弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

合意退職の争い方-就労意思の表示(労務提供の意思表示)は忘れずに

1.未払賃金請求が認められるのは

 解雇や合意退職の無効を理由とする労働契約上の権利を有する地位にあることの確認請求が認められた場合、普通は、解雇・合意退職の時点に遡った未払賃金の請求も認められます。

 しかし、地位確認と未払賃金請求の勝訴要件は、完全に重なり合っているわけではありません。地位確認請求は解雇・合意退職が無効であれば認容されますが、未払賃金請求が認容されるためには、民法536条2項本文に規定されている、

「債権者(使用者)の責めに帰すべき事由によって債務(労務提供義務)を履行することができなくなった」

場合であることが必要になります。つまり、就労意思が喪失されていた場合は、労働者側の都合によって働かないのであって、使用者の責めに帰すべき事由によって労務提供義務を履行することができなくなったという関係には立たないため、未払賃金請求は棄却されることになります。

 合意退職の成否が問題になるような事件では、労働者側も退職を受け入れたと誤解されかねないような言動をとっていることが多く、合意退職の成否とは別に、就労意思の有無が問題になることがあります。そのため、地位確認請求を行うにあたっては、就労の意思があること、労務提供の意思表示を明確に行っておく必要があります。そのことを意識しておかないと、地位確認請求で勝っても、未払賃金請求は認められないといったように、思わぬところで足元を掬われるリスクがあります。

 近時公刊された判例集にも、そのリスクが顕在化した裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令3.3.30労働判例ジャーナル114-52 リバーサイド事件です。

2.リバーサイド事件

 本件で被告になったのは、寿司店(本件寿司店)を経営する特例有限会社です。

 原告になったのは、被告と期間の定めのない労働契約を締結していたシフト制の労働者です。被告が合意退職の成立を根拠に平成31年3月31日付けで退職処理をしたことに対し、合意退職は成立していないとして、地位確認・未払賃金の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 被告が合意退職の成立の根拠としたのは、平成31年3月12日に、原告がD店長に対して言った「3月末か4月半ばに辞める」という趣旨の発言です。こうした発言の後、原告は、同月13日以降のシフトを提出せず、出勤しなくなりました。

 このような事実関係のもと、本件では、合意退職の成立や、就労意思が認められるのか否かが問題になりました。

 裁判所は、合意退職の成立を否定し、地位確認請求を認容しましたが、就労意思がないことを理由に、未払賃金請求は棄却しました。

 裁判所の判旨は、次のとおりです。

(裁判所の判断)

「被告内ではD店長から原告が退職する旨の報告を受けて従業員の採用活動をすることが決定されていたところ・・・、D店長は、前記のとおり社会保険の資格喪失日等の確認を目的として平成31年4月10日に原告に架電し、社会保険を停止する旨や現状はシフトが埋まっており復帰できない旨告げ・・・、その後に被告は社会保険及び雇用保険の資格喪失の手続を開始する旨などが記載された同月18日付けの書面を原告に送付するなどしたのであって・・・、被告は遅くとも同日付けの書面を原告に送付した時点で原告による労務の受領を拒絶する意思を明確にしたということができる。」

「しかしながら、原告は、被告の上記の受領拒絶以前から、退職する旨の予告をして平成31年3月13日から出勤せず、同年4月10日まで被告に連絡しなかったこと、同日に至ってもD店長に対して今は休む旨述べ、D店長から問われてもその復帰時期を明らかにしなかったことからすれば・・・、原告は少なくとも同日の時点で就労の意思を欠いていたというべきである。そして、原告は同日にD店長に対して復職時期を明らかにせずに今は休む旨述べた一方で、社会保険を継続してほしい旨述べていたのであり・・・、原告は、長期間にわたって労務の提供をしないことを明らかにしながら本件雇用契約の存続を求めていたということができる。このことに照らすと、その後に原告が本件労働組合を通じて復職を求め、本件訴訟を提起して地位確認と賃金の支払を求めるなどしたこと・・・をもって、当然に原告に就労の意思があったと認めることはできない。そのほか、原告に就労の意思があったと認めるに足りる証拠はない。

「そうすると、原告が同月1日以降就労しなかったのは、被告が原告による労務の受領拒絶をしたことによるものとは認められない。」

(中略)

「以上に述べたところによれば、原告が平成31年4月1日以降に就労しなかったのは、被告の責めに帰すべき事由によるものと認めることはできず、原告の同日以降の賃金請求は理由がない。」

3.確かに、認定が厳しすぎるような感はあるが・・・

 労働組合を通じて復職を求めたり、訴訟を提起して地位確認・未払賃金を請求したりするのは、働きたいからであるにほかなりません。こうした態度の中には、就労意思の表示・労務提供の意思表示が含まれているという理解が成り立つ余地は十分にあると思います。そう考えると、本件の事案で、就労意思を認定しなかった裁判所の判断は、労働者側に厳しすぎるようにも思われます。

 しかし、就労意思の表示・労務提供の意思表示は、通知等で就労意思・労務提供の意思があることを伝えればよいだけであるため、それほどの手間がかかるわけではありません。この手間を省かないでいれば、就労意思・労務提供の意思の有無は、争点にならなかった可能性もあるように思われます。

 通知一本が多額の経済的利益に関わってくることもあるため、就労意思・労務提供の意思表示は、遺漏なく行っておくことが必要です。

 

合意退職の争い方-退職の意思表示の慎重な認定

1.合意退職の争い方

 労働契約法上、

「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。」

と規定されています(労働契約法16条)

