弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

チェーンでつなぎ、コピーが禁止であっても、就業規則は「周知」されていたといえるのか?

1.就業規則の周知性

 労働契約法7条本文は、

「労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。」

と規定しています。

 噛み砕いて言うと、就業規則の内容は、「周知」を条件に、労使間の労働契約の内容に取り込まれるという意味です。

 ここで言う「周知」とは極めて緩やかな概念で、実質的周知、すなわち「労働者が知ろうと思えば知りうる状態に置くことを指す。労働者が実際にその内容を知っているか否かは問われない。」(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕188頁参照)と理解されています。

 しかし、緩やかとは言っても、一定の限度はあるはずです。例えば、事業所の一室にチェーンでつなぎ、コピーをとることも禁止するといった形で保管されていた場合、その就業規則は労働者に「周知」されていたと言えるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令3.4.8労働判例1282-62 大陸交通事件です。

2.大陸交通事件

 本件で被告になったのは、一般乗用旅客自動車運送事業等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告の乗務員ないし乗務員であった方3名です。

 乗務員の歩合給の算定にあたり、クレジットチケット、クレジットカード及びID決済の取扱手数料(本件手数料)を乗務員に負担させることは、労働基準法24条1項本文に定める賃金全額払の原則に反する違法行為であるから許されないとして差額賃金等を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件では事務室にチェーンでつながれており、コピーをすることも禁止されていた就業規則の周知性の有無が問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、周知性を認めました。

(裁判所の判断)

「被告の給与規定を含む就業規則は、被告の営業所の事務室のカウンター上のプリンタの脇に立て掛けてあるところ、事務室は乗務員が出入りする納金室の隣にあり、プリンタからは乗務員の日報が出力されるというのであるから、事務室において執務をしている従業員だけでなく、原告ら乗務員も、給与規定を含む就業規則の存在を認識することは容易であったということができる。そして、給与規定を含む就業規則の綴りがチェーンでつながれるようになった後も、カウンター周辺でこれを閲読することに支障があったとの事情は認めることができない。この点について、原告X3及び原告X2は、本件給与規定をじっくり読むことはできなかった旨供述するが、その内容を閲読すること自体ができなかった旨の供述はしていない。そうすると、乗務員を含む被告の従業員は、給与規定を含む就業規則の存在やその内容を知り得る状況にあったということができるのであり、被告は、乗務員を含む被告の従業員に対し、就業規則、旧給与規定及び本件給与規定を周知させていたものと認められる。」

(中略)

「原告らは、本件給与規定を含む就業規則について、乗務員と密接に関連する納金作業の行われる納金室には設置されておらず、被告の営業所内の事務室のカウンターに、丈夫なチェーンでつながれて置かれており、コピーをとることも禁じられているから、周知性を認めることができない旨主張する。」

「しかしながら、上記・・・で認定したとおり、事務室は納金室の隣室であり、カウンター上に設置されているプリンタからは乗務員の日報が出力されるのであるから、事務室が乗務員の業務と関連しない場所であるということはできない。また、本件給与規定を含む就業規則がチェーンでつながれていることやコピーが禁止されていることにより、熟読するには事実上支障があったかもしれないが、上記・・・で説示したとおり、乗務員において内容を確認することが制限されていたということはできない。」

3.幾ら何でも緩やかすぎではないだろうか

 上述のとおり、裁判所は、チェーンでつながれ、コピーが禁止された状態であっても、就業規則は周知されていたと判断しました。

 しかし、そのような保管状態で熟読できる労働者がいるのかは疑問です。裁判所は「熟読するには事実上支障があったかもしれないが」と述べていますが、このような状態で熟読することは事実上不可能といっても差支えなさそうに思います。

 復写物を含め社外への持ち出しを禁止することはまだしも、チェーンでつないだり、コピーを禁止したりすることに一体どのような合理性があるというのかも不明です。労働者に就業規則の内容を熟知させないという以外に実質的な意味はなさそうにも思われます。

 裁判所の判断には、かなり強い違和感はあります。しかし、周知性をここまで緩和した東京地裁労働部の裁判例があることは、意識しておく必要があるように思われます。