弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

勤怠に反映されていない不就労と残業代請求

1.勤怠に反映されていない不就労

 残業代を請求する訴訟をしていると、タイムカードなどの客観証拠によって始業時刻と終業時刻をある程度特定できる事案においても、業務時間中にサボっていたという主張が使用者側から大量に出されることがあります。

 別段、サボっていた時間が記録されていたわけでも、その分の賃金が差し引かれていたわけでも、注意・指導・懲戒処分がなされていたわけでない事案においてもです。

 勤怠に反映されていないサボり主張に何の意味があるのかは分かりません。裁判所が受け入れる議論とは思えず、時間と労力の無駄でしかないと思います。

 昨日ご紹介させて頂いた東京地判令元.6.28労働経済判例速報2409-3 大作商事事件は、勤怠に反映されていない不就労に係る主張が排斥された裁判例としても、記憶しておく価値があります。

2.大作商事事件

 本件は、雑貨の輸入並びに工業製品の開発及び販売等を業とする会社の元従業員が、残業代を請求した事件です。

 被告会社では、出勤簿に、始業・終業時刻、休暇・遅刻・早退の有無、残業をした場合における残業内容や残業時間が記録されることになっていました。

 ただ、始業時刻に関しては、出勤簿に記録されるだけではなく、被告会社から出勤時にグループウェアのタイムカード機能を利用して、出勤時刻を記録するように指導されていました。

 タイムカード記録の内容には、定時に後れたものもありましたが、被告から特段注意や指導をされることもなければ、賃金計算上もこれが顧慮されることはありませんでした。

 原告がパソコンのログ記録に基づいて残業代を請求したところ、被告会社は、

タイムカードの打刻時刻を基準にすれば原告には187回の遅刻がある、

出社時刻はタイムカードの打刻時刻とみなされるべきだ、

と主張しました。

 また、

勤務時間中、歯科医診察や内科受診、役所訪問等で私的活動を行うこともあった

などと原告はサボっていたと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり判示して、被告の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「被告は、グループウェアのタイムカード記録の打刻時刻(出勤時刻)によれば、むしろ、原告は、別紙2赤字記載のとおり、異常な回数の遅刻を繰り返していたなどと認めるべきである旨主張する。確かに、被告においては、出勤事実等の確認のため、出勤に際し、グループウェアのタイムカード記録を打刻するよう指導していたことがあったものであるところ、原告のタイムカード記録(出勤記録)は同別紙のとおりであり・・・、証人Aの証言中には原告がしばしば遅刻をしてきた旨述べる部分がある。」

「もっとも、原告は、上記被告主張を争っているところ、原告が定時に遅れたタイムカード記録を記録しても被告から特段注意や指導をされることはなかったことは前記認定のとおりであって・・・、かかる点に鑑みると、原告に対し、タイムカード記録による出勤時刻の勤怠管理が厳格に履践されていたとはいえず、タイムカード記録の記録時間に定時に遅れるものがあったからといって、そのことから直ちに実際に遅刻をしていたとみるべきことになるものとはいえない。この点、被告はタイムカード記録の出勤時刻が実際の出勤時刻とみなされるべきであるなどといった主張もしているが、労働時間に該当するか否かは・・・客観的に定まるのであって、そのように解すべき根拠はない。」

「かえって、前記のとおり、相応の信用性を認め得るログ記録によれば、ほとんどは所定始業時刻に先立つ起動時刻であると認められ、これに遅れる起動時刻のものはごくごく少数であること、また、被告においても、定時出勤した旨記載された出勤簿の記載内容について上司認印を施すなどしてこれを認め、基本給の支払をしていたこと・・・を指摘することができる。これらの点にも照らすならば、原告自認の遅刻はともかく、特段の具体的な反証の認められない本件において、被告の主張するような頻回の遅刻欠勤まではなかったものと認めるのが相当であって、これに反する証人Aの前記証言もたやすく採用し難い。

「被告は、原告が、勤務時間中、歯科医診察や内科医受診、役所訪問等で私的活動を行うこともあった旨主張する。しかしながら、そのような事実を窺うことのできる的確な証拠はなく、むしろ、被告において、通常どおりの勤務があった旨の出勤簿の記載内容について上司認印を施すなどしてこれを認め、基本給の支払をしていたことは前記説示のとおりであって、被告主張のような事実があったとは認められない。

3.勤怠に反映されていない不就労に関する主張は逆効果ではないか

 勤怠に反映されていない場合、実は労働者が働いていなかったという使用者側の主張に、殆ど意味はないと思います。

 しかし、使用者側から労働者がサボっていたという主張が大量に出されると、裁判所の心証が引き摺られることは先ずないだろうとは思いながらも、念のため、対抗措置として大量の反論を出さざるを得ません。

 こういう作業をしていると、時間と労力を浪費させられているという感覚から、沸々と怒りが湧きあがってきて、どんどん和解(互譲)によって紛争を解決する気が失せてきま(ただし、これは私固有の感覚なのかも知れません)。それを措くとしても、依頼人である労働者の方の感情を刺激するので、和解は確実に成立しにくくなります。始業時刻・終業時刻の認定が比較的固い事案において、和解の余地が狭まることは、使用者側にとって、決して得策ではないように思います。

 また、大量の主張の応酬は審理の長期化を招きます。審理の長期化は遅延利息を膨らませます。退職した労働者からの残業代請求の場合、賃金の支払の確保等に関する法律6条1項に基づいて年14.6%とかなり高率の遅延利息が発生します。そのため、意味の希薄な主張を大量に出すことは、遅延利息という観点からも、使用者側にもかなりのデメリットを生じさせるのではないかとも思います。

