弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

精神的不調をきたしている労働者・公務員に自殺を誘引しかねない道具を携帯させない義務

1.安全配慮義務

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする」

と規定しています。この条文に基づいて使用者が労働者に対して負う義務は、一般に「安全配慮義務」と呼ばれます。

 労働契約法は、国家公務員や地方公務員には適用されません(労働契約法21条1項)。

 しかし、国家公務員や地方公務員であっても、国や地方公共団体に安全配慮義務の履行を求めることは可能です。判例法理によって安全配慮義務の存在が認められているからです。公務員に対する安全配慮義務の歴史は労働契約法の成立よりも遥かに古く、昭和50年には、

「国は、公務員に対し、国が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたつて、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下『安全配慮義務』という。)を負つているものと解すべきである。」

と判示した最高裁判例が現れていました(最三小判昭50.2.25労働判例222-13 陸上自衛隊事件)。

 このように労働者や公務員は、使用者や国等に対し、安全への配慮を求めることができます。使用者や国等がこの義務に違反した場合、債務不履行に基づく損害賠償請求の対象になります。

 しかし、安全への配慮と一口に言っても、その内容には様々なものが想定されます。職務の内容だけではなく、置かれた状況によっても異なってきます。

 そのため、安全配慮義務の具体的内容は、下級審の裁判例の積み重ねを通じて明確化してくるとともに、質量とも豊かになってきた経緯があります。

 このような安全配慮義務の展開の中で、近時公刊された判例集に、特徴的な事案が掲載されているのを目にしました。横浜地判令4.7.29労働判例ジャーナル130-32 神奈川県事件です。何が特徴的なのかというと、拳銃自殺を図った公務員(警察官)に、拳銃を携帯させたことが安全配慮義務違反とされたことです。

2.神奈川県事件

 本件で被告になったのは、神奈川県です。

 本件で原告になったのは、神奈川県警察署内で拳銃自殺した警察官Eの両親です(原告A、原告B)。

 原告らは、子であるEが拳銃自殺したのは被告職員が安全配慮義務を怠ったからであると主張し、国家賠償法に基づいて損害賠償を請求する訴えを提起しました。体育会系的な上下喚起に馴染めず自殺しかねない精神状態に陥っていたEに対し、拳銃を携帯させたことは問題であるというのが、原告らの主張の骨子です。

 この事案について、裁判所は、次のとおり判示し、神奈川県の安全配慮義務違反を認めました

(裁判所の判断)

「被告は、被告の公務員に対し、被告の公務員が被告もしくは上司の指示のもとに遂行する公務にあたって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っているものと解される(国の債務不履行責任について、最高裁昭和48年(オ)第383号同50年2月25日第三小法廷判決・民集29巻2号143頁参照)。」

「また、安全配慮義務の具体的内容は、公務員の職種、地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって定まるものと解される(上記判決)。」

警察官は、原則として、拳銃の携帯が義務付けられていることからすると(本件規範11条)、拳銃の携帯を義務付けることにより、警察官の生命及び健康等の危険が生じるおそれがあると認められるときは、被告は、安全配慮義務の内容として、拳銃の携帯の義務付けを免除する義務(拳銃を使用する業務に就かせない義務を含む。以下同じ。)を負うと解される。

拳銃の携帯を義務付けることにより、警察官の生命及び健康等の危険が生じるおそれがあると認められるときとは、拳銃が生命及び健康等の危険を生じさせやすい道具であることを踏まえると、警察官が、精神障害などの病気を患っていたり、その疑いがあったり、さらには、精神に不調を来していると認められるときには、原則としてこれに該当するものと解され、例外的に、生命及び健康等の危険が生じるおそれがないと確認できる場合には特に該当しないものと解される(本件規範18条2項1号及び本件通達も、おおむねこれらのことを明らかにしたものといえる。)。

「前提事実及び上記1のとおり、Eは、平成27年2月に入職したばかりの新人警察官で、平成28年1月以降、仕事の悩みを積み重ねており、3月6日には、交番業務ができなくなるほどに落ち込み、『今まであまり怒られたことがなく、強い口調で言われると、自分がどうしたらいいか分からなくなります。』とその悩みの一部を吐露し、仕事を辞めるかどうかという重大な決断をしなければならなくなるまで追い込まれ、さらには、一人で帰宅させることができず、実家に帰らせる必要があると判断されていたことが認められる。」

「これを前提とすると、3月6日の交番勤務から同月7日にKに引き渡されるまでの間において、Eは精神障害などの病気を発症していた疑いが否定できず、精神的な要因で自己の行為の是非を判別し、又は、判別に従って行動する能力が著しく低下している疑いのある状態にあったといえ、精神に不調を来しているということができる。

「したがって、泉署の拳銃の管理責任者は、同月12日にEに拳銃を貸与するについては、改めて、Eの生命及び健康等の危険が生じるおそれがないことを確認する義務が生じていたというべきである。

そうであるにもかかわらず、泉署の拳銃の管理責任者は、原告Bに対してEが実家に帰ったかどうか、悩みが解消したかどうか確認することなく、Eからなされた秋田に帰りもう一度頑張ることに決めた旨の内容虚偽の説明を軽信した。また、泉署の拳銃の管理責任者は、Eから改めて事情を聴取したり経過を観察したりすることなく、上記の虚偽説明と当日のEの態度から、Eの悩みが解消して精神の不調が解消したと即断して拳銃を貸与した。

「以上によれば、泉署の拳銃の管理責任者は、改めてEの生命及び健康等の危険が生じるおそれがないと確認すべき義務を怠ったということでき、ひいては、被告職員はEの拳銃携帯義務を免除することを怠った安全配慮義務違反の過失が認められるということができる。」

3.精神的不調のある労働者等に自殺を誘引しかねない道具を携帯させるのはダメ

 以上のとおり、裁判所は、精神的不調のある警察官Eに対し拳銃を携帯させたことを安全配慮義務違反にあたると判示しました。

 この事案で提供されたのは拳銃でしたが、拳銃以外のものであったとしても、自殺を誘引しかねない道具であれば、この裁判例の射程が及ぶ可能性があります。

 自殺を彷彿とさせる道具の提供が自殺の引き金になってしまうことは案外多く、この裁判例は、自死遺族等のの保護(適正な損害賠償の実現)に広く活用できるように思われます。