弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

精神障害の労災認定-「左遷」か「閑職への配置転換」か

1.精神障害の労災認定

 精神障害の労災認定について、厚生労働省は、

令和5年9月1日 基発0901第2号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」

という基準を設けています。

精神障害の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/001140931.pdf

 この認定基準は、

対象疾病を発病していること(第一要件)、

対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること(第二要件)、

業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと(第三要件)、

の三つの要件が満たされる場合、対象疾病を業務上の疾病として取り扱うとしています。

 この認定基準は、行政に留まらず、多くの裁判所でも業務起因性の判断枠組として採用されています。

2.具体的な出来事-「転勤・配置転換があった」

 第二要件、「業務による強い心理的負荷」の認定に関し、認定基準は「業務による心理的負荷表」(別表1)という一覧表を設け、「具体的出来事」毎に、労働者に与える心理的負荷の強弱の目安を定めています。

 「具体的な出来事」に関しては、様々な類型が設けられているのですが、

「転勤・配置転換等があった 」

という出来事があります。

 この出来事が及ぼす心理的負荷の強度については、

「過去に経験した場所・業務ではないものの、経験、年齢、職種等に応じた通常の転勤・配置転換等であり、その後の業務に対応した」

場合には「中」、

「配置転換の内容が左遷(明らかな降格で配置転換としては異例、不合理なもの)であって職場内で孤立した状況になり、配置転換後の業務遂行に著しい困難を伴った」

場合には「強」

とされています。

 近時公刊された判例集に、この「左遷」への該当性が問題になった裁判例が掲載されていました。京都地判令5.11.14労働経済判例速報2541-10 国・京都上労基署長事件です。

3.国・京都上労基署長事件

 本件は、いわゆる労災の取消訴訟です。

 原告になったのは、出版社(株式会社A)に勤務し、印刷物の編集や写真撮影等の業務に従事していた方です。長時間労働、配置転換及び退職の強要等により鬱病(本件疾病)を発症したとして、京都上労働基準監督署長(処分行政庁)に対し、労働者災害補償保険法上の療養補償給付や休業補償給付の支給を申請しました。

 しかし、処分行政庁はいずれの申請に対しても不支給決定を行いました。その後、審査請求、再審査請求も棄却されたことを受け、不支給決定の取消を求めて出訴したのが本件です。

 裁判所は、心理的負荷が「中」である配置転換と、恒常的長時間労働があったことを認め、本件疾病には業務起因性があるとして、原告の請求を認容しました。

 本件で左遷かどうかが問題になった配置転換は、編集や写真撮影等の業務に従事していた原告を、総務に異動させ、出版物のパッキングや掃除等の雑用を担当させたことでした。

 原告は、これを、

「『左遷された』(認定基準別表1・類型21)・・・に該当し、心理的負荷強度は『強』である。」

と主張しました(なお、令和5年9月1日の認定基準の改訂により、現在の類型は「21」ではなく「17」に相当します)。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、該当の配置転換の心理的負荷の強度を「中」だと判示しました。

(裁判所の判断)

・平成27年3月頃までの原告の業務内容

「原告は、平成26年に入社後、先輩の協力を得ながら、編集業務に従事し、特に、写真撮影の技術を評価されて、京都府警の警察官募集ポスター、パンフレット、関西医科大学の大学案内パンフレットなどにつき、取材活動を行い、記事の校正作業等に従事した。また、大きい仕事として、京都府から依頼のあったレッドデータブックという植物や動物などの絶滅危惧種の本の編集作業にも従事するようになった。・・・」

「原告は、パソコンのキーボードを見ずに入力作業を行うタッチタイピングの技術や、レイアウト作業の能力が、本件会社の編集業務で要求される水準に達しておらず、また、校正作業でもミスが多かったため、遅くとも平成27年2月までにはレッドデータブックの編集チームから外れて、本件会社の事業者の妻であり管理職であるBから直接指導を受ける機会が増えた。・・・」

・総務への異動

「本件会社は、上記(3)イのとおり原告の能力が編集業務を任せるには足りず、また、改善の見込みも乏しいと評価し、原告にこれ以上編集の業務を行わせることはできないと判断し、Bにおいて、平成27年4月頃、原告と面談し、「(編集の仕事が)向いていると思う?辞めるか?」などと話をし、平成27年4月中旬に総務に配置転換した・・・。」

・異動後の原告の業務内容

「総務の仕事は、取次店を通じて本件会社に注文が入った出版物について、パッキングし、自転車で5分程度の距離にある取次店まで直接運搬する、もしくは、東京にある取次店宛に宅配の手配をするというものが中心であり、毎日仕事があるものではなく、それ以外の時間は、掃除等の雑用を行うという閑職であった・・・。」