 勤怠に反映されていない怠業に係る主張が排斥された事案は、本件に限ったものではありません。審理期間を短縮し、早期に事案を落ち着くべきところに落ち着かせるためにも、意味の希薄な主張の応酬に大量の時間と労力が費やされる現象は、何とかならないものかと思います。

 

寸分たがわない残業時間の申告

1.残業時間の調整

 残業代の支払をしないため、偽装工作が行われることがあります。タイムカードを打刻させてから働かせる・手書きの出勤簿に適当な時刻を記入させてから働かせるといった手口が代表的です。

 こうした偽装工作の一種に、月の残業時間の上限を決め、それに辻褄があうように各日の就業時刻を調整して記録に残すという方法があります。

 このようなことをすれば、一定の時間数で月の残業時間が横並びになります。

 それが作為的・不自然とみられることは容易に想像がつきそうですが、それでも、こうした手法が問題視される裁判例は後を絶ちません。近時の公刊物に掲載されていた東京地判令元.6.28労働経済判例速報2409-3大作商事事件も、その一つです。

2.大作商事事件

 本件は雑貨の輸入並びに工業製品の開発・販売等を業とする株式会社を退職した従業員が、残業代を請求した事件です。

 被告会社では「出勤簿・残業申請」という書類に、稼働日毎の始業・終業時刻、休暇・遅刻・早退の有無、残業をした場合における残業内容や残業時間を記載することになっていました。

 原告は「出勤簿・残業申請」に記載した終業時刻は、

「被告から毎月の残業時間の合計を月30時間とするよう指示があったことから、原告において、月30時間以下となるよう、実際とは異なった終業時刻に調整して記載をしていたものであり、実際の勤務時間を反映しているものではない。」

として、パソコンのログ記録に基づいて残業時間を計算し、残業代を請求しました。

 これに対し、被告会社は、ログ記録に基づく労働時間の認定を争い、残業時間を月30時間以内にとどめるように指示していた事実はないと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり判示して、被告の主張を排斥し、ログ記録による労働時間の立証を認めました。

(裁判所の判断)

「証人Bは、月30時間を超える残業時間を記載することを禁ずる指導をしたことを否定する証言をしており、他にそのような指導がなされたことを裏付ける的確な証拠もなく、かえって、被告の従業員の中には月30時間を超える残業時間を申告していた者がいると認められることは前記認定のとおりである・・・。しかしながら、原告申告の出勤簿の残業時間をみると、・・・月当たり30時間未満とされている月も散見されるものの、どの月も30時間を超えることはなく、多くは寸分違わず30時間と申告されているところであって、このこと自体、原告が、実際の労働時間いかんにかかわらず、月30時間以内に残業時間をとどめようとしていたことを強く窺わせるものといえる。そして、証人Aや同Bも、業務の効率的遂行といった観点から、個々の従業員の月当たりの残業時間が30時間以内となるよう指導していたこと自体は否定をしていない・・・。そうしてみると、原告がこうした指導故に出勤簿記載の残業時間を多くとも30時間にとどめることとしていたと推認するのが合理的というべきであって、原告本人の供述は同旨を述べるものとしてむしろ首肯することができる。したがって、被告指摘の点は、上記説示の点において原告の供述の信用性を高めこそすれ、その信用性を損なうものということはできない。」

3.寸分たがわない残業時間の申告

 芋版で押したように各月の残業時間が30時間となっていれば、それが実際の労働時間と乖離しているであろうことは想像に難くありません。裁判所が判示した経験則はごく自然なものであるように思われます。

 偽装工作をさせられている方の中には、自分で打刻・記入したものの効力を覆すことができるのかと思っている方も少なくありません。

 しかし、残業代を払わないための偽装工作の手口に関しては、裁判所にも当然多くの事例・経験の蓄積があります。労働者側の立場の弱さも分かっていますし、使用者側から出される不自然な証拠書類が鵜呑みにされることはありません。

 タイムカードを打刻した後に働かされている、事実に反する終業時刻を記入させられているといった方でも、残業代の請求を諦める必要はありません。やるせない思いをお抱えの方は、一度、弁護士に相談してみることをお勧めします。

 

新型コロナ感染と安全配慮義務違反に基づく損害賠償

1.新型コロナ感染と安全配慮義務違反に基づく損害賠償

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

と規定しています。

 これはいわゆる安全配慮義務を定めた条文です。

 安全配慮義務に違反した使用者に対しては、債務不履行による損害賠償責任を追及することが可能です(荒木尚志ほか『詳説 労働契約法」〔弘文堂、第2版、平26〕94頁参照)。

 新型コロナウイルスに感染してしまった方も、それが職場の安全対策の不備に起因する場合、理論的には安全配慮義務違反に基づいて損害賠償を請求できます。

 ただ、実際に損害賠償請求事件として動かしていくにあたっては、二つの大きな壁を乗り越える必要があります。

 一つは、仕事に起因して感染したことを、どのように立証するのかという問題です。

 新型コロナウイルスは感染の仕方が非限定的です。

 厚生労働省のホームページによると、新型コロナウイルスは、

「一般的には飛沫感染、接触感染で感染します。閉鎖した空間で、近距離で多くの人と会話するなどの環境では、咳やくしゃみなどの症状がなくても感染を拡大させるリスクがあるとされています。」

