弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

医師の配転-内分泌科医が内分泌疾患固有の領域を担当することができなくなるキャリア上の不利益は通常甘受すべき程度なのか?

1.配転命令権の濫用

 昨日、医師のような特殊な技能が必要となる専門職は、黙示的な職種限定契約が成立し得るという話をしました。

 ただ、黙示的な職種限定契約は、「黙示的」であるがゆえに、その内容が必ずしも一義的ではありません。そのため、昨日お話したとおり、

「従前の職務と全く関連しない職務へと一方的に変更されないことは格別、従前の職務と密接に関連し、あるいはその一部となる職務についても、一切の変更や限定を許さない旨の職種限定合意があったなどとは認められない」(東京地判令5.2.16労働経済判例速報2529-21 東京女子医科大学事件)

などという理屈のもと、医師であったとしても、黙示的職種限定契約で不本意な配転に対抗することができないことがあります。

 しかし、職種限定合意の抗弁が認められなかったとしても、配転命令権の行使に対しては、権利濫用を主張できる可能性があります。

 最二小判昭61.7.14労働判例477-6 東亜ペイント事件は、配転命令が権利濫用として無効になる場合として、

① 業務上の必要性がない場合、

② 業務上の必要性があっても、他の不当な動機・目的のもとでなされたとき、

③ 業務上の必要性があっても、著しい不利益を受ける場合

の三類型を掲げています。

 このうち、近時の裁判例の中には、三番目の類型との関係で、キャリア形成上の不利益を配転命令権の効力を否定する理由として指摘するものが現れています)名古屋高判令3.1.20労働判例1240-5 安藤運輸事件等参照)。

長年慣れ親しんだ業務からのキャリアを無視した配転 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 それでは、昨日ご紹介した事案のように、内分泌科医が高血圧分野・高血圧内科への配転を命じられた場合、キャリア形成上の不利益を主張して、権利濫用の抗弁を主張することはできないのでしょうか?

 東京地判令5.2.16労働経済判例速報2529-21 東京女子医科大学事件は、この不利益性との関係でも、興味深い判断をしています。

2.東京女子医科大学事件

 本件で被告になったのは、東京女子医科大学や同大学病院を設置する学校法人(被告法人)と、その理事長(被告乙山)、常務理事(被告丙川)の三名です。

 原告になったのは、被告と労働契約を締結した医師の方です。

 原告は、

内分泌内科学講座の教授・講座主任から内科学口座高血圧学分野の教授・基幹分野長とする旨の配点命令(本件配転1)

高血圧・内分泌内科の診療部長から高血圧内科への診療部長とする旨の配転命令(本件配転2)

を受けました(本件各配点命令)。

 これに対し、原告の方は、黙示の職種限定合意のほか、配転命令権の濫用を主張し、各配点先で勤務する労働契約上の義務がないことの確認等を求めて被告らを提訴しました。

 裁判所は、黙示の職種限定合意の成立を否定したほか、権利濫用の抗弁も排斥し、原告の請求を棄却しました。配転命令権の権利濫用性の不利益性についての判示部分は、次のとおりです。

(裁判所の判断)

「原告は、本件各配転命令により、原告の主たる研究、診療等の対象である内分泌から排除され、キャリアの維持形成上、著しい不利益を受ける旨を主張し、これに添う供述等をするところ、確かに、原告が作成した集計表によれば、原告の従前の著書、論文等のうち、高血圧でなく内分泌と分類されたものが7~9割程度を占め、高血圧・内分泌内科の入院患者、外来症例数のうち、内分泌疾患の占める割合が9割程度を占めている。」

「しかしながら、内分泌疾患の一つに高血圧があり(原発性アルドスチロン症等の内分泌性高血圧である。)、レニンなど内分泌に関わるホルモンが高血圧の原因となること・・・などからすれば、内分泌と高血圧の双方に関わる領域も当然に存するというべきである。そして、被告らは、本訴訟の当初から、各配転後も、原告が高血圧を引き起こす内分泌疾患を担当することに変更はない旨説明しており、本件各配転後の実際の経過をみても、本件大学が令和3年7月7日に原告に送信した講義変更案には、原告の担当する新規設置講義枠として内分泌性高血圧を含む『二次性高血圧の鑑別』『高血圧症の診断、鑑別、検査、治療』等が設けられ、同年度後期にこれらの講義が一部実施されている・・・。そして、令和4年度には、上記新規設置講義枠記載の講義に加え、原告によれば全て内分泌に関する内容であるとされる従前の内分泌内科学講座の講義とほぼ同じ『高血圧と液性調節 レニンーアンジオテンシン系(原発性アルドステロン症を含む)』等の講義が高血圧学分野教員により実施され・・・、さらに、診療面でも、本件配転2後の高血圧内科において、原発性アルドステロン症等の内分泌性高血圧の疾患が相当数取り扱われている・・・。これらに照らすと、本件各配転命令によって、原告の担当職務から内分泌と高血圧の双方に関わる上記領域が当然に除かれるものとはいえない。」

