弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

新型コロナウイルス感染症の流行下において、HIVの社員に対し、在宅勤務を許さないことができるのか?

1.安全配慮義務と合理的配慮義務

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

と規定しています。

 障害者雇用促進法36条の3本文は、

「事業主は、障害者である労働者について、障害者でない労働者との均等な待遇の確保又は障害者である労働者の有する能力の有効な発揮の支障となつている事情を改善するため、その雇用する障害者である労働者の障害の特性に配慮した職務の円滑な遂行に必要な施設の整備、援助を行う者の配置その他の必要な措置を講じなければならない。」

と規定しています(いわゆる合理的配慮提供義務)。

 ここで言う障害者とは、

「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む・・・)その他の心身の機能の障害・・・があるため、長期にわたり、職業生活に相当の制限を受け、又は職業生活を営むことが著しく困難な者をいう。」

と定義されています(障害者雇用促進法2条1号)。

 身体障害者とは、

「障害者のうち、身体障害がある者であつて別表に掲げる障害があるものをいう。」

と定義されています(障害者雇用促進法2条2項)。

 障害者雇用促進法別表第5号は、

「心臓、じん臓又は呼吸器の機能の障害その他政令で定める障害で、永続し、かつ、日常生活が著しい制限を受ける程度であると認められるもの」

が身体障害者に含まれることを定めています。

 障害者雇用促進法施行令27条3号は、上記の「その他政令で定める障害」として、

ヒト免疫不全ウイルスによる免疫の機能の障害

を掲げています。

 したがって、事業主は、HIV感染者である社員に対し、障害者雇用促進法に基づいて合理的配慮の提供義務を負うことになります。

 それでは、使用者が、HIV感染者である社員に対し、その安全に配慮するとともに、合理的配慮を提供する義務を負うとして、新型コロナウイルスの流行下で在宅勤務を許さず、出社を命じることは許されるのでしょうか?

 昨日ご紹介した東京地判令4.9.15労働経済判例速報2514-3 ブルーベル・ジャパン事件は、この問題を扱った事件でもあります。

2.ブルーベル・ジャパン事件

 本件で被告になったのは、香水、化粧品、浴用品その他の医薬部外品の輸出入及び販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で有期労働契約を締結していた方です(直近のものが本件労働契約②)。この方は、HIV感染症による免疫機能障害2級の身体障害者手帳を交付されており、新型コロナウイルスの流行下において、罹患や重症化への不安を理由に在宅勤務等の措置を求めました。

 これに対し、被告は、担当業務の性質上、在宅勤務を承認するのは困難であるとしつつ、特例としてスーパーフレックス制や自転車通勤を認めるという提案をしました。

 出社が難しいとして、原告は、改めて勤務形態について検討を求めました。

 しかし、被告は出社困難というのであれば労働契約の解除も検討しなければならなくなると述べ、合意退職する案の検討を求めました。

 その後、合意退職したものとして取り扱われたことを不服とし、原告の方は地位確認や損害賠償(慰謝料)の支払を求める訴えを提起しました。

 原告が損害賠償請求のために措定した注意義務は幾つかありますが、その中の一つに、令和2年3月及び4月の時点において、リモートワークによる在宅勤務等を許す措置を講じなかったことや、退職勧奨を行ったことがありました。

 裁判所は、次のとおり述べて、これら行為の不法行為該当性を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、少なくとも令和2年3月及び4月の時点で、被告は、本件障害を有する原告が東京都心にある被告の本社に出社する際に生じる対人接触のリスクを回避させるため、原告に対し、リモートワークによる在宅勤務又は自宅待機を許す措置を講じる注意義務(本件合理的配慮義務①及び本件安全配慮義務)を負っていたから、被告がこれらの措置を講じず、また、本件出社要請及び本件退職勧奨を行ったことは、上記の注意義務を懈怠するものであって不法行為を構成する旨を主張する。」

「この点、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、当該労働者が業務の遂行に伴ってその生命及び健康等を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であるところ、かかる注意義務の具体的内容は、当該注意義務違反が問題となる事象ごとの具体的状況等に応じて定まるものと解すべきである。そして、障害者雇用促進法37条2項所定の『対象障害者』に該当する労働者について上記の注意義務の内容及び注意義務違反の有無を検討する際には、同法36条の3及び36条の4の趣旨並びに合理的配慮指針の内容に即し、当該労働者の障害の特性やその意向についても考慮することを要するものと解される。

「以上を前提として、令和2年3月及び4月の時点で、被告が原告に対しリモートワークによる在宅勤務又は自宅待機を許す措置を講じなかったこと並びに本件出社要請及び本件退職勧奨を行ったことが上記の注意義務に違反したものとして不法行為を構成するか否かにつき、個別に検討する。」

