1.研究費の配分を受けられない問題
昨日、
大学教員が専攻分野の研究を行うことに権利性が認められた例 - 弁護士 師子角允彬のブログ
という記事の中で、大学当局が大学教員の外部研究費の獲得に協力しないことが、労働契約上の債務不履行を構成する余地があると判断された裁判例を紹介しました。
外部研究費の獲得について言うと、対外的に大学当局が一定の責任を負うことになることは否めないものの、予算上の制約が言い訳にならない(自分の懐が痛むわけではない)という特徴があります。予算上の制約がない場合、
協力してくれるくらい、別段かまわないのではないか、
という理屈が立ち易くなります。
それでは、内部研究費の分配を受けられないという場合は、どうなるのでしょうか?
研究機関内部の研究予算の配分の場面では、外部資金で研究を進める場合とは異なり、予算上の制約があります。
有限の資源をどのように配分するかという問題になると、外部資金の獲得よりも大学当局の裁量が大きく、個々の研究者が研究費の不配分を問題にできる余地は小さくなりそうにも思われます。
一昨日、昨日とご紹介している、東京地判令6.3.19労働判例ジャーナル152-47 国立大学法人東京大学事件は、この問題を考えるうえでも参考になる判断を示しています。
2.国立大学法人東京大学事件
本件で被告になったのは、国立大学法人東京大学です。
原告になったのは、被告の宇宙線研究所において准教授として勤務していた方です。
本件の原告は、
〔1〕防衛装備庁が実施している安全保障技術研究推進制度に応募して受理され、同庁から所属研究機関による研究課題申請承諾書・・・の提出を指示されたところ、宇宙線研究所の所長が本件承諾書に押印しなかったこと・・・、
〔2〕原告が、令和2年度以降、宇宙線研究所に対して行った研究費の申請に対し、東京大学宇宙線研究所共同利用研究課題採択委員会・・・が査定額を零とする旨の査定を行うとともに、その理由を説明しなかったこと・・・、
〔3〕宇宙線研究所が、原告の研究について、そのホームページの『その他の研究』欄又は『その他・過去の研究』欄に掲載し続けたほか、年次報告書の『TABLE OF CONTENTS』に掲載せず、『Other Activity』中において他の研究に比して著しく短い言及しかしないという措置をとったこと
が労働契約上の債務不履行に該当するとして、慰謝料を請求する訴えを提起しました。
内部研究費の配分の件は〔2〕に関係しますが、この問題について、裁判所は、次のとおり判示しました。〔2〕についての判断は、〔1〕についての判断を一部引用しているため、〔1〕に関する判示も含め、関係する部分を紹介します。
(裁判所の判断)
「原告は、被告が、原告の研究活動を正当な理由なく阻害しないようにすべき義務や研究活動の環境整備を行うべき義務を負っており、P3所長は、恣意的な判断により、本件承諾書に押印せず、上記権利又は利益を侵害したと主張する。」
「確かに、前記・・・で説示した学校教育法83条所定の大学の目的に加え、教授、准教授等の大学の教員については、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の優れた知識、能力及び実績を有する者であって、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事するものとされ(同法92条6項、7項)、その職務につき学問的専門性を有するという特色があることに照らせば、大学を設置する法人との間で労働契約を締結し、その教員の地位にある者がその専攻分野の研究を行うことは、上記労働契約に基づく義務であるとともに、権利でもあるということができる。また、大学はその設置目的を達成するために必要な事項を決定することができる自律的、包括的な権能を有しているのは前記説示のとおりであるものの、その決定等が、専ら上記教員に対する嫌がらせの目的をもってされたなど、使用者が労働者に対して負う信義則上の義務に反することが明らかな事情がある場合においては、もはや、その設置目的を達成するために必要な事項についての決定等とはいい難く、上記教員との間の労働契約上の債務不履行となる余地があるというべきであり、原告の主張はこのことをいうものと解することができる。」
(中略)
「被告及びその設置する大学の機関である宇宙線研究所において、研究課題の評価や研究費の配分に関する決定は、正に、その設置目的を達成するために必要な事項であって、その自律的な判断に委ねるべきものというべきであるから、その適否については、上記判断を尊重すべきである。」
「また、前記・・・で説示したとおり、上記判断に基づく決定等が、専ら、教員に対する嫌がらせの目的をもってされたなど、使用者が労働者に対して負う信義則上の義務に反することが明らかな事情がある場合においては、労働契約上の債務不履行となる余地があるというべきであるものの、本件において、以下の理由から、上記のような事情があるということもできない。」
(後略)
2.基準としては外部研究費の場合と同じ
以上のとおり、裁判所は、外部研究費の獲得が問題となる場合と同じ基準をもって、内部研究費の配分の適否を審査しました。
結論として請求は棄却されているのですが、本件は、二つの意味があります。
具体的に言うと、
① 内部研究費の配分も司法審査の対象になり得ると明確にされたこと、
② 内部研究費の配分の適否も、外部研究費の獲得への非協力と同じ基準で審査するとされたこと、
の二点です。
特殊なものを除けば、理科系の研究を進めるには研究費が不可欠です。学問の自由が認められている、研究を行うことに権利性があるといったところで、研究費の差配が自由なのであれば、画餅に帰することになります。
大学当局の裁量が広すぎるきらいがありますが、裁判所の判断は、研究者の学問研究の自由・権利を守るうえで大きな意義があるように思います。
本件裁判所の判断は、控訴審で一部取り消されてはいますが(一部不適法却下)、今後の判例法理の展開が注目されます。