弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

給料の支払いを受けるために理事から徴求する念書の体裁

1.賃金の未払いが生じたとき

 賃金の未払いが生じたとき、労働者が法人の経営者に詰め寄って、賃金を支払うという念書を作成させることがあります。

 賃金を支払えていないという負い目があるためか、別段、労働者側で強迫的な言葉を使わなくても、念書の作成に応じる経営者はいます。

 しかし、このような経緯で作成された念書は、しばしば法的な意味合いが不明確で、その理解をめぐって紛争が発生します。よくあるのは、経営者が個人で賃金を支払う趣旨で念書を作成したのかどうかです。労働者の側は、経営者が個人で支払う意思を表明したものと理解しているのに、経営者の側が、飽くまでも法人に支払う責任があることを明確にしただけだと思っている場合、念書の読み方をめぐって、裁判になることもあります。近時公刊物に掲載されていた、大阪地判令3.1.27労働判例ジャーナル110-48 未払賃金相当額等支払請求事件も、そうした事件の一つです。

2.未払賃金相当額等支払請求事件

 本件は、労働者が法人の理事に対して未払賃金等の支払いを請求した事件です。原審が請求を全部棄却したため、原告労働者の側で控訴を提起しました。その控訴審事件が本件です。

 本件で被告・被控訴人になったのは、「医療法人 春光会 春光会クリニック」(春光クリニック)を営む、医療法人春光会の平理事です。

 原告・控訴人になったのは、春光会クリニックにおいて、放射線技師として勤務していた方です。

 平成27年12月、春光会の不正・不当請求が職員に対して明らかになり、医院運営への支障の発生が予想されたことをうけ 、被告・被控訴人は、春光会クリニックを休診状態にするとともに、春光会クリニックの職員を解雇すると告げました。

 原告・控訴人を含む春光会クリニックの職員は、春光会クリニックが休診となる事態を受け、同年12月分の給料が支払われるかを不安に思いました。そこで、原告・控訴人らは、他の職員らとともに、被告・被控訴人に対して面会を求めました。

 その時、原告・控訴人は、被告・被控訴人から、次のように書かれた念書を取得しました。

「『私、Dは、平成27年12月28日現在、医療法人春光会クリニックの理事として、Aに、平成27年12月1日~平成27年12月28日までの勤務分としての給与分満額を平成28年1月29日までに振り込みにて支払います』、『上記の内容を実行できなかった場合は、それによって生じるありとあらゆる損失損害に、責任を持って賠償し対処します」

 原告・控訴人は、これが連帯保証契約もしくは併存的債務引受にあたるとして、被告・被控訴人の個人責任を追及したのが本件す。

 被告・被控訴人は、念書の作成について、連帯保証契約を締結したことにも、併存的債務引受をしたことにもならないと主張し、原告・控訴人の主張を争いました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、被告の連帯保証契約の締結、ないし、併存的債務引受契約の成立を認めました。結論としても、一審判決を破棄し、原告・控訴人の請求を認めています。

(裁判所の判断)

「本件念書の記載内容・・・及び本件念書には被控訴人の氏名のみならず、個人の印章による押印がされていること・・・に徴すると、被控訴人は、春光会とは別に、春光会の理事個人として、控訴人に対し、12月分給与を支払う旨を約束したものと理解することができるから、控訴人が本件念書の交付を受けたことをもって、被控訴人と控訴人との間で、春光会が控訴人に対して負担する上記賃金支払債務を主たる債務とする連帯保証契約又は併存的債務引受が成立したものと認められる。

「よって、被控訴人は、春光会と連帯して、控訴人に対し、12月分給与ないし同相当額の金員の支払義務を負うこととなる。」

3.使用者側が弱気であった事件ではあるが・・・

 少し前にご紹介させて頂いたとおり、親会社役員の「必ず精算します。」等の発言では、併存的債務引受であるとは認められませんでした。

未払賃金請求-親会社役員の「必ず精算します。」は、あてにしていいのか? - 弁護士 師子角允彬のブログ

 この事案とのバランスを考えると、本件でも、連帯保証契約・併存的債務引受契約が認められないとする判断も在り得たのではないかと思います。

 本件で労働者側に有利な判断が得られたのは、本件の使用者が、念書の脅迫取消を主張したり、後日、自分が支払いを免れるための合意書を取り交わしたりするなど、念書により債務を負担していることを前提にするかのような行動も、裁判所の心証に影響した可能性があると思います。

 とはいえ、賃金の未払いが生じている局面で、労働者を保護するために役立つ事実認定の方法を示した点において、本件は色々と使い道のある裁判例であるように思われます。

 

ストレスに対し「大丈夫です。」と言っていたら、精神を病んでも職場への責任追及はできなくなるか?

1.問題があっても問題がないと答えてしまう労働者

 仕事上のストレスに晒されていても、そのことを表に出そうとしない労働者は少なくありません。こうした行動に及ぶ背景には、プライドから弱みを見せることが恥ずかしい、上長から不利な評価を受けたくない、今取り組んでいる仕事から外されたくないなど、様々な動機があります。

 強がってみたところで、ストレス因が緩和されないと、やがては精神障害を発症したり、酷い場合には自殺に至ったりします。

 強い心理的負荷が発生していることが予見可能であったにもかかわらず、適切な回避措置がとられなかった場合、使用者は労働者に対して損害賠償責任を負います。

 しかし、深刻な損害が発生する以前に、労働者が「問題ない。」という趣旨の発言をしている事案では、因果関係や過失(予見可能性)の認定において、困難な問題が生じます。具体的に言うと、責任の追及を受けた使用者側から、

「本人が問題ないと言っていたのだから、精神障害の発生と仕事上の心理的負荷とは関係がない。」

「本人が問題ないと言っていた以上、深刻な結果が生じることを予見できなかった(ゆえに過失がない)。」

という反論を受けることになります。

 それでは、使用者に対して「大丈夫です。」などと強がった発言をしていた場合、労働者やその遺族は、使用者に対して損害賠償責任を追及することができなくなってしまうのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。長崎地判令3.1.21労働判例ジャーナル110-22 社会福祉法人むつみ福祉会事件です。

2.社会福祉法人むつみ福祉会事件

 本件は、いわゆる労災民訴です。

 被告になったのは、保育園(本件保育園)の経営を行っている社会福祉法人です。

 原告になったのは、自殺した被告の労働者(亡e)の遺族です。亡eは被告に採用され、本件保育園で園児らの保育業務に従事していました。

 平成28年3月、本件保育園で虐待騒動が発生しました。

 この虐待騒動は以下のような経過を辿ったと認定されています。

「平成28年3月23日、本件保育園の保護者及び元保護者が、帰宅途中の保育士を呼び止め車内に引き込むなどして、本件保育園に対し、保育士らが園児を虐待していると訴え、事実関係を確認したいと要望した。」

「同月24日午後8時頃から、本件保育園において、保護者らとの間で本件会合が開かれ、本件保育園側は、g理事長、f園長、d主任、亡eを含む保育士ら8名、看護師1名、被告役員2名が出席し、保護者は20名弱が出席した。新聞記者2名が許可を得て同席したほか、テレビ局の記者が保護者に紛れて無断で同席していた。」

