弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

発生機序の良く分からない疾病(化学物質過敏症)に業務起因性が認められた例

1.労災の対象となる疾病、障害

 労働者災害補償保険法の保険給付は、労働基準法75条に規定されている災害補償の事由が生じた場合(業務上負傷し、又は疾病にかかつた場合)に、労働者等の請求によって行われます(労働者災害補償保険法12条の8第2項参照)。

 ここで規定されている業務上の「疾病」の範囲は、労働基準法施行規則35条、同別表第1の2で具体的に列挙されています。例えば、化学物質等による疾病の場合、

1 厚生労働大臣の指定する単体たる化学物質及び化合物(合金を含む。)にさらされる業務による疾病であつて、厚生労働大臣が定めるもの

2 弗素樹脂、塩化ビニル樹脂、アクリル樹脂等の合成樹脂の熱分解生成物にさらされる業務による眼粘膜の炎症又は気道粘膜の炎症等の呼吸器疾患

3 すす、鉱物油、うるし、テレビン油、タール、セメント、アミン系の樹脂硬化剤等にさらされる業務による皮膚疾患

4 蛋白分解酵素にさらされる業務による皮膚炎、結膜炎又は鼻炎、気管支喘ぜん息等の呼吸器疾患

5 木材の粉じん、獣毛のじんあい等を飛散する場所における業務又は抗生物質等にさらされる業務によるアレルギー性の鼻炎、気管支喘ぜん息等の呼吸器疾患

6 落綿等の粉じんを飛散する場所における業務による呼吸器疾患

7 石綿にさらされる業務による良性石綿胸水又はびまん性胸膜肥厚

8 空気中の酸素濃度の低い場所における業務による酸素欠乏症

9 1から8までに掲げるもののほか、これらの疾病に付随する疾病その他化学物質等にさらされる業務に起因することの明らかな疾病

の九類型が規定されています。

 このように、法は、医学的にみて業務に起因して発生する可能性が高い疾病を有害因子と業務の種類ごとに類型的に列挙しています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕793頁参照)。

 逆に言うと、ここに掲げられている疾病以外の疾病は、業務に起因して発生するのかが良く分からないということです。そのため、上記「9」のような包括的な規定は、存在していても、実務上、それほど多く活用されているわけではありません。

 こうした状況の中、発生機序が良く分からず、労働基準法施行規則で対象疾病として掲げられていない疾病について、業務起因性を認めた裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。札幌高判令3.9.17労働判例ジャーナル118-60 国・岩見沢労基署長事件です。

2.国・岩見沢労基署長事件

 本件は回転寿司店の事業所に勤務していた方が原告(控訴人)となって提起した労災不支給処分の取消訴訟です。

 原告の方は、事業所内のトイレに散布された殺菌剤の原液を拭き取る業務に従事したことに起因して化学物質過敏症を発症したと主張しました。しかし、処分行政庁も第一審裁判所も、業務と化学物質過敏症との間に相当因果関係(業務起因性)が認められないと判断し、化学物質過敏症の発症を労災とは認定しませんでした。その控訴審事件が本件です。

 本件で問題になったのは、化学物質過敏症が労働基準法施行規則で明示的に掲げられていない疾患、つまり、発生機序の良く分からない疾患だということです。良く分からない以上、化学物質過敏症が業務に起因していると認めることはできないというのは、現行法上の常識的な判断ではあります。

 しかし、控訴審裁判所は、次のとおり述べて、化学物質過敏症の業務起因性を認め、不支給処分を取り消しました。

(裁判所の判断)

「労災保険法に基づく業務災害に対する保険給付は、労働基準法(以下「労基法」という。)75条1項が定める「労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかった場合」に行われる(労災保険法7条1項1号)。労基法75条2項は、同条1項に規定する業務上の疾病の範囲は厚生労働省令で定めることとし、これを受けて労基則35条及び別表1の2が業務上の疾病の範囲を定めており、同別表は、疾病の具体的列挙規定(1号から9号までのうち、包括的救済規定以外のもの)、追加規定(10号)、包括的救済規定(2~4号、6号及び7号の各末尾の規定並びに11号)から構成されている。」

