弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

固定残業代の合意-合計支給額が上がっても残業代以外の賃金が下がる場合、書面を取り交わすだけではダメ

1.自由な意思の法理

 最二小判平28.2.19労働判例1136-6山梨県民信用組合事件は、

使用者が提示した労働条件の変更が賃金や退職金に関するものである場合には、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとしても、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力にも限界があることに照らせば、当該行為をもって直ちに労働者の同意があったものとみるのは相当でなく、当該変更に対する労働者の同意の有無についての判断は慎重にされるべきである。そうすると、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第1073号同48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁、最高裁昭和63年(オ)第4号平成2年11月26日第二小法廷判決・民集44巻8号1085頁等参照)。」

という判示しています(自由な意思の法理)。

 このような最高裁判例があるため、賃金や退職金の減額は、労働者が同意しているかのような外形があったとしても、それだけで当然に有効になるわけではありません。労働条件の不利益変更を受け入れるのかどうかの意思決定を適切に行えるだけの十分な情報提供・説明が行われていない場合、同意の効力を覆すことができます。

 近時公刊された判例集に、固定残業代の合意に自由な意思の法理を適用した裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令4.4.12労働判例1276-54 酔心開発事件です。適用の仕方が特徴的であるため、ご紹介させて頂きます。

2.酔心開発事件

 本件で被告になったのは、飲食店の経営等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、被告が経営する店舗(本件店舗)において、厨房スタッフ(料理長)として勤務していた方です。被告を退職した後、

① 在職中の時間外労働に係る割増賃金の未払分、

② 労働基準法114条に基づく付加金、

③ 割増賃金請求に係る弁護士費用、

④ 在職中の被告による不法行為を理由とする損害賠償

を請求する訴えを提起したのが本件です。

 本件では、①との関係で、固定残業代の有無及びその効力が争点の一つになりました。

 本件の原告は、労働契約の締結時(平成22年2月15日頃)に、

「給料 24万円(休日手当並びに深夜にかかる割増分含む)」

と書かれた「雇用通知(月給)」と題する書面に署名していました(平成22年雇用通知)。

 その後、平成27年4月頃に、原告は、被告から、

「給料 月給26万5000円 

基本給20万円、時間外手当5万5000円、

料理長手当1万円」

と書かれた雇用通知書を示され、これに署名しました(本件雇用通知書)。

 このような事実関係のもと、裁判所は、次のとおり判示して、固定残業代の合意の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、本件労働契約の締結の際における原告との面談において、B部長が、原告に対し、24万円の給料のうち20万円が基本給で、うち4万円が固定残業代である旨を説明し、原告もこれを承諾したと主張し、B部長は、その証人尋問においてこれに沿う供述をする。また、平成22年雇用通知書には、『③給料』として『給240、000円(休日手当並びに深夜にかかる割増し分含む)』と、また、『⑤勤務時間』として『1日8時間(拘束9時間)以内を原則とし、店の繁忙閑散に応じ加減することがある。(給料の加算減算なし)』と、それぞれ記載されており・・・、これらの文言は、本件労働契約締結時に基本給に固定残業代が含まれる旨を説明したという上記B部長の供述に整合している。」

「しかしながら、平成22年雇用通知書にある固定残業代制を窺わせる記載は、上記のものだけであり、給料24万円のうち幾らが固定残業代であるのかなど、固定残業代の具体的内容に関する記載はない。また、本件全証拠を検討しても、24万円の給料のうち20万円が基本給で4万円が固定残業代である旨を説明したという上記B部長の供述を裏付けるに足りる証拠はない。」

「そうすると、仮に、被告が本件労働契約締結時に給料24万円に固定残業代が含まれる旨を説明していたとしても、被告が原告にその内訳を説明して合意をしたとは認められないから、被告の主張する固定残業代は、基本給部分とこれに対する割増賃金部分を明確に区分することができないものであり、無効である。」

「この点、被告は、平成27年に原告が署名した本件雇用通知書では、月給26万5000円の内訳が「基本給200、000円、時間外手当55、000円、料理長手当10、000円」と明確に区分されて記載されていることを指摘する。しかしながら、平成27年に作成された本件雇用通知書において、基本給部分と固定残業代(時間外手当)部分が明確に区分されていたからといって、それだけでは、原告と被告が、平成22年の本件労働契約締結時においても、基本給部分と固定残業代部分を明確に区分して合意したと推認することはできないというべきである。」

被告は、原告が平成27年に本件雇用通知書の内容を確認した上で、これに署名をしているから、給料26万5000円のうち5万5000円が固定残業代(時間外手当)として支払われることについて合意をしたとも主張する。

しかしながら、上記・・・のとおり、原告と被告は、本件労働契約締結時に固定残業代について有効に合意をしておらず、当時の賃金は月額24万円であった。被告の主張は、本件雇用通知書において、原告の賃金を基本給20万円及び料理長手当1万円の合計21万円とし、5万5000円については固定残業代とすることを合意したというものであり、これを換言すれば、原告の賃金を本件労働契約締結時に比べると月額3万円減額することに合意をしたというものである。

被告は、このように労働条件を原告の不利益に変更する内容を含む本件雇用通知書作成の経緯について、被告が高齢となった従業員を対象に退職希望の有無を調査した際、就労継続を希望する者に対して定年制を適用しないことを改めて説明・確認した際に作成したものであるなどと主張するだけで、原告に対し、賃金の引下げとなることを説明した形跡すら窺われない。そうすると、原告が本件雇用通知書に署名しただけでは、その自由な意思に基づいて、基本給を20万円に引き下げ、5万5000円について固定残業代として支払うことについて合意をしたと認めることはできない。

3.二つの特徴

 この裁判例には二つの特徴があります。

 一つ目は、賃金を減額する合意といえるのかどうかについて、基本給等を基準に考えていることです。支払総額でみれば、平成22年雇用通知書が月額24万円であるのに対し、本件雇用通知書では26万5000円と増加しています。支払総額でみれば賃金増になっていたとしても、基本給等の部分で減額が生じていることから、自由な意思の法理の適用対象になると判示しました。

 二つ目は、雇用通知書の記載だけでは「説明」とは認めないとされたことです。自由な意思の法理が適用される場合、事前の情報提供・説明の内容等が合意の効力を判断する上での重要な考慮要素になります。本件の場合、雇用通知書を見れば、基本給等の部分が幾らで、固定残業代の部分が幾らなのかは一目瞭然です。しかし、裁判所は、情報提供や説明が適切になされているとは認めませんでした。

 固定残業代は随所でトラブルを引き起こしている問題の多い仕組みです。裁判所が示した判断は、いずれも他の事案に応用可能なものとして参考になります。

 

書面に「割増し分含む」との記載があり、固定残業代の説明をしたとの証言があっても、固定残業代の合意が否定された例

1.固定残業代の有効要件

 最一小判令2.3.30労働判例1220-5 国際自動車(第二次上告審)事件は、固定残業代の有効要件について、

通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である・・・。そして、使用者が、労働契約に基づく特定の手当を支払うことにより労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったと主張している場合において、上記の判別をすることができるというためには、当該手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていることを要するところ、当該手当がそのような趣旨で支払われるものとされているか否かは、当該労働契約に係る契約書等の記載内容のほか諸般の事情を考慮して判断すべきであり・・・、その判断に際しては、当該手当の名称や算定方法だけでなく、上記・・・で説示した同条の趣旨を踏まえ、当該労働契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならない」

と判示しています。

 傍線部の一番目は「判別要件」「明確区分性」などと言われています。傍線部の二番目は「対価性要件」と言われています。

 固定残業代が有効であるといえるためには、判別要件、対価性要件が充足されなければならないのはもちろんですが、判別要件、対価性要件を論じるにあたっては、前提として賃金に固定残業代が含まれることが立証されなければなりません。