 しかし、合意退職には、労働契約法上、特段の規律がなされているわけではありません。民法の一般原則に従い、錯誤(民法95条)、詐欺・強迫(民法96条)といった意思表示上の問題がない限り、その効力を否定することができないのが原則です。

 こうしたドライな考え方に対しては、従来から、修正を施す必要があるのではないかという問題提起がなされていました。修正の方法としては、主に二つの法律構成が考えられています。

 一つは、「自由な意思に基づいていない」という法律構成です。

 労働法の適用領域では、意思表示に錯誤、詐欺・強迫といった分かりやすい問題がなくても「自由な意思に基づいていない」との理屈で、合意の効力を否定できる場合があります。退職金を放棄してしまった場合、賃金や退職金を引き下げることに同意してしまった場合、妊娠中の軽易業務への転換を契機として降格されることに同意してしまった場合などで認められてきた法理です。この「自由な意思に基づいていない」という法理を合意退職の場面にも適用しようというアプローチです。

 しかし、この「自由な意思に基づいていない」という法律構成を合意退職の場面に適用することは、東京地判平31.1.22労働判例ジャーナル89-56ゼグゥ事件によって、次のとおり否定されています。

「賃金に当たる退職金債権の放棄(シンガー・ソーイング・メシーン事件判決)、就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に係る同意(山梨県民信用組合事件判決)、女性労働者につき妊娠中の軽易な業務への転換を契機として降格させる事業主の措置に対する同意(広島中央保健生協事件判決)などの存否が問題となる局面においては、労働者が、使用者の指揮命令下に置かれている上、自らの意思決定の基礎となる情報を収集する能力も限られており、使用者から求められるがままに不利益を受け入れる行為をせざるを得なくなるような状況に置かれることも少ないことから、『自由な意思と認められる合理的な理由』を検討して慎重に意思表示の存否を判断することが要請されているものと解される(山梨県民信用組合事件判決に関する判例解説(法曹時報70巻1号317~321頁)参照)。これに対し、退職届の提出という局面においては、労働者は使用者の指揮命令下から離脱することになるうえ、退職に伴う不利益の内容は、使用者による情報提供等を受けるまでもなく、労働者において明確に認識している場合が通常であり、上記各最高裁判決の判旨が直ちに妥当するとは解しがたい。

 もう一つは、合意の成立以前の問題として、退職の意思表示そのものが認められないとする法律構成です。

 この法律構成は、結果の重大性に注目し、厳格な事実認定(慎重な認定)を行うことで、合意退職した労働者の救済を図るというアプローチです。

 こちらの法律構成に関しては、東京地裁労働部でも採用された裁判例が複数現れています。

 例えば、東京地判令2.12.4労働判例ジャーナル110-48 東京都就労支援事業者機構事件は、

「被告の職員が退職を希望する場合、就業規程8条4号によれば、退職願を提出することが求められているところ・・・、原告が被告に対し退職願を提出したとの事実を認めることはできない以上、原告による退職の意思表示がなされたかどうかについては、慎重に検討する必要がある。」

と判示しています。

 また、東京地判令2.11.24労働判例ジャーナル110-40 メガカリオン事件は、

「仮に、本件退職勧奨の際、原告が被告主張のような発言をしていたとしても、退職が、労働者にとって生活基盤を喪失することにつながる重大な意思表示であることに照らすと、単なる発言が直ちに労働契約解消の法律効果を生じさせる確定的な意思表示としてされたものであるか否かについては慎重に評価する必要がある。」

と判示しています。

 東京地判令2.3.4労働判例1225-5 社会福祉法人緑友会事件は、

「労働者が退職に合意する旨の意思表示は、労働者にとって生活の原資となる賃金の源である職を失うという重大な効果をもたらす重要な意思表示であるから、退職の意思を確定的に表明する意思表示があったと認められるか否かについては、慎重に検討する必要がある。」

と判示しています。

 最近の東京地裁労働部の裁判例の流れとして、退職の意思表示を慎重に認定するというアプローチは定着してきた感があります。

 近時公刊された判例集にも、こうした裁判例の潮流に沿った事件が掲載されていました。東京地判令3.3.30労働判例ジャーナル114-52 リバーサイド事件です。

2.リバーサイド事件

 本件で被告になったのは、寿司店(本件寿司店)を経営する特例有限会社です。

 原告になったのは、被告と期間の定めのない労働契約を締結していたシフト制の労働者です。被告が合意退職の成立を根拠に平成31年3月31日付けで退職処理をしたことに対し、合意退職は成立していないとして、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 被告が合意退職の成立の根拠としたのは、平成31年3月12日に、原告がD店長に対して言った「3月末か4月半ばに辞める」という趣旨の発言です。こうした発言の後、原告は、同月13日以降のシフトを提出せず、出勤しなくなりました。

 このような事実関係のもと、本件では、原告と被告との間に合意退職が認められるのか否かが問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、合意退職の成立を否定し、地位確認請求を認めました。

(裁判所の判断)

「原告は最終出勤日の勤務終了の際にD店長に対して3月末か4月半ばに辞める旨の発言をしたが、これをもって原告が退職の意思表示をしたといえるか否かについて検討する。」

「ところで、退職の意思表示は労働者にとって生活の原資となる賃金の源である職を失うという重大な効果をもたらすものであるから、労働者による退職する旨の発言が退職の意思表示であるといえるか否かを判断するに当たっては、当該発言内容のほか、当該発言がされた状況及びその経緯、当該発言後の労働者の言動その他の事情を考慮して、確定的に雇用契約終了の法律効果を生じさせる意思が表示されたといえるか否かを慎重に検討すべきである。

