弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

大学教員が専攻分野の研究を行うことに権利性が認められた例

1.大学教員の就労請求権

 労働者は使用者に対し、働かせて欲しいと請求することができるのでしょうか?

 これは、一般に、就労請求権と呼ばれている問題です。

 読者の中には

「賃金さえ支払われているのであれば、わざわざ働かせて欲しいと言う必要はないのではないか?」

と疑問に思う方がいるかも知れません。

 確かに、通常の労働契約ではその通りなのですが、仕事の中には、

① 技術や技能を保持するために実務に従事し続ける必要があるものや、

② 仕事の内容が人格的価値や精神的自由と強く結びついているもの

があります。こうした仕事についている方は、賃金さえ支払われていれば飼い殺しにされても構わないかというと、そのようなことはなく、仕事に従事することそれ自体に固有の意味を見出しています。こうした場合、

働くことに権利性が認められて良いのではないか? 

というのが、就労請求権の問題意識です。

 就労請求権は否定的に理解するのが一般的です。ただ、否定的に理解する見解も、凡そ全ての場合に就労請求権を否定するわけではなく、外科医師等一定の手術件数をこなさなければ労働能力が低下してしまう職業や、憲法で保障されている学問の自由の享有主体である大学教員については、これが認められる余地があり、実際に認められた裁判例も存在します。

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 それでは、働くことに権利性が認められるとして、当該権利の内容は、どのように理解されるのでしょうか?

 大学教授の場合で言うと、これまでに、

研究室等の施設の利用、

授業を行うこと、

教授会に出席すること、

などに権利性が認められた事案はあります。

 それでは、研究活動との関係ではどうなのでしょうか?

 過去、

「重要な研究課題に関する研究助成金の交付を受けられないなど、債権者の研究活動等に重大な支障が生じることが高度の蓋然性をもって予測されるところである。そうすると、債権者は、かかる研究者にとって致命的ともいえる不利益を回避するため、現実に債務者に対して薬学部教授として就労をすることを求める特別の利益を有するものと解するのが相当である」

と判示された事案はあります(宇都宮地決令2.12.10労働判例1240-23 学校法人国際医療福祉大学(仮処分)事件)。

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 しかし、これは「特別の利益」という言い方をしており、研究活動に権利性があると明言しているわけではありません(裁判所は言葉遣いを厳密に考えながら判決文を書くので一つ一つの言葉にメッセージ性があります)。

 近時公刊された判例集に、研究活動についての権利性を承認した裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令6.3.19労働判例ジャーナル152-47 国立大学法人東京大学事件です。

2.国立大学法人東京大学事件

 本件で被告になったのは、国立大学法人東京大学です。

 原告になったのは、被告の宇宙線研究所において准教授として勤務していた方です。

 本件の原告は、

〔1〕防衛装備庁が実施している安全保障技術研究推進制度に応募して受理され、同庁から所属研究機関による研究課題申請承諾書・・・の提出を指示されたところ、宇宙線研究所の所長が本件承諾書に押印しなかったこと・・・、

〔2〕原告が、令和2年度以降、宇宙線研究所に対して行った研究費の申請に対し、東京大学宇宙線研究所共同利用研究課題採択委員会・・・が査定額を零とする旨の査定を行うとともに、その理由を説明しなかったこと・・・、

〔3〕宇宙線研究所が、原告の研究について、そのホームページの『その他の研究』欄又は『その他・過去の研究』欄に掲載し続けたほか、年次報告書の『TABLE OF CONTENTS』に掲載せず、『Other Activity』中において他の研究に比して著しく短い言及しかしないという措置をとったこと

が労働契約上の債務不履行に該当するとして、慰謝料を請求する訴えを提起しました。 

 裁判所は〔1〕との関係で、次のとおり判示しました。

(裁判所の判断)

「安全保障技術研究推進制度において、研究課題が採用された場合、防衛装備庁は、研究代表者が所属する代表研究機関との間で委託契約を締結し、研究実施者個人との間で委託契約を締結することはないというのであるから、同制度の下においては、飽くまでも大学等の代表研究機関が研究の受託を受け、当該大学等を設置する法人等が、委託契約の権利義務の主体となるということができる。すなわち、宇宙線研究所のP3所長が本件承諾書に押印した場合において、防衛装備庁が本件広域大気動態監視研究を安全保障技術研究推進制度における研究課題として採用したときは、宇宙線研究所が機関として防衛装備庁から本件広域大気動態監視研究を受託することとなり、国立大学法人としての被告が委託契約の当事者として契約に基づく私法上の義務を負うこととなる。」