「原告は、本件会社において編集業務従事者の人手が足りなかったことから、平成27年6月から8月にかけて、再度編集の業務を任され、その後、また総務として、掃除等の雑用に従事した・・・。」

「編集手当約5万円が支払われなくなった結果、総務に従事中の原告の給与は、月額約15万円台(税引き前)まで減少した・・・。」

(中略)

・総務への異動(「配置転換」(認定基準別表1項目21)関係)について

認定事実・・・のとおり、原告は写真の技術を評価されて本件事業所において編集業務に携わっていたところ、平成27年4月中旬頃、総務に配置転換され、かつ、その業務は、納品等のほかは掃除等の雑用仕事が中心の閑職であり、給与としても編集手当相当額である月額5万円の減額を伴うものであったから、このような配置転換は、『配置転換としては異例なものである』とまではいえないものの、『明らかな降格であって、職場内で孤立した状況になった』ものであり、少なくとも心理的負荷強度は『中』であるというべきである。

(中略)

「認定基準別表1(総合評価における共通事項)に当てはめて検討すると、本件疾病は『具体的出来事の心理的負荷の強度が労働時間を加味せずに「中」程度と評価される場合であって、出来事の前に恒常的な長時間労働(月100時間程度となる時間外労働)が認められ、出来事後すぐに(出来事後おおむね10日以内に)発病に至っている場合』に当たるから、上記配置転換の総合評価は「強」に修正されるものである。」

「これに対し、被告は、①原告の配置転換は、原告の編集作業に関する能力や適性が一般的に求められる水準に至っていなかったことが理由であったことは明らかであり、また、平成27年6月には関西医科大学のパンフレットの写真撮影を任されており上司から評価されていた撮影の仕事まで外されたわけではないから、会社の人事上の措置である配置転換として異例なものとはいえず、原告の能力・適正に着目した配置転換にとどまるものであるとして、労働時間を加味しない心理的負荷の強度は「弱」にとどまると主張する。さらに、②収入の減少については、平成27年5月度の給与から現実化するものであるとともに、残業の減少という合理的理由に基づくものであるから、本件出来事の心理的負荷の強度を評価する上では考慮できない旨主張する。」

この点、確かに、原告の配置転換は、原告の編集作業に関する能力や適性が一般的に求められる水準に至っていなかったことが要因であることは認められる・・・が、配置転換後の業務は、その中心的な業務である本の配送については毎日仕事があるものではなく、それ以外の時間は、掃除等の雑用を行うという閑職・・・であり、また、配置転換がされた時点において、本件会社でも評価されていた原告の技能(写真撮影)を生かすような業務上の配慮がされていたことも見受けられない(認定事実・・・のとおり、本件会社において原告が配置転換後に写真撮影の業務を行う際には編集業務への復帰という扱いがされており、総務への配置転換の際に、カメラマンとしての取材への同行などは予定されていなかったことがうかがわれる。)のであって、本件会社が行った配置転換に、その心理的負荷の強度を『弱』に修正するほどの人事措置上の合理性があったとは評価できない。また、総務の仕事が閑職であり、今後、残業の発生が見込まれないことは、配置転換を告げられた時点で、原告に明らかな事情であったといえ、また、給与の増減は一般的には給与労働者の最大の関心事の一つであることからすれば、配置転換に関する心理的負荷の強度を評価する上で、当該配置転換によって見込まれる実収入の増減の程度を考慮することは十分に合理性があるものである。

よって、上記被告の主張は、いずれも採用できず、上記・・・のとおりの当裁判所の判断を左右しない。

「そうすると、原告の主張するその余の出来事(12日間連続勤務、退職勧奨、パワーハラスメント)の心理的負荷の強度について判断するまでもなく、原告につき、本件疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められる。」

「よって、本件疾病の業務起因性についての原告の主張には理由がある。」

3.具体的ではない「具体的出来事」

 「業務による心理的負荷表」に書かれている「具体的出来事」は、

「転勤・配置転換等があった 」

といったように、かなり漠然とした記述になっています。「具体的出来事」と銘打ってはいるものの、内容は全然具体的ではありません。

 同表の「心理的負荷の強度を『弱』『中』『強』と判断する具体例」の欄についても同様のことが言えます。

「左遷(明らかな降格で配置転換としては異例、不合理なもの)」

などと言われたところで、何がこれに該当するのかは、良く分かりません。

 そのため、特定の出来事が持つ心理的負荷の強度を適切に評価、判断し、事件の見通しを立てて行くにあたっては、具体的な裁判例を通じて相場感覚を磨いて行くしかありません。

 本件は「左遷」か(それに至らない)「閑職」への配置転換に留まるのかを判断するにあたり、実務上参考になります。