 この固定残業代の合意に関し、近時公刊された判例集に、注目すべき判断を示した裁判例が掲載されていました。東京地判令4.4.12労働判例1276-54 酔心開発事件です。

2.酔心開発事件

 本件で被告になったのは、飲食店の経営等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で労働契約を締結し、被告が経営する店舗(本件店舗)において、厨房スタッフ(料理長)として勤務していた方です。被告を退職した後、

① 在職中の時間外労働に係る割増賃金の未払分、

② 労働基準法114条に基づく付加金、

③ 割増賃金請求に係る弁護士費用、

④ 在職中の被告による不法行為を理由とする損害賠償

を請求する訴えを提起したのが本件です。

 本件では、①との関係で、固定残業代の有無及びその効力が争点の一つになりました。

 本件の原告は、労働契約の締結時(平成22年2月15日頃)に、

「給料 24万円(休日手当並びに深夜にかかる割増分含む)」

と書かれた「雇用通知(月給)」と題する書面に署名していました(平成22年雇用通知)。

 被告は、この記載を前提としたうえ、面接時に給与のうち4万円が固定残業代であることなど、固定残業手当制度の内容・趣旨及び金額等を説明したと主張しました。

 これに対し、原告は、固定残業代について合意した事実はないと反論しました。

 両当事者の主張を受けた裁判所は、次のとおり判示し、固定残業代の合意の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、本件労働契約の締結の際における原告との面談において、B部長が、原告に対し、24万円の給料のうち20万円が基本給で、うち4万円が固定残業代である旨を説明し、原告もこれを承諾したと主張し、B部長は、その証人尋問においてこれに沿う供述をする。また、平成22年雇用通知書には、『③給料』として『給240、000円(休日手当並びに深夜にかかる割増し分含む)』と、また、『⑤勤務時間』として『1日8時間(拘束9時間)以内を原則とし、店の繁忙閑散に応じ加減することがある。(給料の加算減算なし)』と、それぞれ記載されており・・・、これらの文言は、本件労働契約締結時に基本給に固定残業代が含まれる旨を説明したという上記B部長の供述に整合している。

しかしながら、平成22年雇用通知書にある固定残業代制を窺わせる記載は、上記のものだけであり、給料24万円のうち幾らが固定残業代であるのかなど、固定残業代の具体的内容に関する記載はない。また、本件全証拠を検討しても、24万円の給料のうち20万円が基本給で4万円が固定残業代である旨を説明したという上記B部長の供述を裏付けるに足りる証拠はない。

そうすると、仮に、被告が本件労働契約締結時に給料24万円に固定残業代が含まれる旨を説明していたとしても、被告が原告にその内訳を説明して合意をしたとは認められないから、被告の主張する固定残業代は、基本給部分とこれに対する割増賃金部分を明確に区分することができないものであり、無効である。

3.整合的な書面があっても、口頭で説明しただけでは固定残業代合意は成立しない

 上述のとおり、裁判所は、「割増し分含む」という書面と、それと整合する

「24万円の給料のうち20万円が基本給で4万円が固定残業代である旨を説明した」

という被告側証人(B部長)の証言があってもなお、

「平成22年雇用通知書にある固定残業代制を窺わせる記載は、上記のものだけであり、給料24万円のうち幾らが固定残業代であるのかなど、固定残業代の具体的内容に関する記載はない。また、本件全証拠を検討しても、24万円の給料のうち20万円が基本給で4万円が固定残業代である旨を説明したという上記B部長の供述を裏付けるに足りる証拠はない」

などと述べたうえ、

「被告が原告にその内訳を説明して合意をしたとは認められない」

と判示しました。 

 これは、事実上、

書面に固定残業代の金額が明記されていなければ固定残業代の合意は認められない

と述べているに等しく、固定残業代が無効となる範囲を広くとる判断です。

 固定残業代は労働契約の締結時に明確な説明のないまま導入・運用されている例が多々みられます。そうした事案で労働者が残業代を請求するにあたり、本裁判例は先例として広く参照されて行くことが考えられます。

 

アカデミックハラスメント-学生に対するハラスメントの懲戒事由該当性が否定された例

1.アカデミックハラスメント

 大学等の教育・研究の場で生じるハラスメントを、アカデミックハラスメント(アカハラ)といいます。

 セクシュアルハラスメント、マタニティハラスメント、パワーハラスメントとは異なり、法令上の概念ではありませんが、近時、裁判例等で扱われることが多くなってきています。職務上、大学教員・大学職員の方の労働問題を取り扱うことが多いことから、個人的に関心を持っている領域の一つです。

 アカデミックハラスメントの特徴は、職場の同僚間、上司-部下の間だけではなく、学生との関係でも問題になることです。

 学生に対するアカデミックハラスメントの成否を検討するにあたっては、パワーハラスメントで業務上の指導との区別が問題になるのと類似した問題が生じます。具体的に言うと、教育的指導との区別が問題になります。

 近時公刊された判例集に、学生に対するハラスメント等を理由とする懲戒の可否が問題になった裁判例が掲載されていました。一昨日、昨日とご紹介させて頂いている水戸地判令4.9.15労働判例ジャーナル130-14 学校法人常磐大学事件です。

2.学校法人常磐学園事件

 本件で被告になったのは、常盤短期大学(本件大学)を設置する学校法人です。

 原告になったのは、昭和58年4月に被告に雇用され、平成22年4月から本件大学幼児教育保育学科(本件学科)の教授として勤務していた方です。複数の教員や学生に対するハラスメント行為を理由に停職1年間の懲戒処分(本件懲戒処分:令和2年6月1日~令和3年5月31日)を受けた後、その無効確認や停職期間中の賃金の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 被告が問題にしたハラスメント行為のうち、学生に対するものは3人分あり、それぞれ次のとおり主張されています。

(被告の主張)

・学生g(以下『g』という。)に対するハラスメント行為

「原告は、平成28年春学期、g(2年生)に対し、1年生の前で、名前を呼んで立てと言い、『なんでお前はださないんだ』と言った。gが事情を説明すると、1年生の前で、『この人はダメな人だからこういう人にならないように』と言った。

 また、原告は、平成28年春学期、再履修している1年生との授業で、gらが実習から帰ってきて、2年生がどんな質問をされたか話すよう言われたのに対してgが話そうとすると、同人に対し、『ああgはいいよ』というようなことを言った。(以下『gハラスメント〔1〕』という。)」

「原告は、平成28年春学期、gに対し、『お前みたいのはこの学校にいらないし、お前みたいなのは保育士になってほしくないから今すぐ辞めてくれ』と言い、gが、親にお金を出してもらっているので『お金を返してくれるなら辞めます』と言ったところ、『もう話にならないからお前は出ていけ』と言った。また、幼稚園教諭にもなってほしくない、大学も辞めるようにとも言った。(以下『gハラスメント〔2〕』という。)」

「原告は、平成27年春学期から平成28年秋学期にかけて、高校のジャージを着ていたgに対し、他にも高校のジャージを着ていた学生がいたのにgのみを注意するなど、授業中に不当な注意をした(以下『gハラスメント〔3〕』という。)。」

・学生h(以下『h』という。)に対するハラスメント行為

「原告は、平成28年4月25日、授業の始まる午前9時に教室に入ったhに対し、『席の一番前に座れ、来い』と言い、hが『お腹が痛いのでトイレに行ってました』と言ったのに対し、『早く来い、いいから来い』と言い、hが言われたとおりに着席したがhに出席カードを渡さなかった。他方で、その後に遅れて来た学生には理由を聞いて出席カードを渡していた。hが半分ふてくされた態度をしていると、原告は大声で『その態度はなんだ』、『なら出ていけ』と言った。我慢していると出席カードを渡され、『これを書け』と言われて書くと、『なんだその汚い字』と言われ、出席カードの提出後、原告は、『お前、その態度は何だ』、『来年受け直せ』、『単位はあげない』と他の学生の前で言った。hは、その時点で教室を出て、泣きながら母親に電話した。」
 hは、原告のハラスメント行為により希望を失い、本件大学を退学した。