「それにもかかわらず、原告作成の上記集計表ではレニンや原発性アルドステロン症などの上記双方に関わる領域について、内分泌のみに分類して高血圧にかうんとしていないのである・・・から、これらの多寡を比較しても、本件各配転命令による原告の担当職務の変化やその不利益の程度が明らかとなるものではない。原告は、客観的な指標である厚生労働省のDPC・・・上、原発性アルドステロン症等も内分泌疾患として分類されているなどと主張するが、本件各配転後の原告の担当職務が上記の分類に依拠したものでない以上、失当というほかない。」

「そして、被告らによると、原告の研究のうち、高血圧に関係しない内分泌関連は、著書15編のうち5編(33.3%)、原著論文69編のうち12編(17.4%)にすぎないなどとされている・・・上、原告作成の著書等の集計表・・・上も、高血圧及びその原因となるレニン等金いを合計するだけで、全体の4~6割程度に及ぶ。また、診療面でも、証拠・・・によると、本件病院が公表した令和元年度病院指標(同年度において本件病院を退院した患者について集計したもの)において、『内分泌内科』で1、2番を占める省令は、二次性高血圧のうち副腎から過剰に分泌されるホルモンにより血圧が上昇する病気(原発性アルドステロン症、褐色細胞腫、副腎性クッシング症候群等)であるなどと指摘されており、この指摘は、原告作成の集計表・・・や被告ホームページ上に掲載された診療実績・・・とも整合する。さらに、外来患者に関しても、上記診療実績や被告法人作成の集計表・・・上、その多くを高血圧症(本態性高血圧症を含む。)が占めている。原告は、被告法人作成の上記集計表について、主病名登録数のみを対象とすることを論難するが、少なくとも外来患者の相当数が高血圧症を有することは左右されない。」

「以上によれば、原告の従前の研究、診療等の大部分が、高血圧に関連しない内分泌又は内分泌疾患の領域であったとはいえず、むしろ、高血圧に関連する領域にも原告は相応に従事していたことが推認される。このことは、原告が、被告法人勤務中に日本高血圧学会指導医の資格を取得したのみならず、本件各配転当時、同学会の理事を務めており、令和7年には同学会総会の会長を務める予定であることなど・・・からも裏付けられる。」

「これらに加え、そもそも、原告は、上記・・・のとおり、高血圧と内分泌疾患の双方に専門的知見を有する医師として採用されており、本件契約上も、元々、高血圧について相応に研究、診療等に従事することが求められていたことにも照らすと、本件各配転命令によって、内分泌又は内分泌疾患固有の領域を担当できなくなる原告のキャリア上の不利益が通常甘受すべき程度を著しく超えるとまでいうことはできない。

3.結論として否定されてはいるが、かなり丁寧な認定がされている

 本件では結論として「通常甘受すべき程度を著しく超えるとまでいうことはできない」と判断されています。

 ただ、その理由は比較的詳細に説示されており、キャリア形成上の不利益の有無、程度に関して、かなり意を払っていることが窺われます。

 キャリア形成上の不利益と配転の可否の問題は、個人的に関心を持っている領域の一つであり、今後とも、裁判例の動向を注視して行きたいと思います。

 

黙示的職種限定合意により、内分泌内科医の高血圧内科(分野)への配転を措置できるか?

1.黙示的職種限定合意

 医師など特殊な技能が必要となる専門職は、明示的な職種限定契約を締結していなかったとしても、黙示的な職種限定合意が成立し得ると理解されています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕291頁参照)。

 ただ、黙示的な職種限定合意が成立し得るとはいっても、どの範囲で成立するのかは微妙な問題です。それが顕著に表れるのが、診療科や診療分野を異にする配転の場合です。このブログでも幾つかの事例を紹介してきましたが、

外科部長からがん治療サポートセンター長への配転について違法とした事例(広島高裁岡山支決平31.1.10判例タイムズ1459-41)、

循環器内科部長から健診部長への配転について適法とした事例(東京地判令3.5.27労働判例ジャーナル114-1 日本赤十字社(成田赤十字病院)事件)

など、裁判所の判断も一定していません。

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 こうした状況の中、内分泌科医の高血圧内科への配転について、黙示的職種限定合意に反しないのかが問題になった裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令5.2.16労働経済判例速報2529-21 東京女子医科大学事件です。

2.東京女子医科大学事件

 本件で被告になったのは、東京女子医科大学や同大学病院を設置する学校法人(被告法人)と、その理事長(被告乙山)、常務理事(被告丙川)の三名です。

 原告になったのは、被告と労働契約を締結した医師の方です。

 原告は、

内分泌内科学講座の教授・講座主任から内科学口座高血圧学分野の教授・基幹分野長とする旨の配点命令(本件配転1)

高血圧・内分泌内科の診療部長から高血圧内科への診療部長とする旨の配転命令(本件配転2)

を受けました(本件各配点命令)。

 これに対し、原告の方は、本件各配転命令が黙示の職種限定合意に反し無効であるなどと主張し、各配転先で勤務する労働契約上の義務がないことの確認等を求めて被告らを提訴しました。

 本件では黙示の職種限定合意の成否が争点の一つになりましたが、裁判所は、次のとおり述べて、これを否定しました。

(裁判所の判断)