「本件会合では、虐待を訴える保護者らが、他の保護者に内部職員から情報を得て作成したとする虐待の内容、保育士名及び園児名を記載した一覧表を配布し、亡eを含む保育士らに対し、一覧表に記載した虐待行為を行ったかどうかを一人ずつ確認した。亡eも、一覧表に記載された2つの虐待行為について保護者らから事実かどうかを問われ、これを否定したが、その際、保護者らから強く追及されたり、責められることまではなく、他方で、i(以下『i』という。)保育士及びj(以下『j』という。)保育士は、保護者らから執拗に強く責められていた。虐待を訴える保護者らは、全般に威圧的で、これを否定する保育園側の説明に聞く耳を持たず、これに同調する保護者もいたが、多くの保護者は保育園側に好意的で、職員を擁護し、一覧表に記載された虐待行為に疑義を挟むものもいた。」

「本件会合は約3時間に及び、平行線のまま終了した。終了後には憔悴して泣く職員もおり、亡eも、『なんでこがんこと言われんばいけんとやろう』と言って涙を流した。」

「同月27日には、虐待疑惑についてテレビで報道され、翌28日には、長崎市が特別行政指導監査を実施し、全職員に対し聴取り調査を行った。長崎市は、同年4月21日、同監査の結果、本件保育園において、関係条例の不遵守が認められたとして、本件保育園に対し、しつけの範囲として行われていた園児をたたくなどの行為を改め、保育士に対する研修等の指導を行い、保護者の信頼回復に努めるよう指摘するとともに、虐待・体罰防止等に関する改善計画の作成、実施結果の報告を求めることなどを内容とする勧告をした。」

(中略)

「本件会合後、虐待騒動の影響で、本件保育園全体に動揺が広がり、職員の多くに食欲がない、眠れない、痩せる等の症状が出現していた。」

「本件保育園では、本件会合直後の平成28年3月下旬頃から、職員のストレス状況や体調等を把握するために、職員全員に対して定期的にd主任やg理事長との個人面談が実施され、正規職員については月3回程度の頻度で行われた。」

「また、本件保育園では、平成28年5月6日から同月21日にかけて、臨床心理士による職員全員のカウンセリングが行われた。その際、保育士の多くが涙を流し、食欲の減少、下痢、悪夢を見る、不眠、人間不信等の心身の不調を訴えるとともに、保育に関する悩み、保護者に対する不安、園児にけがをさせられないプレッシャー、保育士の退職、休職による仕事の負担の増加、問題が解決していない疲労感等を話した。」

 この虐待騒動による心理的負荷が継続し、亡eは平成29年6月20日に失踪し、同年7月16日、路上に駐車した自動車内で遺体で発見されました。

 亡eの遺体が発見された自動車内には、

「本とうにごめんない bさんゆるしてください mちゃんごめんなさい kくんのおとうさんおかあさん ばつうけます ごめんなさい kくんのこと大好きでした どうしてああなったか はんせいしてます ほいくえんごめんなさい」

との書置きが残されていました。

 長崎労働医淳監督署長は、調査の結果、亡eについて、

「平成28年5月頃に業務に起因して軽症うつ病エピソードを発症し、その後、業務による心理的負荷によって重症化して自殺するに至った」

などとして労災認定を行いました。

 本件はそうした経緯のもと、亡eの遺族が原告となって、未填補損害の賠償を求めて被告を訴えた労災民訴です。

 本件では幾つかの争点がありますが、その中の一つに、生前の亡eの言動をどのように評価するのかという問題がありました。

 虐待騒動後の亡eの本件保育園の状況として、裁判所では、次の事実が認定されています。

「平成28年度の職員の配置は本件会合時には既に決まっており、亡eが担当した平成28年度の3歳児クラスには、本件会合の際、虐待を訴えていた保護者とこれに同調した保護者の子が在籍していた。前者の子は、亡eら保育士に対し、『今怒った』『先生今叩いたやろ』などと言うことがあった。」

「また、同クラスには、従前から本件保育園に苦情を述べることが多かった保護者の子が在籍しており、亡eは、平成28年4月21日、その保護者から、避難訓練の際に子供の防災リュックに水と保存食が入っていないことについて、『どうしてうちの子だけ入っていないんですか。』と強い口調で指摘された。」

亡eは、g理事長や同僚保育士に対し、上記3名の子やその保護者との関わりがつらいなどと話すことがあったが、他方で、d主任との定期面談の際には、虐待を訴えていた保護者がいるクラスだが大丈夫かとの問いに対し『お母さんともよく話せます』(同年3月29日)などと、保護者からのクレームに動揺していないかとの問いに対し『大丈夫です』、『私にとても優しく対応してくれてます』(同年4月30日)などと答え、同年5月9日、同月30日、同年7月1日にも上記保護者らと良好な関係を築けている旨を述べていたことが記録されている。

「また、亡eら虐待騒動を経験した保育士らは、それ以降、いつ虐待と言われるかもしれないと怯え、虐待を疑われることのないよう神経を使い、登園時に園児のあざや怪我の有無、場所を確認するなどしていた。」

 傍線部に書かれているとおり、亡eは保護者からクレームを受けることについて「大丈夫です。」などと述べており、この点が因果関係や予見可能性(過失)の認定にどう影響するのかが問題になりました。

 この事実の扱いについて、裁判所は、次のとおり評価し、因果関係や予見可能性を認めました。裁判自体の結論としても、被告の損害賠償責任を認めています。

(裁判所の判断)

・因果関係論における評価

本件保育園では、虐待騒動後、d主任らとの個人面談が実施され、亡eは、平成28年5月及び7月に実施された個人面談で、虐待騒動の中心となった保護者らと良好な関係を築けている旨を述べていたことが記録されている。

「しかし、前記・・・のとおり、亡eは、g理事長や同僚保育士らに保護者との関わりがつらいなどと話し、f園長らに上記保護者の子を退園させることができないのかと訴え、同年11月に就業継続の意思確認が行われた際には、上記保護者らの子の在籍するクラスを担当しないのであれば継続したい旨述べていたことや、自宅では、原告aに本件保育園での不満や愚痴を毎晩のように話していたこと、虐待騒動後、本件保育園では、虐待を疑われないように登園時に園児の身体を確認するなど細心の注意を払い続けていたこと、また、本件会合に出席した常勤保育士は亡eとi保育士のほかは全員平成28年度末までに退職したことなどの諸事情に照らせば、亡eが、表面的には保護者との関係を改善していたとしても、これにより心理的負荷が軽減された状態にあったとは認められない。

・予見可能性における評価

被告は、前記・・・のとおり、虐待騒動後、定期面談や臨床心理士によるカウンセリングを実施し、一部業務を削減し、・・・のとおり、個人面談の際、亡eは保護者と良好な関係を築けている旨を述べている。しかし、これらの措置等にかかわらず、亡eの心理的負荷が継続していたことは、前記・・・で説示したとおりであり、亡eが、平成28年11月の次年度の就業継続の意向確認の際にも、その中心となった保護者らの子の担当クラスを外れることを希望していたことからすると、被告において、平成28年度中は亡eの心理的負荷が継続していたことを認識していたか容易に認識し得たことは明らかである。

3.全体的な時系列の流れの中での評価になる

 冒頭で述べたとおり、職場からの聞き合わせに対し、真実はストレスを受けていても、メンタル等の問題はないと回答してしまうことは少なくありません。

 しかし、そのような回答をしてしまっていたとしても、直ちに因果関係や予見可能性が否定されるわけではありません。その言葉の意味は、全体的な時系列の流れの中で評価されます。結果、因果関係や予見可能性が認められることは、十分に有り得ます。

 強がった発言をしてしまったからといって、心理的負荷を放置した使用者が免責されるわけではありません。「大丈夫です。」などと話したことが、必ずしも訴訟提起を断念する理由にならないことは、広く認識されておく必要があると思います。

 

休職から復職を求める時の留意点-原職復帰にどこまでこだわるか?

