1.大学教員と大学との係争
大学教員と大学との係争には、通常事件にはない幾つかの特徴があります。
その中の一つが、大学の自治や「部分社会の法理」と呼ばれている問題です。
憲法で保障されている学問の自由(憲法23条)には、大学の自治が含まれます(芦部信喜 著、高橋和之 補訂『憲法 第八版』〔岩波書店、2023年〕184頁以下参照)。国から干渉を受けずに組織運営を行うことが制度として認められている関係で、内部紛争に対して司法審査を及ぼすことができるのか? という問題が生じます。いわゆる「部分社会論」(部分社会の法理)という問題です。
また、大学教員と大学との係争には、大なり小なり学問的な側面を含むことが少なくありません。しかし、裁判所の審査権が及ぶ対象は、法律を適用することによって終局的に解決することができるものに限られます。いわゆる「法律上の争訟」という問題で、法律の適用によって解決できない学問上の当否の争いは、裁判所に訴えを提起しても、不適法却下されます。
このように大学教員が大学当局の措置の当否を裁判所に取り上げてもらうには、一定のハードルがあるのですが、近時公刊された判例集に、注目に値する判断を示した裁判例が掲載されていました。東京地判令6.3.19労働判例ジャーナル152-47 国立大学法人東京大学事件です。
2.国立大学法人東京大学事件
本件で被告になったのは、国立大学法人東京大学です。
原告になったのは、被告の宇宙線研究所において准教授として勤務していた方です。
本件の原告は、
〔1〕防衛装備庁が実施している安全保障技術研究推進制度に応募して受理され、同庁から所属研究機関による研究課題申請承諾書・・・の提出を指示されたところ、宇宙線研究所の所長が本件承諾書に押印しなかったこと・・・、
〔2〕原告が、令和2年度以降、宇宙線研究所に対して行った研究費の申請に対し、東京大学宇宙線研究所共同利用研究課題採択委員会・・・が査定額を零とする旨の査定を行うとともに、その理由を説明しなかったこと・・・、
〔3〕宇宙線研究所が、原告の研究について、そのホームページの『その他の研究』欄又は『その他・過去の研究』欄に掲載し続けたほか、年次報告書の『TABLE OF CONTENTS』に掲載せず、『Other Activity』中において他の研究に比して著しく短い言及しかしないという措置をとったこと
が労働契約上の債務不履行に該当するとして、慰謝料を請求する訴えを提起しました。
本件でも、事件のテーマが裁判所で取り扱うことができる問題なのかが問題になりました。具体的に言うと、被告は、
「一般市民社会の中にあってこれとは別個に自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争については、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解決に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならないと解するのが相当である。大学は、その設置目的を達成するために必要な諸事項については、法令に各別の規定がない場合でも、学則等によりこれを規定し、実施することができる自律的、包括的な権能を有し、一般市民社会とは異なる特殊な部分社会を形成しているのであるから、上記のような内部的な問題は司法審査の対象から除かれるというべきである(最高裁昭和46年(行ツ)第52号同52年3月15日第三小法廷判決・民集31巻2号234頁参照)。」
「本件行為・・・の性質は・・・、いずれも、一般市民法秩序と直接の関係を有しない大学内部における問題であって、大学の自主的、自律的な解決に委ねるのが適当であるから、本件訴えは司法審査の対象とはならない。」
と主張しました。
しかし、裁判所は、次のとおり述べて、訴訟は適法だと判示しました(ただし、請求自体は棄却されています)。
(裁判所の判断)
「本件は、原告が、
〔1〕防衛装備庁が実施している安全保障技術研究推進制度における研究課題申請承諾書(本件承諾書)に宇宙線研究所長が押印しなかったこと、
〔2〕原告が宇宙線研究所に対して行った研究費の申請に対し、採択委員会が査定額を零とする旨の査定をした上、その理由を説明しなかったこと、
〔3〕宇宙線研究所が原告の研究内容の広報の方法、態様等において、差別的な措置をとったこと
が原告と被告との間の労働契約上の債務不履行に当たり、これにより精神的苦痛を受けたと主張して、被告に対し、債務不履行に基づく損害賠償を求めるものであるから、私法上の具体的権利をめぐる紛争ということができ、また、直ちに、一般市民法秩序と直接の関係を有しない大学内部における問題ということもできない。」
「もっとも、大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする学校であるから(学校教育法83条)、その設置目的を達成するために必要な事項を決定することができる自律的、包括的な権能を有していると解されるのであって、このことは、上記の決定等が大学の設置する研究機関に所属する教職員と当該大学を設置する国立大学法人との間の労働契約上の債務不履行に当たることを理由とする損害賠償請求の当否を判断する場合においても当てはまる。そうすると、上記のような請求の当否を判断するに当たっては、大学による決定等がその設置目的を達成するために必要な事項についてされたものである限り、大学の自律的な判断を尊重し、これを前提として請求の当否を判断すべきものと解するのが相当である(以上につき、前掲最高裁平成30年(受)第69号同31年2月14日第一小法廷判決参照)。」
「なお、以上のように解する限り、本件が、学問的真理等のおよそ司法的解決に適しない事項についての争いが紛争の核心であって、これについての判断が損害賠償請求権の存否を判断する上で必要不可欠であるということもできない。」
「以上によれば、本件は、私法上の具体的権利をめぐる紛争であるということができ、また、その性質上、法令の適用による終局的な解決に適しないものとはいえないから、本件訴えは、裁判所法3条1項にいう法律上の争訟に当たるというべきである。したがって、本件訴えは適法ということができる。」
3.門前払いとはされなかった
以上のとおり、裁判所は、
損害賠償請求の形をとっている以上、法的に解決可能である、
大学の自律的な判断を尊重すべきことは、損害賠償請求が認められるかどうかの部分で考える、
という判断枠組みを採用しました。
結果的に請求は棄却されていますが、この種紛争が司法審査の対象とされたのは、画期的な判断だと思います。勝ちにくい訴訟類型であることは確かではあるものの、門前払いにならなければ、裁判所によって不適切な措置を違法だと判断してもらえる可能性は残るからです。
大学教員と大学当局とが対立した場合に、多少なりとも学問的な要素が絡めば法的な救済を受ける余地がなくなるというのは、どのように考えても健全ではありません。大学の自治と言えば聞こえはいいですが、
司法審査の対象にならないということは、
大学教員と大学当局の意向とが対立した場合、常に大学当局の意向が優越し、大学教員は大学当局の意向に従わなければならないということ
と同義です。大学の自治の名のもと裁判所の介入が認められないとなると、個々の大学教員の学問の自由、研究の自由は画餅に帰してしまうのではないかと思います。
本件については、控訴審で一部請求が不適法却下されていますが(公刊物未搭載 上告中)、それでも、東京地裁労働部が示した判断は、同種事件に取り組むにあたり、実務上、大いに参考になります。
上告審において、適切な判断が示されることが期待されます。