・学生i(以下『i』という。)に対するハラスメント行為

「原告は、平成30年5月23日、授業のたびに呼び出されて叱られており、原告から『メンタルをもっと鍛えないと保育者になれない』などと言われた。」

「iは、原告のハラスメント行為により、本件大学を退学した。iは、原告から『子どもの発熱があっても休むな』というようなことを言われたことで、子持ちは大学に通えないと考えた、原告から言われたことを思い出してメモをしたが、あまりにひどくそれを言われてまで大学に行きたくなくなったなどと述べている。」

 これに対し、原告は、次のとおり反論しました。

(原告の主張)

・gに対するハラスメント行為がないこと

「gハラスメント〔1〕につき、否認する。gは、グラフを提出する予定の授業に学外実習か何かが重なったことでこれを欠席せざるを得なくなったことから、遅れてグラフを提出する際に併せて欠席届を提出すべきであったが、これを怠ったために原告はグラフの受取りを拒んだものと思われる。gは、その次の授業の際、原告が受け取らなかったことに反発してあえて提出しないという態度を取り『先週出したところうけとらないって言われたので出しませんでした』と発言した。

 このようにgは注意に対して言い返したり、反抗的な態度を取ったりすることがあったため、毅然とした態度で接する必要があった。また、受講態度等に問題のある学生に対する注意はその場で即座に行う必要があるため、他の学生の前で行われることは回避できないが、これは良好な授業環境を維持するために不可欠なことであり、これによって学生がダメージを受けたとしても直ちにハラスメントに当たるものではない。」

「gハラスメント〔2〕につき、原告には具体的な記憶がないが、学生に必要な指導や叱責をすることはあっても、学生の人格を傷つけるような発言をしたことはない。一般に『保育士になってほしくない』という発言は、対象である学生の人格自体を理由として言っているのではなく、現状の勉学態度が改まらないままでは、保育士という専門知識を期待される職業に就くには相応しくないといった趣旨で、学生に対して望ましい方向への行動変容を求めるために言っているものである。」

「gハラスメント〔3〕につき、原告には具体的な記憶がないが、高校のジャージを着用していただけであればそれを注意するはずはなく、この学生が注意されたのであれば、着方がだらしないなど何らかの意味で授業に相応しくない点があったからであり、それを理解しない学生がそれに不満を抱いた可能性はある。」

・hに対するハラスメント行為がないこと

「原告には個々の発言につき具体的な記憶がないが、原告は、『お前』という言葉や被告が指摘するような極端な言葉は使っていないし、hに対して正当かつ妥当な指導をしたものである。」

「一般に遅れてきた学生がいた場合、前の席しか空いていないことがあるため、授業をスムーズに進めるため、前の席に座るように促すことはあり、このときも同じである。遅れて来て迷惑をかけているという自覚の乏しい学生に自覚を促すために指導や注意を与えたり、言い訳ばかりする学生に厳しい態度で接したりすることは教員として職務上必要な対応である(原告は、学生が静かに集中して授業を受けられる状況を作るように努めており、これは原告の授業を受けた学生の授業アンケートの結果にも表れている。)。その対応に腹を立て、泣き出し、母親に電話で訴えるなどの行動は、当時のhの幼児性がもたらすものである。」

「また、hは、1年生のときに原告の担当する授業である『身体活動論』が不合格となったが、2年生で再履修して合格して単位を取得しており、その際には原告との関係で何ら問題はなかった。hが退学したのは、自分の勉強不足から取得単位が足りず、保育士資格や幼稚園教諭の免許を取るのに2年半か3年かかってしまうためであり、さらにhは四年制の大学に入って体育の教員の免許を取ることを目指しているとも述べており、原告に対する不信感とは関係がない。」

・iに対するハラスメント行為がないこと

「i自身が作成した文書は僅かに乙3号証の2のみであり、ほとんどがcやdによる伝聞記録であるが、cとdは、原告を懲戒処分にさせるために、もともとハラスメントの訴えをすることなど考えていなかったf、g及びhに働きかけて協力させるなどしており、iについても、同人から聞き取ったとされる内容が正確に記録されているか大いに疑問である。」

「また、被告は、ハラスメント調査委員会の調査にも日程が合わず、i本人へのヒアリングによる直接の事実確認ができなかったにもかかわらず、cやdがiやその関係者から聞いたという話のみから原告によるハラスメント行為があったとずさんな認定をし、停職処分という重大な懲戒処分をしたものである。」

「i(入学当時18歳)には子どもがおり、普段は日立市に住む両親に子どもを預け、自身は水戸市内のアパートで暮らしていたが、子どもが熱を出すと保育園に預けられず、iが子どもの面倒を見ることになるため、欠席が多くなっていた。原告は、iの欠席が多かったことから、iに対し、『続けていけるのかな』という声かけをし、欠席が多いのでこのままでは2年間では卒業できない、資格取得も難しいということを丁寧に説明したことがあり、両親と相談して環境調整をするようにも伝えた。学生に対してある程度の厳しさを持って卒業や資格取得に向けて指導激励することは教員として当然の行為であり、パワハラには当たらない。」

「このように、原告は、iに対し、子どもが発熱しても欠席しなくて済むよう環境を整える必要があるという話をしたに過ぎず、『子どもの発熱があっても休むな』、『子どもがいたら勉強してはいけない。卒業できない。』などということは言っていない。iは、原告の話の内容を感情的に受け止め、『子持ちは大学に通えない』といった飛躍した結論に至ったものと思われる。」

 こうした当事者双方の主張に対し、裁判所は、次のとおり述べて、各行為の懲戒事由該当性を否定しました。

(裁判所の判断)

・gに対するハラスメント行為の有無

「gは、ハラスメント調査委員会によるヒアリングにおいて、原告からgハラスメント〔1〕ないし〔3〕を受けたなどと述べたことが認められる(乙11)。」

「しかし、原告は、上記・・・のとおり主張してこれを否認するところ、これが学生に対する指導として必要かつ相当な範囲を超えるものとは直ちにはいえない。原告も、学生に対して保育士になってほしくないとか、保育士に向いていない、学校を辞めたほうがいいなどと言ったことがあることを認めている。しかし、そのような発言をするのは学生が勉強を放棄していたり、注意を受入れなかったりするときにやる気を出させるような場合に限られる旨を供述しているところ、このような指導がされたからといって、威圧的であったり、侮辱的なものでない限り、許されない指導とまで断じることはできない(仮に被告としてこのような指導が適当でないと考えるのであれば、事前に原告に対してその旨を注意喚起すべきである。)。」

「また、いずれにせよ、gは、原告の授業の単位を取得して本件大学を卒業しており、ヒアリングにおいて、原告から受けた指導が何か影響しているということはなく、ハラスメントの申立てを希望するかはわからない旨を答えているように、cからハラスメントとして訴えるよう働きかけられたことがgがヒアリングを受けたことに強く影響したことがうかがわれる・・・。加えて、gの件は、cと当時の副学長が、原告に苦情の申し出があった旨を伝え、原告に注意喚起をしており・・・、その時点では、それ以上の調査や処分等がされなかったものである。そうすると、これを停職という重大な懲戒処分において重視することは相当でない。」

