弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

私生活時間確保配慮義務

1.信義則上の配慮義務

 信義則上、使用者には、労働者に対する種々の配慮義務があります。

 その中には「①労働者の生命・身体の安全を確保するよう配慮する安全配慮義務や健康配慮義務・・・、②労働者の人格が損なわれないよう働きやすい職場環境を整える職場環境配慮義務・・・、③転居を伴う配転・出向の際に労働者の負担が少なくなるように配慮したり、整理解雇に際して解雇以外の手段で雇用調整の目的を達成するよう努力する人事上の配慮義務・・・などがある」と理解されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第2版、令3〕255頁参照)。

 この○○配慮義務は、歴史的に少しずつ拡大されてきた経緯がありますが、近時公刊された判例集に「私生活時間確保配慮義務」という名称の義務の存在を前提とした裁判例が掲載されていました。一昨日、昨日とご紹介させて頂いている、釧路地帯広支判令5.6.2労働判例ジャーナル140-32 未払割増賃金事件です。

2.未払割増賃金事件

 本件は残業代や慰謝料が請求された事件です。

 被告になったのは、社会保険労務士事務所を経営する社会保険労務士です。

 原告になったのは、社会保険労務士及び行政書士の有資格者です。平成19年4月に被告に雇用され、令和3年4月に退職しました。

 本件には複数の争点がありますが、その中の一つに、私生活時間配慮義務違反を理由とする慰謝料請求の可否がありました。本件の原告は、

「使用者は、人格権、自己決定権及び消極的プライバシー権により労働者の私生活時間が尊重されるべきところ、使用者は信義則上労働契約に付随する配慮義務の一態様として、時間外労働をさせるに当たっては、労働者が私生活時間を確保できるように配慮し、職場環境を調整する義務を負う。具体的には、使用者は、このような私生活時間配慮・職場環境調整義務に基づき、介護等私生活時間の確保の必要性が看取し得るときには、労働者からその具体的な事情、程度、確保されるべき時間等を聴取し、労働者の私生活時間が確保されるように配慮し、職場環境を調整しなければならない。」

と述べたうえ、被告には私生活時間配慮義務違反が成立すると主張しました。

 これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、私生活時間配慮義務違反を理由とする慰謝料請求を否定しました。

(裁判所の判断)

「原告は、所定時間外労働をさせるに当たっては、労働者が私生活時間を確保できるように配慮し、職場環境を調整する義務を負うところ、〔1〕被告は、労働時間を把握管理し又は把握管理し得る体制を構築する義務を負うにもかかわらず、これに違反して労働時間管理を現に的確に実施せず、恒常的な時間外労働など存在しないものとして取扱い、〔2〕原告への事情の確認の上で私生活時間が確保されるような配慮措置を一切講じず、〔3〕被告就業規則39条に基づき『業務の都合上必要がある場合』に該当するかの検討や原告が拒否し得る正当な理由の有無の確認をせず、私生活時間確保配慮義務を怠り、所定外労働を命ずるにおける裁量権を逸脱濫用して、原告に対して漫然と時間外労働を命じたものであって、違法であると主張する。」

「しかし、前記〔1〕については、被告において、タイムカードは設けていなかったものの、自己申告制を採用しているところ、自己申告制は、労働者が適切に時間外労働も含めて申告するのであれば、労働者の労働時間把握の方法として不相当なものとはいえない。そして、本件について見ると、平成30年には合計972.5時間、令和元年には合計1539.5時間、令和2年には合計927時間の時間外労働が申告されていることや、原告は労働時間について、過少に自己申告していたことが認められるものの、被告においては、原告に対して、時間外労働を申告するように指示することもあったということに照らすと、被告が、労働時間を把握管理する義務や把握管理し得る体制を構築する義務に違反していたとはいえない。これに対して、原告は、被告から入所してから2年以内の時期に、残業代をつけてはならないという指示を受けたと主張して、原告本人尋問の結果中にはこれに沿う部分・・・がある。しかし、被告本人尋問の結果中に、そのようなことを言ったことを否定する部分がある・・・ことや、被告の事業所においては、令和元年11月までは労働時間の被告による事前承認制が、同月以降は所属長による時間外労働の確認がされていたところ、原告の席は、被告やCの席のすぐそばであった・・・のであるから、他の従業員が被告あるいはCに対して、上述したような相当量の時間外労働の申請や承認を得ていることは当然認識していたといえることに照らせば、被告が、原告あるいは被告従業員に対して残業代を付けてはならないと指示していたとの原告の主張は採用できない。」

「次に、前記〔2〕については、被告において、原告の交際相手が障害を有していることを認識していたとは認められるものの、被告が原告に対して介護休業規程や短時間正社員規程について説明していることや、実際に、令和2年12月に原告から介護短時間勤務の申請があった際には速やかにこれに対応していること、被告において顧問先が300社程度あり、被告の従業員が10人程度であるところ、原告が担当していた会社は30社程度であって、被告において、原告に対してことさら多くの案件を割り振っていたとは認められないこと、原告から、上記の介護短時間勤務の申請までは交際相手の障害や交際相手の看護をすることを理由とした業務量や業務内容についての配慮を求められることはなかったこと、被告が、原告に対して、時間外労働について明らかにするように指示をしても、原告において時間外労働を報告せず、被告において原告の時間外労働時間を基にした業務量の把握が困難だったことなどの実情に照らすと、客観的に原告が交際相手との生活に支障を来すほどの業務量となっていたといえない中で、原告からは、時間外労働の状況について正確な申告がなく、また、交際相手との生活状況を踏まえた業務軽減の依頼などもなかったのであるから、被告において原告の私生活時間に配慮し、職場環境を調整する義務に違反したということは困難である。

「前記〔3〕については、被告の就業規則・・・によれば、事務所は、業務の都合上必要がある場合には、所定労働時間を超える勤務を命じることがあり、従業員はこの命令を正当な理由なく拒んではならないとされているところ、本件では、原告が被告から所定労働時間を超える勤務を命じられたことに対して、時間外労働を拒んでいたのではないことから、この条項の適用される場面ではない。」

「そして、以上みたところによれば、被告が、私生活時間確保配慮義務を怠り、所定外労働を命ずるにおける裁量権を逸脱濫用したということはできない。

3.請求棄却事案ではあるが・・・

 上述のとおり、裁判所は、原告の慰謝料請求を棄却しています。

 しかし、その理由は、私生活時間確保配慮義務なる義務が存在しないことではなく、使用者側が私生活事案確保義務を怠ったとはいえないことに求められています。

 義務が存在しなければ義務を懈怠したのかどうかを判断する必要はありません。つまり、義務を懈怠したのかどうかの判断には、義務が存在するという判断が先行していることになります。

本件では義務違反が否定されてしまいましたが、「私生活時間確保配慮義務」という法的義務は他の事案においても活用できる概念です。

 比較的珍しい配慮義務を認めた裁判例として、本件は実務上参考になります。