「原告の採用の経緯等に照らして職務限定合意の有無内容について検討すると、本件大学は、平成22年度に内科学(第二)講座の主任教授を公募するに当たり、同講座は高血圧症と内分泌疾患の両方を対象とすること、診療科も高血圧・内分泌内科とし、特に高血圧症において関連各科と連携する役割を期待することなどを説明し・・・、これに応募した原告が提出した履歴書及び業績目録でも、高血圧及び内分泌の双方に関わる資格、論文、著書等が掲げられていた・・・のであるから、原告は、被告法人において、高血圧と内分泌疾患の双方に専門的知見を有する医師として採用されたものであり、その職務内容としても、その当初、いずれも対象とすることが予定されていたというべきである。」

「もっとも、本件大学の講座や本件病院の診療科をどのように構成するかは被告法人の経営判断に関わる事項であり、平成27年改正前の本件教授会規程10条3項も、担当教授個人の意向にかかわらず、講座の改廃等があり得ることを当然の前提としている。そして、平成22年度の内科学(第二)講座主任教授の公募に際しても、同講座は、新たに高血圧症・内分泌疾患を担当領域とすることになった旨の説明がされ・・・、原告自身、就任あいさつで、今後は本態性高血圧の診療・研究にも新しくチャレンジすることになったなどと述べていた・・・のであるから、原告においても、将来再び、分野の再編等に伴って講座等の内容に一定の変動が生じ得ることは当然に想定していたというべきである。」

「そうすると、原告の職務の専門性から従前の職務と全く関連しない職務へと一方的に変更されないことは格別、従前の職務と密接に関連し、あるいはその一部となる職務についても、一切の変更や限定を許さない旨の職種限定合意があったなどとは認められない。このことは、原告が主張するように、本件大学において過去10年間に主任教授等を他の講座に移動させた例がないとしても、何ら左右されるものではない。

3.関連性がどれだけあるのか?

 以上のとおり、裁判所は、内分泌科医を高血圧分野、高血圧内科に配転することについて、黙示の職種限定合意には反しないと判示しました。

 この問題を考えるにあたっては、労働契約締結の経緯や配転前後の職の関連性やその程度が検討のポイントであることが分かります。同種事案を処理するにあたり、本件は先例として参考になります。

 

IDとパスワードを使って従業員であれば誰でもアクセス可能な情報の営業秘密該当性

1.営業秘密の侵害

 営業秘密は不正競争防止法で保護されています。

 例えば、「窃取、詐欺、強迫その他の不正の手段により営業秘密を取得する行為」は不正競争行為として、差止や損害賠償の対象となります(不正競争防止法2条1項4号、3条、4条参照)。

 また、「営業秘密を営業秘密保有者から示された者であって、不正の利益を得る目的で、又はその営業秘密保有者に損害を加える目的で、その営業秘密の管理に係る任務に背き」「営業秘密記録媒体等の記載若しくは記録について、又は営業秘密が化体された物件について、その複製を作成すること」により「営業秘密を領得した」場合、刑事罰の対象になります(不正競争防止法21条1項3号参照)。
 加えて、営業秘密への侵害は、懲戒処分や解雇理由になることもあります。不正競争防止法違反に該当する行為をしたから○○の懲戒処分をする/解雇するといったようにです。

 懲戒事由は解雇理由になることから、不正競争防止法上の「営業秘密」の理解は、労働事件を主要な取扱業務としている弁護士にとっても大きな関心事となっています。

 近時公刊された判例集に、この「営業秘密」の理解について、重要な判断を示した裁判例が掲載されていました。札幌高判令5.7.16労働経済判例速報 Z営業秘密侵害罪被告事件です。

2.Z営業秘密侵害罪被告事件

 本件は刑事裁判例です。

 本件は、勤務先(H社)から販売先、販売商品、販売金額等の履歴が記載された得意先電子元帳を示されていた被告人甲野らが、同得意先電子元帳の特定の顧客先や仕入先の情報を複製したとして、営業秘密侵害罪で公訴提起された事件です。

 一審判決では有罪とされましたが、被告人らはこれを不服として控訴しました。

 本件二審裁判所は、対象となった情報(本件情報)の営業秘密該当性を否定し、原判決を破棄したうえ、無罪判決を言い渡しました。個人的に注目しているのは、次の判示部分です。

(裁判所の判断)

「本件情報はパーツマン(システムの名称 括弧内筆者)内の得意先電子元帳内に保管されていた情報であるところ、パーツマンにアクセスする際には、原判決が適切に認定しているとおり、USBアクセスキーを挿入し、企業認証ログイン画面において、H社共通の企業認証アカウントを入力し、更に従業員ログイン画面において、各従業員に付与されたIDとパスワードを入力するといった手順が要求されている。もっとも、パーツマンには、本件情報のような営業秘密にかかわるものに限らず、在庫数や日報といった機能も搭載されており、上記の手順は、本件情報を含む営業秘密に属する情報へのアクセスのみならず、パーツマンに搭載された諸機能を利用するために要求される手順にすぎないとも考えられる。また、パーツマンは、上記のように多岐に渡る機能が搭載されているため、H社の従業員であれば、自己に付与されたID及びパスワードを用いてアクセスすることができ、得意先電子元帳自体にアクセスする際に新たにパスワード等の入力を求めるなどといった制限は設けられていなかった。そうすると、本件情報を含む得意先電子帳簿に記録されている情報に接する従業員において、H社が該当情報をその他の秘密とはされない情報と区別し、特に秘密として管理しようとする意思を有していることを明確に認識できるほど、客観的な徴表があると認めることはできず、パーツマンにアクセスする際に、IDやパスワード等を入力するなどの手順を要するということのみでは、H社が十分な秘密管理措置を講じていたと認めることはできないというべきである。

