弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

パワーハラスメントによる心理的負荷-「強」になるためのハードルの高さがうかがわれる例

1.精神障害の労災認定

 精神障害の労災認定について、厚生労働省は、

平成23年12月26日 基発1226第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(最終改正:令和2年8月21日 基発0821第4号)

という基準を設けています。

精神障害の労災補償について|厚生労働省

https://www.mhlw.go.jp/content/000661301.pdf

 この認定基準は、

対象疾病を発病していること、

対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること、

業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないこと、

の三つの要件が満たされる場合、対象疾病を業務上の疾病として取り扱うとしています。

2.具体的な出来事-パワーハラスメント

 それでは、どのような場合に「業務による強い心理的負荷」が認められるのでしょうか?

 認定基準は「業務による心理的負荷表」(別表1)という一覧表を設け、「具体的出来事」毎に、労働者に与える心理的負荷の強弱の目安を定めています。

 令和2年5月29日、それまで

「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた」

という類型の中で処理されていたパワーハラスメントが、

「上司等から、身体的攻撃、精神的攻撃等のパワーハラスメントを受けた」

という独立の項目に改められました(令和2年5月29日付け基発0529第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準の改正について」参照)。

 これは、

「職場におけるパワーハラスメントの定義が法律上規定されたことを踏まえ、心理的負荷評価表の具体的出来事を新たに評価対象とするものではない」

と理解されています(令和2年5月29日 基補発0529第1号「心理的負荷による精神障害の認定基準の改正に係る運用上の留意点について」参照)。

https://www.mhlw.go.jp/content/000693042.pdf

 しかし、認定基準が従前より具体化・明確化されたことは確かであり、新たな類型である「上司等から、身体的攻撃、精神的攻撃等のパワーハラスメントを受けた」が裁判実務においてどのように運用されるのかは、実務家の関心を集めていました。

 この問題に関しては、以前「強」と評価された裁判例をご紹介させて頂きました。

パワハラによる鬱病自殺に業務起因性が認められた例 - 弁護士 師子角允彬のブログ

 本日は「中」と評価された事案を紹介させて頂きます。

3.国・大淀労基署長事件

 本件は労災の不支給処分に対する取消訴訟です。

 原告になったのは、索道事業、旅客自動車運送事業、旅行業、旅行業者代理業等を業とする株式会社(本件会社)に勤務していた方です。本件会社の代表者eや上司fからパワーハラスメントを受けて適応障害を発症したとして、休業補償給付の支給申請を行いました。

 これに対し、大淀労働基準監督署長は休業補償給付を支給しない処分をしました。原告の方は、審査請求、再審査請求を行いましたが、いずれも棄却されてしまったため、不支給処分の取消を求めて本訴を提起しました。

 この事件で注目されるのは、平成27年3月25日の出来事です。裁判では、この日、次のような出来事があったと認定されています。

(裁判所の認定した事実)

「原告は、出勤後、予約の受付を処理する業務に従事していたが、fは処理が遅いと感じ、速度を上げるよう注意していた・・・。」

「eは、原告の来館者に対する対応が悪かったなどと感じ、原告及び先輩従業員のmに対して注意していたところ、その後の原告及びmの対応に不満を抱いて立腹し、午前10時半過ぎころ、原告及びmに対し、数分間にわたって、『まだやってんの?電話したかおい!おい!ええかげんにせいよお前!何をやっとんじゃお前は!お前何先帰っとんねんお前』、『対応せい!ほんま。何で怒られとんねんいっつも!まだ電話してないのかほんまに!』、『はよせいお前!子どもかお前。お前ら何回言うたら分かんねん、お前。うっというしいのうこいつら!ちゃっちゃとせんかいそんなもん。何時間使っとんねんお前、何時や思とんねんお前』などと怒鳴り付け、さらに、午前11時過ぎ頃からも、数分間にわたって、原告に対し、『自分らのすぎたことばっかり言うてほんま。a君お前心臓強いなお前。えらいやっちゃのう。』、『お前何しに来とんねんて!新卒やろお前!』、『何が出来んねんてお前に一体』、『一生懸命やらんかいじゃあ!』、『訳の分からん話ばっかしやがって!』、『お前そんな偉いさんかえお前!』、『定職に就かんと、正社員にもなれなやん(者に)なるって言ってんねん』などと時に大声で怒鳴り付けて叱責した。」