「控訴人は、化学物質過敏症を発症したと主張して労災保険法上の保険給付の支給を求めるところ、化学物質過敏症は、上記具体的列挙規定及び追加規定に掲げられた疾病には当たらないから、上記包括的救済規定、具体的には同別表4号9(同号1から8に掲げるもののほか、これらの疾病に付随する疾病その他化学物質等にさらされる業務に起因することの明らかな疾病)又は11号(その他業務に起因することの明らかな疾病)に該当するか否かを検討することになる(なお、同別表11号に該当する疾病は、1号から9号までのいずれの号の大分類にも属さない疾病であって、業務との因果関係が認められるもの及びこれらの号の大分類のうちいずれのものに該当するかについて疑義があるが、業務との相当因果関係の認められる疾病であり、上記各号末尾の包括的救済規定に掲げられた疾病は、〔1〕これらの号に例示的に掲げられた具体的疾病に付随して生じる疾病で、業務との相当因果関係が認められるもの、〔2〕今後の労働環境の変化、医学の発達等により業務との相当因果関係が認められ、かつ、これらの号の大分類の中に属すると考えられる疾病(〔イ〕これらの号に例示された有害因子による例示疾病以外の疾病及び〔ロ〕これらの号に例示された有害因子以外の有害因子であって、これらの号の大分類に属するものによる疾病)であると解される。)。」

「ここでいう『業務に起因することの明らかな疾病』とは、具体的列挙規定に掲げられた疾病とは異なり、一般的な形での業務起因性の推定は困難であるが、有害因子への曝露条件や身体的素因等を検討した結果、個別に業務と当該疾病との間に相当因果関係が客観的に認められる疾病は、業務上疾病として取り扱うことを意味するものと解される。」

「そして、労災保険法に基づく労働者災害補償制度は、使用者が労働者を自己の支配下に置いて労務を提供させるという労働関係の特質に鑑み、業務に内在又は通常随伴する危険が現実化して労働者に疾病等を負わせた以上、使用者に無過失の補償責任を負わせるのが相当であるとする危険責任の法理に基づくものであると解されることから、業務と疾病等との間の相当因果関係の有無は、当該疾病等が当該業務に内在又は通常随伴する危険が現実化したことによるものであるかどうかによって決すべきである。」

被控訴人は、業務起因性を肯定するためには、〔1〕当該有害因子を有する業務に従事したこと(労働の場における有害因子の存在)、〔2〕当該有害因子について、業務上の事由により発症したと認めるに足りるだけの曝露を受けていること(有害因子の曝露条件)、〔3〕発症した疾病が、曝露した有害因子により発症する疾病の症状・徴候を示し、かつ、曝露時期と発症との間及び症状の経過に医学的矛盾がないこと(発症の経過及び病態)の3要件を満たす必要があると指摘した上、化学物質過敏症については、その概念・発症機序・診断基準が未確定で、化学物質過敏症を発症したと認めるに足りる有害因子の曝露量は不明であるといわざるを得ず、控訴人が、有害因子について、業務上の事由により発症したと認めるに足りるだけの曝露を受けたかについて判断することができず、要件〔2〕(有害因子の曝露条件)を満たしているとはいえないし、化学物質過敏症の概念及び発症機序が確立されているとはいえない以上、控訴人が発症した疾病が、曝露した有害因子により発症する疾病の症状・徴候を示し、かつ、曝露時期と発症との間及び症状の経過に医学的矛盾がないことについても、判断することができないから、要件〔3〕(発症の経過及び病態)を満たしているとはいえない旨主張する。

しかし、被控訴人の上記主張によれば、化学物質過敏症については一切労災を認めないということになりかねない。

そして、訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りると解される(最高裁昭和50年10月24日第2小法廷判決・民集29巻9号1417頁、最高裁平成9年11月28日第3小法廷判決・裁判集民事186号269頁参照)こと、労基則別表1の2第4号9や第11号等の包括的救済規定が、業務上の疾病の範囲を、発症の原因とその機序が確立した医学的知見により説明することができる場合に限定する趣旨であるとは解されないこと、前記3(1)のとおり、ごく微量の化学物質によって多彩な精神・身体症状を呈する病態が存在すること自体は、一般的に肯定されていること、発症の原因や機序が科学的に解明されていないとしても、症状の推移と業務との対応関係などの各事案の個別具体的な事情に照らして、業務と疾病との間に相当因果関係が認められる場合はあり得ると考えられることからすれば、発症の原因や機序が十分に解明されていないことを理由として、直ちに業務起因性を否定することは相当でない。

「控訴人が本件拭き取り作業により急性症状を発症した事実については、被控訴人も否定していないところ、本件トイレ内には、少なくとも本件殺菌剤の主成分である次亜塩素酸ナトリウムがミスト状態となって空気中に浮遊していたことが認められる。」