・令和2年3月9日の原告の在宅勤務の申入れに対する被告の対応について不法行為が成立するか

「前記第2の2の前提事実並びに前記1及び2において認定した事実(以下、これらを併せて『前提事実等』という。)によれば、原告は、令和2年2月27日以降、C部長、D及びEに対し、それぞれ新型コロナウイルス感染症の拡大傾向が続く中で本件障害により免疫力が健常者よりも著しく低い自分は会社からどのような配慮を受けることができるのかといった趣旨の問合せをし、同年3月9日にはFに対してテレワークなど人に接触せずに仕事をすることができないかを問い合わせたところ、同日、Fから、原告に在宅勤務の対応は予定がない旨の回答を受けたことが認められる。そこで、上記の経過に係る被告の原告への対応に関し、被告に在宅勤務又は自宅待機を許す措置を講じる注意義務に違反したことによる不法行為が成立するか否かについて検討する。」

「前提事実等によれば、政府は、令和2年2月1日、新型コロナウイルス感染症を指定感染症に指定し、同月25日には感染拡大防止のための『基本方針』を公表したこと、日本国内では令和2年1月16日に最初の感染者が報告され、同年3月4日までに257例に増加するなど客観的にも感染が拡大していたこと、新型コロナウイルスの感染経路については、遅くとも令和2年3月6日までには、飛沫感染が主体と考えられ、接触感染や換気の悪い環境下での感染もあり得るという医学的知見が得られていたことなどから、同年2月25日に公表された『基本方針』において、公共交通機関の混雑緩和を通じて感染拡大の防止を図るため、感染防止対策の徹底やテレワークや時差出勤の呼びかけが行われ、同年3月1日には、新型コロナウイルス感染症対策本部からも、換気が悪く、密集した場所や不特定多数の人が接触するおそれが高い場所では、感染を拡大させるリスクが考えられるという報告がされていたことが認められる。」

「かかる諸事情を踏まえると、原告が、令和2年3月9日までに、本件疾病に起因する本件障害を有していたことを理由として、通勤時や就業場所において新型コロナウイルスに感染し易く、重症化しかねないという不安を抱き、被告に対して在宅勤務を含む感染防止措置の検討を求めたことはもとより自然な対応であると認められる。一方で、上記の時点において、新型コロナウイルス感染症については、平常時の通勤時間帯の公共交通機関のように特段の感染対策が施されないままに不特定多数人が密集するといった状況下においては感染の可能性があるが、頻回の換気や密集の回避あるいは衛生マスクの着用等といった感染防止対策が講じられている環境下であれば、感染可能性を一切否定することまではできないとしても、その危険性は低下するといった認識が一般化しつつあったといえ、少なくとも、かかる環境下であっても通勤時の公共交通機関の利用あるいは職場における労務提供の際に感染の危険性が高まるといった認識が医学的知見の裏付けをもって一般化していたとまでは認められない。」

「この点、令和2年3月当時、スポーツジム等の密閉空間における感染拡大が特に懸念されていたところ・・・、原告は首の疼痛緩和の目的でかねてから被告の福利厚生制度を利用して通所していたスポーツクラブに赴きパーソナルストレッチトレーニングを継続していたことが認められるが・・・、このような原告の行動は、その当時、感染防止対策が講じられた環境下であれば感染可能性は低減するという認識が一般化しつつあった旨の前示の認定に沿うものである。」

「次に、前提事実等によれば、原告は、令和2年2月10日にA医療センターにおいてB医師から本件疾病及び本件障害に係る定期診断を受けたが、その際に受けた血液検査の結果は、CD4陽性細胞(CD4T細胞)数が685個/立方ミリメートル(健常人は800~1200個/立方ミリメートル)、HIV-RNA量は検出感度以下というものであり、免疫状態は安定し、ウイルス学的にも良好な状態が保たれていたこと、原告は、主治医のB医師から、原告の免疫力が健常者よりも低いことから、できるだけ人混みや不必要な外出を避けるよう指導されたいたものの、日常生活上の行動制限や通勤及び就業の中止まで指示されてはいなかったこと、令和2年3月9日までの間に、本件疾病を有する患者が健常者に比較して新型コロナウイルスに感染し易く、あるいは感染後の重症化リスクが高いなどといった相互的な関連性が医学的なエビデンスに根拠づけられて提示されていたものではないことが認められる。」