1.復職要件

 私傷病休職から復職するためには、傷病が「治癒」すること、すなわち、

原則として従前の職務を支障なく行うことができる状態に回復したこと」

が必要と理解されています。

https://www.jil.go.jp/hanrei/conts/06/55.html

 しかし、これは飽くまでも原則であって、例外もあります。

 その典型は、職種限定のない正社員が復職する場面です。

 最一小判平19.4.9労働判例736-15 片山組事件は、

「労働者が職種や業務内容を特定せずに労働契約を締結した場合においては、現に就業を命じられた特定の業務について労務の提供が十全にはできないとしても、その能力、経験、地位、当該企業の規模、業種、当該企業における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして当該労働者が配置される現実的可能性があると認められる他の業務について労務の提供をすることができ、かつ、その提供を申し出ているならば、なお債務の本旨に従った履行の提供があると解するのが相当である。」

と判示し、従前の職務ではなく、他の業務の労務提供であったとしても、債務の本旨に従った労務提供が認められる場合があると判示しています。

2.復職にあたって、どのような労務提供の意思を表示すべきか?

 復職に当たっては、上述のとおり、

基本的には従前の職務についての労務提供が必要、

ただし、例外として、一定の要件を満たす他の業務について労務提供を申し出ている場合には、それも債務の本旨に基づいた労務提供と認められる、

というルール設定がされています。

 ここで問題になるのは、どこまで原職復帰にこだわるのかです。

 確かに、原職復帰一本を主張すれば、復職が認められた場合に、不本意な部署で働かなければならないリスクは低減します。しかし、その反面、傷病が治癒したと認められなければ、自然退職など、労働契約上の地位を喪失してしまうことになります。

 他業務についての労務提供も併せて行うことは、それと表裏の関係に立ちます。復職は認められやすくなりますが、必ずしも原職に戻れるわけではありません。

 例外ルートでの復職を求めるにあたっては、他の業務についての労務提供の申出が必要であるため、この選択は慎重に行わなければなりません。

 近時公刊された判例集にも、復職にあたっての方針選択が慎重に行われたのか、疑義のある裁判例が掲載されていました。一昨日、昨日とご紹介させて頂いている、大阪地判令3.1.27労働判例ジャーナル110-20 日東電工事件です。

3.日東電工事件

 本件は私傷病休職からの復職の可否が争われた事件です。

 被告になったのは、包装材料、半導体関連材料、光学フィルム等の製造を事業内容とする株式会社です。

 原告(昭和49年生まれ)になったのは、被告と平成11年に職種限定のない雇用契約(本件雇用契約)を締結した方です。平成26年5月3日、趣味であるオフロードバイク競技の練習中に対向車と衝突する事故(本件事故)に遭遇し、頚髄損傷、頸椎骨折の傷害を負いました。

 本件事故当時、原告は被告のP3事業所内の「全社製造技術部門生産技術統括部基盤プロセス開発部第2グループ」(本件グループ)に所属し、人事制度「I-S」というコース・等級に位置付けられていました。

 「I(Innovation)-S」というのは「経営・事業の成長をリードする人財(42歳まで)将来のマネージメント(M)職、専門職(S)職候補」を意味しています。

 本件事故の翌日から有給休暇・休職に入り、リハビリテーションに取り組みましたが、平成27年9月30日を症状固定日として、下肢完全麻痺、上肢不全麻痺、神経因性膀胱及び直腸神経障害の後遺障害が残存しました。

 平成28年8月頃から、原告は被告に対して復職の意向を示しました。

 その後、被告との間で復職に向けた協議が行われてゆきますが、ここで原告の方針にブレが生じました。

 原告は、協議の初期段階では「勤務形態や勤務地等は状況に応じて相談したい等の記載をしたメールを送信」するなど比較的柔軟な姿勢を示していました。

 しかし、被告との間でP4事業所やP4事業所の特例子会社での勤務可能性が議論された後、原告は、

「面談時にP4のお話がありましたが、未検証のルートがありましたので、本日行ってきました。通勤安全面でNGと考えます。これでP3のみとなり調査、調整工数が減りましたので今年中に復職判定お願いできないでしょうか?」

と記載したメールを送信するなど、P3事業所への復職を求めました。

 しかし、被告は「復職可能とは判断できない」との産業医意見を踏まえ、平成29年2月3日、休職期間満了によって本件雇用契約を終了させました。

 この扱いが違法であるとして、原告は、被告を相手取り、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 本件の争点は幾つかに渡りますが、その中の一つに、他の業務についての労務の提供の申出があったと認められるかがありました。

 原告は、

「P3の事業所の本件グループでの復職のみに固執してはいなかった」

などと主張し、他の業務についての労務提供もしていたと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「原告は、平成28年9月13日、被告担当者に対し、P3事業所での勤務を前提とした『在宅勤務が第一希望である』としつつも、『復職を最優先に考えているので、勤務形態や勤務地等は状況に応じて相談したい』等として、P3事業所とは異なる事業所での就労の可能性に言及する旨のメールを送信していた・・・。また、平成28年11月28日の面談の際も、被告担当者から本件グループ以外の仕事について水を向けられた際、同グループの仕事以外も想定しているかのような回答をしていた・・・。」

しかし、原告は、平成28年9月20日の面談時に、被告担当者から、障害者雇用を行う子会社(いわゆる特例子会社)での就労について水を向けられた際、『僕が持っているスキルとですね、多分、全然合わないと思うんですね、業務内容が。なんで、ひまわりはちょっとないなあ。』『メリットがなさそうですね。』等と否定的に述べていた。また、同日の面談において、原告は、被告との間で労働条件を変更して契約を締結することについても言及したが、労働条件の低下について聞かれた際は、低下の程度によるとした上で、『元々の契約で、在宅勤務で潜り込めへんかなあ、そういうのはやっぱりどないかならんかなあという。』と述べて、従前の契約にこだわりを示していた。さらに、原告は、同日の面談において、P3事業所での就労にこだわりを捨てないといけないかとも思っていると述べた後、(生産技術開発部のない)本社において一人で生産技術開発部の仕事ができるなら本社がいいと述べたものの、その後、本社勤務については話題にしていない・・・。」

「また、原告は、同年11月28日の面談時において、被告担当者から、『勤務の話で、こう、労働契約ちょっと見直しでどうかなていう話ありましたけど。』、『P1さんの中で、こう、イメージどんなんかあるんですかね。その見直していう話で言うと。』と尋ねられた際、原告は、『まああの~、在宅ですね。で、まああの、週に2日くらいは行くけどもぐらい、のイメージですね。』と答え、さらに、被告担当者が『その在宅での勤務の仕事、まあまあ、通勤の仕事もそうですけど、通勤した時のね。ここで言う仕事、どんな仕事、今は生技開のイメージですか?』と尋ねたところ、原告は、『まあ、基本は、生技開ですね。』と答えている。続けて、被告担当者が、『もし、生技開(本件グループ)でなかったら?』『構わない?』等と問い掛けたところ、原告は、『それはまあ、別に、特に』『はい。』等といったように、被告での復職を前提としたP3事業所における本件グループ以外の業務や他の事業所における就労の可能性を否定しないまでも、積極的にそれを求める姿勢を示さなかった。

