弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

新型コロナウイルスへの感染を企業の安全配慮義務違反であると主張するために必要な予見可能性の程度

1.過失責任と予見可能性

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

と規定しています。これは一般に「安全配慮義務」と呼ばれています。

 安全配慮義務が履行されなかったことにより損害を受けた労働者は、使用者に対して損害賠償を請求することができます。

 しかし、安全配慮義務に違反する事態が生じたとしても、使用者側に「過失」がなければ、損害賠償を請求することはできません。

 それは、債務不履行に基づいて損害賠償請求を行うための根拠条文である民法415条1項が、

「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。

と規定しているからです。過失が認められない場合、仮に労働者の身を危険に晒したとしても、それは使用者の「責めに帰することができない事由によるもの」であると理解されるため、損害賠償を請求することはできません。

 この「過失」の概念は、

「加害行為を行った者が、損害発生の危険を予見したこと、ないし予見すべきであったのに(予見義務)予見しなかったこと(予見ないし予見可能性)」と

「損害発生を予見したにもかかわらず、その結果を回避すべき義務(結果回避義務)に違反して、結果を回避する適切な措置を講じなかった」こと

の二つの要素から構成されています(我妻榮ほか『我妻・有泉コンメンタール民法-総則・物権・債権』〔日本評論社、第6版、令元〕1467頁参照)。

2.予見可能性の程度

 過失の一番目の構成要素である予見可能性を認定するにあたっては、どの程度、結果を予見する可能性があれば足りるのかという問題があります。

 この問題に関しては、大雑把に言って、具体的な予見可能性が必要であるとする見解と、抽象的な危惧感さえあれば足りるとする見解とがあります。しかし、裁判所は、一律に具体的な予見可能性が必要である/抽象的な危惧感で足りるという判断をしているわけではありません。裁判実務では具体的な予見可能性を論証することが基本ではありますが、例えば、アスベスト・じん肺に関係する事案では、

「安全配慮義務の前提として使用者が認識すべき予見義務の内容は、生命、健康という被害法益の重大性に鑑みると、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り、必ずしも生命・健康に対する障害の性質、程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないというべきである」

などと抽象的な危惧を抱ければ足りると理解する裁判例が数多く存在します(神戸地判平30.2.14労働判例1219-34住友ゴム工業(旧オーツタイヤ・石綿ばく露)事件等参照)。

 また、最近では、工場で使用されていた薬剤に曝露して膀胱癌を発症した労働者が提起した損害賠償請求事件においても、

「被告は、安全配慮義務の前提となる予見可能性について、具体的な疾患及び同疾患発症の具体的因果関係に対する認識が必要であるとして、本件において予見可能性があったというためには本件薬品の皮膚吸収による発がんの可能性の認識が必要であったのであり、被告にはこれがなかった旨主張しているが、生命・健康という被害法益の重大性に鑑み、化学物質による健康被害が発症し得る環境下において従業員を稼働させる使用者の予見可能性としては、安全性に疑念を抱かせる程度の抽象的な危惧であれば足り、必ずしも生命・健康に対する障害の性質、程度や発症頻度まで具体的に認識する必要はないと解される。被告の同主張は採用できない。」

という判断が示されています(福井地判令3.5.11労働判例ジャーナル113-28 三星化学工業事件)。

安全配慮義務違反の前提となる予見可能性-抽象的な危惧があれば足りるとされた例(じん肺・石綿関連疾患以外) - 弁護士 師子角允彬のブログ

 それでは、新型コロナウイルスとの関係で安全配慮義務違反を理由とする過失責任を問うにあたってはどうでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令3.9.28労働経済判例速報2470-22 ロバート・ウォルターズ・ジャパン事件です。

3.ロバート・ウォルターズ・ジャパン事件

 本件で被告になったのは、労働者派遣事業等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で起案の定めのある労働契約を締結し、派遣社員として働いていた方です。新型コロナウイルスへの感染を懸念して在宅勤務を求めていたにもかかわらず、派遣先会社に出社させるなどしたことが不法行為に該当するとして、損害賠償を請求する訴訟を提起しました。

 この事件で裁判所は次のとおり述べて、在宅勤務をさせなかったことに違法性はないと判示しました。結論としても、原告の請求を棄却しています。

(裁判所の判断)

「原告は、被告が、通勤による新型コロナウイルスへの感染を懸念していた原告のために、労働契約に基づく健康配慮義務又は安全配慮義務として、本件派遣先会社に対し、在宅勤務の必要性を訴え、原告を在宅勤務させるように求める義務を負っていた旨を主張する。」

「そこで検討するに、前記前提事実・・・のとおり、令和2年3月初め頃は、新型コロナウイルスの流行が既に始まっており、原告のように通勤を通じて新型コロナウイルスに感染してしまうのではないかとの危惧を抱いていた者も少なからずいたことはうかがわれる。しかしながら、他方で、当時は、新型コロナウイルスに関する知見がいまだ十分に集まっておらず(原告自身、新型コロナウイルスのことを「得体のしれないウイルス」と形容している。)、通勤によって感染する可能性があるのかや、その危険性の程度は必ずしも明らかになっているとはいえなかった・・・。」

「そうすると、被告や本件派遣先会社において、当時、原告が通勤によって新型コロナウイルスに感染することを具体的に予見できたと認めることはできないというべきであるから、被告が、労働契約に伴う健康配慮義務又は安全配慮義務(労働契約法5条)として、本件派遣先会社に対し、在宅勤務の必要性を訴え、原告を在宅勤務させるように求めるべき義務を負っていたと認めることはできない。

「したがって、仮に、被告が本件派遣先会社に対し原告の在宅勤務の実現に向けて働きかけをしなかったという事情があったとしても、これをもって違法ということはできない。」

「また、前記前提事実・・・のとおり、被告は、通勤による新型コロナウイルスへの感染への懸念を示す原告に理解を示し、本件派遣先会社に対し、原告の出勤時刻の繰り下げや在宅勤務の要望を伝え、出勤時刻の繰下げについては速やかに実現しているし、原告が本件派遣先会社のCマネージャーと在宅勤務について協議する約束も取り付けている。原告は、被告がこのような対応をしたことについて、『Perfect!Thanks!』(『完璧です!ありがとう!』)と返信し、感謝の意を表しており、原告の在宅勤務も、平成2年3月10日から実現している。」

「これらの事実に照らすと、仮に、原告が、被告について上記・・・以外の健康配慮義務又は安全配慮義務違反を主張しているとしても、被告は、原告に対し、上記・・・のような状況下において使用者として可能な十分な配慮をしていたというべきであり、被告に本件労働契約に伴う健康配慮義務又は安全配慮義務違反があったとは認められない。」

4.具体的予見可能性が必要?

 上述のとおり、裁判所は、新型コロナウイルス感染の予防措置として在宅勤務を求めるにあたっては、感染が具体的に予見されることが必要になると判示しました。

 本件の使用者は原告の要望を聞いて出勤時刻を繰り下げるなど相応の配慮をしており、請求棄却という結論自体にそれほどの違和感はありません。

 しかし、アスベストや化学物質との関係では抽象的な危惧感で足りるとされる一方、なぜ新型コロナウイルスとの関係では具体的予見可能性まで必要とされるのかは今一良く分かりません。

 とはいえ、オミクロン株が猛威を振るう中、安全配慮義務や過失との関係で上述のような判断がされた裁判例があることは、意識しておく必要があるように思われます。