弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

自殺の予見可能性-問責にどこまでの認識が必要なのか?

1.安全配慮義務の不履行と自殺

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

と規定しています。

 これはいわゆる安全配慮義務を定めた条文です。

 安全配慮義務違反により損害を受けた労働者は、使用者に対して損害賠償責任を追及することができます。

 安全配慮義務違反が認められるか否かが激しく争われる場面の一つに、労働者が自殺している事件があります。

 自殺の背景には、過重労働がある場合や、いじめ・嫌がらせがある場合、その両方が競合している場合などがあります。

 こうした背景のもとで労働者が自殺した場合、その責任を民事訴訟(労災民訴)で問いたい遺族としては、先ず、

過重労働、いじめ・嫌がらせなどの背景要因 ⇒ 精神障害の発症 ⇒ 自殺

という事実経過とそれが相当因果関係という概念で結節されていることを主張、立証して行く必要があります。

 「精神障害の発症」という概念を媒介にしなければならないのは、自殺の業務起因性に関する考え方に理由があります。

 旧来、自殺は本人の故意行為であると考えられ、労災保険の対象から除外されていました(故意行為が労災保険の対象から除外されていることについて、労働者災害補償保険法12条の2の2第1項参照)。しかし、その後、精神障害によって正常な認識・行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われた場合には、故意に該当しないと解されるようになり、自殺に対する業務起因性が承認されるようになったという経緯があります(山川隆一ほか編著『労働関係訴訟Ⅱ』〔青林書院、初版、平30〕622頁参照)。

 そして、業務起因性が認められるためには、

「右負傷又は疾病と公務との間には相当因果関係のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となって死亡事故が発生した場合でなければならない」

と理解されています(最二小判昭51.11.12判例時報837-34参照)。これは公務災害の事案ではありますが、労働災害の事案にも等しく引用されています。

 労災認定における業務起因性と労災民訴における相当因果関係とは理論的には別の問題です。しかし、判例も裁判例も両者をそれほど明確に区別していません(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕819頁)。

 労災民訴で使用者に労働者の自殺についての責任を問うにあたり、

過重労働、いじめ・嫌がらせなどの背景要因 ⇒ 精神障害の発症 ⇒ 自殺

という事実経過が相当因果関係という概念で連結されている否かを主張、立証のテーマにするのは、上述の学問的背景があります。

 ここで問題になるのが「予見可能性」という概念です。

 過失責任を問題にしたり、相当因果関係があると言ったりするためには、「予見可能性」という概念が必要になります。

 予見できない結果に対して責任を負うことはない、通常予見できない結果は当該行為との間に因果関係があるとはいえないと理解されているからです。

 それでは、自殺を理由として損害賠償責任を追及するにあたり必要な「予見可能性」の内容は、どのように理解されるのでしょうか。

 背景要因さえ認識していれば、自動的に予見可能性ありとなるのでしょうか。

 それとも、精神障害の発症の可能性があることまで予見できる必要があるのでしょうか。

 さらに進んで、精神障害を発症して自殺することまで予見できるケースでなければ、予見可能を認めることはできないのでしょうか。

 この問題に関して、代表的な学術文献は、

「長時間労働やいじめ・嫌がらせによる疾病・死亡等の事案では、使用者がその原因であるいじめの存在やうつ防の発症などを認識している場合だけでなく、それを認識しうる状況にった場合にも予見可能性は肯定されうる。したがって、使用者が単に被害者がいじめを受けていたことやうつ病を発症していたことを知らなかったというだけでは、使用者はその責任(結果回避義務)を免れない。また、うつ病等の精神障害が発症した場合には、その病態として自殺に至る蓋然性が高いことが医学的に認められており、そのことを使用者が知らなかった(それゆえ自殺という結果を予想できなかった)というだけでは、使用者の責任は否定されない

と記述しています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕820-821頁参照)。

 こうした記述からすると、精神障害の背景要因さえ認識していれば予見可能性は認定できそうな気はするのですが、そう単純に言い切っていいかは、あまり良く分かっていないとういのが正確な実務認識ではないかと思います。

 以上のような議論状況のもと、自殺に対する責任を問うにあたり必要な予見可能性の内容を理解するにあたり、参考になる裁判例が近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した高知地判令2.2.28労働判例ジャーナル98-10 池一菜果園事件です。

2.池一菜果園事件

 本件は自殺が関係する労災民訴事案です。

 被告とされた会社は、減農薬及び減化学肥料による農産物の生産等を目的とする特例有限会社です。

 自殺したのは被告会社で勤務していたP6です。

 P6の遺族である原告P1~3は、P6が死亡したのは、長時間労働による心理的負荷がかかっている中で、被告会社の代表取締役(P4)の娘である常務取締役P5から酷い嫌がらせ・いじめを受けたことで精神障害を発病したからであるとして、安全配慮義務違反を理由に被告会社に損害賠償を請求しました。

 酷い嫌がらせ・いじめというのは、判決文では詳細な事実が認定されていますが、ごく簡単に言えば、繁忙期に有給休暇を取得したことを詰られたことや、それをきっかけに感情的な非難を受けたことです。