「同日の面談において、被告担当者は、原告の体調面が心配であるなどとして、P4での勤務について考えられないか水を向けたが、原告は、『通勤する際の。僕の感じやと、P4の方が全然危ないですね。』等とP4事業所での就労に消極的な発言を続けていた。また、同日の面談において、被告担当者から、P4にある特例子会社についても話題にされたが、原告はこれに言及しなかった・・・。」

以上のような経過を経た後の平成28年12月1日、原告は、被告担当者(P15課長)に対し、『面談時にP4のお話がありましたが、未検証のルートがありましたので、本日行ってきました。通勤安全面でNGと考えます。これでP3のみとなり調査、調整工数が減りましたので今年中に復職判定お願いできないでしょうか?』と記載したメールを送信し・・・、その文言上からも、明らかにP3事業所での就労のみを希望する旨の意向を示した(なお、同メールには、平成28年中での復職審査会の実施を求めること、その実施が遅延する場合には休職期間が経過して退職に追い込まれると認識し、しかるべき対応をとること、弁護士との相談を開始したこと等について記載されており、原告において十分検討した上での意向表明と認められる。)。」

「さらに、原告は、平成29年1月23日、被告に対し、『休職期間の延長等申入れ及び質問事項書』と題し、復職後の労働条件の申入れとして、『私が合理的配慮として求める復職後の労働条件を、記載致します。私が復職した後の、貴社の私に対する安全配慮義務も考慮の上、私が求める復職後の労働条件を認めるのか否か、文書でご回答下さい。在宅勤務。週1回を限度に必要な時だけP3事業所へ出勤。裁量労働を適用し、在宅勤務をできるようにすること。新幹線、介護タクシー等、全ての通勤費用は貴社負担。障害者職業生活相談員の選任。復職時期が2017年2月3日以降に遅延、復職準備(2016年12月7日の電子メールに記載した訪問看護、ヘルパー、介護タクシー、新幹線)が間に合わない場合、職場環境整備(机の高さなど)の不備で業務に従事できない場合には、通常勤務したものとして、基本給、扶養手当、裁量労働、その他の手当、賞与を支給』とP3事業所における復職に際しての労働条件を明示した申入れをしている・・・が、このことは、原告がP3事業所における本件グループへの復職を強く主張しているものと解される。

「加えて、原告は、平成29年1月27日に実施された復職審査会に先立つ面談・・・では、本件グループ以外での就労の可能性やその希望等について言及することはなかった。」

「以上のような、復職に関する原告の言動の内容及びその経過等に照らせば、原告は、当初こそ、休職前の配属先以外での復職も想定していたと解されるものの、平成28年11月28日の面談の頃には、休職前の業務への復職のみを強く希望するようになってきており、平成28年12月1日以降は、明確にP3事業所における休職前の業務への復職についてのみ労務提供を申し出ていたものと認められる。」

「したがって、原告は、休職期間満了時において、休職前の配属先での従前の業務について就労の申出をしていたと認められるものの、他方で、配置転換等を前提とした他の業務について労務の提供の申出をしていたとは認められない。」

「これに対し、原告は、P3事業所の本件グループでの復職のみに固執してはいなかった、平成28年12月1日のメール・・・や平成29年1月23日付け書面による申入れの内容(前提事実(8)オ)は、本件グループでの復職に限定したり、復職に際しての労働条件を限定する趣旨のものではなく、原告は、希望する労働条件が認められないとしても、それ以外の条件での復職について検討することを想定していたなどと主張する。」

「しかし、平成28年12月1日のメールの内容や平成29年1月23日付け書面による申入れの内容、その前後の原告がした一連の言動の内容及びその経過に照らすと、休職前の配属先での就労の申出をしたと認められるものの、配置転換等を前提とした他の業務について労務の提供の申出をしていたとは認められないことは上述したとおりであり、原告の主張は、採用できない。」

4.職場復帰を優先させる場合には、明示的な他業務の受け入れを

 上述のとおり、裁判所は、原告の交渉態度を指摘し、他の業務についての労務提供の申出を認めませんでした。

 初期段階で柔軟な説明がなされていたことから、このままでは自然退職にならざるを得ないとの意思確認もせずに、他業務についての労務提供の申出がないと取扱ったことに、若干の違和感はありますが、

「他の業務・・・の提供を申し出」

たと認められるためのハードルが、比較的高いものとして設定されたことには留意しておく必要があるだろうと思います。

 復職に向けた交渉・調整作業には、事件の帰趨を左右する重要な問題が埋まっていることもあります。他の業務についての労務提供を申し出るにあたって対象となる「他の業務」をどの程度具体的に記述するのか、原職復にどこまでの力点を置くのかなど、高度な判断を要する場面が少なくありません。

 この種の事件を進めるにあたっては、余程会社が復職に前向きな姿勢を示しているあ合を除き、復職拒否された後ではなく、復職に関する協議を開始する段階から、弁護士を関与させた方が良さそうに思います。気になる方がおられましたら、ぜひ、当事務所までご相談をお寄せください。

 

障害の残遺した労働者への合理的配慮の提供義務が復職の可否の判断に与える影響

1.合理的配慮の提供義務

 障害者雇用促進法36条の3は、

事業主は、障害者である労働者について、障害者でない労働者との均等な待遇の確保又は障害者である労働者の有する能力の有効な発揮の支障となつている事情を改善するため、その雇用する障害者である労働者の障害の特性に配慮した職務の円滑な遂行に必要な施設の整備、援助を行う者の配置その他の必要な措置を講じなければならない。ただし、事業主に対して過重な負担を及ぼすこととなるときは、この限りでない。」

と規定しています。

 この本文に規定されている措置を講じる義務は、一般に「合理的配慮の提供義務」と呼ばれています。

2.復職の可否の判断との関係性

 私傷病休職から復職するにあたっては、

原則として従前の職務を支障なく行うことができる状態に回復したこと」

が必要と理解されています。

https://www.jil.go.jp/hanrei/conts/06/55.html

 ただ、上記は飽くまでも原則であって、常に従前の職務を支障なく行うことができる状態に回復していなければならないかというと、そういうわけでもありません。

 例えば、最一小判平19.4.9労働判例736-15 片山組事件は、

「労働者が職種や業務内容を特定せずに労働契約を締結した場合においては、現に就業を命じられた特定の業務について労務の提供が十全にはできないとしても、その能力、経験、地位、当該企業の規模、業種、当該企業における労働者の配置・異動の実情及び難易等に照らして当該労働者が配置される現実的可能性があると認められる他の業務について労務の提供をすることができ、かつ、その提供を申し出ているならば、なお債務の本旨に従った履行の提供があると解するのが相当である。

と判示し、従前の職務に復帰できる状態でなかったとしても、債務の本旨に従った労務提供が認められる場合があると判示しています。

 それでは、障害者に対する合理的配慮の提供義務は、復職にあたって「原則として従前の職務を支障なく行うことができる状態に回復したこと」が必要だとするルールの修正要因にはならないのでしょうか?

 私傷病休職する労働者には、心身に何等かの後遺障害が残遺することも珍しくありません。こうした場合に、そのままでは従前の職務を支障なく行えはしないものの、一定の配慮をしてくれれば相当のパフォーマンスをあげられるとして、復職を求めることはできないのでしょうか?