「原告の上記・・・の発言内容は、そもそも退職時期を3月末か4月半ばとする不明確な内容であり、しかも不確定的な表現であった可能性があるものである。そして、前記・・・のとおり原告の上記・・・の発言は原告の最終出勤日の勤務終了時になってD店長からの問いかけに端を発してされたものであり、それまでD店長と原告とは原告が平成31年3月13日以降のシフトを提出しないことに関するやり取りをしたことがなかったこと・・・からすれば、原告は同日時点では積極的に退職の意思を表明することを予定していなかったと推認される。これらのことに加え、原告は同日以降も本件寿司店に私物を置いたままであり、原告とD店長との間で原告が所持していた本件寿司店の店舗の鍵の返還に関するやり取りがされなかったこと・・・も併せて考慮すれば、原告の上記・・・の発言は3月末か4月半ば頃に退職の意思表示をする旨の予定を告げるにすぎないものとみることができる。」

「これに対し、原告は、前記・・・のとおり平成30年11月下旬頃に年内に辞める旨述べた後、平成31年1月以降に勤務日数を減少させ、同年3月13日以降は勤務せず・・・、その後の同年4月10日まで被告に対して連絡したことがなかったのであるが・・・、原告は同年3月まで10年以上にわたって被告で勤務していた者であり・・・、同月13日の後も被告において原告と連絡可能な状態にあったこと・・・、本件雇用契約では週の勤務日数等は特に定められておらず、各アルバイト従業員がシフトを提出する際の希望によって勤務日が定められていたこと・・・、原告は同年4月10日にD店長から社会保険の資格喪失についての連絡を受けた際、今は休むが復帰する旨伝えるなどの本件雇用契約の継続を前提とする発言をしたこと・・・に照らすと、原告が同年3月13日以降のシフトを提出せず、出勤しなかったことなどをもって、原告の上記・・・の発言が退職の予定を告げるにすぎないものであったことを否定することはできない。」

「したがって、原告の上記・・・の発言をもって、確定的に雇用契約終了の法律効果を生じさせる意思が表示されたということはできず、退職の意思表示をしたということはできない。また、上記・・・に述べたところに照らすと、黙示の退職の意思表示があったと認めることもできない。

以上に述べたところによれば、原告と被告との間に合意退職が成立したとは認められない。

3.勢いで軽率に辞めると言ってしまっても、争える場合がある

 伝統的な考え方では、勢いで軽率に辞めると言ってしまったとしても、錯誤、詐欺・強迫といった事情がなければ、合意退職の効力を争うことは困難とされてきました。

 しかし、近時は、退職の意思表示の存在を慎重に検討・認定することで、個別事案における労働者の保護を図る裁判例が出されるようになっています。

 錯誤、詐欺・強迫といった事情のない合意退職事案でも、争える可能性があることは、広く知られておくべきであるように思われます。

医師の配転-専門医としてのキャリアの断絶は著しい不利益ではないのか?

1.配転のルール

 配転命令の適法性について、最二小判昭61.7.14労働判例477-6 東亜ペイント事件は、

「使用者は業務上の必要に応じ、その裁量により労働者の勤務場所を決定することができるものというべきであるが、転勤、特に転居を伴う転勤は、一般に、労働者の生活関係に少なからぬ影響を与えずにはおかないから、使用者の転勤命令権は無制約に行使することができるものではなく、これを濫用することの許されないことはいうまでもないところ、当該転勤命令につき業務上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存する場合であつても、当該転勤命令が他の不当な動機・目的をもつてなされたものであるとき若しくは労働者に対し通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用になるものではないというべきである。」

との判断枠組を示しています。

 つまり、業務上の必要性に基づく配転命令がなされた場合であったとしても、それが労働者に対して通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせるものである場合、配転命令の効力は否定されます。

 それでは、医師に対し、専門医としてのキャリアを断絶させる配転命令を行うことは、「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」に該当するのでしょうか?

 昨日ご紹介した、東京地判令3.5.27労働判例ジャーナル114-1 日本赤十字社(成田赤十字病院)事件は、この問題を扱った事件でもあります。

2.日本赤十字病院(成田赤十字病院)事件

 本件で被告になったのは、成田赤十字病院(本件病院)を設置する日本赤十字社法に基づいて設立された法人です。

 原告になったのは、大学医学部の循環器内科の医局に所属していた医師の方です。複数の病院で勤務した後、平成12年4月1日、被告との間で労働契約を締結し、循環器内科の医師としての勤務を開始しました。その後、平成19年4月には、本件病院の循環器内科部長に昇任しました。このように循環器内科の専門医としてのキャリアを積んでいたところ、令和元年5月9日、本件病院院長から、同年10月1日付けで人間ドック及び生活習慣病予防健診等を所管する健診部長(健康管理センター長)への異動を内示されました。本件は、この内示通りに行われた同日付けの異動命令(本件命令)の効力が問題になった事件です。

 この事件で、原告は、職種限定合意のほか、東亜ペイント事件で示されている枠組に従って本件命令は権利濫用だとも主張しました。

 権利濫用との関係では、本件命令が、原告に「通常甘受すべき程度を著しく超える不利益」を負わせるものでないのかが問題になりました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、これを否定し、本件命令を有効だと判示しました。

(裁判所の判断)

「本件命令によって、原告は、毎週月曜日の午前中の外来診療を除いて、専門分野である循環器内科の診療を行う機会は無く、カテーテル治療は行えず、原告の自覚によれば、同治療の技術は衰えている・・・。」