3.社外の者に秘密にされているというだけではダメ

 営業秘密に関する事件をしていると、しばしば使用者側から、社外に公開されていない情報であることが強調されます。社員以外の人間にとって、いかにアクセスしにくいのかといった事情が滔々と主張されます。

 しかし、本判決が判示するとおり、幾ら社外の人からのアクセスが遮断されていたとしても、社員であればIDやパスワードを使って誰でもアクセスでき、他の一般情報と区別されずに保管されているような情報との関係で、営業秘密を侵害したものとして不正競争防止法違反に問われることはありません。一般情報との区別可能性がないからです。

 近時言い渡された裁判例の一つに、不正競争防止法上の営業秘密該当性が否定されたにもかかわらず、懲戒解雇が有効判示した裁判例があります(東京地判令4.12.26労働判例ジャーナル134-20 伊藤忠商事ほか1社)参照)。

 このような裁判例が出現して以降、不正競争防止法上の「営業秘密」への該当性を否定することにどれあけの意味があるのかという疑問はあります。とはいえ、営業秘密への該当性を論じるにあたり、裁判所の判断は実務上参考になります。

 

残業代請求-管理監督者性を誤信していた場合にも時間外勤務等の「容認」の論理は使えるか?

1.時間外勤務等の「容認」

 残業が許可制になっている会社などでしばしば見られることですが、時間外勤務手当等を請求すると

「勝手に残業していただけであって、業務を指示していない」

という反論を寄せられることがあります。

 しかし、「規定と異なる出退勤を行って時間外労働に従事し、そのことを認識している使用者が異議を述べていない場合や、業務量が所定労働時間内に処理できないほど多く、時間外労働が常態化している場合など」には、残業を容認していたとして、黙示の指示が認められるのが通例です(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕151頁参照)。

 しかし、この時間外労働等の「容認」という論理は、管理監督者性が誤信されていたような事案にも妥当するのでしょうか?

 こうした疑問が生じるのは、管理監督者には、労働時間規制が適用されないため(労働基準法41条2号)、時間外勤務手当等が支払われないからです。

 残業に対して時間外勤務手当等が発生する一般の労働者について、時間外に稼働していることを知りながら労働成果物を受け取っていた場合、残業を容認していたと判断されるのは合点が行きます。

 しかし、管理監督者の場合、出退勤に自由があるうえ、時間外勤務手当等が発生しないため、時間外に稼働していることを放置していたとしても、残業代が発生することを容認していたといえるのかには疑問が生じます。この内心の問題は、管理監督者ではないのに管理監督者であると誤信したうえで労働者を稼働させていた場合も変わるところがありません。

 かくして、労働者が管理監督者性を争い、管理監督者性が認められないとなった場合に、所定時間外の勤務が使用者に容認されていたとの理屈のもと、残業代を請求することができるのかが問題になります。

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京高判令4.3.2労働判例1294-61 三井住友トラスト・アセットマネジメント事件です。

2.三井住友トラスト・アセットマネジメント事件

 本件は、いわゆる残業代請求事件です。

 被告(控訴人兼附帯被控訴人)になったのは、投資運用業、投資助言・代理業、第二種金融商品取引業を業とする株式会社です。

 原告(被控訴人兼附帯控訴人)になったのは、被告から専門社員として雇用され、期間1年の有期労働契約を更新してきた方です。被告の就業規則上、専門社員とは「高度な専門知識、職務知識に基づき、専門的な職務又は特命的な職務を担うために、1年以内の契約期間を定めて採用された者」と定義されていました。

 原告が主に担っていた業務は、投資信託の法廷開示書類の作成や監督官庁への届出です。また、それ以外にも、月次レポート(月報)の精査、準広告審査などの業務(月報関連業務)も担当していました。

 本件では原告の管理監督者性と実労働時間が争点になりました。

 原審が原告の管理監督者性を否定したうえ、時間外勤務等があるとして多額の時間外勤務手当等や付加金の支払を命じたところ、これに被告が控訴したのが本件です。控訴中、原告が附帯控訴を行ったため、被告は控訴人兼附帯被控訴人と、原告は被控訴人兼附帯控訴人という立場にあります。

 本件では、管理監督者を誤信していたような事案であっても、使用者の側で残業代が発生する類の時間外勤務等を行うことを使用者が容認していたといえるのかが問題になりました。

 この点について、裁判所は、次のとおり述べて、時間外勤務等を「容認」していたとの論理を用い、原告(被控訴人兼附帯控訴人)の請求を認めました。

(裁判所の判断)