「以上によれば、これが本件就業規則73条3項の定める懲戒事由に該当するとはいえない。」

・hに対するハラスメント行為の有無

「hは、ハラスメント調査委員会によるヒアリングにおいて、原告から上記・・・記載のハラスメントを受けたなどと述べたことが認められる・・・。」

「しかし、原告は、上記・・・のとおり主張してこれを否認するところ、これが学生に対する指導として必要かつ相当な範囲を超えるもとは直ちにはいえない。」

「また、hは、本件大学を退学したが、その理由には単位取得に2年半や3年間を要する状況にあったことや4年制大学のスポーツ健康学部で体育教員の資格を取得することにしたという進路志望の変更があったことがあり、そこに原告から受けた指導が全く影響していないとまではいえないにせよ、直接的に影響したとまでは認められない(・・・原告との件がなければ、本件大学を卒業して資格を取得していたと述べている部分もあるが、退学の原因につき他責的な説明をしたり、質問者等の意図を汲んで話を合わせたりする可能性があることを踏まえると、必ずしも言葉通りの意味に理解することはできない。)。加えて、この件についても、cと当時の副学長が、原告に対して苦情の申し出があった旨を伝え、注意喚起をしており、その時点では、それ以上の調査や処分等がされなかったことを踏まえると、これを懲戒事由において重視することは相当でない。」

「以上によれば、これが本件就業規則73条3号の定める懲戒事由に該当するとはいえない。」

・iに対するハラスメント行為の有無

「後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。」

「iは、平成30年4月、本件大学本件学科に入学し、春学期において、原告の担当する授業である『基礎体育〈1〉』を受講した。なお、基礎体育〈1〉の授業は、卒業のための必修科目であり、保育士資格と幼稚園免許の取得にも履修が必要である・・・。」

「当時、iは一人親で1歳10か月の子どもを養育しており、平日はiの両親の実家に子ども預けて面倒を見てもらっていたが、子どもが熱を出して保育園に預けられなくなると、iが子どもを見るしかなくなり、また、子供の行事に参加するために、授業を欠席することがあった・・・。」

「原告は、平成30年5月17日の数日前、指導教員であったdに対し、iの欠席に関して、同人を指導した旨を報告した・・・。」

「平成30年5月21日以降、iが本件大学を欠席していたことから、dは、同年6月18日、iの母親と祖母同席の下、iを面談した・・・。」

「その際、iは、dに対し、原告の授業中に腹痛のためトイレに行きたいと言ったところ、原告から授業の始まりに体調不良を申請していなかったことをとがめられ、傷つきと不信感を持ったこと、その後3回ほど授業の度に原告から呼び出され、子育て(発熱の看病、参観日)を理由とした欠席をとがめられ、『卒業できない』と言われ、卒業や資格取得に絶望感を持ったなどと述べた・・・」。

「iは本件大学を退学するつもりであったが、母親はiが卒業することを希望しており、dは、iに対し、教員は応援しており、相談に応じるなどと伝えて、再度、学業を継続するか家族で相談するよう伝えた。」

「その後、iは、一度は卒業や資格取得に向けて頑張ろうとする意欲が見受けられ、秋学期にも当初順調に出席していたが、最終的には欠席や欠試により1科目1単位しか取得できず、平成31年3月末で本件大学を退学した・・・。」

「iは、原告から『子どもが熱を出しても休むな。子どもがいたら勉強してはいけない。卒業できない。』、『子どもの行事や体調よりも卒業を優先しろ』などと言われたと訴えていることがうかがわれるが・・・、これらの発言は、子どもがいる学生に対する教員の指導として余りに不合理なものであり、何らかの悪意でもない限り、教員がこのような言葉をそのまま学生に発言することはおよそ考え難いというべきである。この点、原告は、上記・・・のとおり主張しているところ、教員として欠席が続いていた学生に対して、その原因を確認し、欠席しないように働きかけることは自然かつ合理的であり、原告は、欠席についてiを指導した旨を自らdに報告したことなどに照らせば、ある程度厳しい指導がされたことがうかがわれるが、原告としてiに対して必要かつ相当な範囲で指導をしたとの認識であったと考えられる。」

「そして、実際に、担当教員の裁量の余地はあるものの、原則として、定期試験の受験資格として15回開かれる授業に6回以上欠席しないことがあり(証人d)、卒業や資格取得のために授業に出席することが必要であるため、学生に対して授業に出席できるよう環境調整に努めるよう指導することは当然のことであり、その際に学生の心構えを改めさせるためにある程度厳しい指導となることも一定程度許容されるというべきであって、それが学生本人のためにもなるという見方もできる。」

「他方で、iは繊細で傷つきやすい学生であったようであり・・・、子どもの事情により授業を欠席したことについて原告から厳しい指導を受けたことや環境調整が困難な状況にあったことなどから、iの受け止め方として、『子どもがいたら勉強してはいけない」などの極端な理解をしてしまった可能性も否定できない。本来であれば、当初からこのようなiの特性を踏まえた指導がされることが望ましかったということはできるが、原告がiを指導した時点においてそれを認識していたとは認められず、原告による指導が裏目に出てしまった可能性があることを踏まえると、iが授業を欠席するようになったことについて原告に全てを帰責できるわけではない。」

「また、結果として、iは本件大学を退学するに至っており、このことに原告による指導が影響した可能性は高いということができるが、それだけでなく、iがもとから繊細な性格であったことや学業・進路に対する意欲の程度、家庭環境等も影響した可能性は否定できない。この点、iは、退職願書を作成した際、退学の理由を「就職するので、退学する」とのみ記載しており、dが更に記載するよう求めたのに対しても、iが「何で就職するだけじゃだめなのか、それがわからない」と述べ、原告との件について、「a先生がいなければ、頑張れたしそれが一番大きい」と述べるが、「それ全部書いたらいっぱいになってめんどくさい。書いたら思い出してまた辛くなるから思い出したくもないし。就職だけでいい。」とも述べており(乙3の3)、iが実際のところ如何なる理由により退学を選択したのか必ずしも明らかでない(dも、iの退学の理由について、何か一つのことではない旨を証言している。)。」

「加えて、iが必修科目であった原告の授業を履修しなければならないことを悩んでいたのであれば、その不安を解消するために、原告において、iの事情を踏まえて単位取得に向けた何らかの対応をしたり、仮にiにおいて原告の指導に対する誤解があれば、それを直接正したりすることなどが考えられるところである。もっとも、iは、平成30年5月21日以降、原告の授業には一度も出席しておらず、cやdが、原告に対し、iに関する情報提供をしたり、卒業や単位取得に向けた協力を要請したりしたわけではないから、原告において何らかの対応を取ることは実際上困難であったということができる(原告がcらから協力を要請されながら何も対応しなかったということであればともかく、cやdは、それができないという前提でのみ対応していたものと認められるから・・・、これを試みることなくiが退学に至ったことにつき原告に帰責できないというべきである。)。」
 ここからすると、iが退学したという結果について原告に帰責できる程度には限度があるというべきである。

「さらに、cとdは、原告がiを指導した場面を直接目撃したわけではなく、i自身からもどこまで事実確認できたか定かでなく(同級生やiの母親から聞いた話というものもある。)、原告にも事実確認をしたわけではない。そうすると、cとdは、事実関係を正確に把握できていない可能性があり、iの様子や退学したという結果からiに同情的になり、原告に過度に帰責している可能性も否定できない。」

「また、被告は、原告の具体的な言葉まで確定できないが、iが原告から『核心をついてるのでぐさっとくる』ことを言われ、泣くような精神的状況になったことから、原告によるハラスメント行為があったと判断したことが認められる・・・。しかし、iの理解の仕方や受け止め方が介在する以上、指導の結果、iが泣くような精神的状況になったというだけで、原告の指導が必要かつ相当な範囲を超えるものであったと断じることはできない。」

「以上によれば、原告による厳しい指導が結果としてiの退学に相当程度影響したということはうかがわれるが、それが指導として必要かつ相当な範囲を超えるものとは直ちにいえず、退学に至った原因においても原告に帰責できる程度には限度があることからすると、これが本件就業規則73条3号の定める懲戒事由に該当するとはいえない。」

