められる。また、被告は、原告から就業規則の周知方法について尋ねられた際も、依頼に対して個別に提示している旨を回答しており、本件事務所に備付けている旨やその保管場所等を回答することはしていない・・・。これらの事情に照らすと、本件事務所における就業規則等の保管が従業員に対する周知という趣旨で行われていたとは認められないから、本件事務所で勤務する従業員に対して就業規則等の保管場所やこれを自由に閲覧することができる旨に関する周知が徹底されていたかについては疑問が残るといわざるを得ない。」
「そうすると、原告を含む本件事務所において勤務する従業員全員に対して就業規則等の保管場所やこれを自由に閲覧することができる旨について漏れなく口頭で伝達されていたとするEの供述を全面的に採用するのは難しく、上記事実を認めることはできないというべきである。」
「以上のとおり、本件では、本件規定等が本件事務所の担当者のロッカーにおいて保管されていたことは認められるものの、そのことや上記のロッカー内に保管されている本件規定等を他の従業員も自由に見ることができる旨が原告に対しても告知されていたとは認められない。なお、本件規定等が保管されていたロッカーは担当者のみが使用する個人ロッカーであったから、原告等の他の従業員が無断で当該ロッカーの中を確認して本件規定等を閲覧するということも通常は想定することができない。したがって、本件規定等について原告に対する実質的な周知がされていたとはいえない。」
「以上からすると、本件規定等は原告に対する周知性に欠けるから、これらの定めは原告との関係では効力を持たず、原告に対しては本件規定等で定められた1か月単位の変形労働時間制が適用されないこととなる。」
「したがって、原告の所定労働時間については、本件改定後においても従前の契約内容・・・及び本件改定前就業規則のとおり、1日8時間となる。また、令和3年3月31日付け再雇用契約書の締結後においても、同契約書による合意内容のうち所定労働時間が1日8時間を超える部分については無効となる(労基法32条2項)。」
「なお、被告は、原告は本件事務所での勤務開始当初から実質的な変形労働時間制の下で長年にわたり勤務をしてきたものであるから、就業規則等の形式的な不存在のみを理由に未払賃金を請求することは権利の濫用(民法1条3項)に当たるとも主張する。」
「しかしながら、就業規則等において変形労働時間制に関する定めが置かれていない以上、労基法32条の定める労働時間を超えて労働者を労働させることは原則として違法であり、本件では、本件改定前就業規則では変形労働時間制に関する定めが置かれておらず、また、本件規定等の周知性に不備があるなど、被告の対応にも問題があったといわざるを得ない。したがって、原告の請求が権利の濫用に当たるとはいえず、被告の上記主張は採用することができない。」
3.口頭での伝達を否定する必要もありそうだが・・・
ロッカー内にあるからといって直ちに周知性が否定されるかといえば、そこまでは言えないように思います。裁判所も口頭で伝達していたとする被告従業員の供述に疑義があることとを指摘したうえで、周知性を否定する結論を導いています。
ただ、従業員が見れるようにしておくべき文書を、オープンスペースに置くでもなく、敢えて担当者のロッカー内に入れておくというのは、保管の態様からして隠匿めいた意図が感じられます。本件は就業規則の周知性が否定された先例として、実務上参考になります。