「しかし、本件命令後、原告は部長職として変わらない待遇を受け、勤務場所にも変更はない・・・。担当する業務の量が多くなったということもない・・・。約30年来従事し、かつ、急患に対応するため連日24時間体制で電話呼出しにも従事するなど、責任を持って果たしてきた循環器内科の診療をほとんど行えず、誇りとしてきたカテーテル治療の技術の衰えが回避できないことは、原告にとって不利益といえるが、通常甘受すべき程度を著しく超えるとまでは認められない。

3.キャリアの断絶を軽視しすぎではないだろうか

 近時、「45歳定年制」という提言が話題になりました。

サントリー新浪社長「45歳定年制」を提言 定年延長にもの申す(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 これに限らず、産業界からは人財の流動性を高めたいという要請が継続的に出され続けています。

 しかし、人材の流動性を高めるのであれば、そのカウンターとして、労働者のキャリア・専門性を蓄積する利益にも光が当てられて然るべきではないかと思われます。古典的な配転の判断枠組のみ維持し、人材の流動性を高める施策を打ち出しても、キャリアをぶつ切りにされ、専門性を身に付けられなかった労働者が丸腰で市場に放り出されるだけになってしまうことが懸念されます。

 裁判所は不利益性を著しいとまではいえないと判示しましたが、個人的には労働者のキャリア・専門性を蓄積する利益を軽く見すぎているのではいかと思います。東亜ペイント事件の判断枠組についても、もう少し厳格にする方向で見直されてもよいのではないかという感が否めません。

 

医師の配転-内科間の配転(循環器内科部長→健診部長)は許されるのか?

1.職種限定合意

 職種限定合意とは「労働契約において、労働者を一定の職種に限定して配置する(したがって、当該職種以外の職種には一切就かせない)旨の使用者と労働者との合意」をいいます(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務』〔青林書院、改訂版、令3〕290頁参照)。

 一般論として、配転命令には、使用者の側に広範な裁量が認められます。最二小判昭61.7.14労働判例477-6 東亜ペイント事件によると、配転命令が権利濫用として無効になるのは、

① 業務上の必要性がない場合、

② 業務上の必要性があっても、他の不当な動機・目的のもとでなされたとき、

③ 業務上の必要性があっても、著しい不利益を受ける場合

の三類型に限られています。業務上の必要性が広く認められていることもあり、いずれの類型を立証することも容易ではありません。

 しかし、職種限定合意の存在を立証することができれば、権利濫用を立証できなかったとしても、配転命令の効力を否定することができます。

 職種限定合意で重要なのは、黙示的に合意が成立していると解される場合があることです。例えば、「医師、看護師、自動車運転手など特殊の技術、技能、資格が必要な職種の場合、使用者と労働者との間に明示又は黙示の職種限定の合意が成立し得る」とされています(前掲文献291頁参照)。

 東亜ペイント事件の枠組みでは配転の効力を争うこと難しいため、どのような場合に黙示の職種限定合意が認められるのかは、労働事件を取り扱う弁護士にとって、重要な関心事となっています。

 こうした状況のもと、近時公刊された判例集に、黙示の職種限定合意が認められる典型とされる医師に対する配転命令の可否が問題となった裁判例が掲載されていました。東京地判令3.5.27労働判例ジャーナル114-1 日本赤十字社(成田赤十字病院)事件です。

 この事件の特徴は、循環器内科部長から健診部長にといったように、医師という職種の中での異動が問題になったことにあります。

2.日本赤十字病院(成田赤十字病院)事件

 本件で被告になったのは、成田赤十字病院(本件病院)を設置する日本赤十字社法に基づいて設立された法人です。

 原告になったのは、大学医学部の循環器内科の医局に所属していた医師の方です。複数の病院で勤務した後、平成12年4月1日、被告との間で労働契約を締結し、循環器内科の医師としての勤務を開始しました。その後、平成19年4月には、本件病院の循環器内科部長に昇任しました。このように循環器内科医としてのキャリアを積んでいたところ、令和元年5月9日、本件病院院長から、同年10月1日付けで人間ドック及び生活習慣病予防健診等を所管する健診部長(健康管理センター長)への異動を内示されました。本件は、この内示通りに行われた同日付けの異動命令(本件命令)の効力が問題になった事件です。

 原告は本件命令の効力を否定するにあたり、職種を循環器内科医の業務に限定する旨の合意があったと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、合意の成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「本件労働契約において、契約書は作成されず、採用時に作成された書面は本件病院の院長作成名義に係る人事異動通知書のみであるところ、これには、給与の号俸以外に、『日本赤十字社職員に採用する。成田赤十字病院内科医師に任命する。』との記載があるにとどまる・・・。この記載は、被告が原告を被告の職員として採用し、被告が運営する本件病院における内科医として勤務することを命じる趣旨と解されるから、原告の職種を内科医の業務と限定するものと理解できるが、これをさらに循環器内科医の業務に限定するものとはいえない。

「そして、本件病院の常勤の医師は、本件病院から千葉大学の各診療科の医局に対し、当該診療科を専門分野とする医師の紹介を依頼し、当該医局の紹介を受けて、被告が採用した医師がほとんどであり・・・、第三次救急医療機関として高度な医療を提供する本件病院では、いずれも、基本的には当該医師の専門分野の診療科部に配置し、その診療に従事させていたという事実があるものの・・・、本件病院は、700床以上の病床数を保有し、54の診療科部を擁する診療部門のほか、医療技術部門及び医療社会事業部門などの診療科部門以外の部門もあり、かつ、約160名の常勤の医師が勤務していたのであるから・・・、本件病院の事業遂行のためには、約160名の常勤医を適正に配置することにより、診療科部門以外の部門も含めて適切に運営することが要請されており、医師に対し、専門分野の診療科部以外の部署に異動を命じる一定の必要性があったといえる。そして、これまで実際に、複数の医師に対し、それぞれの専門分野である診療科部から、リハビリテーション科部、緩和診療科部、検査部、健診部及び医療社会事業部の各部長職などに専門分野を超えた異動を命じて異動させた実例もあった・・・。」