3.適切ということではないのだろうが・・・

 上述のとおり、裁判所は、学生に対するハラスメントが懲戒事由に該当することを認めませんでした。

 この事件の裁判所は、

「1年間の停職は、本件就業規則で定められている停職期間の上限であり、懲戒解雇、論旨解雇に次いで重い懲戒処分ということができ、これにより労働者は停職期間である1年間給与の支給を受けられないことになり、解雇に匹敵するような重大な影響を与えることから、そのような重大な懲戒処分が正当化されるには、それに見合うような事由が存在することを要する」

と懲戒事由該当性をかなり限定的に捉えています。

 懲戒事由該当性が否定されたのは、このように懲戒事由についての限定的な理解が影響している可能性が高く、原告の行為に全く瑕疵がないのかというと、おそらくそのようなことはないだろうと思います。

 とはいえ、本件で懲戒事由該当性が否定されたことは、大学教員の方からの事件処理の参考になります。

 

部下(学科教員)から上司(学科長)に対するパワーハラスメントの否定例

1.部下から上司に対するパワーハラスメント

 パワーハラスメントとは、

職場において行われる

① 優越的な関係を背景とした言動であって、

② 業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、

③ 労働者の就業環境が害されるものであり、

①から③までの要素を全て満たすものをいう

とされています(令和2年厚生労働省告示第5号「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」参照)。

 このうち①の「優越的な関係」とは、上司と部下のような関係が典型です。

 しかし、部下から上司に対する言動も、パワーハラスメントに該当しないわけではありません。例えば、

「同僚又は部下による言動で、当該言動を行う者が業務上必要な知識や豊富な経験を有しており、当該者の協力を得なければ業務の円滑な遂行を行うことが困難であるもの」

などは、「優越的な関係を背景とした」言動に該当すると理解されています。

 上司といっても労働者であることに違いはなく、部下からの言動を一定の範囲で「パワーハラスメント」と扱うことは、労働者保護の観点から、決して悪い話ではありません。

 しかし、

部下から上司に対する言動もパワーハラスメントに該当する可能性がある、

という一般論についても、使用者側から濫用的に用いられる例は少なくありません。昨日ご紹介した水戸地判令4.9.15労働判例ジャーナル130-14 学校法人常磐大学事件は、部下から上司に対する言動について「優越的な地位を背景とした」言動であることが否定された事案としても参考になります。

2.学校法人常磐大学事件

 本件で被告になったのは、常盤短期大学(本件大学)を設置する学校法人です。

 原告になったのは、昭和58年4月に被告に雇用され、平成22年4月から本件大学幼児教育保育学科(本件学科)の教授として勤務していた方です。複数の教員や学生に対するハラスメント行為を理由に停職1年間の懲戒処分(本件懲戒処分:令和2年6月1日~令和3年5月31日)を受けた後、その無効確認や停職期間中の賃金の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件では被告から多数のハラスメント行為が摘示されていますが、その中に下位者(原告)から上位者(c)に対するハラスメントが含まれていました。

  被告側は、

「原告は、cに対し、以下のハラスメント行為をした。なお、当時、cは本件学科 の学科長であり、原告は学科教員であったが、パワーハラスメント(以下『パワハラ』という。)における優越的地位にあるかは実質的に判断されるべきところ、原告は本件学科の最古参の教授であったのに対し、cは学科長に就任したばかりであり、一般に学科長が学科教員の上司として指揮・命令権を有するものでもない。」

「原告は、平成28年4月にcが本件学科の学科長に就任すると、cに対し、学科長がすべきことができていないとメールで執拗に叱責し、そのメールを学科全教員に送信し、cは、威圧感と苦痛を覚えた(以下『cハラスメント〔1〕』という。)。」

「原告は、平成29年1月26日、cに対し、再課程認定における教員の研究業績提出に関して、大至急対応するよう繰り返しメールで要求し、『責任回避』、『甚だ遺憾』などの言葉を向けるとともに、学科教員のほか、教職センター担当職員、教職センター統括補佐、教職センター長、学事センター統括、学事センター短大担当職員、副学長及び学生支援センター統括にCCを入れて送信し、cをさらし者にした(以下『cハラスメント〔2〕』という。)。」

「原告は、平成30年9月25日、臨時学科会において、原告が記録担当者であったが、会議の最後に議事録を書かないと主張して、『学科長が書いたらいい。たまには、学科長も書いたらいい』などと発言し、学科運営を妨害した(以下『cハラスメント〔3〕』という。)。」

などとして、懲戒権の行使は問題ないと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、Cに対する言動がパワーハラスメント・懲戒事由に該当することを否定しました。

(裁判所の判断)

「証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告は、平成26年12月から本件学科の学科長となったが、平成28年4月からcが学科長になり(cは、令和2年3月31日までの4年間学科長を務めた。)、原告は学科教員となったことが認められる。3月31日 また、学科長は、被告の管理運営規程(以下『本件規程』という。)14条1項7号により管理職者と定められ、同規程15条1項では、『管理職者は、業務分掌規程に基づいて適正な計画を立て、配下の職員に指示を与え、業務を効率的に遂行し、その目的を達成しなければならない。』と定められている(・・・なお、同規程3条で、『この規程の対象となる組織及び職員は、特段の記載がない限り、法人及び法人の設置するすべての学校の組織及び職員とする。』とあり、『職員』から教員を除外する明示的な規定は存在しない。)。

パワハラとは、就労における優越的な関係を背景とする言動であり、業務上必要かつ相当な範囲を超えており、労働者に身体的又は精神的苦痛を与えるものを意味すると解されるところ、cは、本件学科において、学科長の役職にあり、本件規程15条1項に基づき、学科教員である原告を指導すべき立場にある。そして、たとえcにおいて原告が本件学科の最古参の教授であり、指導しづらいと感じていたとしても、当時、原告がそのような立場から事実上の影響力を行使できたなどという事情はうかがわれず(むしろ、平成28年度から原告に代わってcが学科長となり、原告は学科教員となったことから、本件大学での原告の立場は危うい状況にあったことがうかがわれる。)、これはあくまで心理的・心情的な事情に過ぎないものであるから、原告がcに対して優越的な関係にあったということはできない。

「cハラスメント〔1〕につき、cの学科長就任後から原告がメールで執拗にcを叱責し、そのメールを学科教員全員に送信したとする原告の具体的な行為の内容が被告の主張から必ずしも明らかでない」

「仮に乙3号証の5のメールがそれに当たるとすると(証拠説明書の立証趣旨では、同証拠についてdを非難する内容のメールと記載されているが、それに対応する被告の主張はない。)、これはdが学科会の議事録案を作成し、『ご確認の上修正が必要な点などございましたら、7月4日(月)までにお知らせくださいませ。なお、その際「全員に返信」ボタンにてご送信をお願い申し上げます。」という文言のメールを学科教員に送信したのに対し、原告が議事録の作成手順や内容、学科会の運営方法に関する質問や意見の表明、批判を内容とするメールを全員に返信する方法で送信したことが認められるのみであり、原告が平成28年6月29日の早朝午前5時、5時9分、6時、6時13分、6時18分に連続して5回、d宛てのメールを送信したことを含め、これにどのように対応するかはcやdに委ねられており(現にdがメールの返信をしたのは、同日午後7時44分であった。乙3の5)、意見表明や批判として度を超えるような表現も見当たらないことからすると、これが業務上必要かつ相当な範囲を超えてcに対するパワハラに当たるということはできない。」

「また、cハラスメント〔2〕につき、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、原告が、当時学科長であったcに対し、文部科学省による再課程認定(授業を担当する教員がその科目を担当するに相応しい研究業績を有するか否かなどを審査するもの)への対応を求めたり、それに関する原告の意見を述べ、cによる対応が不十分である旨を指摘したりするなどの内容のメールを関連する職員を含めて送信しており、そこでは原告が確認を求めた事項につきcが見解を示さなかったことについて『甚だ遺憾です』、学科に情報提供する学科長の責務を果たさないことについて『責任回避』などと表現したことが認められる。」