「そして、被告及びその設置する大学の機関である宇宙線研究所として、いかなる研究を推進するか及び外部の機関等から特定の研究を受託するか否かについては、正に、その設置目的を達成するために必要な事項であって、その自律的な判断に委ねるべきものというべきであるから、その適否については、上記判断を尊重すべきである。そうすると、宇宙線研究所のP3所長が本件承諾書に押印しなかったこと(本件行為1)をもって、原告と被告との間の労働契約上の債務不履行は成立しないというべきである。」

原告は、被告が、原告の研究活動を正当な理由なく阻害しないようにすべき義務や研究活動の環境整備を行うべき義務を負っており、P3所長は、恣意的な判断により、本件承諾書に押印せず、上記権利又は利益を侵害したと主張する。

確かに、前記・・・で説示した学校教育法83条所定の大学の目的に加え、教授、准教授等の大学の教員については、専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の優れた知識、能力及び実績を有する者であって、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事するものとされ(同法92条6項、7項)、その職務につき学問的専門性を有するという特色があることに照らせば、大学を設置する法人との間で労働契約を締結し、その教員の地位にある者がその専攻分野の研究を行うことは、上記労働契約に基づく義務であるとともに、権利でもあるということができる。また、大学はその設置目的を達成するために必要な事項を決定することができる自律的、包括的な権能を有しているのは前記説示のとおりであるものの、その決定等が、専ら上記教員に対する嫌がらせの目的をもってされたなど、使用者が労働者に対して負う信義則上の義務に反することが明らかな事情がある場合においては、もはや、その設置目的を達成するために必要な事項についての決定等とはいい難く、上記教員との間の労働契約上の債務不履行となる余地があるというべきであり、原告の主張はこのことをいうものと解することができる。

「しかしながら、前記・・・の認定事実によれば、安全保障技術研究推進制度については、一切の軍隊から援助、その他一切の協力関係をもたないとした昭和42年物理学会決議との関係が問題とされ、平成29年日本学術会議声明においては、同制度について、「研究成果は、時に科学者の意図を離れて軍事目的に転用され、攻撃的な目的のためにも使用されうるため、まずは研究の入り口で研究資金の出所等に関する慎重な判断が求められる。」などといった見解が示されており、日本学術会議の物理学委員会天文・宇宙物理学分科会は、当時検討中であった平成29年日本学術会議声明の案を踏まえて「物理学委員会天文・宇宙物理学分科会は、今後ともこの声明を堅持し、軍事を目的とした学術研究を行わないこと、またその目的のための研究費には応募しないことを確認する。」との案を示し、議論を経て、出席者の大多数がこれに賛成したというのである。また、日本天文学会が会員に対して行った安全保障技術研究推進制度によることについての意見聴取の結果によれば、反対が過半数となっている。そして、東京大学教職員組合は、平成29年5月、安全保障技術研究推進制度に基づく研究が大学で行われることは「軍事研究の禁止」の原則に反することは明白であるなどとして、その応募に強く反対するという考えを表明している。」

「以上の事情に照らすと、安全保障技術研究推進制度による研究費の支出を受ける研究であることをもって直ちに軍事研究に当たるなどといった見解自体の当否をおくとしても、宇宙線物理学等を研究する者や東京大学の教職員の中には、上記のような見解を持つ者も少なからず存在することがうかがわれる。そうすると、P3所長は、上記のような現状を前提に、宇宙線研究所が機関として安全保障技術研究推進制度により研究費の支出を受ける研究を受託した場合、軍事研究を否定する物理学会の基本精神を損なうような対応をしたなどという評価を受け、外部の研究者等が共同利用・共同研究拠点として宇宙線研究所を利用することを回避するといった事態や東京大学の教職員の反発により業務に支障が生ずるといった事態を避ける必要があること等を総合的に考慮して、本件承諾書に押印しないとの判断をしたものと認めるのが相当であって、上記判断が、専ら原告に対する嫌がらせの目的をもってされたなどの事情があるとはいえない。」

「したがって、本件行為1が原告に対する労働契約上の債務不履行となるとはいえないとの前記・・・の判断が左右されるものではない。」

3.結果として請求は棄却されているが・・・

 以上のとおり、裁判所は、大学教員が専攻分野の研究を行うことに対し「権利でもある」と述べ、その権利性を明確に承認しました。

 本件では結論として原告の請求は棄却されています。

 しかし、研究活動に正面から権利性が認められたことは極めて画期的な判断だと思います。

 大学教員と大学当局との間で意見に相違がある場合、大学教員の学問の自由(研究活動の自由)をどのように保障して行くのかは、個人的に興味を持っているテーマの一つです。極めて小さなものですが、裁判所は、大学当局が嫌がらせ目的を持っていた場合には、外部研究費の獲得に協力しないことも違法になる余地を認めました。

 本裁判例が今後、実務にどのような影響を与えて行くのかが注目されます。