と書かれています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00094.html

 会話するだけで感染するとなると、感染経路に関する仮説が多数成り立ってしまうため、新型コロナウイルスに感染したとしても、それが仕事に起因して感染したことを、どのように立証するのかという問題があります。

 もう一つは、安全配慮義務の具体的な内容をどのように構成するのかといった問題です。

 安全配慮義務違反を理由とする損害賠償の実務では、

「労働者側が、使用者の義務の内容、すなわちその事案においてとるべきであった措置を特定したうえ、義務違反の事実を主張立証しなければならない」(前掲『詳説 労働契約法』94-95頁参照)

とされています。

 安全配慮義務を問うにあたっては、

「当該事故の予見可能性があってその発生を回避する可能性が存したことが、責任発生の要件となる」

と理解されています(菅野和夫『労働法』〔弘文堂、第12版、令元〕674頁)。

 こうすれば感染しないといった医学的知見の蓄積が明確でなく、職場における標準的な安全対策も確立されていない中、従業員が感染する予見可能性があったことを立証し、とるべきであった感染回避措置を特定し、それをとっていれば感染回避可能性があったことを立証することは、かなり難しい問題ではないかと思います。

 新型コロナウイルスの問題が取り沙汰された当初は、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求は実務的には極めて困難なのではないかという印象を持っていました。

 しかし、時間が経つにつれて、安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求訴訟を組み立てていくために使えそうな材料が集積されてきて、そう悲観したものではないかも知れないと見解を改めつつあります。

2.因果関係論

 一つ目の問題、仕事に起因して感染したことをどのように立証するのかに関しては、令和2年4月28日に

「基補発0428第1号 新型コロナウイルス感染症の労災補償における取扱いについて」

という通達が出されたことが大きな意味を持っています。

 この通達では、労災認定について、

「患者の診療若しくは看護の業務又は介護の業務等に従事する医師、看護師、介護従事者等が新型コロナウイルスに感染した場合には、業務外で感染したことが明らかである場合を除き、原則として労災保険給付の対象となること。」

「感染源が業務に内在していたことが明らかに認められる場合には、労災保険給付の対象となること。」

調査により感染経路が特定されない場合であっても、感染リスクが相対的に高いと考えられる次のような労働環境下での業務に従事していた労働者が感染したときには、業務により感染した蓋然性が高く、業務に起因したものと認められるか否かを、個々の事案に即して適切に判断すること。
 この際、新型コロナウイルスの潜伏期間内の業務従事状況、一般生活状況等を調査した上で、医学専門家の意見も踏まえて判断すること。
(ア)複数(請求人を含む)の感染者が確認された労働環境下での業務
(イ)顧客等との近接や接触の機会が多い労働環境下での業務

という取扱をとることが定められています。

https://www.mhlw.go.jp/content/000626126.pdf

 労災保険給付の対象になるということは、業務起因性、つまり、仕事と疾病との相当因果関係があるということです。

 感染経路が特定できなかった場合でも、職場で複数の感染者が確認されただとか、接客業で多数の顧客と接触する機会を持っていただとか、そういった事実さえ立証できれば、業務により感染した蓋然性が高いことを理由に、相当因果関係が認められる可能性があるということです。

 通達の運用実務には、まだ不分明なところが多いものの、労災申請を先行させ、そこで業務起因性が認定されれば、その資料を流用することにより、訴訟の場における仕事に起因して新型コロナウイルスに罹患したことの立証のハードルをクリアできる可能性があると思います。

3.安全配慮義務の具体的な内容の構成

(1)予見可能性

 厚生労働省のホームページによると、中国における確定患者の致死率は、30歳未満の方で0.2%であったとのことです。

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000121431_00094.html

 要するに、働き盛りの方が死亡する可能性はゼロコンマ以下の世界になってくるわけですが、こうした疾病に対し、死亡・重症になることへの予見可能性を認定することができるのでしょうか。

 この問題に関しては、炭鉱労働者のじん肺に関して積み重ねられてきた判例法理が参考になります。

 じん肺発症の事案においては、

「使用者の予見義務(可能性)は、生命・健康という被害法益の重大性に鑑み、安全性に対する障害の性質・程度や発症頻度まで具体的に予見する必要はない

と理解されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕820頁参照)。

 近時公刊された判例集に掲載されている石綿ばく露の事案においても、

「安全配慮義務の前提として使用者が認識すべき予見義務の内容は、生命、健康という被害法益の重大性に鑑みると、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り、必ずしも生命・健康に対する障害の性質、程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないというべきである

とされています(神戸地判平30.2.14労働判例1219-34住友ゴム工業(旧オーツタイヤ・石綿ばく露)事件参照)。

 生命・健康侵害との関係では、予見可能性の内容はかなり希釈されているため、何となく安全に疑念を抱かせるレベルの危険性があることさえ立証できれば、立証のハードルをクリアできる可能性があります。