「以上によれば、第1審原告が所定始業時刻前及び所定終業時刻後に行った前記の各行為は、いずれも第1審被告の指揮命令下で行われ、第1審原告の在社時間は第1審被告の指揮命令下に置かれたものであったというべきである。なお、第1審被告が、第1審原告が客観的には管理監督者に当たらないものの主観的にはこれに当たると信じていた場合に、第1審原告が所定始業時刻前及び所定終業時刻後に行った上記各行為を黙示的に容認していたといえるかが問題となるが、前記認定説示によれば、本件において、第1審原告が担当していた上記各行為は、客観的には、いずれも一定の職務性があること、第1審被告は、第1審原告が所定始業時刻前及び所定終業時刻後に上記各行為に従事していること自体は認識していること、第1審被告が第1審原告は管理監督者に当たると誤信した結果、第1審原告が不利益を被るのは相当ではないことからすると、当該誤信の故に、上記各行為が第1審被告の指揮命令下で行われたことを否定することはできないものというべきである。

「したがって、第1審被告は、第1審原告に対し、上記在社時間に対応する未払残業代を支払う義務があるというべきである。」

3.管理監督者性が争点となっている事案でも「容認」の論理は通用する

 以上のとおり、裁判所は、管理監督者性が争点となる場合にも、時間外勤務等を「容認」していたとする理屈が通じると判示しました。

 実際、

「そもそも共通コメントのチェックは第1審原告の主たる業務の一つであり、それ自体職務性が高いというべきである。また、第3営業日の午前9時ころ共有フォルダに格納される共通コメントの最終稿のチェックを同日の正午頃までに終えるのは、時間的に切迫していること、共通コメントが投資家にとって重要な資料の一つであり、正確性が強く要求されるものであること、共通コメントの内容は、国内外の株式や債券、リート、為替等の月間の動向を政治経済情勢や経済指標等をもとに分析・説明するものであり、そのチェックの難易度は相当程度高いことを考慮すると、第1審原告が、最終稿直前の原稿を事前チェックするために早朝出勤したことには相応の必要性が認められる。さらに、第1審被告は、A部長が第1審原告に対し、メールで2回、午前5時台の出社について注意したことはあったものの、その後も第1審原告が第3営業日に早朝出勤を続けていることを認識しながら、それ以上注意・指導しなかったことを併せ考慮すると、第1審被告は、第1審原告が、共通コメントの事前チェックのため、第3営業日の早朝に出勤することを黙示的に容認していたものと認めるのが相当である。

などとそれなりに強い「容認」の論理を採用してもいます。

 裁判所の判断は、管理監督者性を争う事件において、使用者側から残業代の発生を容認していたわけではないという主張が出された時に、これに反駁して行くにあたり参考になります。

 

残業代を除いた賃金が6割以上増額(21万円⇒34万円)されていても、管理監督者として相応しい待遇であることが否定された例

1.管理監督者性

 管理監督者には、労働基準法上の労働時間規制が適用されません(労働基準法41条2号)。俗に、管理職に残業代が支払われないいといわれるのは、このためです。

 残業代が支払われるのか/支払われないのかの分水嶺になることから、管理監督者への該当性は、しばしば裁判で熾烈に争われます。

 管理監督者とは、

「労働条件その他労務管理について経営者と一体的な立場にある者」

の意と解されています。そして、裁判例の多くは、①事業主の経営上の決定に参画し、労務管理上の決定権限を有していること(経営者との一体性)、②自己の労働時間についての裁量を有していること(労働時間の裁量)、③管理監督者にふさわしい賃金等の待遇を得ていること(賃金等の待遇)といった要素を満たす者を労基法上の管理監督者と認めています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ」〔青林書院、改訂版、令3〕249-250参照)。

 一昨日、昨日とご紹介している、名古屋高金沢支判令5.2.22労働判例1294-39 そらふね元代表取締役事件は、③との関係でも、汎用性のありそうな興味深い判断を示しています。

2.そらふね元代表取締役事件

 本件はいわゆる残業代請求事件です。

 被告(被控訴人)になったのは、株式会社そらふね(本件会社)の代表取締役であった方です。

 本件会社は、介護保険法による居宅介護支援事業等を目的とする株式会社です。

 原告(控訴人)になったのは、本件会社に介護支援員として雇用されていた方です。平成31年3月1日から令和2年1月10日まで主任ケアマネージャーの地位にありました(令和2年3月。令和2年3月31日をもって本件会社が居宅支援事業所を廃止したうえ、同年6月30日に解散の株主総会決議をしたことを受け、代表取締役であった被告に対し、取得できるはずであった未払時間外勤務手当を損害として、その賠償を求める訴えを提起しました。一審が原告の請求を棄却したため、原告側から控訴したのが本件です。

