弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

病識がなく、精神面が大丈夫であると言っていた労働者に対しても、安全配慮義務が認め荒れた例

1.メンタルヘルスに関する情報の不申告と安全配慮義務

 最二小判平26.3.24労働判例1094-22  東芝(うつ病・解雇)事件と言う判例があります。

 この判例は、

「上告人が被上告人に申告しなかった自らの精神的健康(いわゆるメンタルヘルス)に関する情報は、神経科の医院への通院、その診断に係る病名、神経症に適応のある薬剤の処方等を内容とするもので、労働者にとって、自己のプライバシーに属する情報であり、人事考課等に影響し得る事柄として通常は職場において知られることなく就労を継続しようとすることが想定される性質の情報であったといえる。使用者は、必ずしも労働者からの申告がなくても、その健康に関わる労働環境等に十分な注意を払うべき安全配慮義務を負っているところ、上記のように労働者にとって過重な業務が続く中でその体調の悪化が看取される場合には、上記のような情報については労働者本人からの積極的な申告が期待し難いことを前提とした上で、必要に応じてその業務を軽減するなど労働者の心身の健康への配慮に努める必要があるものというべきである。」

と述べ、メンタルヘルスに関する情報を提供しなかったことを理由とする過失相殺を否定しました。

 この判示からも分かるとおり、使用者は、申告がなかったとしても、精神疾患を有している労働者に対して安全配慮義務を負うとされています。

 それでは、更に一歩進み、病識のない労働者との関係ではどうでしょうか。労働者に病識がなかったとしても、使用者は、精神疾患を抱えている労働者に対するのと同様の安全配慮義務を負うのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。青森地判令4.9.27労働判例132-56 青森市事件です。

2.青森市事件

 本件で被告になったのは青森市です。

 原告になったのは、青森市の職員です。平成25年から平成27年までの職務に関し、被告に勤務時間、業務負担等の管理に関する安全配慮義務があるなどと主張し、被告に対して損害賠償を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の原告は、

「平成26年1月13日午後9時30分頃、執務中に気分が悪くなり、トイレにて激しく嘔吐した後に廊下で意識を失い、黒石市国民健康保険黒石病院・・・に救急搬送されて入院」

しました(本件災害)。

 本件災害は一旦は公務外災害との認定を受けましたが、地方公務員災害補償基金青森支部審査会に対する審査請求を経て、公務上の災害と認定されています。

 裁判所は、本件災害の前と後に分けて安全配慮義務違反の有無を検討しました。興味深いと思われるのは、本件災害の後の安全配慮義務違反を論じている部分です。裁判所は、次のとおり述べ、安全配慮義務違反を認めました。

(裁判所の判断)

「原告は職場復帰後、一旦は適応障害の治療を終了したものの、平成25年度の浪岡教育事務所教育課の職員とすれ違ったことをきっかけに再度体調不良となって通院及び投薬を開始し、継続的に通院治療をしていたものの、平成27年10月には抑うつ状態を発症するに至っており、これらの経緯に鑑みると、原告は、本件災害の体調不良を再発し、それが抑うつ状態にまで悪化したものと認められる。そして、前記認定事実によれば、原告は、少なくとも時間外・休日・夜間勤務命令簿兼報告書に記載されていた時間の時間外勤務をしていたと推認され、加えて平成27年度においては、各職員が自己申告していた本件データが上記命令簿兼報告書よりも実態に即していたものということができ、実働休憩時間が控除されていないなど正確性に劣る点があることを踏まえても、上記命令簿兼報告書記載の時間を超えて本件データ記載の時間を若干下回る程度の時間外勤務をしていたことが推認される。そうすると、原告は、職場復帰直後から時間外勤務をし、業務上の負荷を伴っていたのみならず、平成27年2月から同年4月にかけて時間外勤務の時間が増加し、同月の時間外勤務の時間は80時間程度に達しており、その後、同年5月こそ時間外勤務の時間が減少するものの同年6月から同年9月までの時間外勤務の時間はいずれも80時間に迫る程度に至っており、抑うつ状態と診断された同年10月まで時間外勤務をしていたのであるから、特に同年4月から同年10月までの約6か月間の勤務状況に鑑みると、原告には相当程度の業務上の負荷が発生していたものということができる。そして、このような勤務状況の中、原告は抑うつ状態を発症しており、原告が当時の受診時に業務上の負荷の重さを訴えていたことや、原告が職場復帰したばかりの身であり上記のとおり抑うつ状態が本件災害の再発であると認められることも併せて考慮すると、体調不良のきっかけが業務に直接起因するものでなかったことを踏まえても、上記抑うつ状態の発症は原告の上記業務上の負荷に起因して生じたものと認められる。そうすると、原告は特に平成27年4月から同年10月までの間、心身の許容する程度を超える業務上の負荷を負い、業務上の配慮を要する状態であったものというべきである。