「しかし、いずれのメールの内容も以上の限度に止まっており、学科の管理職者である学科長として学科員から学科の運営に関する質問や指摘、批判を受けることは基本的には甘受すべきものであり、cとしても、原告からの質問や指摘、批判に必要な限度で対応すれば足りるものである。また、関連する職員にも併せて送信することについても業務上関連する以上、不必要ないし不相当ということはできないし、それだけで学科長であるcが『さらし者』になるということも考え難い(cによれば、自身が再課程認定に向けて学科長としてなすべきことをしていたという認識であったから・・・、なおさら『さらし者』になるということは考え難い。)。『甚だ遺憾』、『責任回避』といった表現についても、学科長であったcの対応を批判する趣旨を超えるものではなく、パワハラには当たらないというべきである。仮に原告による度を超えた批判等があれば、cは、本件学科の管理職者である学科長の立場として原告に指導・注意して改善を促すべきであり、そのような指導・注意をしていないにもかかわらず・・・、学科の運営等に関して学科長を批判したことなどを理由に原告を懲戒処分にすることは、合理性を欠くものと言わざるを得ない。」

「したがって、これが本件就業規則73条3号の定める懲戒事由に該当するとはいえない。」

「さらに、cハラスメント〔3〕につき、原告が、平成30年9月25日、臨時学科会の記録担当者であったが、会議の最後に議事録を書かないと言って、その作成を拒んだことが認められる・・・。」

「しかし、これは単なる職務放棄というべきものであり、原告と交代で学科長となったcに対する嫌がらせという意味合いがあった可能性はあるにせよ、被告の主張する懲戒事由である本件就業規則73条3号(『重大な過失により、本学の信用を損なうような行為をしたとき。』)に該当しないことは明らかである。」

3.ハラスメントに厳しいこととハラスメント概念を濫用することとは違う

 指摘するまでもありませんが、ハラスメントに厳しいこととハラスメント概念を濫用することは違います。懲戒権を行使するにあたり、ハラスメントの概念をラフに使うことは許されません。

 概念上は該当するとはいっても、部下から上司に対する言動がパワーハラスメントに該当すると認定される例は、それほど多くはありません。本件は、

使用者が部下から上司へのパワーハラスメントを問題視したこと、

使用者側の認定が違法だとされたこと

において二重に特徴的な事案です。

 本件は部下から上司への言動がパワーハラスメントに該当するのかを判断するにあたり参考になります。

 

古いハラスメント行為を懲戒事由とすることが否定された例

1.ハラスメントに対する意識の高まりの反作用

 令和2年6月1日、

「事業主は、職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であつて、業務上必要かつ相当な範囲を超えたものによりその雇用する労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない。」(労働施策総合推進法30条の2第1項)

などの法文を含む改正労働施策総合推進法が施行されました。

 こうした法改正の影響もあり、パワーハラスメントに対する意識は年々深まりを見せ、従前よりも随分、被害の予防、被害者保護が図られるようになっています。

 しかし、パワハラ防止指針(令和2年厚生労働省告示第5号「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」)が、

「就業規則その他の職場における服務規律等を定めた文書における職場におけるパワーハラスメントに関する規定等に基づき、行為者に対して必要な懲戒その他の措置を講ずること

を要求していることに藉口して、行為者に対して苛烈な処分が行われる現象も散見されます。中には何年も前のハラスメント事件を掘り返して懲戒処分が行われる例もあります。

 確かに、ハラスメントは厳正に対処されるべきです。しかし、それまで問題にされていなかったにも関わらず、何年も前の出来事を掘り返して懲戒処分を行うというのも、行き過ぎであるように思われます。

 それでは、こうした古いハラスメント行為を理由とする懲戒処分について、何等かの歯止めはかからないのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が近時公刊された判例集に掲載されていました。水戸地判令4.9.15労働判例ジャーナル130-14 学校法人常磐大学事件です。

2.学校法人常磐大学事件

 本件で被告になったのは、常盤短期大学(本件大学)を設置する学校法人です。

 原告になったのは、昭和58年4月に被告に雇用され、平成22年4月から本件大学幼児教育保育学科(本件学科)の教授として勤務していた方です。複数の教員や学生に対するハラスメント行為を理由に停職1年間の懲戒処分(本件懲戒処分:令和2年6月1日~令和3年5月31日)を受けた後、その無効確認や停職期間中の賃金の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件では被告から多数のハラスメント行為が摘示されていますが、その中に含まれていた教員fに対するハラスメント行為は、かなり古いものでした。

 被告が主張したハラスメント行為は、次のとおりです。

・教員e(旧姓f)(以下「f」という。)に対するハラスメント行為

「原告は、fに対し、以下のハラスメント行為をし、それにより、fはうつ病を発症して被告を退職した。」

「原告は、組織上の指示命令系統下になかったfに対し、平成22年4月実施のティーパーティー(学生が親睦を深めるための集い)に関することなど、メールや電話で頻繁に仕事に関する指示を出し、分刻みでその達成状況を管理し、かつ職務範囲外の事項においても、fだけには報告・連絡・相談を徹底するよう強要した(以下『fハラスメント〔1〕』という。)。」

「原告は、平成22年頃、fに対し、内線で『今から研究室に来て』と呼び出し、fが研究室に向かうとストップウォッチを片手にふんぞり返った姿勢で椅子に座り、呼出しから来るまでの時間を計測していた。そして、来るのが平均よりも遅いと指摘し、短い説教をした。また、用件自体もメールや電話でやりとりできるようなものであった。(以下『fハラスメント〔2〕』という。)」

「原告は、平成22年4月22日頃、fに対し、電話で『あんたやっぱりとんちんかんだわ』と言った。また、『あんたがちゃんとやるんだよ』、『ちゃんと仕事してください』などと低い声で耳打ちをした。(以下『fハラスメント〔3〕』という。)」

 これらfに対するハラスメント行為について、裁判所は、次のとおり述べて、懲戒事由に該当することを否定しました。なお、結論としても、本件懲戒処分は無効とされています。

(裁判所の判断)

「後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。」

「fは、平成22年4月から本件大学本件学科に助教として勤務していたが、平成23年12月17日、菊池整形外科医院の医師より、うつ病と診断され、平成24年3月で被告を退職した・・・。」

「fは、平成24年3月に被告を退職する際、当時の学長宛てに手紙を差し出しており、その手紙には原告から受けたパワハラの内容が記載されていたが、それだけでなく当時の副学長や学科長によるパワハラを訴える内容も記載されていた・・・。」

「当時の学長はfから上記手紙を受け取ったが、被告が、原告に対し、fが訴えた内容について、懲戒処分のみならず、何らかの指導・注意をしたことはうかがわれない・・・。」

「fハラスメント〔1〕ないし〔3〕につき、原告は、記憶がないとしてこれを否認するところ、事実関係は必ずしも明らかではないが、当時の学長宛てに作成した手紙やfの証言等に照らせば、fが、原告から業務等に関連して厳しい指導・注意を受けたことが一応うかがわれる。しかし、被告の主張自体からもそれが業務上必要かつ相当な範囲を超えるものであるか定かでない(『あんたやっぱりとんちんかんだわ』などの発言についても、適当でなく避けるべき表現ではあるが、威圧的であるとか侮辱的であるとまで直ちにはいえない。)。」