 本件では損害発生の前提となる未払時間外勤務手当の存否に関連して、原告の管理監督者性が問題になりました。

 ③との関係でいうと、原告の賃金は、主任ケアマネージャー就任前、

基本給    17万0000円

資格給     1万0000円

役職手当    3万0000円

の合計21万円でした(ただし、固定残業手当9万円)。

 しかし、ケアマネージャー主任就任後には、

基本給    22万1000円

資格給     1万5000円

オンコール手当 1万0000円

役職手当    7万0000円

役職責任手当  2万4000円

の合計34万円になりました。

 このような事実関係のもと、裁判所は、次のとおり述べて、主任ケアマネージャーに就任したからといって、管理監督者としての地位に相応しい給与が支払われてるわ家ではないと判示しました。

(裁判所の判断・・・黒字=維持された原審判断 赤字=高裁判断)

「被告は、原告が主任マネージャーとなるに際し、基本給、資格給及び役職手当をいずれも増額していると主張し、これらの額が増額されていることは上記・・・で認定のとおりではある。」

「もっとも、証拠・・・によれば、原告が主任ケアマネジャーに就任する以前については固定残業手当に加えて固定残業手当超過部分については普通残業手当も支給されていたこと、平成31年1月度(平成30年12月分)の給与は普通残業手当を含めて33万7663円であったことが認められるが、この額は原告が主任ケアマネジャーに就任後の支給額34万円と3000円余りしか差がなく、原告の主任ケアマネジャー就任前と比較して就任後の給与が、管理監督者としての地位にふさわしいものであるというに足りないし、証拠(甲28)によれば、平成30年9月における介護支援専門員の平均給与額は35万0320円であったことが認められるところ、主任ケアマネジャー就任後の原告の給与額が、一般の介護支援専門員との比較で有利な待遇を受けているものともいい難い。」

「被控訴人は、控訴人が労働時間を自己の裁量で管理できたことからすれば、固定残業代やこれを超過した普通残業手当を含めた賃金と主任ケアマネージャー就任後の賃金を比較すべきではなく、これらを除いて比較すれば、控訴人の賃金は21万円から34万円に6割以上増額していると主張する。」

「しかし、控訴人が労働時間を自己の裁量で管理できていたという前提自体を採用できないほか、管理監督者としてふさわしい待遇であるか否かは、従前支給を受けていた残業代の支給を受けられなくなっても、なお、管理監督者にふさわしい待遇であるかという観点から検討すべきものであるから、被控訴人の主張は採用し得ない。

「また、被控訴人は、控訴人の給与額を介護支援専門員の全国平均の給与額と比較することについて、地域差が考慮されておらず妥当でないと主張するが、本件会社所在地における介護支援専門員の平均給与額と全国平均の給与額とがかい離しているのであればともかく、かかるかい離があるのか、あるとしてどの程度であるかを認めるに足りる証拠はない。」

3.残業代の支給が受けられなくなっても、なお管理監督者に相応しい待遇か?

 裁判所が述べた理屈のうち、

「従前支給を受けていた残業代の支給を受けられなくなっても、なお、管理監督者にふさわしい待遇であるかという観点から検討すべきものである」

という部分は、割と汎用性があるフレーズだと思います。管理職になって却って年収が下がった/管理職になっても年収がそれほど変わらなかったという事案を目にすることは、実務上、少なくないからです。

  裁判所の判断は、収入増を伴わない昇進先のポジションが管理監督者であることを否定するために活用できる可能性があります。

 

訴えの追加的変更が時機に後れた攻撃防御方法の却下の対象にならないとされた例

1.時機に後れた攻撃防御方法の却下

 民事訴訟法157条1項は、

「当事者が故意又は重大な過失により時機に後れて提出した攻撃又は防御の方法については、これにより訴訟の完結を遅延させることとなると認めたときは、裁判所は、申立てにより又は職権で、却下の決定をすることができる」

と規定しています。

 この規定があるため、結審直前に行われる新たな主張や立証の補充は、裁判所によって却下されてしまうことがあります。

 それでは、この時機に後れた攻撃防御方法の却下の対象に「訴えの変更」は含まれるのでしょうか?

 訴えの変更とは、民事訴訟法143条1項に根拠のある制度で、同項は、

「原告は、請求の基礎に変更がない限り、口頭弁論の終結に至るまで、請求又は請求の原因を変更することができる。ただし、これにより著しく訴訟手続を遅滞させることとなるときは、この限りでない。」

と規定しています。

 審理がある程度進んだ段階で、訴訟提起時に意識していなかった費目を請求に追加したり、他に可能性のある法律構成を思いついたりした場合に用いられます。

 請求金額を拡張したり、他の法律構成で請求権を追加したりすることを、「訴えの追加的変更」といいますが、結審直前に行われた訴えの追加的変更が時機に後れた攻撃防御方法として却下されないのかが今日の記事のテーマです。

 昨日ご紹介した、名古屋高金沢支判令5.2.22労働判例1294-39 そらふね元代表取締役事件は、この問題との関係でも参考になる判断を示しています。

2.そらふね元代表取締役事件

 本件はいわゆる残業代請求事件です。

 被告(被控訴人)になったのは、株式会社そらふね(本件会社)の代表取締役であった方です。

 本件会社は、介護保険法による居宅介護支援事業等を目的とする株式会社です。

 原告(控訴人)になったのは、本件会社に介護支援員として雇用されていた方です。平成31年3月1日から令和2年1月10日まで主任ケアマネージャーの地位にありました(令和2年3月。令和2年3月31日をもって本件会社が居宅支援事業所を廃止したうえ、同年6月30日に解散の株主総会決議をしたことを受け、代表取締役であった被告に対し、取得できるはずであった未払時間外勤務手当を損害として、その賠償を求める訴えを提起しました。一審が原告の請求を棄却したため、原告側から控訴したのが本件です。

