1.自殺の予見可能性
不法行為であれ債務不履行であれ、損害賠償を請求するためには、故意や過失、因果関係といった要素が必要になります。
ここでいう「過失」とは結果予見義務を前提としたうえでの結果回避義務違反をいいます。また、相当因果関係とは、当該行為から当該結果が生じることが社会通念上相当だといえる関係にあることをいいます。社会通念上の相当性の有無を判断するにあたっては、当該行為から当該結果が生じることを予見できたのかどうかが問われることになります。
このように、予見可能性は、損害賠償責任の有無を判断するにあたり、重要な意味を持っています。
それでは、被害者が自殺してしまった場合、その責任を加害者に問うためには、どのような内容に予見可能性があればよいのでしょうか?
自殺事案では、
強い心理的負荷のもとになる出来事 ⇒ 精神障害の発症 ⇒ 自殺
という経過がたどられるのが一般です。
加害者に責任を問うにあたり、被害者の遺族は、
自殺そのものが予見可能であることを立証しなければならないのか、
それとも、
強い心理的負荷を生じさせる出来事を認識していたことさえ立証できれば足りるのでしょうか?
以前、
自殺の予見可能性-問責にどこまでの認識が必要なのか? - 弁護士 師子角允彬のブログ
という記事を書きました。
この記事の中で紹介した高知地判令2.2.28労働判例ジャーナル98-10 池一菜果園事件は、
「被告会社において、P6の心身の健康を損ない、何らかの精神障害を発病する危険な状態が生ずることを予見できたというべきである。」
と判示し、予見可能性の対象を、「何らかの精神障害を発病する危険な状態」(強い心理的負荷のもとになる出来事 括弧内筆者)
であると判示しました。
近時公刊された判例集に、より明確に同様の趣旨を明らかにした裁判例が掲載されていました。新潟地判令4.3.25労働判例ジャーナル127-30 新潟市事件です。
2.新潟市事件
本件は自殺した研修医の遺族が病院の設置者(市)に対して提起した損害賠償請求事件です。
被告になったのは、研修医が勤務していた病院(本件病院)の設置者です。
原告になったのは、自殺した研修医の遺族です。自殺の原因は本件病院における加重労働によって、鬱病に発症したためであるなどと主張し、損害賠償を請求する訴えを提起しました。
被告は、業務と自殺との間の相当因果関係を争ったほか、安全配慮義務違反が認められるためには、
「うつ病等の精神障害を発症するおそれについての個別的・具体的な予見可能性が必要であり、この予見可能性が認められる場合には、第2に、当該精神障害により自殺することについての個別的・具体的な予見可能性が必要であるというべきである。」
と主張し、責任の所在を争いました。
しかし、裁判所は、次のとおり述べて被告の主張を排斥したうえ、責任の発生を認めました。
(裁判所の判断)
「労働契約において、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、かつ、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の当該注意義務の内容に従って、その権限を行使すべきである。そして、このことは、地方公共団体と地方公務員との関係においても同様に妥当すると解される。」
「したがって、被告は、地方公務員が遂行する公務の管理に当たり、当該公務員の心身の健康を損なうことがないように配慮する義務を負うところ、当該公務の管理監督を行う職務上の地位にある者が上記義務を怠った場合には、被告には安全配慮義務違反が認められ、国家賠償法上違法と評価されるというべきである。」
「本件では、本件病院は、前記・・・認定の事実及び・・・で判示したとおりの亡eの過重な時間外労働時間及び手術件数等の労働状況を当然把握することができたのであり、しかも、・・・認定の事実のとおり、本件病院は、既に平成21年9月2日に労働基準監督署から、時間外労働に関する協定の限度時間を超える労働をさせていたこと等について是正勧告を受けたこともあったのであるから、亡eが本件病院における業務から相当強度の心理的負荷を感じていたこと、及びその結果、何らかの精神疾患を発症するおそれがあることを十分認識し得たといえるので、本件病院の後期研修医という立場にあった亡eの労働時間を管理監督すべき地位にあった者らは、亡eの労働時間を管理し業務を軽減すべき義務を怠ったというべきであり、被告には安全配慮義務違反が認められ、国家賠償法上違法であると認められる。」
「被告は、亡eがうつ病等の精神障害を発症すること、まして、精神障害によって亡eが死亡することを被告が具体的に予見することは不可能であった旨主張する。」
「しかし、労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険があることは周知の事実であり、長時間労働による強度の心理的負荷の結果、労働者が精神障害を発症し、自殺に至る場合も決して少なくないことからすれば、被告の安全配慮義務違反の前提となる予見可能性の対象は、客観的に過重な業務の存在で足りるというべきである。」
「したがって、前記・・・で判示したとおり、本件病院においては、亡eの過重な業務を把握できたのであるから、亡eの本件自殺の予見可能性は否定されないというべきであり、これに反する被告の主張は採用できない。」
「なお、被告は、亡eのうつ病発症時期は死亡の直前であり、結果回避可能性がなかったとも主張するが、前記・・・で判示したとおり、亡eのうつ病発症時期は平成27年9月頃であったので、被告の主張は、その前提を欠き、採用できない。」
3.予見可能性の対象についての踏み込んだ判断
裁判所は、
「被告の安全配慮義務違反の前提となる予見可能性の対象は、客観的に過重な業務の存在で足りるというべきである。」
と判示し、予見可能性の対象を
「客観的に過重な業務の存在」
だと判示しました。
一般論として、自殺自体が具体的に予見できる場合は稀です。予見可能性の対象を自殺自体とすると、損害賠償を請求できる場面は著しく制限されることになります。予見可能性の対象を、その一歩手前で構わないとするこの裁判所の考え方は、遺族保護を考て行く上で画期的な判断として位置付けられます。