「次いで、fは、kが数十万円分の価値がある切符につき、整理整頓して冷蔵庫に収納することになっているにもかかわらず、これをせずに放置して帰宅したことを問題視し、eは、原告に対し、切符が全部で数十万円の価値があることから片付けておく必要がある旨を告げるとともに、切符は金券であり、これが紛失したら全員で弁償する必要があることをkに理解させる必要がある旨を述べ、mに対し、kに数十万円分の切符がなくなった旨を電話で伝えるよう指示した。fも、mに対し、切符を放置していたために行方が分からなくなった旨を連絡するよう指示した。mは、これを受け、kに電話したが、留守番電話になっていたため、連絡がつかなかった。・・・」

「原告は、午後1時40分頃、fからの指示に従ってペーパーテストを受けていたところ、eが本件事務所内に入室してきた。本件会社では、eが入室した際には挨拶をするよう指示されていたが、原告はeが入室したことに気付かなかったため、eに挨拶しなかった。eは、原告がポケットに手を入れていたことや、日頃から仕事をせず、余計な話が多いなどと不満に思っていたこともあって、原告が挨拶をしなかったことに激高し、数分間にわたって、『お前、何ポケットに手突っ込んどんねん偉そうに!さっきも戻ってきた時、挨拶せえ言うたやろがお前!お前、そんなことしかよぉせえへんのか。挨拶せぇしっかり!』、『仕事もでけへんやつはそれぐらいせえ』などと怒鳴った。原告は謝罪したが、eは納得せず、段ボール箱を蹴り上げたところ、『ドン』という音が鳴り、その後、原告が『痛い!痛い!やめてください。』と述べたが、eは、『わけのわからん話ばっかりしやがってお前!なぁ。』、『予約もいっぱい落としやがってお前!何が痛いねんこらぁ!お前!』と大声で怒鳴った。原告が『さっきちょっと蹴られたのが痛かったです』と述べたところ、eは『蹴ってないやろ!』『いつ蹴ってんお前のこと俺!言うてみ!』などと怒鳴り、原告は謝罪し続けたが、eはなおも納得せず、原告を叱責し続けた。・・・」

「fは、その後、原告が日頃仕事ができないのに、余計な話が多いなどと原告に注意した。原告は、謝罪するとともに、fに対し、反省文を書くべきかを尋ね、fは、正直に何を話したかを書き、そのことについて謝罪すべきと指示した。fは、その際、原告が試験当日にカンニングペーパーをポケットの中に入れていたのがビデオに映っており、fがこれを目撃したなどと告げたが、原告はこれを否定し、録画を見せるよう求めた。・・・」

「原告は、午後2時過ぎから昼休憩を取得し、昼食を取ったが、その間、fに対し、少し腹痛がある、腹の調子が悪く、それほど食欲がない旨を述べ、午後7時頃には、fに対し、電話で、どうしても翌日出勤できない状況になった場合の対応について尋ねるとともに、できる限り翌日も出勤したいと述べ、また、少し腹痛があり、熱もあるような感じで昼くらいからずっと体調が悪いとして謝罪しつつ、今日は最後までやるつもりである旨を述べた。原告は、反省文・・・も作成した。また、この間、本件会社にkから電話があり、電話を取った原告はこれをmに引き継いだ。・・・」