「そして、控訴人に出現した口唇、舌、喉の痺れ、頭痛等の急性症状は、曝露した次亜塩素酸ナトリウム(商品名『サンラックP』)の安全データシート(乙8)の有害性情報に記載された症状(皮膚腐食性/刺激性:腐食性があり、皮膚、眼、粘膜を激しく刺激する。ミストを吸引すると気道粘膜を刺激し、しわがれ声、咽頭部の灼熱感、疼痛、激しい咳、肺浮腫を生ずる)と矛盾しないこと、本件事業所内にいたP7及びP6にも頭痛や手の発疹などの急性症状が出現していることからすれば、控訴人は、本件拭き取り作業中に、本件殺菌剤の主成分である次亜塩素酸ナトリウムのミストを数十分間断続的に吸入したことにより、口唇、舌、喉の炎症及び頭痛等の急性症状が生じたものと考えられる。」

(中略)

「前記・・・のとおり、控訴人は、本件事業所における本件拭き取り作業時に、主として次亜塩素酸ナトリウムのミストを吸入したものであり、その濃度は、少なくとも控訴人において、急性症状を発症するに足りるものであったほか、本件事業所内におり、本件トイレの清掃等を行ったわけでないP7にも頭痛という急性症状が出現する程度のものであったと認められる。」

「補正して引用した前提事実・・・によれば、化学物質過敏症自体は、微量な化学物質曝露でも発症し得るものであるが、控訴人が曝露した次亜塩素酸ナトリウムは、上記のとおり急性症状を発症するに足りるものであって微量とはいえない。」

「その後、控訴人には、前記・・・で認定した経過のとおり、喉の腫れ、目の痛み、舌の痺れ感などの粘膜刺激症状、頭痛、吐き気の症状が出現し、その後もこれらの症状とともにめまい、判断力の低下、思考力の低下、耳鳴り、動悸、心拍数増加、排尿障害、下痢、筋肉痛などの多彩な症状が出現しただけでなく、これらの症状は、洗剤、香水、消臭剤、接着剤、インク、殺虫剤、新しい粗悪な繊維製品、ゴム製品、シンナー、たばこ、排気ガスなどの微量な化学物質に鋭敏に反応して増悪しており、印刷物や香水などにまで反応してめまいや嘔吐などの症状を生じるようになったのであって、このような症状やその経過は、化学物質過敏症において認められるとされる症状やその経過に合致するものということができる。」

「控訴人は、平成21年9月から本件事業所で勤務し、勤務開始当初から本件殺菌剤を使用する本件トイレの清掃作業に従事していたが、過去に気分が悪くなる等の症状が出たことはなかった。」

「また、控訴人は、一定期間内に繰り返し化学物質に曝露したというのではなく、一度に急性症状を発症するに足りる程度の化学物質に曝露したのであって、次亜塩素酸ナトリウムのミスト等に曝露した平成24年2月2日から10日余り後の同月14日に「化学物質過敏症の疑い」があると診断され、同年4月27日には化学物質過敏症の診断を受けており、このわずかな期間に、他の何らかの有害因子に曝露したことはうかがわれないから、他の有害因子によって化学物質過敏症を発症したと認めることもできない。」

「本件拭き取り作業以前に、控訴人には特に既往症等は見られず、化学物質過敏症の発症に影響し得る心因性の要因に該当するような具体的事情も認められない。」

「以上からすれば、本件においては、控訴人の化学物質過敏症の発症機序などについて確定することこそできないものの、控訴人が、業務上の事由により化学物質過敏症を発症したと認めるに足りるだけの有害因子(次亜塩素酸ナトリウム等)の曝露を受けており、控訴人において発症した疾病が、曝露した有害因子(次亜塩素酸ナトリウム等)により発症する化学物質過敏症の症状・兆候を示し、かつ、曝露時期と発症との間及び症状の経過に医学的矛盾がないものと認められる。したがって、控訴人の化学物質過敏症は、本件拭き取り作業に内在又は通常随伴する危険が現実化したことによるものであって、これらの間には相当因果関係があると認められる。

3.対象疾病以外の疾病でも必ずしも諦めなければならないわけではない

 現行法の建付け上、対象疾病以外の疾病に業務起因性(業務との相当因果関係)の認められる可能性が、それほど高くないことは否定できません。

 しかし、本件のような裁判例を見ると、それも絶対的なルールではなく、諦めなければ何とかなるケースもあることが分かります。本件は、対象疾病ではないとの理由で門前払いに近い扱いを受けている方にとっての希望となる裁判例として位置付けられます。