 昨日ご紹介した、大阪地判令3.1.27労働判例ジャーナル110-20 日東電工事件は、この問題を考えるうえでも参考になる判断を示しています。

3.日東電工事件

 本件は私傷病休職からの復職の可否が争われた事件です。

 被告になったのは、包装材料、半導体関連材料、光学フィルム等の製造を事業内容とする株式会社です。

 原告(昭和49年生まれ)になったのは、被告と平成11年に職種限定のない雇用契約(本件雇用契約)を締結した方です。平成26年5月3日、趣味であるオフロードバイク競技の練習中に対向車と衝突する事故(本件事故)に遭遇し、頚髄損傷、頸椎骨折の傷害を負いました。

 本件事故当時、原告は被告のP3事業所内の「全社製造技術部門生産技術統括部基盤プロセス開発部第2グループ」(本件グループ)に所属し、人事制度「I-S」というコース・等級に位置付けられていました。

 「I(Innovation)-S」というのは「経営・事業の成長をリードする人財(42歳まで)将来のマネージメント(M)職、専門職(S)職候補」を意味しています。

 本件事故の翌日から有給休暇・休職に入り、リハビリテーションに取り組みましたが、平成27年9月30日を症状固定日として、下肢完全麻痺、上肢不全麻痺、神経因性膀胱及び直腸神経障害の後遺障害が残存しました。

 平成28年8月頃から、原告は被告に対して復職の意向を示しました。

 そして、平成29年1月23日には、被告に対し、

「私が合理的配慮として求める復職後の労働条件を、記載致します。私が復職した後の、貴社の私に対する安全配慮義務も考慮の上、私が求める復職後の労働条件を認めるのか否か、文書でご回答下さい。

・在宅勤務。週1回を限度に必要な時だけP3事業所へ出勤。

・裁量労働を適用し、在宅勤務をできるようにすること。

・新幹線、介護タクシー等、全ての通勤費用は貴社負担。

・障害者職業生活相談員の選任。

・復職時期が2017年2月3日以降に遅延、復職準備(2016年12月7日の電子メールに記載した訪問看護、ヘルパー、介護タクシー、新幹線)が間に合わない場合、職場環境整備(机の高さなど)の不備で業務に従事できない場合には、通常勤務したものとして、基本給、扶養手当、裁量労働、その他の手当、賞与を支給。」

などと記載された書面(休職期間の延長等申入れ及び質問事項書)を提出しました。

 しかし、被告は「復職可能とは判断できない」との産業医意見を踏まえ、平成29年2月3日、休職期間満了によって本件雇用契約を終了させました。

 この扱いが違法であるとして、原告は、被告を相手取り、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 本件の争点は幾つかに渡りますが、その中の一つに、復職の可否の判断における合理的配慮の提供義務の位置付けがあります。

 原告は、

「休職期間満了時において、休職中の労働者につき、休職前の担当業務を通常程度行うことができる健康状態の回復があるといえる場合には、その休職事由は消滅したものと認められる。」

「そして、この検討に際しては、改正障害者雇用促進法が事業主の義務として合理的配慮の提供を定めている趣旨を考慮すべきであり、合理的配慮の提供があれば、休職前の担当業務を通常程度行うことができる健康状態の回復があるといえる場合には、休職事由は消滅したと判断されなければならない。」

「さらに、休職前の担当業務を通常程度行うことができるとは、休職前と完全に同一の労務の提供ができるという意味ではなく、休職前の担当業務のうちの重要な業務の遂行に支障を来さない、あるいは、休職前の担当業務の本質的機能を遂行することができる、という意味に解すべきである。」

などと主張し、休職事由の消滅を主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり判示し、原告の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「確かに、改正障害者雇用促進法36条の3は、事業主はその雇用する障害者である労働者の障害の特性に配慮した職務の円滑な遂行に必要な施設の整備、援助を行う者の配置その他の必要な措置を講じなければならない旨定めており、厚生労働大臣が同法36条の5に基づいて策定した事業主が講ずべき措置に関しての『合理的配慮指針』は、労働者が雇入れ時に障害者ではなかった場合を含む採用後における合理的配慮の提供についても言及がされている・・・。」

「しかしながら、改正障害者雇用促進法36条の3は、ただし書において、『事業主に過重な負担を及ぼすこととなるときは、この限りでない。』と定め、事業主に過重な負担を及ぼす場合、同条に定める措置を講じないことを是認している。」

「そして、前記認定にかかる原告の業務内容、後遺障害の内容、程度、身体能力及び健康状態、原告の業務内容や就労に伴う危険性(クリーンルームで就業することの危険性を含む。)等を勘案すると、合理的配慮指針に例示される程度の事業主に過重な負担とならない措置をもってしては、原告の業務の遂行は到底困難と解される。このことは、被告が資本金267億円、従業員数5000人を超える大企業であること・・・を考慮しても、本件の事情の下では左右されるものではない。」

「また、原告は、休職前の担当業務を通常程度行うことができるとは、休職前と完全に同一の労務の提供ができるという意味ではなく、休職前の担当業務のうちの重要な業務の遂行に支障を来さない、あるいは、休職前の担当業務の本質的機能を遂行することができる程度に健康が回復していたといえる場合をいう旨主張するところ、仮に、そのような前提に立ったとしても、既に認定説示した休職前の担当職務の内容、原告の後遺障害の内容、程度、身体能力、健康状態等に照らすと、事業主に過重な負担とならない措置をもってしては、原告が休職前の担当業務のうち、重要な業務の遂行に支障があり、あるいは担当業務の本質的機能を遂行することができる程度に健康が回復していたとはいえないというべきであるから、原告の主張は採用できない。」

「なお、原告は、P3事業所には他に車椅子を使用する従業員が在籍している旨指摘するなどしているが、本件証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、当該従業員は原告とは担当業務の種類を異にする者であって、クリーンルームへの立入りを必要としているとは認められないから、上記指摘は、前記結論を左右するものではない。」

「さらに、原告は、合理的配慮の提供に関連して、合理的配慮の内容を確定させるための『建設的対話』がなかったなどと主張するが、前記認定にかかる原告と被告間の復職に関する交渉経過等に照らすと、原告主張の評価ができるものではないから、原告の主張は採用できない。」

4.合理的配慮指針に例示される程度が一つの目安か

 障害者雇用促進法36条の5第1項は、合理的配慮の提供義務について、

「その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針・・・を定めるものとする。」

と規定しています。

 これに基づく「指針」として、厚生労働省は「合理的配慮指針」と呼ばれる告示を出しています。

改正障害者雇用促進法に基づく「障害者差別禁止指針」と「合理的配慮指針」を策定しました |報道発表資料|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-11704000-Shokugyouanteikyokukoureishougaikoyoutaisakubu-shougaishakoyoutaisakuka/0000078976.pdf

 本件は労働者側敗訴事案ではありますが、合理的配慮として要求できることの可否の基準として、合理的配慮指針に言及している点に特徴があります。

 裁判所の書きぶりからすると、行政解釈として合理的配慮であると認められている限度のことであれば、司法判断上も合理的配慮として認められる可能性が高そうに思われます。そして、合理的配慮指針で認められている程度の配慮すら行わず、機械的に従前の職務を支障なく行うことができる状態に回復しているかどうかを判断し、復職の可否を決めることは、法的にも消極的に位置づけられそうです。

