弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

就業規則の周知性の否定例-紛争が顕在化した後で写真等をとってきてもダメ

1.就業規則の周知性

 労働契約法7条本文は、

「労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。」

と規定しています(契約規律効)。

 就業規則に契約規律効が認められるための「周知」に関しては、

「労基法106条1項及び労基法施行規則52条の2の周知の方法(見やすい場所への掲示・備付け、書面交付又は記録した磁気テープ等を労働者が常時確認できる機器の設置)に限られず、事業場の労働者が実質的に知り得る状態となり得る方法が採られることで足りる」

と理解されています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕32頁参照)。

 この「実質的に知り得る状態」というのは極めて緩やかに理解されており、実務上、就業規則の周知性が否定されることは殆どありません。

 そうした状況の中、近時公刊された判例集に、就業規則の周知性が否定された裁判例が掲載されていました。東京地判令3.9.28労働判例ジャーナル119-60 総研マネジメント事件です。

2.総研マネジメント事件

 本件で被告になったのは、コンピューターのソフトウェアの開発、輸出入及び販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告会社と期間の定めのない労働契約を締結していた方です。退職後、被告会社に対して、残業代の支払いを求める訴えを提起したのが本件です。

 本件では、原告に支給されていた職能手当に、固定残業代としての効力が認められるのかどうかが争点の一つになりました。固定残業代として無効である理由として、原告は、職能手当を固定残業代と位置付けていた賃金規程が社内に周知されていなかったことを指摘しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて周知性を否定し、職能手当の固定残業代としての効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「前記前提事実・・・記載のとおり、本件賃金規定14条は職能手当を30時間分の時間外割増賃金として支払う旨を定めているものの、被告会社において、このような定めのある本件賃金規定を原告ら従業員に周知していたことを認めるに足りる的確な証拠はない。」

「この点、被告会社は、P3が本件就業規則及び本件賃金規定の入ったファイルを被告会社の本社内の本立てに配置し、被告会社の従業員がいつでもこれを見ることができる状態にしていた旨を主張し、これを裏付ける証拠として上記ファイルが被告会社の本社内の本立てに配置されている様子を撮影した写真(乙21)を提出する。しかしながら、上記写真の撮影日は令和2年4月3日であり、原告の退職から1年6か月以上も経過した後に撮影されたものであるから、これのみをもって原告在職時においても被告会社主張のような措置がとられていたと認めることはできない。

「また、被告会社は、P3が、平成27年11月20日に従業員である訴外P7(以下『P7』という。)に対し、Eメールの添付ファイルとして本件就業規則のデータを送っていること・・・や、P3が平成20年に社会保険労務士と一緒に本件就業規則を作成したり・・・、平成30年に本件就業規則の変更版を作成したりしていること・・・からすると、P3が被告会社の従業員のために本件賃金規定等をいつでも閲覧できる状態にしていたことが認められるべきであるとも主張する。」

「しかしながら、被告会社が指摘する上記事実からは、P3が本件就業規則や本件賃金規程の作成に関わっていたことをうかがうことはできるものの、このことから当然にはP3が従業員らに対し本件賃金規定等を周知する措置をとっていたことを推認することはできない。また、P3が社会保険労務士との間で本件就業規則等の作成に関して交わしていたEメールのcc:には、被告代表者と並んでP7が含まれていること・・・に照らすと、P7も従業員として本件就業規則等の作成や改訂に関わっていた可能性があり、P7に添付ファイルで本件就業規則のデータを添付したEメール・・・を送っていたのも、P7が本件就業規則の改訂等の業務に従事していたためである可能性がある。そうすると、P3からP7への上記Eメールの送信・・・をもって、P3が、被告会社の従業員の求めに応じて本件就業規則や本件賃金規定のデータを送っていたことを推認することもできない。」

「さらに、被告会社は、平成19年4月に、P3が被告会社の従業員である訴外P8に対し、『残業代に関しては綜研マネジメントでは140-180hで決まっております。』と記載したEメールを送付し・・・、後日、この方針で本件就業規則や本件賃金規定を制定したことからすると、P3が、原告ら従業員に対し、固定残業代制について説明していることが推認されるべきである旨も主張する。しかしながら、P3が、本件賃金規定の制定前に、被告会社の従業員の一人に対して、被告会社では固定残業代制を採用している旨の説明をしたとしても、そのことから直ちに、本件賃金規定の制定後、その内容を周知したと推認することはできず、ましてや、職能手当が固定残業代の趣旨で支払われることを周知していたと推認することはできない。」

「加えて、被告会社は、P3や平成24年当時の新人研修担当者であった訴外P9から、160時間から180時間の勤務については、就業規則上、固定残業代が適用されるとの説明を受けた旨の記載がある被告会社の従業員又は元従業員3名の陳述書・・・を提出するが、これらについては、反対尋問がされておらず、上記供述を裏付ける証拠も欠いている。

「なお、被告会社は、原告が本件訴訟を提起するに当たってP3から本件賃金規定等を入手したことも指摘するが、前記前提事実のとおり、原告は、P3と共に被告会社に対し割増賃金の支払を求める労働審判を申し立てたものであるから、その過程でP3から本件賃金規定を入手した可能性があり、P3から本件賃金規定を入手したからといって、そのことのみをもって直ちに本件労働契約締結時に本件賃金規定の周知の措置がとられていたと推認することもできない。」

「以上のとおり、本件賃金規定が被告会社の従業員らに周知されていたと認めるに足りる証拠はないから、本件賃金規定14条の職能手当についての定めが本件労働契約の内容になっていたと認めることはできない。

3.紛争後に取得された写真や陳述書の証拠力が否定された例

 本件の裁判所は、紛争が顕在化した後で撮影された写真・取得された陳述書について、就業規則の周知性を立証するための証拠としての価値を否定しました。

 周知性を立証するための証拠として、使用者側から、備置された状態の就業規則を撮影した写真や、在職中の従業員の陳述書が提出されることは、本件に限った話ではなく、実務上しばしば見られます。そうした事案で周知性を争うにあたり、裁判所の判示は参考になります。