「そうすると、本件病院においては、本件病院の診療科部以外の部門を含めてその事業を適切に運営するため、医師に対し、時として、専門分野の診療科部以外の部署へ異動を命じる必要があり、かつ、現に専門分野の診療科部以外の部署へ異動を命じている現状において、医師から異動についての同意が得られないおそれがあり、その場合には本件病院の事業遂行に支障を来す可能性があることに鑑みれば、被告において、本件病院の医師と労働契約を締結する際、人事異動通知書に記載された以外の職種限定を行う意図があるとは認め難いといえるし、また、その意図を示す行為も見当たらない。したがって、被告が、本件病院の医師との労働契約締結に際し、人事異動通知書に記載した以外の職種限定を行う旨を明示又は黙示に表示していたと解することはできない。原告の人事異動通知書に、内科医以外の職種が一切記載されていないこと・・・、及び、本件就業規則において、医師の異動につき特別な制約が設けられていないこと・・・も、これに沿うものといえる。」

以上から、本件労働契約において、原告の職種を循環器内科医の業務に限定する合意があったとは認められない。

原告は、医師の業務は分野ごとの専門性が高く、基本的に、本件病院で医師を専門分野以外の診療科部へ異動させることはない旨のC院長の証言・・・、本件病院のほとんどの医師は、千葉大学の各診療科の医局に対し、当該診療科を専門分野とする医師の紹介を依頼して、紹介を受けた医師を採用し、専門分野の診療科部での診療を担当していた事実・・・、本件医院の医師を募集する際にも、具体的な診療科を挙げた上、専門的な研修である後期研修の修了又は学会認定医の資格取得など、一定の専門分野を有することを応募資格としていた事実・・・、本件病院が千葉大学の循環器内科の医局に医師の紹介を依頼し、前記医局が、既に循環器内科医として10年程度のキャリアを有していた原告を紹介し、採用に至ったという原告の採用の経緯・・・、原告は、本件病院では本件命令まで一貫して循環器内科分野の業務を担当していた事実・・・といった各事実から、原告と被告との間で職種を循環器内科医の業務に限定する合意が存在していたことが推認されると主張する。

しかし、前記各事実は、高度な医療を提供する第三次医療機関である本件病院において、各診療科部で一定の水準以上の医療を提供するため、原告も含めて、当該診療科部に適合する専門分野を有する医師を採用し、当該医師を当該診療科部に配置しその専門分野の診療を行わせていたということを意味するにとどまる。本件病院において医師の専門性を発揮させる必要性がある場合がほとんどであるということと、専門性のある医師に対しても、時として、本件病院の事業遂行のため、専門分野以外の部署への異動を命じる必要性があり、被告において、その人事権を保持、留保していたということとは、何ら矛盾するものではない。

したがって、前記の各事情は、上記・・・の結論を左右するものではない。

3.原告の主張はもっともではないかと思われるが・・・

 医師の専門が細分化していることを考えると、内科医という雑駁な括りのもとで、循環器内科医として長年に渡ってキャリアを積み重ねてきた方に対し、健診部長への異動を命じることは、あまりにも酷であり、個人的には黙示的な職種限定合意の成立が認められて然るべき事案であったように思われます。

 しかし、裁判所は、職種限定合意の効力を否定しました。判断の妥当性に疑問符はつくものの、こうした裁判例が存在することには、留意しておく必要があります。

 

謝罪・反省が欠けている労働者への懲戒解雇が否定された例

1.改善可能性

 解雇の可否を論じる場面で、しばしば改善可能性という概念が問題になります。この概念は、

改善可能性があるのに解雇することは不当だ/改善可能性がない以上解雇もやむを得ない

といった使われ方をします。

 改善可能性は、規律違反行為を理由とする普通解雇の可否を判断する場面において、かなり重要な要素を構成します。そのことは、佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕396頁に、

「規律違反行為の類型に当たる場合としては、広義では懲戒解雇の事由・・・と同様の行為であり、そのうち典型的な規律違反行為としては、暴行・誹謗、業務妨害行為、業務命令違反、窃盗・横領・収賄等の不正行為等が考えられる。その態様、程度や回数、改善の余地の有無等から、労働契約の継続が困難な状態になっているかにより、解雇の有効性を判断することになる。

と記述されていることからも窺うことができます。

 この改善可能性との関係で、謝罪・反省をするかという問題があります。この問題は、非違行為が成立するのかどうかが微妙な事案において顕在化します。

 非違行為の成立を争う場合、謝罪・反省をすることは筋道が通りません。謝罪・反省をしながら、非違行為が成立しないと主張しても、説得力に欠けることになります。

 他方、謝罪・反省を拒否すると、非違行為が成立すると認められた場合、改善可能性がないと判断され、労働契約の継続が困難であると認定される危険が増すことになります。

 しかし、謝罪・反省が欠如しているからといって、懲戒解雇のような重大な処分が直ちに正当化されるわけではありません。一昨日、昨日とご紹介させて頂いている東京地判令3.3.18労働判例ジャーナル113-52 神社本庁事件は、そのことを実証する裁判例でもあります。

