弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

自殺を誘引しかねない道具の携帯-精神的不調者に配慮しなければならないのは、ハラスメントの存否、診断の有無とは関係がない

1.安全配慮義務

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」

と規定しています。この条文に基づいて使用者が労働者に対して負う義務は、一般に「安全配慮義務」と呼ばれます。

 労働契約法は、国家公務員や地方公務員には適用されません(労働契約法21条1項)。

 しかし、国や地方公共団体も、任用している国家公務員や地方公務員に対して安全配慮義務を負うことに変わりはありません(最三小判昭50.2.25労働判例222-13 陸上自衛隊事件等参照)。

 昨日ご紹介した、横浜地判令4.7.29労働判例ジャーナル130-32 神奈川県事件は、警察官との関係で、自殺を誘引しかねない道具(拳銃)の携帯の義務付けを免除する義務の存在を認めました。このこと自体、画期的なことですが、神奈川県事件は、他にも精神的な不調を抱えた人に対する安全配慮義務の内容を考えるにあたり、重要な判断を示しています。個人的に特に重要だと思うのは、精神的不調者への配慮にあたり、ハラスメントの存否や、診断の有無を問わないと判断しているところです。

2.神奈川県事件

 本件で被告になったのは、神奈川県です。

 本件で原告になったのは、神奈川県警察署内で拳銃自殺した警察官Eの両親です(原告A、原告B)。

 原告らは、子であるEが拳銃自殺したのは被告職員が安全配慮義務を怠ったからであると主張し、国家賠償法に基づいて損害賠償を請求する訴えを提起しました。体育会系的な上下喚起に馴染めず自殺しかねない精神状態に陥っていたEに対し、拳銃を携帯させたことは問題であるというのが、原告らの主張の骨子です。

 裁判所は、神奈川県の安全配慮義務違反を認めたうえ、次のとおり述べて、被告の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

・予見可能性

被告は、Eの自死について予見可能性が認められないため安全配慮義務を怠った過失は認められないと主張する。また、自死の予見可能性が認められない理由として、

〔1〕原告BがEから聞いていたパワーハラスメントなどの内容はEが事実を脚色し自己に都合の良い内容に変えた虚偽説明であること、

〔2〕被告がKに迎えに来させてEを実家に帰した目的は、Eの精神に不調を来していることではなく、間違いなく実家に帰して仕事を辞めるかどうかに関して気持ちの整理をさせるためであったこと、

〔3〕Kや原告BもEの自死を予見していなかったこと

を挙げる。

「しかし、上記のとおり、被告職員の安全配慮義務の内容は、精神に不調を来していると認められるときには拳銃の携帯を免除することをいうのであるから、自死の予見可能性のないことをもって過失が認められないとはいえない。また、精神に不調を来していると認められる者に拳銃を携帯させれば、自己又は他人の生命又は身体に対する危険を生じさせることは予見可能というべきであり、自死という特定された具体的結果の予見可能性までなくとも安全配慮義務における過失の前提となる抽象的な予見可能性を認めることができる。」

上記〔1〕については、Eがどの程度落ち込んで、精神的に不安的になっていたかどうかが結論を左右する事情であり、泉署職員によるパワーハラスメント等があったかどうかは結論を左右する事情ではない。

上記〔2〕については、被告がEを実家に帰す目的が仕事を継続するかどうかであったとしても、Kに迎えに来させることはE一人では行動できないことを表す事情に当たると言わざるを得ない。

上記〔3〕については、特定された自死の予見可能性の有無が結論を左右するものではないことは既に述べたとおりである。また、安全配慮義務を負う被告と、その義務を負わない原告BやKの立場は異なるのであるから、原告BやKが自死を予見していなかったことは被告に予見可能性が無かったことを根拠付けるに足りるものではない。」

・精神的不調の存否

被告は、Eが、精神に不調を来していなかったと主張し、その理由として、

〔1〕Eが悩んでいたのは仕事のミスが多いことが理由で仕事を続けるかどうかに関してであってパワーハラスメントに関してではなかったこと、

〔2〕Eに精神疾患の診断がなされていないこと、

〔3〕3月6日の夜は夕食を完食し、静かに寝入っていたこと、

〔4〕J警部補やL警部補は、Eに精神の不調を感じていなかったこと

を挙げる。

「しかし、

上記〔1〕については、Eが悩んでいた内容に仕事のミスや仕事を続けるかどうかがあったとしても、上記1のとおり、仕事のミスに対する指導がEに対して精神的苦痛を与えていたと認められ、指導が違法と認められないとしても、Eは受けた指導も原因の一つとして精神に不調を来していたということができる。原告Bは3月11日においてもEが打たれ弱いことを相当心配しており、悩みが解決したとの被告職員の判断は誤りであると言わざるを得ない。

上記〔2〕については、精神疾患の診断がなされていなかったとしても、精神に不調を来しているということはありうる。Eが理由の確定できない自死に至っていることを踏まえると、少なくとも精神疾患の疑いは認められる。

上記〔3〕については、食事や睡眠が取れていたとしても、精神に不調を来していたということはありうる。Eは、Kの迎えと実家への帰省を必要とされる状態であったことなどの事情を踏まえると、Eが精神に不調を来しており、被告職員はこれを認識していたと言うほかない。

上記〔4〕については、3月12日の観察はわずか数分の挨拶程度の会話にとどまるものであるから、精神の不調を感じなかったとの判断は信頼するに足りない。」

3.活用の方法

 本件の裁判所は自殺の予見可能性を判断するにあたり、重要なのは精神的不調の有無であって、ハラスメントの存否ではないと判示しました。

 安全配慮義務の履行を求める前提となる精神的不調を立証するにあたっては、精神的不調を生じさせた背景要因まで主張、立証して行くのが普通です。背景要因としては、しばしばハラスメントの存否が問題になります。本裁判例は、背景要因であるハラスメントの立証に失敗したとしても、精神的不調が生じていたことさえ立証できれば、安全配慮義務を問うために必要な損害の予見可能性が認められることを示しました。一般論として、ハラスメントの立証は必ずしも容易ではありません。自殺事案においてはハラスメントを直接経験した被害者本人が死亡してしまっていることもあり、その立証は困難を極めるのが通常です。安全配慮義務違反を追及するにあたり必ずしもハラスメントの立証までは必要ないとする裁判所の判示は、被害者救済の途を広げる意味を持ちます。

 また、本件の裁判所は、自殺した公務員について、精神疾患の診断がなされていなかったとしても、精神に不調を来しているということはありうると判示しました。自殺事案では精神医療に繋がる前に自殺に至っていることも少なくありません。そうした場合、使用者側からは、ほぼ必ず、精神疾患に罹患している事実を認識していなかった以上、特別な配慮を行う必要性を認識する契機がなかったという反論が寄せられます。本件は、こうした使用者側の主張に対抗するために活用できる可能性があります。

 上記以外の判示部分でも準備書面に活用できそうな言い回しは多く、本裁判例が活用できる局面は多いように思われます。