弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

奨学金・貸与金による負債がセクシュアルハラスメントを回避できなかった一因とされた例

1.奨学金、貸与金の問題

 奨学金を利用していた学生が、社会に出て働き始めるまでの間に多額の負債を抱え込むことは少なくありません。

 このように負債を抱え込んでいることが、ハラスメントを受けてもなお、仕事を辞められないと思う一因となりえるとした裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、福岡高判令6.1.25労働判例ジャーナル148-50 弁護士法人清源法律事務所事件です。

2.弁護士法人清源法律事務所事件

 本件で被告になったのは、

主たる事務所を大分県中津市に置く弁護士法人と、

被告事務所の代表社員弁護士であった元弁護士A(昭和29年生の男性、妻帯者)

です。

 原告になったのは、昭和61年生まれの女性であるCの両親D、Eです。

 Cは平成25年3月に法科大学院を卒業し、同年9月に司法試験に合格した弁護士です。平成26年12月に司法修習を終了し、弁護士登録を行い、同月19日から平成30年8月27日に縊死するまで、被告事務所において勤務していました。

 本件の原告らは、Cが自死したのはAから意に反する性的行為等を受けたからであるとして、弁護士法人とAに対し損害賠償を求める訴えを提起しました。

 一審が原告の請求を大筋において認めたため、弁護士法人、A側が控訴したのが本件です。

 二審である福岡高裁も控訴を棄却して一審判決を維持しましたが、その中で、Cが多額の債務(奨学金・貸与金)を抱えていたことについて、次のような判断を示しました。

(裁判所の判断)

Cは、被控訴人らの援助や奨学金を受けながら大学及び法科大学院を卒業した(卒業時における返還すべき奨学金の額は約400万円であった。)。その後、Cは、司法修習中に貸与制度を利用したことから、司法修習の修了時における借入金総額は670万円を超えた。Cは、司法修習後の進路として弁護士になることを考えており、その当時居住していた大分市内において就職活動をするも、当時の就職状況はとても厳しく大分市内の就職先を見つけることができず、ようやく中津市にある控訴人清源法律事務所の内定を得た。当時、Cは、控訴人Aの先代に当たる代表弁護士が著名な事件に関与していたことを知り、就職できたことを喜んでいた。」

(中略)

「Fは、Cから、控訴人清源法律事務所内でされた控訴人Aからの性的行為や控訴人Aとの性交渉等についての話を聞いた。Fは、Cの話の内容に非常に驚き、Cの言動から、Cが控訴人Aからひどいセクハラを受けているものと考え、その深刻さを感じた。Fは、Cに対し、絶対に悪いのは信じられないことをしてきた控訴人Aの方であるという趣旨のこと等を伝え、控訴人清源法律事務所を辞めてはどうかと話を向けてみるも、Cは、控訴人清源法律事務所を辞めてしまうと、今後仕事を続けていけなくなるから、辞めることができないという趣旨の返答をした。Fは、Cが器用に就職活動のできるタイプではないし、地方の小さい弁護士会の中ではいろいろあるかもしれないと感じた。

(中略)

「30歳以上年長であり、かつ、就職活動に苦労して就職するに至った控訴人清源法律事務所の代表社員弁護士である控訴人Aから、職務上の優位性を背景に、入所して間がない新人の時期に、控訴人Aの娘であるBも稼働する法律事務所内という、一般的に性交渉をすることが想定されていないと考えられる場所において、Cのみ服を脱がされた状態で意に反する性的行為を受けるとともに、意に反する性交渉をされ、意に反する形で処女を喪失するに至った。Cにとって、弁護士になって間がない新人の時期に、就職活動に苦労して就職できたことに喜びさえ感じていた控訴人清源法律事務所内において、代表社員弁護士である控訴人Aから受けた上記蛮行は、あまりにも衝撃的、かつ、屈辱的なものであり、人間としての尊厳を著しく害される行為であって、苛酷で耐え難い出来事」

(中略)

弁護士になる過程で、そのために670万円を超える債務を負い(Cは、給費制訴訟において、返済に対する強い不安等を訴えている〔甲21〕。)、就職に際しても、当時の就職状況がとても厳しく、希望していた大分市内で就職できず、ようやく中津市にある控訴人清源法律事務所に就職するに至ったものであり、当時、Cにおいては、その性格等に照らしても、容易に退所を決断し得る状況になかったと受け止めていたことが認められること、加えて、控訴人清源法律事務所からの退所に当たっては後任の弁護士を見つけてこなければならない状況に置かれていた上・・・、後任の弁護士を探すといっても、控訴人清源法律事務所はCが代表社員弁護士から意に反する性交渉及び性的行為を受けた法律事務所であることからすれば」

(中略)

「この点について、控訴人らは、Cについては、本件自死に至るまでの間にこれを回避できる行動を執ることが期待できたなどとして、民法722条2項の類推適用により損害の減額をすべき旨の主張をする。しかし、本件各不法行為の内容や継続性、これがCに与えた種々の影響の大きさや精神的苦痛の度合い、程度等、前記認定に係る控訴人Aの職務上の地位や性格、控訴人Aの勤務弁護士に対する言動等、清源法律事務所の職場環境等,Cの性格、Cが弁護士になるまでに負担した借金の存在や額及び就職活動に苦労して就職するに至った経緯等に照らすと、控訴人らの種々の主張を踏まえても、本件各不法行為により発生したCの損害について、損害の公平な分担という観点から民法722条2項類推適用により減額をすべき事情があるということはできない。控訴人らの上記主張は採用できない。」

3.奨学金・貸与金による負債がハラスメントを回避できなかった一因とされた

 読者の中には、奨学金・貸与金による負債が、ハラスメントを受けてもなお、仕事を辞められない理由になることについて、当たり前だと思われるかも知れません。

 しかし、法律の世界では、それほど自明なことではありません。なぜなら、奨学金や貸与金による負債を抱えていても、ハラスメントの蔓延している職場から退避・回避している人はたくさんいるからです。「みんながみんなそうなるわけではないよね」という理屈のもと、個人の持つ弱さが切り捨てられてしまうことは、それほど珍しくはありません。奨学金は新規に貸与を受ける方だけでも、年間何十万人といますが、

4.奨学金に関する情報提供 | JASSO

https://www.jasso.go.jp/shogakukin/chihoshien/sosei/__icsFiles/afieldfile/2023/08/31/r4saiyouzisseki_taiyo_2.pdf

この種の事情がハラスメントを回避できなかった事情や、過失相殺の類推適用を否定する事情として指摘されている判示を見た際、随分と被害者の心情に寄り添った判断をしてくれているなという印象を受けました。

 上述したとおり、奨学金を抱えている人は少なくありません。これがハラスメントを退避・回避できない事情として考慮されたことは、他の事案にも活用できる可能性があり、実務上参考になります。