2.神社本庁事件

 本件で被告になったのは、全国の神社を包括する宗教法人です。

 原告になったのは、P1とP2の2名です。

 このうち原告P1は被告に雇用され、本宗奉賛部長、教化広報部長を経て、参事・総合研究部長の地位にあった方です。

作成した内部告発を内容とする文書(本件文書)が出版社やマスコミに郵送されたほか、インターネットサイトにも掲載されたこと(解雇理由1に係る行為)や、

P13秘書部長が全部長を招集し、本件文書の作成に関与した者がいないかを質した菜や、P14渉外部長が原告P1に動揺の質問をした際に、本件文書への関与を否定し、平成29年4月に本件文書の作成を認めるまで、4箇月間にわたり関与を否定し続けたこと(解雇理由2に係る行為)

などを理由に、懲戒解雇されてしまいました。これに対し、懲戒解雇の無効を主張し、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の被告は、全部で4つの解雇理由を主張しました。これに対し、原告は、いずれも懲戒事由には該当しないという争い方をしました。懲戒事由に該当しないと主張する以上、当然のことながら、謝罪や反省はしないことになります。

 結局、裁判所は、原告が主張した解雇理由1~4のうち、上記解雇理由1の一部と解雇理由2のみは非違行為に該当すると認定しました。ここに謝罪・反省をしなかったことの危険が顕在化しましたが、裁判所は、次のとおり述べて、懲戒解雇の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

「解雇理由1に係る行為の一部並びに解雇理由3及び4に係る各行為が、懲戒すべき行為に当たらないことは前記したとおりである。そして、解雇理由1に係る行為のうち懲戒すべき行為と認められる部分(原告P1が、多数人に交付されることを期待して理事2名に本件文書を交付し、もって、多数人に対し、被告のP11部長及びP12課長が原告P2に対しP5職舎売却の責任を負わせようとしていた事実及びP11部長が背任行為に加担した事実を摘示し、P11部長及びP12課長の社会的評価を低下させ、被告の信用を毀損し、被告の組織を乱した行為)及び解雇理由2に係る行為が、解雇に相当するとはいえないことは、前記したとおりである。したがって、本件解雇は、懲戒権の行使が、客観的合理的な理由がなく、社会通念上相当性を欠くものであり無効である(労働契約法15条)。」

被告は、解雇理由1~4について何ら反省や謝罪の態度を示さず、自説に賛同しない者を排除すべきであるとの独善的態度を取っている原告P1を、職員60名の小規模な信仰共同体である被告の組織に留めることは被告の宗教活動を阻害し、被告の信教の自由や宗教的結社の自由が侵害されることとなる旨主張する。確かに、被告の組織は、職員数60名と小規模であるし、原告P1は、解雇理由1~4に係る行為のうち、懲戒すべき行為に当たる部分も含めて、何ら反省する態度を示していないと認められる・・・。

しかし、被告は、全国8万の神社を包括する宗教法人として、これまで庁規を始めとする諸規程により職員を規律してきたものであり、原告P1を被告の職員組織に留めたからといって、被告における信教の自由や宗教的結社の自由を侵害する事態となるとは認め難く、被告が職員60名の小規模な組織であることを考慮しても、原告P1が行った懲戒すべき行為の内容に照らし、原告P1を組織内から排除することが相当であるとは評価できない。

以上から、本件解雇は無効である。

3.過小評価は禁物だが、過大評価もするべきではない

 反省が欠けていても諭旨解雇が認められないとされた事例に、東京地立川支判令2.7.16労働判例ジャーナル106-48PwCあらた有限責任監査法人事件があります。この事件で、裁判所は、

原告が本件ストーカー行為を行ったことについて真に反省していたかが疑わしい点を勘案したとしても、労働者たる地位の喪失につながる本件諭旨免職処分は、重きに失するものであったといわざるを得ない。そうすると、本件諭旨免職処分は、社会通念上相当であるとは認められない場合に当たる。」

と判示し、諭旨免職処分の効力を否定しました。

 確かに、謝罪・反省をしないことにより、改善可能性の欠如を主張される危険を軽視するのは危険なことです。

 しかし、普通解雇であればともかく、制裁としての性質を有する懲戒解雇の場合、基本的には非違行為の性質・内容との均衡が問題になるのであって、謝罪・反省の欠如が処分量定を押し上げるにも限界があります。

 そう考えると、謝罪・反省をしないで改善可能性がないと判断されるリスクを過度に評価して、非違行為の不存在を主張することに抑制的になりすぎるのも、考え物なのだろうと思われます。

 

犯人かと問われて名乗り出なかったことを理由に懲戒解雇できるか?

1.尋ねられて名乗り出ないリスク

 犯罪の場合、犯人かと問われても、名乗り出る義務があるわけではありません。

 例えば、刑事訴訟法198条2項は、被疑者に

「自己の意思に反して供述をする必要がない」

権利を認めています。

 また、刑事訴訟法311条は、被告人に、

「終始沈黙し、又は個々の質問に対し、供述を拒むことができる」

権利を認めています。

 更に進んで、自分は犯人ではないと嘘をついたとしても、それを理由に処罰されることはありません。誰かを身代わりに立てるなど第三者を巻き込んだ場合は別ですが、犯人自身は、犯人蔵匿罪(刑法103条)や証拠隠滅罪(刑法104条)、偽証罪(刑法169条)の主体にならないからです。

 それでは、使用者が行う懲戒処分との関係ではどうでしょうか?

 使用者から非違行為の犯人ではないかと尋ねられた時、黙っていたり、違うと嘘を言ったりすることは、それ自体を懲戒事由とすることは、法的に許容されるのでしょうか?