 原審において、原告は、被告が本件会社の代表清算人として回収した売掛金135万0945円を未払残業代の支払に充てなかったことが任務懈怠にあたるとして、清算人の責任に基づく損害賠償請求を追加しようとしました(訴えの追加的変更)。

 しかし、原審は、時機に後れた攻撃防御方法であるとして、原告による訴えの追加的変更を許しませんでした。

 これに対し、本件控訴審は、残業代請求を認容した関係で結論に影響しないとしながらも、次のとおり述べて、訴えの追加的変更を時機に後れた攻撃防御方法であるとして却下した原審の判断を誤っていると判示しました。

(裁判所の判断)

原審は、控訴人が追加した、被控訴人の勤務先会社の代表清算人としての任務懈怠に基づく損害賠償請求を時機に後れた攻撃防禦方法として却下したが、訴えの追加的変更は攻撃防禦方法(当事者がその判決事項に係る申立てが正当であることを支持し、又は基礎づけるために提出する一切の資料)の提出ではないから、時機に後れた攻撃防禦方法としてこれを却下した原審の措置は誤っている。

「原審の措置を、控訴人による請求の変更を不当であると認めてその変更を許さなかったもの(民事訴訟法143条4項)と解したとしても、上記の訴えの追加的変更に係る請求は、被控訴人が本件会社の代表清算人として回収した売掛金135万0945円を未払残業代の請求に充てなかったことを任務懈怠であると主張するものであるところ、仮にかかる任務懈怠があっても認容される損害額は上記売掛金の額が限度となり、会社法429条1項に基づく損害賠償の認容額を上回らないことから、原審の措置の当否は結論に影響を与えない。」

3.残業代請求で活用できるか?

 私自身について言うと、訴訟の終盤で請求を拡張したり、請求権を追加したりしなければならない事態になったことはあまりありません。

 それでは、なぜ、この問題をテーマに取り上げたのかというと、時間のかかる残業代請求等で効果を発揮する可能性があるからです。

 民法405条は、

「利息の支払が一年分以上延滞した場合において、債権者が催告をしても、債務者がその利息を支払わないときは、債権者は、これを元本に組み入れることができる」

と規定しています。

 賃金の支払の確保等に関する法律6条1項は、

「事業主は、その事業を退職した労働者に係る賃金・・・の全部又は一部をその退職の日・・・までに支払わなかつた場合には、当該労働者に対し、当該退職の日の翌日からその支払をする日までの期間について、その日数に応じ、当該退職の日の経過後まだ支払われていない賃金の額に年十四・六パーセントを超えない範囲内で政令で定める率を乗じて得た金額を遅延利息として支払わなければならない。」

と規定しており、これを受けた同法律施行令1条は、

「賃金の支払の確保等に関する法律・・・第六条第一項の政令で定める率は、年十四・六パーセントとする。」

と規定しています。

 残業代も賃金(割増賃金)であるため、退職した労働者が残業代を請求する場合、退職日の翌日から14.6%の遅延利息が発生します。

 タイムカード等のない事案で残業代を請求すると、会社側が請求対象期間の日々の時間外勤務の立証を逐一求めてくることがあります。このような事案では審理に何年もかかることが珍しくありません(私の手持ちの残業代請求訴訟事件の中にも令和元年初期に訴えを提起したものがあります)。こうした事案で、期日毎に14.6%の割合で発生する遅延利息を元金に組み入れる意思表示をしながら訴訟を追行すると、複利に近似する形で雪達磨式に請求金額が膨れ上がって行きます。

 こうして膨れ上がった金額を訴訟上の請求に組み込むためには、上述の「訴えの追加的変更」により請求を拡張する必要があります。時機に後れた攻撃防御方法として却下されるリスクを考えると、遅延利息の元金組み入れは、人証調べの手前くらいで締め切って、訴えの追加的変更の手続をとっておく必要がありました。

 しかし、訴えの追加的変更が時機に後れた攻撃防御方法にならないのであれば、遅延利息の元金組み入れを人証調べの手前と言わず、結審の直前まで行い続けられる可能性があります。組み入れられた元本に対応するように請求を追加的に変更したとしても、「これにより著しく訴訟手続を遅滞させること」という条件が充足されるとは考えにくいからです。

 訴えの追加的変更に時機に後れた攻撃防御方法の適用はない、このことは知っておくと意外と活用できる知識になるのではないかと思います。

 