「これに対し、原告の上司であったP7や他の者が、上記期間の原告の勤務状況に対して具体的な職務上の配慮を実施したことはうかがわれない。そうすると、被告は、職場復帰後の期間のうち平成27年4月から同年10月までについて、原告に対して健康を害さないよう時間外勤務の時間を管理すべき安全配慮義務を怠ったものと認められる。」

被告は、原告が自身の適応障害を認めておらず、精神面について心配はいらないと伝えられ、残業できない説明も受けていない旨、原告に無理な時間外勤務を命じていたことはなく、原告から体調不良の報告も受けていない旨を挙げて、安全配慮義務違反はない旨を主張する。

確かに、原告は自身のうつ病を信じていなかったこと、P7は原告との面談時に同人から精神面は大丈夫である旨聞いていたことは前記認定事実のとおりであり、また、原告がP7等に対して残業できないことや体調不良を伝えていた事実を認めることはできない(原告作成の陳述書・・・及び同人の尋問の結果にはこれに沿う記載ないし供述があるものの、上記のとおり原告は当時、自身のうつ病を信じていなかったのであり、P7作成の陳述書・・・及び同人の尋問の結果には、原告から上記の内容を聞いたことはない旨の記載ないし証言があることも踏まえると、原告の陳述書の記載及び同人の供述を直ちに信用することはできず、他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。)。」

しかしながら、原告の上司であったP7は、本件災害及びその後の原告の入院の事実を把握しており・・・、原告から異動の要望も受けていたのであって、精神疾患に関する情報については本人から積極的な申告が期待し難い性質のものであることも踏まえると、原告から精神面が大丈夫である旨を聞き、体調についての情報提供がされなかったとしても、それをもって原告に対する業務上の配慮を免れるものと解することは相当でない。また、前記認定事実によれば、当時の教育委員会総務課においては、各職員が時間外勤務をしたものを上司が追認する形をとっており、上司から事前に時間外勤務を明示的に命じることはなくとも各職員に時間外勤務の要否を委ねて自己申告させ、事後的に予算の範囲内に調整の上、追認することによって時間外勤務が是認される状態であったのであるから、原告に無理な時間外勤務を命じていないとの主張は上記の実態に照らして、それだけで安全配慮義務を尽くしたとの根拠にはならず、採用できない。」

3.安全配慮義務違反が肯定された

 この事件では、本人に病識がなく、かつ、精神面は大丈夫であると言っていて、それでもなお安全配慮義務が認められるのかどうかがテーマになりました。裁判所は、これを認め、安全配慮義務違反が成立すると判示しました。

 精神疾患に罹患したことを自認できず、無理をして働き、心身の健康を損なってしまう方は少なくありません。病識はあったものの情報を提供しなかったという場合だけではなく、病識そのものがなく結果として情報がを提供できなかった場合にまで安全配慮義務が及ぶことを明らかにした点に、この裁判例の意義があります。

 地方裁判例レベルでの裁判例であり、これが今後、どの程度通用力をもってくるかは分かりませんが、本件は労働者保護に資する画期的な判決として、評価できるのではないかと思います。