 昨日ご紹介した、東京地判令3.3.18労働判例ジャーナル113-52 神社本庁事件は、この問題に対しても、参考になる判断を示しています。

2.神社本庁事件

 本件で被告になったのは、全国の神社を包括する宗教法人です。

 原告になったのは、P1とP2の2名です。

 このうち原告P1は被告に雇用され、本宗奉賛部長、教化広報部長を経て、参事・総合研究部長の地位にあった方です。

作成した内部告発を内容とする文書(本件文書)が出版社やマスコミに郵送されたほか、インターネットサイトにも掲載されたこと(解雇理由1に係る行為)や、

P13秘書部長が全部長を招集し、本件文書の作成に関与した者がいないかを質した菜や、P14渉外部長が原告P1に動揺の質問をした際に、本件文書への関与を否定し、平成29年4月に本件文書の作成を認めるまで、4箇月間にわたり関与を否定し続けたこと(解雇理由2に係る行為)

などを理由に、懲戒解雇されてしまいました。これに対し、懲戒解雇の無効を主張し、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 裁判所は、解雇理由2に係る行為を理由とする懲戒解雇の可否について、次のとおり判示し、これを否定しました。

(裁判所の判断)

解雇理由2に係る行為は、被告の信用を毀損する本件文書(匿名化版)への関与について、被告の部長の質問に対し、虚偽の事実を申告したものであるから、庁内の秩序保持(就業規則4条2号)に違反したものいえ、就業規則67条1号、2号、3号の懲戒事由に該当する。

「解雇理由2に係る行為は、被告の部長に対し、被告の信用を毀損する内容の本件文書(匿名化版)への関与を否定する虚偽の事実を伝えたものであり、被告の業務に支障を与えたことは否定できない。本件文書には被告の部長会の情報が記載され、被告の部長の誰かが作成に関与していることが窺えるのに、誰が関与したか分からなかったことは、被告の職員らに不安を与えたといえる。」

「他方で、本件文書は、前記したとおり、背任行為という犯罪事実に係るもので、その主要な部分について、〔1〕真実であるとは認められないが、真実と信じるについて相当な理由があり、〔2〕不正目的ではなく、〔3〕相当な手段によりされた公益通報といえるものであった。そして、P3総長が被告の代表者であり、P9会長が被告の事務所に本部をおく政治団体の長であるため、原告P1が、本件文書への関与を認めると、懲罰を受けるおそれがあったことに照らせば、公益通報者を保護して、公益通報の機会を保障し、社会の利益を守る見地においては、原告P1の虚偽申告を、重大であるとして非難することは相当ではなく、解雇に相当するとはいえない。

3.懲戒事由には該当するが、必ずしも重大であるわけではない

 以前、

会社から不正行為の調査を受ける時、どのように対応すべきか - 弁護士 師子角允彬のブログ

という記事の中で、使用者側の調査への不協力が業務命令違反に該当すると判断された事案を紹介しました。

 本件の裁判例も、黙っていたり、自分ではないと嘘をついたりすることが懲戒事由に該当すること自体は認めており、刑事手続と同じような感覚で使用者からの調査に対応することには、リスクのあることが窺われます。

 ただ、懲戒事由に該当することは認めても、懲戒解雇に相当する行為であることは否定しました。

 使用者に対する嘘は、往々にして、かなり激しい非難を受けがちです。嘘を言う労働者と関係を継続することはできないと主張されます。しかし、犯人かと問われて、名乗り出られなかったり、自分ではないと嘘をしたりすることは、人間の心情的に仕方のない面もあります。このことは裁判所も理解しており、少なくとも、嘘をついたからといって機械的に懲戒解雇が正当化されるわけではないことは、意識しておく必要があります。

 

内部告発と懲戒処分の有効性-告発目的の公益性と「不正の目的でないこと」

1.内部告発者の保護

 公益通報者保護法は、公益通報を行ったことによる解雇を禁止しています(公益通報者保護法3条)。

 しかし、マスコミ等の外部機関への通報が、解雇禁止の対象となる公益通報に該当するためには、

通報対象事実が生じ、又はまさに生じようとしていると信ずるに足りる相当の理由があること、

不正の利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的ではないこと(2条参照)、

のほか、次のいずれかの場合であることが必要とされています。

労務提供先や行政機関への公益通報をすれば解雇その他不利益な取扱いを受けると信ずるに足りる相当の理由がある場合

労務提供先への公益通報をすれば当該通報対象事実に係る証拠が隠滅され、偽造され、又は変造されるおそれがあると信ずるに足りる相当の理由がある場合

労務提供先から公益通報をしないことを正当な理由がなくて要求された場合

書面(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録を含む。第九条において同じ。)により第一号に定める公益通報をした日から二十日を経過しても、当該通報対象事実について、当該労務提供先等から調査を行う旨の通知がない場合又は当該労務提供先等が正当な理由がなくて調査を行わない場合

個人の生命又は身体に危害が発生し、又は発生する急迫した危険があると信ずるに足りる相当の理由がある場合

 しかし、通報対象事実が犯罪等に狭く限定されているほか(公益通報者保護法2条3項)、上記いずれかの場合に該当することの要件が比較的厳格であるため、外部機関への通報に関していえば、解雇禁止の対象となる公益通報であることを立証するよりも、一般的な名誉毀損の違法性阻却事由の立証の方が容易であることが少なくありません。

 そうした状況を反映してか、裁判例の趨勢は、内部告発を理由とする解雇の可否については、公益通報者保護法の規定する要件にあてはめるよりも、

「①告発内容が真実であり、または、真実であると信じるに相当な理由があるか(告発内容の真実性)、②告発の目的に法違反や不正行為の是正などの公益性が認められるか(告発目的の公益性)、③告発の手段・態様が相当なものであるか(告発態様の相当性)、を総合的に考慮」