社会保険労務士から管理監督者にすれば残業代を支払わなくてよいといわれ、労働者を管理監督者にした代表取締役に重過失が認められた例

1.残業代の不払と取締役の個人責任

 会社法429条1項は、

「役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。」

と規定しています。

 残業代を払ってもらえない労働者は、この規定を根拠として役員(取締役)に個人責任を追求することが考えられます。

 ただ、会社法429条1項に基づく損害賠償として残業代を請求するにあたっては、幾つかの乗り越えなければならない壁があります。

 一つは、損害の発生です。

 会社から残業代を払ってもらえる限り、労働者に損害が発生することはありません。そのため、「損害」があったといえるためには、会社が倒産状態に陥るなど、会社から残業代を取り立てることができない事情が必要になります。

 もう一つは、任務懈怠と損害の発生との間の因果関係です。

 残業代の不払と会社の支払能力の喪失との間に因果関係があるといえるのかという問題です(裁判所によっては、これを比較的厳格に要求します)。

 最後に、「悪意又は重大な過失」が認められることです。

 残業代の不払は取締役の任務(法令遵守義務)に違反します。しかし、損害賠償責任を発生させるには、単に法令違反行為が確認されれば足りるわけではなく、それが「悪意又は重大な過失」に基づいていることが必要になります。

 この「悪意又は重大な過失」要件との関係で、近時公刊された判例集に興味深い裁判例が掲載されていました。名古屋高金沢支判令5.2.22労働判例1294-39 そらふね元代表取締役事件です。何が興味深かったのかというと、社会保険労務士からの管理監督者にすれば残業代を支払わなくてよいという言葉を真に受け、労働者を管理監督者にしたところ、それが重過失に該当すると認定されているところです。

2.そらふね元代表取締役事件

 本件はいわゆる残業代請求事件です。

 被告(被控訴人)になったのは、株式会社そらふね(本件会社)の代表取締役であった方です。

 本件会社は、介護保険法による居宅介護支援事業等を目的とする株式会社です。

 原告(控訴人)になったのは、本件会社に介護支援員として雇用されていた方です。平成31年3月1日から令和2年1月10日まで主任ケアマネージャーの地位にありました(令和2年3月。令和2年3月31日をもって本件会社が居宅支援事業所を廃止したうえ、同年6月30日に解散の株主総会決議をしたことを受け、代表取締役であった被告に対し、取得できるはずであった未払時間外勤務手当を損害として、その賠償を求める訴えを提起しました。一審が原告の請求を棄却したため、原告側から控訴したのが本件です。

 裁判所は、次のとおり述べて、被告の重過失を認定しました。結論としても、原判決を取り戻すとともに、原告の請求を認めています。

(裁判所の判断)

「被控訴人は、控訴人から給料を上げてほしいという要望を受けたが、本件会社の売上げがよくないにもかかわらず残業代を払わなければならなくなり、給料を上げると損失が大きくなり会社として立ち行かくなるとして、本件会社の顧問の社会保険労務士に相談した・・・。」

「・・・被控訴人から相談を受けた社会保険労務士は、管理監督者にすれば残業代を支払う必要はないが給料も上げなければならないと助言した・・・。その際、被控訴人は、社会保険労務士から労働基準法上の管理監督者とはどのようなものであるのかについては聞いておらず、社会保険労務士に対して控訴人の業務内容を説明しなかった・・・。」

「・・・被控訴人は、控訴人を主任ケアマネージャーとし、また、社会保険労務士に相談した上で、本件会社の状況を考慮したものであるとして前提事実・・・記載の賃金を定めた・・・。」

「被控訴人は、控訴人が管理監督者になると残業が関係なくなるとして、控訴人の労働時間を自己申告にした・・・。」

「以上の事実によると、被控訴人は、控訴人から給料を上げることを要望され、社会保険労務士と相談して控訴人を管理監督者にすれば残業代を支払わなくてもよいと言われたことから、管理監督者とはどのような立場のものか、控訴人の業務が本件会社の管理監督者にふさわしいかについて社会保険労務士に相談することなく、残業代の支払義務を免れるために管理監督者という制度を利用したにすぎないといわざるを得ない。』

「そうすると、控訴人を管理監督者として扱ったことについては、重大な過失があると認めるのが相当である。

「確かに、被控訴人が主張するとおり、管理監督者該当性の判断基準への当てはめは容易に判断することができず、当てはめを誤ったことが、直ちに重過失とされるものではない。」

「しかし、本件において、前記説示のとおり、被控訴人は、社会保険労務士に相談するなどして控訴人の業務を自分なりに管理監督者の判断基準に当てはめた上で控訴人を管理監督者にしたものではなく、残業代を支払わない方法として管理監督者という制度を利用したものであるから、本件を、被控訴人において管理監督者該当性の判断基準への当てはめを誤った事案と評価することはできない。

3.残業代を払わない方法として管理監督者制度が悪用されたケース

 社会保険労務士の方との接点は少なくありませんが、圧倒的多数の方は適正に業務を行い、経営者の方にも過不足なくアドバイスをしています。

 しかし、適切とはいえないアドバイスがなされている例も一定の頻度で目にします。

 管理監督者制度を残業代を支払わない方便として用いることを進められ、実際に用いてしまっている例が散見されるのも事実です。本件は、そうした事案において、取締役個人の責任を追求するにあたり、実務上参考になります。