(2)結果回避のためにとるべきであった措置の特定

 損害賠償請求をするうえで最も難しいのは、この問題だと思います。

 しかし、これも徐々に知見が蓄積されつつあります。

 感染拡大に向けて職場がすべきことの内容として、令和2年3月31日には、厚生労働省から日本経済団体連合会宛てに

「基安発 0331 第2号 新型コロナウイルス感染症の大規模な感染拡大防止に向けた職場における対応について(要請)」

といった文書が出されました。

https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10631.html

https://www.mhlw.go.jp/content/11303000/000617466.pdf

 また、日本産業衛生学会からは、

「職域のための新型コロナウイルス感染症対策ガイド」

というガイドラインが出されています。

https://www.sanei.or.jp/?mode=view&cid=416

https://www.sanei.or.jp/images/contents/416/COVID-19guide0511koukai.pdf

 一般社団法人日本経済団体連合会からも、

「オフィスにおける新型コロナウイルス感染予防対策ガイドライン」

というガイドラインが出されています。

https://www.keidanren.or.jp/policy/2020/040_guideline1.html

 いずれもかなり新しいものなので、こうした諸規程に書かれている取扱いは、各職場で慣行として定着しているようなものではないだろうと思います。

 しかし、樹上作業者の転落事故事案において、事故当時には一般的ではなかったとしても、二丁掛けの安全帯を提供し、その使用方法を指導すべきであったとした裁判例もあります(東京高判平30.4.26労働判例1206-46日本総合住生活ほか事件

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2019/10/14/182149)。

 安全配慮義務違反は業界慣行から逸脱していなければ認められないというものでもないため、業務起因性・相当因果関係が認められていて、かつ、各種規程にみられる取扱と異なる事実の存在が立証できる場面では、結果回避のためにとるべきであった措置の特定や、その立証の問題も、ある程度はクリアできる可能性があるのではないかと思います。

4.損害賠償の問題が出るのは、まだ先であろうが・・・

 本日、私の所属する第二東京弁護士会労働問題検討委員会で、新型コロナウイルスと安全配慮義務の問題についての勉強会が行われました。発表してくれたのは二名の弁護士ですが、いずれも優れた知見・観点を提供してくれました。

 労災申請や損害賠償のために足掛かりが構築されてきたのが最近なので、損害賠償の問題が顕在化するのは、まだ先であるように思いますが、勉強会で共有してもらった知見と併せ、この問題に関する現時点での私の認識を、備忘を兼ねて書き記しておくことにしました。

 

人を死に追いやる言葉としての「アスペ」

1.悪口としての発達障害・アスペ(アスペルガー障害)

 数日前に、

「素人による発達障害というレッテル貼りは違法」

という記事で、発達障害という言葉を使って労働者を揶揄し、退職勧奨したことが、違法だと判断された裁判例を紹介しました。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/05/15/193759

 この裁判例が掲載されていた判例集を読み進めていると、「アスペ」などと揶揄されていた労働者が自殺した事案が掲載されていました。名古屋地判令2.2.17労働判例ジャーナル98-22 名古屋市交通局長事件です。

2.名古屋市交通局事件

 本件は名古屋市交通局に嘱託職員として勤務していたP3の母親が原告となって、P3が自殺したのは勤務中に受けたいじめ等が原因であるとして、安全配慮義務違反を主張し、名古屋市を被告として損害賠償を請求した事件です。

 P3は平成25年4月から交通局での勤務を開始しました。

 勤務開始後、藤が丘工場の修車係台車B班に配属されました。ここでサブチーフを務めていたP8が、いじめの主な加害者です。

 P8はP3が配属されて少しした頃から、

「『お前なんかあっち行っとれ。』、『いつまでこの職場にいるんだ。』、『まだいるのか。』、『辞めろ。』などと発言して厳しく当たるようになった。」

と認定されています。

 P6チーフは、P8サブチーフがP3に対して厳しい言動をしている場面に居合わせたことはほとんどなかったものの、P8サブチーフの言動が気になった際には、たびたび注意していました。

 このP6チーフは平成26年10月1日に台車B班から台車A班に異動になります。

 P6チーフは、台車B班の後任のチーフP7に、P8には注意して欲しいと伝えました。

 平成27年4月10日、P7チーフ、P8サブチーフ、P9サブチーフ、P3との間で次のような面談がありました。

「P7チーフは、P3に対し、ピニオン蓋(台車の減速機の部品 括弧内筆者)の変形の件について、今後、部品を壊すことがあれば、若年嘱託職員であるP3の正規職員への採用について修車係長に自信を持って良い評価を伝えることができない旨述べ、油漏れの件について、P3のみの責任ではないとしながらも、技術員として悔しくないのか問うなどした。」

「その上で、P7チーフが、P9サブチーフ及びP8サブチーフに対し、P3へのアドバイスを尋ねたところ、P9サブチーフは、周囲とコミュニケーションを取ることでミスを減らすことができるようになる旨述べた。他方、P8サブチーフは、P3に対し、仕事ができていると思うかと質問し、P3が『大体できていると思います。』と返答すると、『僕はできていないと思う。』などと述べた。」

「P7チーフ及びP9サブチーフはこれを否定したが、P8サブチーフは、さらに、ピニオン蓋の変形の件について、その損害は60万円である、副主任に頭を下げさせた、P3とはみんな一緒に仕事をしたくないと思っている、野球部の人も仲良くしてくれているが、一緒に仕事をするようになればP3を避けるようになるはずであるなどと述べた(なお、ピニオン蓋の変形の件による損害額は、実際には10万円から15万円ほどであったが、P8サブチーフがこれを知っていたか否かは明らかではない。)。」

「その後、P7チーフは、P3に対し、やる気があるなら話を続けるが、ないなら続けても仕方がないなどと述べたが、P8サブチーフは、『何も考えず、やる気があると言っておけばいいと思っているんだろう。』などと述べた。P3は、これに対し、約20分間、返答することができずにいたが、その間、P7チーフとP8サブチーフは、P3に対し、やる気があるのかと数回問うなどした。その後、P8サブチーフが、やる気がないなら辞める道もある、P6チーフらにまた頼るのであろうなどと述べると、P3は、ようやく、『やる気はあります。』と答えた。これを受けて、P7チーフは、P3に対し、話の続きは午後3時30分から行う旨述べ、11時50分頃、面談を一旦終了した。・・・」