「原告は、午後10時30分に退勤し、先輩従業員mに車で自宅近くまで送り届けてもらった・・・。」

 かなり激しい暴言が浴びせられているうえ、暴行が疑われる発言も認定されています。しかし、裁判所は、次のとおり述べて、心理的負荷を「中」に留まると判示しました。結論としても、適応障害の業務起因性を否定し、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「原告は、〔1〕eの叱責及び暴行に加え、〔2〕原告が体調不良を訴えたにもかかわらず、サービス残業を強要されたこと、〔3〕fから原告が本件会社の採用募集に応募した際にカンニングをした様子が監視カメラに残されているなどと告げられたこと、〔4〕反省文を作成させられたこと、〔5〕kに対する詐欺行為の一部の実行を命じられてこれを実行させられたことをもって、3月25日の出来事による心理的負荷の程度は『強』に当たると主張する。」

「前記・・・で認定したとおり、〔1〕の出来事、すなわちeが3月25日に原告に対して行った叱責や段ボール箱を蹴り上げるなどの言動は、原告の事務遅滞やeに対する態度に立腹して行われたものであり、これらを是正させようとする意図がないわけではないが、感情的かつ威圧的な口調で攻撃的な内容の発言をほぼ一方的に続け、更に段ボールを蹴り上げたことに徴すると、社会通念上、業務指導の範囲を逸脱したものと評価することができる。

しかしながら、eの言動が行われたのはそれぞれ数分間にとどまる上、原告が出勤しなくなった3月26日以降は、eからもはや叱責されることはなくなったことを踏まえると、仮に、eの上記叱責等が、認定基準別表1の具体的出来事29『(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行を受けた』に該当すると解したとしても、『上司の叱責の過程で業務指導の範囲を逸脱した発言があったが、これが継続していない』場合に該当し、また、新認定基準別表1の具体的出来事29『上司等から、身体的攻撃、精神的攻撃等のパワーハラスメントを受けた』のうち、『上司等による次のような身体的攻撃・精神的攻撃が行われ、行為が反復・継続していない場合』の『他の労働者の面前における威圧的な叱責など、態様や手段が社会通念に照らして許容される範囲を超える精神的攻撃』に該当するにとどまり、当該出来事単体での心理的負荷の強度は、せいぜい『中』というべきである。

「原告は、eの蹴り上げた段ボール箱が、原告の右下腿に当たり、原告が右下大腿打撲傷の傷害を負ったと主張し、原告の陳述書・・・及び別件訴訟の本人調書・・・にはこれに沿う記載がある。」

「しかし、別件訴訟のfの証人調書・・・及びeの証人調書・・・には段ボール箱が原告に当たった事実を否定する旨の記載があるところ、3月26日に原告が受診したコマキ医院のi医師は、右下腿に直径5cm大の皮下出血班を認めて右下大腿打撲傷と診断しているものの、特段の治療行為はせず、薬剤の処方もしなかった・・・こと、証拠・・・によれば、原告は、i医師を受診した際、『右下腿をけられた』と説明していることが認められ、eが蹴った段ボールが当たったとの主張と食い違っていること、原告は本人尋問の際、『段ボール箱も当たったかも知れないんですけど、社長に足で普通に直接蹴られたような記憶もあります。』などと不自然かつあいまいな供述をしていることを踏まえると、原告の主張に沿う上記証拠ないしi医師が右下大腿打撲傷と診断していることをもって、eが蹴り上げた段ボール箱が原告に当たった事実を認定ないし推認することはできず、仮に、上記段ボールが原告に当たった事実があったとしても、その傷害の程度は軽微であったものと推認され(ほかに原告の陳述書等の記載を裏付けるに足りる証拠はない。)、心理的負荷の程度が『強』と判断される認定基準別表1の具体的出来事29に具体例として例示されている『治療を要する程度の暴行を受けた』や、新認定基準別表1の具体的出来事29に具体例として例示されている『上司等から、治療を要する程度の暴行等の身体的攻撃を受けた』又は『上司等から、暴行等の身体的攻撃を執拗に受けた場合』には当たらない。」

4.「強」のハードルは高い

 行政解釈にしても裁判例にしても、心理的負荷についての見方はかなり厳しく、容易には「強」と認められない傾向にあります。

 本件のようなかなり酷い出来事でも「中」に留まるとされたことは、裁判所の判断の相場観を知るうえで参考になります。