「また、fに対するハラスメントは、仮にこれが事実であったとしても、本件懲戒処分の時点で既に約10年が経過しており、遅くとも本件懲戒処分の約8年前には当時の被告の学長もfの訴えを同人作成の手紙により認識していたが、これに対して何らかの対応をしたことはうかがわれない。被告は、fの訴えが学長限りに留められた理由について、原告のみでなく、当時の副学長や学科長のハラスメントを訴える内容でもあったこと、fが既に平成24年3月31日で退職することとなっており、ハラスメントの申立てをしないと手紙に記載されていたことが理由であると説明するが・・・、これはfが当時の副学長や学科長に対してもハラスメントを訴えていたことから、退職の原因にはf自身にも問題があったなどと考えて同人の訴えを真剣には取り合わなかったと考えるのが自然であり、まして被告は平成26年12月には原告を学科長に任命したことからすると、被告において、fが退職に至った原因が原告によるハラスメント行為であると認識していたとは考え難い。このようにfの件について、少なくとも約8年間にわたり何ら調査、処分等がされていなかったにもかかわらず、本件に係るハラスメントの申立てをきっかけに突如として被告がこれを問題視することは、使用者として一貫性を欠く恣意的な対応と言わざるを得ず、これを停職という重大な処分の懲戒事由として主張することは失当というべきである。

「以上によれば、これが本件就業規則73条3号の定める懲戒事由に該当するということはできない。」

3.極端に古いハラスメント行為の掘り返しは許されない

 上述のとおり、裁判所は、fに対する古いハラスメント行為について「使用者としての一貫性を欠く恣意的な対応」であることを理由に、懲戒事由に該当することを否定しました。

 古いハラスメント行為が掘り返される背景には、不審な動機、加害者と目された人に対する使用者側の悪意のあることが少なくありません。本裁判例は、恣意的な理由によるハラスメント行為の掘り返しを掣肘するために活用して行くことが考えられます。

 

安全配慮義務違反を問題にするうえでの労働時間性-在校時間を要素として労働時間をカウントした例

1.労働時間概念の相対性

 行政解釈上、労災認定の可否を判断するうえでの労働時間は、労働基準法上の労働時間と同義であるとされています(令和3年3月30日 基補発 0330 第1号 労働時間の認定に係る質疑応答・参考事例集の活用について参照)。

 しかし、裁判例が必ずしも労働者災害補償保険法上の労働時間と労働基準法上の労働時間とを同義として理解していないことは、このブログで折に触れてお伝えしてきたとおりです。

 それでは、長時間労働を理由に安全配慮義務違反を問題にする脈絡での労働時間と労働基準法上の労働時間の概念上の異同は、どのように理解されるのでしょうか?

 安全配慮義務違反を問題にするうえでの労働時間は、どちらかというと労働者災害補償保険法上の労働時間の概念と親和性があるように思われますが、やはり、労働基準法上の労働時間とは異なる概念として理解されるのでしょうか?

 この問題を考えるうえで参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、大阪地判令4.6.28労働経済判例速報2500-3 大阪府事件です。

2.大阪府事件

 本件で被告になったのは、A1高校(本件高校)を設置する地方公共団体です。

 原告になったのは、B1大学外国語学部を卒業した後、社会人経験を経て、本件高校の教諭として勤務していた方です。

 過重な業務により長時間労働を余儀なくされ適応障害を発症したとして、被告に対して損害賠償を求める訴えを提起したのが本件です。

 この事件の裁判所は、業務の量的過重性(労働時間のカウントの仕方)について、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

・本件発症前6か月における本件時間外勤務時間

「前記前提事実・・・によれば、被告においては、常勤教育職員の勤務時間の適正な把握のための手続等として適正把握要綱が定められ、同要綱によれば、校長が勤務時間管理者とされ(3条)、常勤教育職員の時間外等実績(常勤職員が勤務公署において、正規の勤務時間以外の時間帯に行った業務の時間)については、OTR(Online Time Recorder 括弧内筆者)の打刻時間を基礎として把握することが予定され(6条)、勤務時間管理者は、1月当たりの時間外等実績が80時間を超える常勤教育職員に対し、ヒアリング等を実施し、当該時間外等実績に係る主な業務内容等について把握するものとされている(8条1項)。そうすると、本件高校の校長は、OTRの打刻時間を基礎として教育職員の時間外等実績を把握し、1月当たりの時間外等実績が80時間を超える場合には、その業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等について注意を要するものとされていたということができる。」

「そして、前記認定事実・・・のとおり、原告の本件発症前6か月における在校時間及び休日校外で部活動指導等の業務に従事した時間から法定労働時間(週40時間)を差し引いた時間(本件時間外勤務時間)は、本件発症前1か月が約112時間、発症前2か月が約144時間と、本件発症前2か月間が概ね1か月当たり120時間程度であり、本件発症前6か月間の本件時間外勤務時間の平均が1か月当たり約98時間と概ね100時間程度となるものであったことが認められる。

「そして、前記・・・の事実認定の補足説明のとおり、本件時間外勤務時間の算定においては、OTRの出勤打刻時間から退勤打刻時間までの時間から、所定の休憩時間(45分)及び原告が業務外の活動を行っていたと認められる時間を控除したものであるところ、他に原告が在校中に、自己研さんその他の業務外の活動を行っていた事実を具体的に窺わせる証拠はないことからすると、原告は、本件時間外勤務時間については、業務に従事していたものと認めるのが相当である。」

「そうすると、本件時間外勤務時間は、本件発症前2か月間が概ね1か月当たり120時間程度であり、本件発症前6か月間の本件時間外勤務時間の平均が1か月当たり概ね100時間程度となるような長時間に及んでいたことは、原告の心身健康を害する程度の強度の心理的負荷であったと評価するのが相当である。」

・被告の主張について

「被告は、教育職員の勤務は、本質的には『自主性、自発性、創造性』を有しており、特に公立学校の教育職員については、時間外勤務を命じることができる場合は、『公立の義務教育諸学校等の教育職員を正規の勤務時間を超えて勤務させる場合等の基準を定める政令』により規定される『超勤4項目』に限られるところ、原告の時間外勤務は、少なくともL1校長からの時間外勤務命令に基づくものではなく、労働基準法上の労働時間と同視することはできないから、本件時間外勤務時間をもって業務の量的過重性を評価するのは相当でない旨主張する。」

「しかし、前記前提事実・・・のとおり、適正把握要綱は、常勤教育職員の『時間外等実績』を把握するにあたって、超勤4項目に限らず、OTRの打刻による出退勤の記録等を基礎とし、1月当たりの時間外等実績が80時間を超える常勤教育職員に対してヒアリング等を実施することとしている。そして、前記認定事実・・・によれば、本件発症後に発出されたものではあるものの、本件ガイドラインは、『超勤4項目』以外の業務を行う時間を含めて『勤務時間』を適切に把握するためのものと位置付けられた上で、教育職員の勤務時間の上限の目安時間については、在校等時間から休憩時間及び自己研さんその他の業務外の活動を行っていた時間を差し引いた時間を基本として把握するものとされ、特別の事情に基づく特例的な扱いの場合であっても、1か月の在校等時間の総時間から条例等で定められた勤務時間の総時間を減じた時間が100時間未満であるとともに、連続する複数月(2か月、4か月、5か月、6か月)のそれぞれの期間について、各月の在校等時間の総時間から条例等で定められた各月の勤務時間の総時間を減じた時間の1か月当たりの平均が、80時間を超えないようにすることとされている。上記適正把握要綱の内容に加えて、本件ガイドラインが発出された趣旨や、その背景にある考え方をみても、本件高校において、勤務時間管理者である校長が、教育職員の業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積してその心身の健康を損なうことがないよう注意する義務(安全配慮義務)の履行の判断に際しては、本件時間外勤務時間をもって業務の量的過重性を評価するのが相当であり、本件時間外勤務時間が、校長による時間外勤務命令に基づくものではなく、労働基準法上の労働時間と同視することができないことをもって、左右されるものではないというべきである。