 P3が自殺したのは、この面談の三日後です。平成27年4月12日の夜、P3は母親である原告が気付かないうちに自宅を出て、名古屋市内の公園の路肩に停車した自動車内で練炭を燃焼させ、一酸化炭素中毒により死亡しました。

 この種の事案では、いじめを構成する具体的な行為や言動を特定することができるのかが、しばしば問題になります。

 本件も例外ではなく、被告は、

「P8サブチーフのP3に対する言動は、一部不適切な発言はあったものの、作業ミスや手際の悪さに対する指導や注意の過程で行われたもので、全体として業務指導の範囲内であり、いじめに相当するものではなかった。」

「そもそも原告の主張は、P8サブチーフによるいじめについて、日時や具体的内容を特定していない。」

などと原告側の主張・立証の問題点を指摘して争いました。

 しかし、裁判所は、P8サブチーフの言動について、原告が耳にしていた生前のP3の供述や、P9サブチーフの供述をもとに、次の事実を認定しました。結論としても、いじめとうつ病エピソードの発症・自殺との因果関係を認め、損害賠償請求を認容する判決を言い渡しています。

(原告の母親の供述から裁判所が認定した事実)

〔1〕P3が藤が丘工場に配属になり、少しした段階で、「お前なんかあっち行っとれ。」、「いつまでこの職場にいるんだ。」、「まだいるのか。」、「辞めろ」などと言われた。

〔2〕平成25年8月12日、「早くしろ。」と大声で怒鳴られた。P3は、その翌日からしばらく出勤しなくなった。
〔3〕平成26年4月以降も,「辞めろ。」、「まだ辞めないのか。」、「こんなふうでは正規の職員になれないぞ。」などといった嫌味を言われた。

(P9サブチーフの供述から裁判所が認定した事実)

〔1〕P8サブチーフによる厳しい言動の対象になるのは、大人しくて、かつ、P8サブチーフが個人的に嫌いな人であった。
〔2〕P8サブチーフは、単に間違っている旨指摘すれば足りる程度のことでひどく怒ったり叱ったりし、その後、特にフォローもしない。わざわざ近寄って言ったり、他人に言いふらしたりすることもしていた。台車B班のある班員は、クレーン操作をしていた際、P8サブチーフが激怒したため動揺してしまい、P9サブチーフがクレーン操作を交代せざるを得ないほどであった。
〔3〕P8サブチーフは、P3に対し、たびたび他人の名前を出して、P3が批判されている旨述べていた。
〔4〕P8サブチーフは、「アスペ(アスペルガー症候群のこと)」などとP3の人格を否定する趣旨の発言をしていた。
〔5〕P8サブチーフは、P3に対し、辞めろという話を常日頃していた。

3.「アスペ」という言葉による人格の否定

 裁判所はP8の言動について、

「P3が藤が丘工場で勤務を開始して以降、継続して長期間にわたり、強い口調により怒鳴りつけ、職場には不要であるとしてP3の自信を失わせる発言や、正規職員への登用が困難であるとして将来への不安をあおる発言、周囲から必要とされていないとしてP3を職場で孤立させる発言、何らかの精神障害を抱えているかのような指摘をするなど人格を否定する発言をしていたものと認められる。
「そして、P8サブチーフのこのような強圧的な言動は、職場の上司ないし先輩による業務上の指導として正当化する余地がおよそないものであって、P3に対して過重な心理的負荷を与え続けるものであったことが明らかである。」

という評価を下しました。

 本件は「アスペ」という言葉だけで人が自殺に至った事案ではありません。直接の原因は、面談でP8が発した、みんなから嫌われているといった趣旨の誹謗や、「やる気があるのか」などという全く意味のない罵倒だと思われます。しかし、精神障害を有しているかのようなレッテル貼りが自殺の一因を構成していることは否定できません。

 近時の職場内いじめに関する裁判例、法律相談事例を分析していると、しばしば「発達障害」だとか「アスペ(アスペルガー症候群)」だとかいった精神障害と絡めたレッテル貼りを目にします。

 自殺事案の裁判例が公開される意義の一つは、何が人の死を招くのか、自殺を回避するためのターニングポイントがどこにあったのかに関する知見を、社会全体で共有することにあるのではないかと思います。

 発達障害・アスペルガー障害といった本来軽々に使われるべきではない専門用語を、素人が聞きかじってカジュアルに使う風潮は、本当に何とかならないものかと思います。

 

異動の内示は拒否していいのか?