 合理的配慮指針には、それほど強力な措置は書かれていません。指針の範疇に収まる措置で復職の可否の判断が分かれるケースは、ある程度限定されるとは思います。それでも、今後、復職の可否を争う裁判においては、この指針を積極的に引用・参照して行くことが考えられます。

 

傷病休職からの復職-主治医意見vs産業医意見(洗練された産業医意見にどう立ち向かうか)

1.休職からの復職

 休職とは、

「労働者に就労させることが適切でない場合に、労働契約関係そのものは存続させながら、就労を免除または禁止すること」

をいいます。

 休職のうち傷病を理由とするものを傷病休職といいます。

 傷病休職した労働者が、復職するためには、

「原則として従前の職務を支障なく行うことができる状態に回復したこと」

が必要と理解されています。

https://www.jil.go.jp/hanrei/conts/06/55.html

 この「従前の職務を支障なく行うことができる状態に回復したこと」は、主治医の診断書や意見書で立証することになります。

 しかし、主治医意見を添えて復職、労務提供の申出をしても、使用者側から「従前の職務を支障なく行うことができる状態に回復」していないとして、復職を拒まれることがあります。

 使用者の主張に何の医学的な裏付けもなければ、復職を拒否されたとしても、それほど不安に思う必要はありません。しかし、使用者の側でも産業医から意見を徴求しているなど、医学的な根拠に基づいて復職が拒否されている場合、困難な問題が生じます。

 このように復職の可否について、主治医意見と産業医意見とが異なる場合に、どちらの意見が優先されるのでしょうか?

 この問題は、ケースバイケースであり、一律に答えを導くことはできません。主治医意見が採用される場合もあれば、産業医意見が採用されることもあります。重要なのは、どのような場合に主治医意見が採用され、どのような場合に産業医意見が採用されるのかを個別の裁判例を通して分析して行くことです。

 近時公刊された判例集に、主治医意見と産業医意見とが対立した場合の裁判所の判断を知るうえで参考になる裁判例が掲載されていました。大阪地判令3.1.27労働判例ジャーナル110-20 日東電工事件です。

2.日東電工事件

 本件は私傷病休職からの復職の可否が争われた事件です。

 被告になったのは、包装材料、半導体関連材料、光学フィルム等の製造を事業内容とする株式会社です。

 原告(昭和49年生まれ)になったのは、被告と平成11年に職種限定のない雇用契約(本件雇用契約)を締結した方です。平成26年5月3日、趣味であるオフロードバイク競技の練習中に対向車と衝突する事故(本件事故)に遭遇し、頚髄損傷、頸椎骨折の傷害を負いました。

 本件事故当時、原告は被告のP3事業所内の「全社製造技術部門生産技術統括部基盤プロセス開発部第2グループ」(本件グループ)に所属し、人事制度「I-S」というコース・等級に位置付けられていました。

 「I(Innovation)-S」というのは「経営・事業の成長をリードする人財(42歳まで)将来のマネージメント(M)職、専門職(S)職候補」を意味しています。

 本件事故の翌日から有給休暇・休職に入り、リハビリテーションに取り組みましたが、平成27年9月30日を症状固定日として、下肢完全麻痺、上肢不全麻痺、神経因性膀胱及び直腸神経障害の後遺障害が残存しました。

 平成28年8月頃から、原告は被告に対して復職の意向を示しました。

 そして、平成29年1月6日には、

「被告に対し、原告の傷病名を『頚髄損傷』とし、『2014/5/3受傷、上記診断で加療を施行。後遺障害あるも症状安定している。就業規則どおりの勤務(月~金の週5日、午前8時~午後4時45分、休憩12時~12時50分)は問題なく可能である。上記の勤務をした場合、四肢麻痺の後遺症はあるも不安定な疾病はないため、業務に伴う疾病悪化リスクもない。『従前の業務の復職』に関しては、下肢完全麻痺・上肢不全麻痺であり車いす移動(自身での移動は可能)のため、可能な業務はその範囲でのものに限定される。病状的に禁忌制限としているものはない。』との所見が記載された、神戸赤十字病院のP5医師(以下『主治医』という。)作成に係る平成28年12月27日付け診断書(甲14、以下、『主治医作成の診断書』という。)を郵送提出」

しました。

 しかし、被告の産業医P6医師は(P6産業医)は、平成29年1月27日、復職審査会の場で、原告について「復職可能とは判断できない」との意見を述べ、その後、意見書を提出しました。

 被告は復職を不可とし、平成29年2月3日、休職期間満了によって本件雇用契約を終了させました。

 この扱いが違法であるとして、原告は、被告を相手取り、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 本件の争点は幾つかに渡りますが、その中の一つに、主治医意見と産業医意見のどちらを採用するのかというテーマがあります。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、産業医意見を採用しました。結論としても、原告の請求は棄却されています。

(裁判所の判断)

「原告は、労働能力の回復ないし健康状態の回復に関する主張を裏付けるものとして、主治医作成の診断書の存在について指摘する。」

「確かに、同診断書には、『就業規則どおりの勤務(月~金の週5日、午前8時~午後4時45分、休憩12時~12時50分)は問題なく可能である』と記載されている。」

「しかし、P6産業医は、復職審査会の場で、原告について『復職可能とは判断できない』旨の意見を述べ、後に同意見及びその理由を記載した意見書・・・を提出しており・・・、上記診断書と反対の意見を述べている。」

「そこで、検討するに、P6産業医は、上記意見を形成するにあたり、原告作成に係る『生活リズム確認表』をもって、休職期間満了時期に程近い10週間分にわたる原告の生活状況等を確認・・・した上、復職審査会に先立って原告と面談して業務一覧表を用いつつ原告の健康状態や就労能力について確認している・・・。加えて、P6産業医は、被告の職場関係者及び原告の主治医とも面談・・・し、上記意見を形成しており、原告の業務内容や健康状態、身体能力を踏まえて業務の遂行可能性やその程度等について相当具体的に検討しているといい得る。

他方、原告の主治医が原告の職務内容や就労環境について、被告の従業員と面談し、具体的な情報を取得していたことは本件証拠上うかがわれず、また、上記診断書はどのような通勤を前提として就業規則どおりの勤務について問題なく可能であるとしているのかも不明である。さらに、同診断書が作成されるに先立ち、被告担当者は、原告代理人に対し、復職可能との判定に必要となるであろう診断書の記載内容として『従前の業務にて、就業規則どおりの勤務(月~金の週5日、午前8時~午後4時45分、休憩12時~12時50分)ができること』等の文例を示している・・・ところ、主治医作成の診断書の文言が先に示された文例に酷似しており、かつ本件雇用契約が終了に至るか否かといった時期・局面において主治医作成の診断書が作成されていることを踏まえると、主治医作成の診断書で示された所見は、復職を希望する原告の意向を踏まえ、担当業務の具体的内容等を十分検討されることなく記載された可能性が払拭できない。以上に加えて、原告の後遺障害の内容、身体能力、健康状態及び上述した労働条件に関する原告の申入れ及び発言内容等も踏まえると、上記診断書の内容は、にわかに信用できないものである。

「そうすると、原告が指摘する主治医作成の診断書を考慮しても、原告のP3事業所での勤務可能日数が1週間当たり4日間又は4.5日間であると認めることができず、他にこれを認めるに足る証拠もない。」