「したがって、被告の上記主張を採用することはできない。」

3.労働基準法上の労働時間よりも広く理解された

 適正把握要綱とは、大阪府が定めた「勤務時間の適正な把握のための手続等に関する要綱」をいいます。本件では「時間外等実績」のカウントの仕方が要綱により定められていたから、独自の方法で労働時間がカウントされたという見方もできるかも知れません。

 とはいえ、安全配慮義務違反を問題にするうえでの労働時間の概念を、労働基準法上の労働時間よりも広く捉えたことは(校長の時間外勤務命令により指揮命令下に置かれていたとはいえなくてもカウントの対象になり得ると捉えたこと)、注目に値します。

 公立学校の教員の方は、しばしば労働条件の過酷さが問題になっています。本裁判例を機に長時間労働の是正が進むことが期待されます。

 

管理職が声掛けなどをするのみで抜本的な業務負担軽減策を講じなかったとして安全配慮義務違反が認められた例

1.部下の長時間労働とSOSのサイン

 労働者が長時間労働で精神障害を発症するに至るまでの間には、SOSのサインが出されていることが少なくありません。深刻な労働災害は、こうしたSOSのサインに対し、管理職が真摯に向き合わないことから発生します。

 近時公刊された判例集にも、労働者から断続的にSOSのサインが発せられていたにもかかわらず、管理職が声掛けなどをするのみで御座なりな対応をとったことが安全配慮義務違反に該当すると判示された裁判例が掲載されていました。大阪地判令4.6.28労働経済判例速報2500-3 大阪府事件です。

2.大阪府事件

 本件で被告になったのは、A1高校(本件高校)を設置する地方公共団体です。

 原告になったのは、B1大学外国語学部を卒業した後、社会人経験を経て、本件高校の教諭として勤務していた方です。

 過重な業務により長時間労働を余儀なくされ適応障害を発症したとして、被告に対して損害賠償を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件では適応障害の発症が平成29年7月20日で、原告の勤務時間は、

6月21日から7月20日 103時間42分

5月22日から6月20日 131時間36分

4月22日から5月21日  99時間32分

3月23日から4月21日  89時間15分

2月21日から3月22日  46時間31分

1月22日から2月20日  71時間20分

とされていました。

 この事案で、裁判所は、次のとおり述べて、L1校長の安全配慮義務違反を認めました。結論としても、適応障害の発症と安全配慮義務違反との因果関係を認め、原告の請求を認容しています。

(裁判所の判断)

「前記・・・の認定判断のとおり、L1校長は、平成29年5月中旬頃以降遅くとも同年6月1日までには、原告の長時間労働が生命や健康を害するような状態であることを認識、予見し、あるいは認識、予見し得たことから、その労働時間を適正に把握した上で、事務の分配等を適正にするなどして勤務により健康を害することがないよう配慮すべき注意義務を負っていたものと認められる。」

「にもかかわらず、前記認定事実・・・のとおり、L1校長は、同年6月1日以降も、原告から、同月27日には、『適正な労務管理をしてください。あまりにも偏りすぎている。』、『このままでは死んでしまう。』、『もう限界です。精神も崩壊寸前です。春から何度もお伝えしている体調不良も悪くなる一方で慢性化しています。』、『病院に行きたくても行く時間もない。』(私)。同年7月13日には、『いつか本当に過労死するのではないかと考えると怖いです。体も精神もボロボロです。』、『明日の教科会議も火曜日の授業もどう乗り切ればいいのか分かりません。/「押しつぶされます。」、同月15日には、 「体大事にしてや」と昨日電話でおっしゃられましたが、できることならしています。そんな余裕もないからSOSを出しているのです。』、『成績も授業も間に合わない。オーストラリアに行く前に死んでしまう。』など、追い詰められた精神状態を窺わせるメールを受信しながら、漫然と身体を気遣い休むようになどの声掛けなどをするのみで抜本的な業務負担軽減策を講じなかった結果、原告は本件発症に至ったものと認められるから、L1校長には注意義務(安全配慮義務)違反が認められる。

・被告の主張について

被告は、L1校長としては、原告に対し、優先順位を付けて効率的な業務分担をするようアドバイスをしていたのであり、原告は適切で効率的な役割分担と協働体制をとることで自らの負担を軽減できたはずであるとか、原告はL1校長らに対して業務負担軽減を求めるのであれば具体的な提案をすべきであり、そのような提案がなければ管理職として適切に動くことはできないなどと主張する。

しかし、L1校長が、原告に対して仕事に優先順位をつけて、国際交流の業務を役割分担して進めて欲しい旨アドバイスしていたことが、原告の業務量自体を減らすものではなく、原告の過重な業務負担の解消のために有効な配慮とは言えなかったことは、前記イの認定判断のとおりである。また、国際交流委員会の業務について、原告が自ら他の教員らに分担を求めることが困難であったことについては、前記・・・の認定判断のとおりであるし、部活動指導等についても、前記認定事実・・・のとおり、原告が、かねて公の場で、部活動指導等を自分たち若手の職員等が抱え込み、過労死につながるなどの意見を表明して、管理職による割振りをすべきだという提言をしたり、自らの人事評価に関する自己申告票に、『土日の部活動付添いを断りがちな教員も、なんとか説得して関わらせるようにすること』が今後の課題である旨の提言をしたりしていたことから被れば、原告としては、部活動指導等についても、自ら本件高校や他校の教職員らに対して分担を求めることは困難であると考え、管理職であるL1校長に対し、分担の軽減を含めた具体的な改善策を求めていたとみるべきである。

このような場合、管理職であるL1校長こそが、上記注意義務の一環として、原告に対し、具体的な業務の負担軽減のための改善策を講じる必要があったというべきであるから、単にマネジメント力の発揮を原告に期待し、効率的な業務分担を求めるといった抽象的な指示を繰り返すばかりでは、注意義務を尽くしたということはできない。

「他に、被告は、①教諭である原告の業務の自主性・創造性から、業務の内容についても自ら調整すべきであって管理職が踏み込むことは難しい、②原告は、語学研修の引率をこなした上、帰国後や病気期間中にラグビーのアシスタントレフリーに登録していたことから原告自身の心身の状態が原告が主張するほどに深刻な状況ではなく、原告が自らの健康管理を適切に行っていなかった旨主張する。」

「しかし、上記①については、教育職員である原告の業務の自主性・創造性を尊重すべきことと、当該職員が客観的に心身の健康を害するおそれのある過重な業務に従事して、精神的に追い詰められた様子を示し、労務管理を求めている際にこれに応える義務があることとは別の問題であるというべきである。また、上記②については、前記前提事実・・・のとおり、原告は、平成29年7月20日頃、遅くとも同月21日までに適応障害を発症したことが認められ、・・・の認定判断のとおり、原告は量的にも質的にも過重な業務によって適応障害を発症したことが認められるところ、原告が本件発症後、オーストラリア語学研修の引率を行ったことは、それまで同研修の準備を取り仕切ってきた責任感等によるものと評価することができるし、また、原告が帰国後や病気期間中にラグビーのアシスタントレフリーに登録していたことなど、被告の種々主張する内容は、適応障害と診断された原告の訴える健康被害の内容と、必ずしも矛盾するものとまではいえない。」

「したがって、被告の上記主張を採用することはできない。」

3.声掛けするだけではダメ、負担軽減を労働者に任せてはダメ

 上述のとおり、裁判所は、声掛けをするなどの対応だけでは抜本的な業務負担軽減策とはいえないし、部下のマネジメント力の発揮を期待して抽象的な指示を繰り返すばかりでは注意義務を尽くしたともいえないと判示しました。

 安全配慮義務違反を問う裁判では、使用者側から

一応の対応はしている、

むしろ問題があるのは労働者の対応だった、

などと主張されることが少なくありません。こうした使用者側の主張を排斥するにあたっても、本裁判例の判示は参考になるように思われます。