1.日本の人事労務管理の特徴-配転の多さ

 日本企業の人事労務管理の一つの大きな特徴に、配転の多さがあります。「頻繁な配転の意義は、長期雇用慣行をとる日本企業において、①多数の職場や仕事を経験させることによって幅広い技能・熟練を形成していくとともに、②技術や市場が多様に変化していくなかでも雇用を維持できるよう柔軟性を確保することにある」といわれています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕491頁参照)。

 しかし、配転は労働者の私生活・職業生活に大きな影響を与えることが少なくありません。職業生活との関係では、頻繁な配転のため、いつまでたっても専門性を磨くことができないといった弊害も指摘されています。

 労働者は不本意な異動を使用者から内示されることもあると思います。それでは、不本意な異動の内示を断った場合、そのことはどのように扱われるのでしょうか。使用者は異動の内示を断ったことを、人事上、不利益に考慮することができるのでしょうか。

 昨日紹介した山口地判令2.2.19労働判例ジャーナル98-20 山口県立病院機構事件は、この問題についても、興味深い判断を示しています。

2.山口県立病院機構事件

 この問題は有期雇用の看護師の方を雇止めにすることの適否が問題になった事案です。

 本件の被告は山口県立医療センター等を運営する地方独立行政法人です。

 原告になったのは、被告に有期雇用されていた看護師の方です。

 被告では、無期転換権(労働契約法18条)が発生することが見込まれる有期雇用労働者について、面接試験と勤務評価の総合判断で契約更新の可否が審査される仕組みがとられていました。

 そして、この面接試験は、試験委員が受験者を

A(ぜひ雇用継続したい)12点

B(雇用継続したい)8点

C(雇用継続をためらう)4点

D(雇用継続したくない)0点

の四段階で評価する恣意性の高い仕組みになっていました。

 原告の面接試験は、事務部職員と副部長によって構成され、事務部部長は8点、c副部長は4点の評定をつけました。

 副部長が4点という低い評定をつけた理由の一つには、原告が過去に異動の内示を受けて拒否した事実がありました。

 本件では、面接試験の合理性に加え、異動の内示を受け入れなかったことを労働者の不利益に評価できるかも問題になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、異動の内示を拒否したことを不利益に考慮することを否定し、雇止めは無効だと判示しました。

(裁判所の判断)

「本件雇止めの原因は、c副部長の行った評価C(4点)にあるといえるので、c副部長の評価の客観的合理性を検討する必要があるところ、証拠・・・によれば、c副部長がC(4点)と評価した根拠は、原告が過去に同僚とトラブルを起こしたことや、原告が異動の内示を受けてこれを拒否したことが2度あるとの認識のもと、原告が、自己の性格について、まじめで、気になることは見逃せず、協調性があり、まわりに柔軟に対応している旨を回答したことから、原告は自分の考えを押し通す性格で、協調性に問題があり、自分を客観的に評価できていないと判断した上、原告が異動について、納得ができれば異動できるが、納得できるまでは意見を言う旨を回答したことから、異動についての組織内の調整が難しいと判断したことにあると認められる。

「しかし、原告の同僚との過去のトラブルについては、本件全証拠によっても、原告にどの程度の非が認められるのかが明らかではなく、また、被告が主張する原告の平成28年6月及び同年9月の異動の内示拒否の後にも、原告は平成29年4月に異動の内示を受入れたことは当事者間に争いがない。また、証人eによれば、被告における異動命令は、当該職員が異動の内示を承諾することが前提とされていたことが認められるから、異動の内示は、異動命令に先立ち、異動を受諾するどうかについて検討する機会を与えるための事前の告知であり、その後に異動計画が撤回ないし変更される余地を残しているものと解される上、正規職員とは異なり、有期職員は内示の時点でしか異動の希望を述べることができなかったことが認められるため、原告の回答自体からc副部長のように判断することについて、必ずしも客観的合理性を有するものであるとはいえない(c副部長自身の問題ではなく、前記の判断のとおり、被告の行った本件面接試験自体が客観的合理性を担保されたものでないことが現実化したものである)。」

「したがって、c副部長が行ったC(4点)の評価についても、客観的合理性が欠けているといえ、本件雇止めは、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない。」

3.異動の内示は拒否していい?

 建前のうえで異動を嫌だと言えるシステムを持っている組織は、決して少なくないと思います。

 例えば、裁判官には、

「公の弾劾又は国民の審査に関する法律による場合及び別に法律で定めるところにより心身の故障のために職務を執ることができないと裁判された場合を除いては、その意思に反して、免官、転官、転所、職務の停止又は報酬の減額をされることはない。

と法律で異動を嫌だと言う権利が認められています。

 しかし、外部に流れてこないだけだという可能性はあるにしても、裁判官が転勤を断ったという話は、殆ど聞いたことがありません。

 やはり、システムがあることと、実際に異動を嫌だと言えるのかは、別の問題なのだと思います。

 本件は地方独立行政法人というやや特殊な性格を持った組織の話ではありますが、「被告における異動命令」が「当該職員が異動の内示を承諾すること」を「前提」にしていたという建前を重視し、異動を拒否した事実を雇止めの局面で労働者の不利に斟酌することを否定しました。

 この看護師の方が異動の内示を受け入れなかった理由までは判決文からはよく分かりません。しかし、専門的な職種においては、どのポジションで仕事をするのかが、職業生活上重要な意味を持つことは少なくありません。

 飽くまでも建前を重視し、異動の内示を受け入れなかったことを労働者に不利益な事情として考慮することを否定した本件裁判例は、異動を断る勇気を後押しする事例としても位置付けられるのではないかと思います。

 

フィーリングによる面接が否定された事例(雇止め)

1.面接・面談の恣意性

 採用面接や人事考課面談では、しばしば、評価者による恣意性が問題になります。面接担当者や上司によって対象者に対する評価が全く異なったものになるという話を聞くことは、個人的な経験の範囲内でも少なくありません。

 こうした問題に対処するため、各企業では面接による評価を客観化し、面接を有意義にするための工夫が模索されています。

 しかし、旧態依然として、フィーリングに近い形で面接による評価を実施している企業も、決して少なくないように思います。

 近時公刊された判例集に、こうした前時代的な面接の在り方が否定された事例が掲載されていました。山口地判令2.2.19労働判例ジャーナル98-20 地方独立行政法人山口県立病院機構事件です。