3.職務内容や就労環境をどのように伝達するのか

 産業医意見と主治医意見には、それぞれ一長一短があります。

 産業医意見は職務内容や就労環境を踏まえた意見形成であるという強みがあります。他方、労働者の治療経過を実際に診察していないという点は弱みといえます。

 主治医意見には、この逆の特徴があります。労働者の治療経過を具体的に見ているというのは産業医意見にない強みです。しかし、職務内容や就労環境を熟知しているわけではないという点では、産業医意見に劣後します。

 こうした特徴を踏まえ、近時の使用者側は、産業医から意見聴取するにあたり、弱点を補強しています。診療録の提出を受けたうえで、主治医面談を行うなどして、治療経過に関する情報を集め、そのうえで復職要件の存否に関する意見を提出させます。

 このような梃入れがなされると、産業医意見の信用性は、そう簡単には崩れません。本件で産業医意見が採用されたのも、弱点に関する手当がなされたうえで、意見が形成されていたからだと思います。

 使用者側の立証方法に対抗するためには、労働者側としても、主治医意見の弱点を意識したうえで、その補強を図って行く必要があります。言い換えると、主治医には、職務内容や就業環境を十分に伝達したうえで、意見形成してもらう必要があります。具体的な職務内容や就業環境を職場から引き出し、それを主治医に伝達することは、容易ではないとは思いますが、そうした立証上の工夫をしてゆかないと、洗練された産業医意見書の弾劾が難しいことは、意識されておく必要があるように思われます。

 

未払賃金請求-親会社役員の「必ず精算します。」は、あてにしていいのか?

1.賃金の支払が滞り始めたら・・・

 個人的観測の範囲でいうと、賃金の支払が滞り始めても、直ちに弁護士のもとに相談に来る方は、決して多数派とはいえないように思います。概ねの人は、退職・転職したり、経営者の言質を取りに行ったりしています。

 賃金を支払えないことに負い目を感じているせいか、労働者から詰め寄られると、大抵の経営者は、支払いを約束してその場をやりすごそうとします。

 それでは、こうした約束を根拠に、雇い主以外の者に対しても、賃金の支払を請求することはできないのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令2.12.16労働判例ジャーナル110-48 T&Cメディカルサイエンス事件です。

2.T&Cメディカルサイエンス事件

 本件で被告になったのは、金融市場、経済に関する調査、研究、医療用機器の製造販売、輸出入等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告が議決権の100%を保有するニューヨーク州法人(NY現地法人)との間で労働契約を締結した方です。平成28年8月以降、NY州現地法人からの賃金の支払が滞り始め、平成29年6月分以降の賃金は、全く支払われなくなりました。こうした状況から平成30年10月31日付けでNY州現地法人を退職し、100%親会社である被告に対して、未払賃金の支払を求める訴えを提起しました。

 親会社である被告に対して未払賃金を請求する根拠として、原告は三つの法律構成を主張しました。その中の一つに、併存的債務引受があります。

 原告が併存的債務引受を主張する根拠になったのは、被告取締役Cとの間のメールです。NY州現地法人を辞めるに先立ち、原告は、C取締役との間で、次のようなメールを交わしていました。

-平成28年9月-

「原告がC取締役に対し、賃金の支払予定を尋ねるメールを送信したところ、C取締役は、『来週、2か月分支給できると思います。』『申し訳ありませんが、2か月まとめての支給は難しくまずは来週8月分を支給いたします。』などと返信した。」

-平成29年7月から9月-

「原告がC取締役に対し、賃金の支払予定を尋ねるメールを送信したところ、C取締役は、『B社長も尽力しています。』『3月分だけですが、来週の支給を予定しています。』『B社長に確認したところ、想定外のことが続いていて予定が狂ってますが10月中旬頃には幾らかできると思います。』などと返信した。」

-平成30年3月-

「原告がC取締役に対し、賃金の支払予定を尋ねるメールを送信し、その中で『メディエートやメディカルサイエンスのみなさんにも一切支払はないのでしょうか?』などと聞いたところ、C取締役は、『他社も同じ状況で、残念ですが退職者が増えています。』などと返信した。なお、メディエートとは、被告の子会社の1つである株式会社メディエートのことであり、メディカルサイエンスとは、被告のことである。」

-平成30年8月から9月-

「原告がC取締役に対し、賃金の支払予定を尋ねるメールを送信したところ、C取締役は、『入金がずれこみ、残念ながら今週はできませんが月内の支給を見込んでいるそうです。』『Aさんの状況及び下記について、B社長に伝えてあります。入金あり次第、支給します。』『未払について、B社長も私も正しく把握しており、帳簿にも漏れなく計上しています。』などと返信した。」

-平成30年10月-

「原告が『未払い賃金はいつ、どのような形で支払っていただけるのでしょうか。』とのメールを送信したところ、C取締役は『必ず精算しますので、連絡先メールアドレスなど教えていただけますか。』などと返信した。」

 親会社と子会社とは、法的には飽くまでも別の人格です。100%親会社であったとしても、子会社の債務を当然に支払わなければならないわけではありません。そうであるにもかかわらず、被告取締役が、支給する・精算する、と言い続けたのは、被告会社として併存的に債務を引き受ける意思を有していたにほかならない、というのが原告の主張の骨子です。

 しかし、裁判所は、次のとおり判示して、併存的債務引受の主張を採用しませんでした。

(裁判所の判断)

「原告の賃金は被告がNY現地法人に対して貸し付けた金銭を原資として支払われていたことが多かったこと、被告がNY現地法人の経理業務の委託を受けていたこと、C取締役がNY現地法人とともに被告が支払を行うことを明言したメールは見当たらないこと、被告は本件未払賃金債務を債務引受するとの書面を作成していないことが認められる。これらの事実に照らせば、本件メールは、原告の賃金を支払うために被告がNY現地法人に対して行う貸付けの予定を説明したにすぎないものとして理解することもでき、被告が本件未払賃金債務の支払義務を負うことを認めたものとはいえない。そうすると、本件メールから、原告と被告の間で、本件未払賃金債務について併存的債務引受が成立したと推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。以上によれば、原告の主張は採用することができない。

3.親会社役員の、支給する・精算する、を鵜呑みにするのは危険

 原告が1年以上も無給で働いてきたのは、100%親会社のC取締役が、支給する・精算する、と言い続けてきたからではないかと思います。素朴な公平感覚に照らすと、元々親会社からNY州現地法人への貸付金が賃金の原資に充てられていたという背景事情のもと、これだけ明確に支給する・精算すると言い続けて無給稼働させていれば、親会社の併存的債務引受が認められても不自然とはいえないように思われます。

 しかし、裁判所は、飽くまでも人格が別であることを重視し、併存的債務引受を認めませんでした。

 こうした裁判例を見ると、やはり、経営者サイドの、支給する・精算する、という言葉を鵜呑みにするのは危険だなと思います。賃金の支払が滞り始めたら、当面様子を見ながら働くにしても、債務引受契約書を作成するなど、一筆取っておいた方が良さそうです。

 当事務所では、こうした簡単な書面の作成も、業務として取り扱っています。ご不安な方は、お気軽にご相談頂ければと思います。

 

自分で法的措置をとるリスク-再審査請求先の間違い

1.地方公務員の公務災害の不服申立手続

 民間の労働者災害補償保険(労災)に対応する仕組みとして、地方公務員には地方公務員災害補償という仕組みがあります。

 補償に関する決定に不服がある場合、行政不服審査法に基づいて地方公務員災害補償基金支部審査会(支部審査会)に審査請求をすることができます。そして、支部審査会の決定に対しても不服がある場合には、地方公務員災害補償基金審査会(審査会)に対して再審査請求をすることができます(地方公務員災害補償法51条2項)。

