弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

職場における人間関係の不和しか訴えていなかったことは、長時間労働による適応障害発症を認定する妨げになるか?

1.安全配慮義務違反による精神障害の発症

 労働契約法3条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

と規定しています。これを安全配慮義務といいます。

 長時間労働やパワーハラスメント等で精神障害を発症した労働者が使用者に対して損害賠償を請求するにあたっては、この安全配慮義務への違反が認められるのかどうかを検討することになります。

 ここで一つ問題があります。

 労働者が精神障害の診断をした医師に対しパワーハラスメントや職場における人間関係の不和しか訴えていなかった場合、裁判所は長時間労働による精神障害の発症を認定することができるのでしょうか?

 昨日も触れましたが、裁判体の中にはパワーハラスメントの成立を認めることに対して過度に抑制的な見解を採用するものがあります。こうした場合に、当事者が主訴として述べていなかった労働時間という客観的な指標をもって精神障害を発症したことを立証することができるのかが、本日のテーマです。

 一昨々日、一昨日、昨日とご紹介している千葉地判令5.2.22労働判例1295-24 医療法人社団誠馨会事件は、この問題との関係でも参考になる判断を示しています。

2.医療法人社団誠馨会事件

 本件で被告になったのは、千葉県松戸市に病院(本件病院)を開設する医療法人社団です。

 原告になったのは、被告との間で雇用契約を締結した医師(後期研修医)です。適応障害との診断を受けて休職、退職した後、時間外勤務手当等や安全配慮義務違反を理由とする損害賠償を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の原告は適応障害を診断した医師に対し、ストレス因として、上級医が何も指導してくれないことや、バカ、アホということ、舌打ちをすることなどを訴えていました。その一方、長時間にわたる労働のストレスは訴えていませんでした。

 このような事実関係のもと、裁判所は、次のとおり述べて、長時間労働による適応障害の発症を認めました。

(裁判所の判断)

「原告は、被告には長時間労働を防止する義務があったにもかかわらず、これを怠り、原告に長時間労働をさせ、これにより原告が適応障害を発症したと主張する。」

「労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところであり、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないように注意する義務を負う(最高裁平成10年(オ)第217号・第218号同12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁参照)。」

「原告は、別紙9のとおり、同年4月から同年7月にかけて、医師として、毎月100時間以上の時間外労働をしたことが認められる。」

「上記各月の時間外労働時間はそれ自体相当長時間であり、これが4か月にわたり継続したこと、医師業務は他人の生命・身体を扱うものであり精神的な緊張を伴うものであることなどからすれば、原告は、心身の健康を害するような強度の心理的負荷を与える長時間の時間外労働に従事していたと評価できる。そして、前記・・・のとおり、長時間にわたる労働が継続して、疲労や心理的負荷が過度に蓄積すると、これを原因として労働者の心身の健康を損なう危険があるところ、上記のような長時間にわたる原告の時間外労働は、原告の適応障害発症の原因となったと認められる。」

「被告は、タイムレコーダー等を見れば、原告の労働時間を容易に把握することができ、原告がこれにより疲労を蓄積させ心身の健康を損なうおそれにあることを予見することは可能であったというべきである。そうであるにもかかわらず、被告は、原告に前記・・・のような過重な業務に従事させたのであるから、被告には、業務の遂行に伴う心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないように注意する義務を怠ったというべきである。」

これに対し、被告は、原告が適応障害を発症したのは職場の人間関係であると診断されており、長時間労働等は適応障害の発症と無関係であるから、被告の原告に対する安全配慮義務違反を構成しない旨主張する。

そこで検討すると、原告は、適応障害の診断をしたI医師に対し、本件病院の上級医が原告に対し何も指導してくれないことや、バカ、アホと言い、舌打ちをすることなどを訴えていた・・・一方、長時間にわたる労働によるストレスを訴えなかったこと、原告は、休職の約2か月後に、原告と関係が不良である本件病院の上級医が近日中に本件病院を退職することを大きな考慮要素として、研修を再開することを検討するようになり、その数週間後に別病院での研修を開始し、その頃までには症状が消失して治療が終結したこと・・・が認められる。このような適応障害の治療の経過に照らせば、原告が自身の精神状態の悪化の原因と考えていたのは、職場における人間関係の不和を感じたことであったと認められる。

しかしながら、前記のとおり、長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところであるから、原告が、職場における人間関係の不和が精神状態の悪化の原因だと考えていたことや、I医師に対して長時間の時間外労働による疲労やストレスを訴えなかったということのみをもって、直ちに、長時間にわたる時間外労働が適応障害の発症の原因ではないということはできない。

したがって、被告の前記主張は採用することができない。

3.ストレス因として述べていなくても長時間労働による発症は認められる可能性あり

 裁判所はパワーハラスメントの違法性を認定しませんでしたが、長時間労働による適応障害の発症は認めました。

 長時間労働を強いられているハラスメントの被害者が、ハラスメントに気を奪われ、医療機関に対してハラスメントの内容しか申告していない事案は少なくありませんん。

 本件はそうした患者に対しても、救済の余地を認めるもので、実務上参考になります。