2.地方独立行政法人山口県立病院機構事件

 本件は雇止めの有効性が問題になった事件です。

 被告になったのは、病院を運営する地方独立行政法人です。

 原告になったのは、被告との間で有期雇用契約を繰り返していた看護師の方です。

 地方独立行政法人の発足以降、原告の方は、被告との間で、期間1年の有期雇用契約を繰り返していました。

 しかし、無期雇用ルール(有期労働契約が更新されて契約期間が5年以上になった場合、労働者に契約の無期転換権が生じるルール、労働契約法18条参照)が平成25年4月1日以降の労働契約に適用されることになった関係で(平成24年8月10日法律第56号附則第2項、政令第267号「労働契約法の一部を改正する法律の一部の施行期日を定める政令」参照)、被告の就業規則に、

「平成25年4月1日を起算日とする有期常勤職員の通算雇用期間は、『理事長が特に必要と認めたとき』を除き、原則として5年を超えない範囲内とする」

との更新上限条項が設けられることになりました。

 そして、「理事長が特に必要と認めたとき」に該当するか否かは、面接試験と勤務評価を総合して判断される仕組みになっていました。

 平成30年4月1日以降も契約が更新されることを望んだ原告は、面接試験を受けました。

 しかし、被告は総合評価の結果、「理事長が特に必要と認めたとき」に当たらないと判断し、平成30年3月31日をもって原告を雇止めにしました。

 これに対し、原告の方が、雇止めの効力を争って、地位確認等を求めて被告を訴えたのが本件です。

 本件の争点の一つになったのは、面接試験の合理性です。

 本件の面接試験は、次のように位置付けられていました。

「本件面接試験は、2名以上の試験委員(1名を各病院の事務部職員とし、1名を当該職員の所属の正規職員とする。)が、受験者の面接状況により、次の4段階の評語で判定を行い、各評語を点数化し、試験委員全員の評価の平均がC(雇用継続をためらう)以下の場合については、欠点として、不合格とする。
A(ぜひ雇用継続したい)12点
B(雇用継続したい)8点
C(雇用継続をためらう)4点
D(雇用継続したくない)0点」

 この仕組みに対し、原告は、

「本件面接試験には、統一的な評価基準がなく、公平な評価が行われているとは言い難いし、そもそも反復継続して契約更新されてきた実績を持つ原告の勤務成績、態度、能力について、客観性のない短時間の本件面接試験により評価することに合理性があるとはいえない。」

と主張しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、本件面接試験は合理性に欠けると指摘し、雇止めの効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「本件就業規則上、有期常勤職員の6年目以降の雇用継続の要件は『理事長が特に必要と認めたとき』と定められているところ、その具体的な判断基準は明らかではないが、・・・有期職員の中には有期労働契約が更新されることについての合理的期待を有する者がおり、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない雇止めは許されないのであるから、理事長の人事権に当然に内在する制約として、その判断は公正に行われなければならないと解すべきである。したがって、本件雇用継続審査については、評価の公正さを担保できる仕組みが存在し、設定された評価基準自体が合理性を有することを要すると解するのが相当である。

「本件面接試験については、その評価対象は明示されていないものの、総合評価における雇用継続決定基準が『業務に支障はなく、本人に要求される水準に達している』か否かであることから、その評価の対象も、当該有期職員の担当業務の遂行に必要な能力の有無であると認められる。」

「しかるに、前記前提事実及び証拠・・・によれば、本件面接試験においては、『業務内容』、『意欲』、『性格』及び『自己アピール』などの質問項目が例示として定められているのみで、評価項目及び各項目毎の評定尺度の基準の定め、各項目毎の評定結果と総合評価との関連付けについての定めはなく、2名の試験委員が、15分程度の面接時間内に行われた質問に対する回答を踏まえて、直接4段階の総合評価を行うものとされていたこと、各評価段階を区別する指標は、『ぜひ雇用継続したい』、『雇用継続したい』、『雇用継続をためらう』、『雇用継続したくない』という、主観的な表現が用いられているのみであって、試験委員が評価の根拠を明らかにすることも予定されていなかったことが認められる。

以上によれば、本件面接試験には、合理的な評価基準の定め及び評価の公正さを担保できる仕組みが存在せず、本件雇用継続審査における判断過程は合理性に欠けるものといわなければならない。

したがって、本件雇止めには合理的理由を認めることができず、社会通念上相当であるとは認められない。

 3.流石に採用基準が「ぜひ雇用したい」(理由は言わない)は不適切であろう

 流石に、採用基準が「ぜひ雇用したい」(理由は言わなくていい)という面接では、合理性がないと切って捨てられるのも仕方ないだろうと思います(個人的には、こんなものは、単なるフィーリングの表明にすぎず、面接の体を為していないと思います)。

 ただ、そういった極端な事案であったこと、無期雇用ルールの脱法を図ったことが疑われる事案であること、雇止めという比較的使用者の裁量を制約し易い局面であったことなどの諸々の事情を考慮したとしても、面接に、

「合理的な評価基準の定め及び評価の公正さを担保できる仕組み」

が必要であると判示した点は、画期的な判断だと思います。冒頭で述べたとおり、単なる好き嫌いで評価しているのではないかという疑義のある面接は、私が個人的に見聞きする範囲でも、決して少なくないからです。

 本件は、面接による主観的・恣意的な評価に悩んでいる人・苦しんでいる人にとっての救済のツールとして機能する可能性があります。

 こうした裁判例もあるので、中身が全く分からないまま、面接で不当な評価をされて不利益を受けた、そのことに納得のいかない方は、一度、対応を弁護士に相談してみてもよいのではないかと思います。

 

日時を特定しない勤務態度は懲戒事由になるのか?