 ごく大雑把に要約すると、平成22年2月6日に詰られ、同月8日に感情的な非難を受け、同月9日の未明に、

「ごめんね 会社をうらんではいけません 今まで長い間お世話になった所だから 感謝しなさいね」

との書置きを残して縊死したという経過が辿られています。

 急激な経過が辿られていることから、安全配慮義務違反を問えるかの判断にあたり、予見可能性の存否が争われました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり判示し、被告会社の予見可能性を認めました。

(裁判所の判断)

「P6が自死前の6か月間における時間外労働によって相応の心理的負荷を受けていたことは、前記認定のとおり、労働時間をタイムカードによって管理していたことや、業務内容を業務日誌等で把握していたことから、被告らにおいて認識し又は容易に認識することができたというべきである。」
「また、代表取締役である被告P4と常務取締役である被告P5が2月の出来事の当事者であり、専務取締役であるP7も関与していたことからすれば、被告らにおいて、この出来事によってP6が相応のストレスを受けることを認識し又は認識することができたというべきである。」
「そして、時間外労働と2月の出来事による心理的負荷の強度が『強』と評価されるものであるから、被告らにおいて、P6が心身の健康を損ない、何らかの精神障害を発病する危険な状態が生ずることにつき、予見できたといえる。」
「確かに、時間外労働時間自体は月100時間を超えた月以外は80時間を超えておらず、P6は、2月6日の出来事が起こるまでは、被告らには勿論、原告ら家族に対しても自死することを疑わせるような重大な心身の不調を見せたことがなかったものである。しかしながら、長時間労働による疲労それ自体のみで心身の健康を損ない、何らかの精神障害を発病する危険な状態が生ずるとまでは予見できなくとも、長時間労働による疲労が蓄積しうる状況にあることは認識できたはずであり、また、疲労が蓄積された状態ではストレスに対する耐性が減退することも認識できたはずである。
「そして、2月の出来事については、2月6日の出来事自体が、P6に相当高い程度にストレスを与えたことは、発言をした被告P5はもとより、その場に途中から居合わせた被告P4においても認識したはずであり、被告らにおいて、冷静に状況を確認すれば、同族会社の役員らが、家族の都合で予め許可を得て休暇を取得していた従業員の休暇を理不尽に怒鳴りつけて返上させることになった状況を知ることができ、常識的に考えれば、従業員に対して謝罪するなどの措置を講ずべき場面であると容易に想像できたはずであるのに、かえって、休暇中のP6を呼び出した挙句、部下の前で、更に追い打ちをかけるように一方的な叱責を加えたのであるから、被告P4及び被告P5において、更に重度のストレスを与えることになったことは認識していたといえる。
「そうすると、被告会社において、P6の心身の健康を損ない、何らかの精神障害を発病する危険な状態が生ずることを予見できたというべきである。
「よって、予見可能性は認められる。」

3.予見対象は精神障害の発症、弱っている人に追い打ちをかけるのはダメ

 本件ではP6の死亡逸失利益の損害まで認定されています。つまり、安全配慮義務違反と死亡との間の相当因果関係が肯定されています。

 死亡に起因する損害賠償を認めるために必要な予見可能性の内実について、裁判所は精神障害の発症と判断しました。

 そして、長時間労働によってストレス耐性が減退することを認識しながら、強い心理的な負荷をかければ、何らかの精神障害を発症する危険な状態が生じることは予見できたはずだという論理構成のもと、予見可能性を認定しました。

4.SNSの事案との関係ではどうか

 この「弱っている人に追い打ちをかければ精神障害の発症 ⇒ 自殺 となることは予見可能であろう理論」は、労働事件に限らず、自殺が関係する種々の事案に応用できる可能性があります。

 例えば、近時、SNS上で誹謗中傷を受けていたとされる女子プロレスラーの方が自殺した事件が報道されています。

 膨大な誹謗中傷が下地にある中で、追い打ちをかけるように行われた誹謗中傷行為については、精神障害の発症の予見可能性、ひいては、自殺に対する責任を問う余地を切り開けるかもしれません。

 SNS上の誹謗中傷のコメントは、一つ一つは軽いものなので、池一菜果園事件のように下地がある中で強い心理的負荷がかけられたという事案での議論が単純に妥当するわけではないだろうと思います。

 しかし、一つ一つは軽いとはいっても、膨大な誹謗中傷が積み重なっている中で人を傷つける言葉の追加投稿することに関していうと、表面張力で盛り上がているコップに水滴をたらせば溢れるであろうことを容易に予測することができるのと同じように、人に精神障害を発症することも予見可能だろうという議論はあってもいいような気はします。精神障害の発症まで予見できれば、そこから先の自殺についても帰責することは理論上は可能ではないかと思います。

 被告選定の問題など、他にも検討する論点はたくさんあると思いますが、誹謗中傷者に人の死についての責任を帰責させるための民事訴訟は、別段あっておかしくないのではと思います。