「この点、B医師は、令和3年6月2日付けの意見書において、HIV感染者が新型コロナウイルス感染症にり患した場合は健常者に比較して重症化のリスクが高くなり、また、予後が不良となる可能性がある旨の意見を述べているが・・・、前提事実等において認定したとおり、厚生労働省発行の『新型コロナウイルス感染症(COVID-19)診療の手引き』に本件疾患(特にCD4T細胞<200/μLの場合)が「重症化のリスク因子かは知見が揃っていないが要注意な基礎疾患」として記載されたのは、令和2年6月17日発行の第2.1版が初出であり、また、同年4月3日に被告に提出されたB医師作成の本件診療情報提供書の記載内容から上記の趣旨を読み取ることはできないことからすれば、令和2年3月及び4月の時点において、本件疾病を有する患者が健常者に比して新型コロナウイルス感染症に罹患し易く、あるいは重症化し易いといった医学的知見が一般化していたとは認め難い。」

「以上の事情に前記(ア)の事情を併せると、被告において、原告が、同年3月9日の時点で、新型コロナウイルスに感染したり、感染した場合に重症化する蓋然性が基礎疾患のない健常者よりも高く、それゆえ、感染防止対策の内容のいかんを問わず、外出すること自体が忌避されるべき健康状態にあるという事柄に関して予見可能性があったとは認め難いものといわざるを得ない。」

「さらに、前提事実等によれば、①被告は、令和2年2月21日以降、従業員に対し新型コロナウイルス感染症の予防を呼び掛けるとともに、同年3月1日以降、従業員に時差出勤プログラムを導入したほか、従業員用の衛生マスクの確保、消毒薬の社内設置及び会議室等へのアクリル製パーテーションの設置等の各種の感染防止策を講じていたこと、②原告は、令和2年1月頃以降、薬事チームに配属されて同チームが所管する業務のアシスタントとして就労していたが、原告の担当業務のうち在宅勤務により対応することが可能なものは一部にとどまり、その余の大半の業務は、被告の商品である香水、化粧品等の多数の製品の現物を取り扱う業務であったり、社外への持ち出しが禁じられている被告の機密情報を用いる作業であったため、在宅勤務により対応することが業務の性質上困難であったこと、③被告は、令和2年2月以降、原告に対し、上記②の事情により原告に在宅勤務を認めることは難しく出勤してもらう必要がある旨を説明した上で、通勤時の人混みを避けるための措置として、スーパーフレックス及び自転車通勤を特例で認める旨の措置を講じたことが認められる。そうすると、令和2年3月9日当時、被告が講じていた新型コロナウイルス感染症の感染防止策は、いずれも前記・・・において認定した当時における新型コロナウイルス感染症の予防に関する一般的な認識に沿ったものであったといえ、原告の担当業務が在宅勤務に馴染まない性質のものであったことから在宅勤務は認めないという対応となったものの、前記・・・の医学的知見を踏まえた感染防止策として、公共交通機関を利用した通勤時の混雑等から原告を回避させることを企図した特例措置を講じていたものと認めることができる。」

「以上の検討を総合すれば、令和2年3月9日までの期間において、原告が本件疾病に罹患して本件障害を有していたとしても、本件疾患は治療によりコントロールされて就労に支障がない状態にあったといえ(なお、かかる認定は令和2年3月当時に原告が免疫機能障害2級の身体障害者手帳を保有し続けていたことを踏まえても直ちに左右されない・・・。)、原告が通勤や就業時の労務提供の際に新型コロナウイルスに感染する可能性や感染した場合に重症化する可能性が高かったことが医学的に裏付けられていたとはいえず、それゆえ、被告において、上記の事柄について予見可能性があったとは認められない。これに加えて、原告の担当業務は、その大半が在宅勤務で対応することが困難な業務であり、原告の出社が見込まれない限り薬事チーム全体の業務に支障を来しかねないものであり、被告は、上記の事情を原告に説明した上で、通勤時の人混みを回避させるための特別措置として、原告に対し、一般の従業員には当然には認められていないスーパーフレックス及び自転車通勤を特例として承認するという対応をしていたことも併せれば、被告において、上記の特例措置に加えて更に原告に対しリモートワークによる在宅勤務又は自宅待機を許すという措置を講じなかったとしても、本件安全配慮義務及び本件合理的配慮義務①に係る注意義務を怠ったものとして不法行為法上の違法性を帯びるとは認め難く、かえって、被告においては、原告の本件疾病や本件障害の特性に配慮して健常者である他の従業員よりも有利な待遇上の配慮をしていたものと認めるのが相当である。

3.違法性は否定されたが、それは有利な待遇上の配慮をしていたから

 上述のとおり、裁判所は不法行為の成立を否定しました。

 しかし、それは被告において、健常者である他の従業員よりも有利な待遇上の配慮をしていたからだといえます。

 在宅勤務をすることについては、当然に権利性があるとまでは考えられていません。本件は、在宅勤務を許さず、出社を命じることが自体も、状況によっては不法行為に該当することを示唆した裁判例として位置付けられます。