1.抽象的な懲戒事由の主張

 懲戒処分の効力を争っていると、使用者側から、普段から仕事がいい加減だとか、勤務態度が悪いだとか、サボっているだとか、抽象的な形で懲戒事由が主張されることがあります。

 こうした主張は、具体的な懲戒事由を補強する要因として、付加的に主張されることが多いように思います。

 日時の特定のない抽象的な主張に対しては、反論の前提として、一体、いつの時点でのどのようなエピソードを問題視しているのかの特定を求めて行くのが基本的な対応になります。

 しかし、求釈明(裁判所を通じて、不明瞭な主張を明瞭にするように、相手方当事者に促してもらうこと)をかけても、なお、単なる悪口と区別がつかないような抽象的な主張が繰り返されることがあります。

 そうすると、労働者側は「依然として、具体的な事実の特定がないではないか。」として改めてクレームをつけて行くことになります。

 このような法廷でのやりとりに関しては、本当に時間の無駄だと思っていました。使用者側の主張を封じるにあたり、活用できる裁判例がないかと考えていたところ、近時公刊された判例集に利用できそうな裁判例が掲載されていました。鳥取地判令2.2.21労働判例ジャーナル98-18 国立大学法人鳥取大学事件です。

 この事件は、昨日、

「就職妨害・大学院進学の強要がアカデミックハラスメントに該当するとされた事例」

としてご紹介させていた事件と同じ裁判例です。

https://sskdlawyer.hatenablog.com/entry/2020/05/17/193110

2.国立大学法人鳥取大学事件

 本件は懲戒処分(停職処分)の有効性が争点となった事案です。

 学生(c)にアカデミックハラスメントをしたことなどを理由に停職1か月の懲戒処分を受けた国立大学法人の教授が、勤務先である国立大学法人に対し、停職処分の無効確認などを求めて訴えを提起したのが本件です。

 被告となった国立大学法人は、アカデミックハラスメントの事実のほか、

「cに対して感情的になり恐怖を感じさせるような激しい口調で指導したこと」

という懲戒事由も主張しました。

 この懲戒事由が具体的な事実として何を指しているのかは、当然問題になりましたが、被告は、

「原告は、感情にムラが見られ、学生の指導等においても時に感情的になって、学生に恐怖を感じさせるような激しい口調で指導していた。被告は、特定の日時における特定の行為を問題としているわけではなく、原告による日常的な指導態度、方法を問題としているのである。」

と述べるだけで、いつ、どこで、どのような経緯及び状況下で、どのような内容の指導がなされたのかを明らかにしませんでした。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、大学側の抽象的な懲戒事由に係る主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「被告は、原告が、cに対し、感情的になり、恐怖を感じさせるような激しい口調で指導したという非違行為・・・を主張するが、特定の日時における特定の行為を問題としているわけではなく、原告による日常的な指導態度、方法を問題としている。」
「しかしながら、使用者が労働者に対して行う懲戒処分は、労働者の企業秩序違反行為を理由として、一種の秩序罰を課すものであるから(最高裁判所平成8年9月26日第一小法廷判決・集民180号473頁)、対象者のために防御の範囲を特定する必要があり、懲戒の対象となる非違行為は、他の事実と識別できる程度の具体的事実を含むものでなければならないと解される。」
特定の日時における特定の行為を一切明らかにせず、抽象的に『日常的な指導態度、方法』を非違行為として捉えたのでは、他の事実との識別は困難で、防御も困難である。具体的な事実関係を明示することなく、日常的な指導態度、方法を懲戒処分の対象とすることはできず、・・・被告の主張は失当である。

3.アカハラが認定されたため懲戒効力の効力は維持されたが・・・

 未知の問題について既存の知見から緻密に議論を組み立てていくような場面を除いて、文献にも裁判例にも書かれていない法律論は、幾ら主張したところで、大体「独自の見解である」ということで誰からも相手にされません。

 そのため、法曹実務家は、法律論を主張・展開する時、それにどのような根拠があるのかを気にします。文献上、裁判例上の根拠がある主張は、少数説として理解されることはあっても、独自の見解であると鼻であしらわれることはないからです(引用は非専門職の方がネット上の法律を取り扱った記事の信憑性を図る尺度にもなるともいます。それが通説的な見解なのか、少数説なのかは法専門職でなければ見分けがつかないと思いますが、きちんと文献・裁判例が引用されている記事は、独自の珍説というわけではありません。逆に、文献や行政解釈、裁判例の引用が一切なされていないような記事は、信憑性に何の担保もないので、実用性のないもの・話半分くらいに受け取っておくのが正解だろうと思います)。

 本件ではアカハラが認定されたため、停職1か月の懲戒処分の有効性自体は否定されず、結論として、原告(労働者側)の請求は棄却されています。

 しかし、日時を特定しない抽象的な懲戒事由の主張を、失当(法的に意味のない主張だということを指します)とした点は、労働者側に有利な判示となっています。

 この部分の判示は他の事案にも利用可能なもので、本裁判例を引用すれば、抽象的な懲戒事由をめぐる不毛な論争は、早々に打ち切ることができるかもしれません。