して決していると理解されています。

https://www.jil.go.jp/hanrei/conts/06/60.html

 こうした状況のもと、近時公刊された判例集に、公益通報者保護法の趣旨を踏まえ、解雇禁止の対象を拡大するかのような規範を定立した裁判例が掲載されていました。東京地判令3.3.18労働判例ジャーナル113-52 神社本庁事件です。

2.神社本庁事件

 本件で被告になったのは、全国の神社を包括する宗教法人です。

 原告になったのは、P1とP2の2名です。

 このうち原告P1は被告に雇用され、本宗奉賛部長、教化広報部長を経て、参事・総合研究部長の地位にあった方です。作成した内部告発を内容とする文書が出版社やマスコミに郵送されたほか、インターネットサイトにも掲載されたことなどを理由に、懲戒解雇されてしまいました(解雇理由1に係る行為)。これに対し、原告P1は、懲戒解雇の無効を主張し、地位確認等を求める訴えを提起しました。

 これに対し、裁判所は、次のような規範を定立し、内部告発を理由とする懲戒解雇の可否を判断しました。

(裁判所の判断)

「解雇理由1に係る行為は、労働者が、その労務提供先である使用者の代表者、使用者の幹部職員及び使用者の関係団体の代表者の共謀による背任行為という刑法に該当する犯罪行為の事実、つまり公益通報者保護法2条3項1号別表1号に該当する通報対象事実を、被告の理事及び関係者らに対し伝達する行為であるから、その懲戒事由該当性及び違法性の存否、程度を判断するに際しては、公益通報者保護法による公益通報者の保護規定の適用及びその趣旨を考慮する必要がある。公益通報者保護法は、労働者による労務提供先の役員、従業員等についての法令違反行為の通報が、国民の生命・身体・財産その他利益の保護に関する法令の遵守を促し、国民生活の安定及び社会経済の健全な発展に資するものであることから、労働者が公益通報をしたことを理由とする解雇の無効等を定めることにより、労働者の公益通報の機会を保障し、もって、国民生活の安定及び社会経済の健全な発展に資することを目的とする法であり(同法1条)、公益通報をしたことを理由としてされた解雇の無効(同法3条)及び降格、減給などの不利益取扱いの禁止(同法5条1項)の定めは、これを具体化した法であり、その趣旨は、労働契約法15条に定める使用者の懲戒処分が懲戒権の濫用として無効となるかという判断においても、考慮されるべきものである(同法6条3項参照)からである。」

「そして、公益通報者保護法は、労働者が、

〔ア〕『不正の利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的でなく』、

〔イ〕労務提供先の『役員、従業員、代理人その他の者について通報対象事実が生じ」「ている旨を』、

〔ウ〕『その者に対し当該通報対象事実を通報することがこれによる被害の拡大を防止するために必要であると認められる者(当該通報対象事実により被害を受ける者を含み、当該労務提供先の競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがある者を除く。)に通報すること』

は、公益通報に当たり(同法2条1項1号)、

〔エ〕『通報対象事実が生じていると信ずるに足りる相当の理由があり』、

〔オ〕『当該労務提供先に対する公益通報をすれば当該通報対象事実に係る証拠が隠滅され、偽造され、又は変造されるおそれがあると信ずるに足りる相当の理由がある』

など同法3条3号のイ~ホのいずれかに該当する場合には、公益通報をしたことを理由とする解雇は無効となるとし、また、公益通報をしたことを理由とする降格、減給その他不利益取扱いは禁止されるとする(同法3条3号、5条1項)。」

「これらの規定の内容、及び、公益通報者を保護して公益通報の機会を保障することが国民生活の安定及び社会経済の健全な発展に資するとの当該規定の趣旨に鑑みると、労働者が、労務提供先である使用者の役員、従業員等による法令違反行為の通報を行った場合、通報内容の真実性を証明して初めて懲戒から免責されるとすることは相当とはいえず、

〔1〕通報内容が真実であるか、又は真実と信じるに足りる相当な理由があり、

〔2〕通報目的が、不正な利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的でなく、

〔3〕通報の手段方法が相当である場合には、

当該行為が被告の信用を毀損し、組織の秩序を乱すものであったとしても、懲戒事由に該当せず又は該当しても違法性が阻却されることとなり、また、〔1〕~〔3〕の全てを満たさず懲戒事由に該当する場合であっても、〔1〕~〔3〕の成否を検討する際に考慮した事情に照らして、選択された懲戒処分が重すぎるというときは、労働契約法15条にいう客観的合理的な理由がなく、社会通念上相当性を欠くため、懲戒処分は無効となると解すべきである。

3.「公益目的であること」と「不正の目的でないこと」

 上述のとおり、本件の裁判所は、告発目的の公益性を、「不正の目的でないこと」に置き換えた判断基準を定立しました。

 「公益目的であること」と「不正の目的でないこと」とを比較した場合、前者よりも後者の方が範囲が広くなります。

 本件の裁判所は、解雇理由1に基づいて解雇することを否定しました。元々、名誉毀損との関係で捉えられている目的の公益性が比較的緩やかな概念であるうえ、具体的な事実関係に照らし、本件が告発目的の公益性を「不正の目的でないこと」に置き換えなければ解雇無効の結論を導けなかった事件なのかは疑問もありますが、解雇禁止の範囲を緩和したかのような規範を定立した裁判例が出現したことは、記憶しておく必要があるように思われます。