不服申立ての概要 | 地方公務員災害補償基金

 この仕組みは文章にするとシンプルに見えます。しかし、公務災害として補償を受けられなかった方が、いざ問題に直面すると、不慣れであることから右往左往してしまうことがあります。

 右往左往してしまうことでの最大のリスクは、期間制限の徒過です。審査請求、再審査請求のいずれにも期間制限があります。審査請求は3か月以内にしなければなりませんし(行政不服審査法18条1項)、再審査請求は1か月以内にしなければなりません(行政不服審査法62条1項)。期間制限を徒過してしまうと、審査請求も再審査請求も不適法却下されることになります。また、公務災害に関する決定は審査請求前置という考え方が採用されているため、審査請求を経なければ裁判所に取消訴訟を提起することもできなくなります(地方公務員災害補償法56条)。

 しかし、短い期間で不服申立の論旨をまとめ、正しい申立先に不服申立を行うことは、法的手続に不慣れな方にとって必ずしも容易ではありません。基本的にはプロ(弁護士)に依頼した方がよく、自分でやるのはリスクが伴います。近時公刊された判例集にも、自力で不服申立手続を遂行しようとして、リスクが顕在化したと思われる裁判例が掲載されていました。東京地判令2.12.11労働判例ジャーナル110-48 地方公務員災害補償基金・地方公務員災害補償基金審査会事件です。

2.地方公務員災害補償基金・地方公務員災害補償基金審査会事件

 本件は躁うつ病の発症について公務外認定処分を受けた地方公務員の原告が、再審査請求の却下裁決の取消を求めて提訴した取消訴訟です。本件の原告の方は、代理人弁護士を選任せず、自力で裁判を進めています。

 原告は、埼玉県健康福祉部国保医療課に配属されていた際、通常業務を行いながら「老人保健医療の手引き(平成12年4月版)」(本件マニュアル)の作成を命じられ、その業務を遂行する過程において強い心理的負荷がかかり躁うつ病を発症したとして、公務災害認定請求をしました。

 しかし、埼玉県支部長は公務外認定処分を行いました。

 原告は、本件マニュアルに対する評価がなされていないことが不服であるなどとして、地方公務員災害補償基金埼玉県支部審査会に対して審査請求をしましたが、埼玉県支部審査会も公務起因性を認めず、審査請求を棄却しました。

 審査請求を棄却されたのは、平成31年10月4日で、原告が裁決書謄本を受領したのは同年10月5日でした。

 原告の方は同月15日ころまでに埼玉県知事宛てに裁決の内容が不服である旨記載した手紙を出すとともに、地方公務員栽培補償基金埼玉県支部に対し、本件マニュアルの写しを求めて保有個人情報開示請求を行いました。

 しかし、写しが送られてきたのは同年11月25日で、それに合わせて再審査請求の時期も遅れました。結局、再審査請求を行ったのは、裁決書謄本の受領から1か月以上が経過した同年11月29日になりました。

 地方公務員災害補償基金審査会(審査会)は、原告からの請求を、期限徒過を理由に不適法却下しました。これに対し、裁決の取消を求めて訴えを提起したのが原告です。

 1か月以上が経過しているのに、なぜ訴えることができたのかというと、期間制限には例外があるからです。再審査請求の期間制限を定める行政不服審査法62条1項は、

「再審査請求は、原裁決があったことを知った日の翌日から起算して一月を経過したときは、することができない。ただし、正当な理由があるときは、この限りでない。」

と規定しています。この条文を分離に忠実に解釈すると、「正当な理由」があるときには、1か月を経過していても、再審査請求を認める余地を残しています。そのため、本件では期限徒過に「正当な理由」が認められるか否が争われました。

 裁判所は、この論点について、次のとおり述べて、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「行政不服審査法62条1項は、『再審査請求は、原裁決があったことを知った日の翌日から起算して1月を経過したときは、することができない。ただし、正当な理由があるときは、この限りでない。』と定めているところ、前記前提事実・・・のとおり、原告は、令和元年10月5日、本件審査請求を棄却する旨の裁決があったことを知ったが、その時点から1か月を経過した後である同年11月29日に本件再審査請求をしているから、本件再審査請求は同条同項本文の定める1か月の再審査請求期間を徒過したことが明らかである。」 

「原告は、本件においては行政不服審査法62条1項ただし書所定の『正当な理由』に該当する事情がある旨主張する。そこで検討するに、そもそも行政不服審査法62条1項所定の再審査請求の期間制限は、行政上の法律関係の安定確保と国民の権利利益の保護との調和を図る趣旨から設けられたものであるから、再審査請求期間内に再審査請求をしなかったことに社会通念上相当と認められる理由があるときに、この『正当な理由』が認められると解される。そして、社会通念上相当と認められる理由があると認められるか否かは、処分等の内容及び性質、行政庁の教示の有無及びその内容、処分等に至る経緯及びその後の事情、処分当時及びその後の時期に原告が置かれていた状況、その他再審査請求期間徒過の原因となった諸事情を総合考慮して判断するのが相当である。

「本件においては、前記前提事実・・・のとおり、原告は、末尾に再審査請求期間が明記されている本件審査請求を棄却する旨の裁決書謄本を受領した上で、再審査請求期間中に本件審査請求に対する埼玉県支部審査会の裁決の内容が不服である旨記載した埼玉県知事宛ての手紙を提出し、埼玉県支部審査会から、それに対応する再審査請求手続に関する説明文書の送付を受けていて、さらに、埼玉県支部に対して保有個人情報の開示を請求しているから、本件再審査請求を再審査請求期間内に提起することが社会通念からみて不可能ないし困難な状況が原告にあったとは認められない。加えて、原告の主観的事情について見てみても、原告は、審査請求時に既に本件マニュアルの評価等について不服を述べていたから、再審査請求においてもその旨付記して再審査請求期間内に本件再審査請求をした上で、後日、情報開示請求により取得した本件マニュアルを追完する対応を取ることも十分に可能な状況であったというべきである。そうすると、その他原告が主張する点を考慮しても、再審査請求期間内に再審査請求をしなかったことについて社会通念上相当と認められる理由があるとは認められない。

「したがって、本件再審査請求について再審査請求期間を徒過したことにつき行政不服審査法62条1項ただし書の『正当な理由』があるということはできない。」

3.教示はされるが・・・

 再審査請求期間と再審査請求をすべき行政庁は、審査請求に対する裁決の段階で教示されます(行政不服審査法50条3項)。

 そのため、書類をきちんと読み込んでおけば、再審査請求の宛先の間違えは防ぐことができます。本件でも説明文書の交付ほか教示自体は実施されていたように思われます。

 しかし、自分の事件を冷静に進めるのは、プロでも容易ではありません。一般の方が、知事に不服申立の手紙を出して安心していたであろうこと、1か月という期間制限の速さに不意を打たれたであろうことは、ある程度察しがつきます。

 弁護士を利用しないと手続に伴う経済的な負担は安くなります。しかし、自力で法的措置をとることは、ミスの危険を押し上げます。本件でも、ちょっとした時間差で、足元を掬われることになってしまいました。

 やはり法的措置、少なくともある程度の複雑さが予想される法的手続に関しては、適宜の弁護士に依頼してしまった方が良さそうに思います。