弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

暴力を伴う指導等から従業員を守る注意義務を措定するために必要な予見可能性

1.安全配慮義務

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

と規定しています。この条文に基づく義務は、一般に安全配慮義務と言われ、しばしば損害賠償請求を行う根拠として参照されます。

 しかし、条文の文言が抽象的であるため、安全配慮義務違反を主張する場合、労働者は、個別事案との関係で、使用者が具体的にどのような配慮をする義務を負っていたのかを特定しなければなりません。

 例えば、上司や同僚からの暴行で負傷した労働者が安全配慮義務を理由に使用者に損害賠償を請求するにあたっては、安全配慮義務の内容を

「上司や同僚に対して・・・業務上の注意・指導を行うに当たり暴力を伴うような指導等をすることがないよう注意すべき義務」

などと特定したうえ、義務違反の事実を主張・立証して行く必要があります。

 一般の方の中には、こうした注意義務が存在することを、当たり前だと思う方がいるかも知れません。しかし、安全配慮義務違反を問題にするにしても、不法行為法上の過失を問題にするにしても、注意義務の措定は決して簡単ではありません。予見可能性の論証と結びついているからです。近時公刊された判例集にも、そのことがうかがわれる裁判例が掲載されています。大阪高判令2.11.13労働経済判例速報2437-3マツヤデンキ事件です。

2.マツヤデンキ事件

 本件は、電化製品の販売等を目的とする株式会社の従業員が原告となって、勤務先会社とその従業員ら(Y2~Y5)に対し、損害賠償を請求した事件です。

 原告が責任原因として構成したのは、被告従業員らの暴行です。暴行により身体的傷害のほか、精神疾患(うつ病、不眠症、外傷後ストレス障害など)を発症したというのが、その骨子です。

 原告が被告会社に損害賠償を請求する根拠として掲げたのは、雇用契約上の債務不履行(安全配慮義務違反)と不法行為(使用者責任)です。

 原審は原告の請求(634万2310円)の多くを認容し、被告会社に対し591万3310円を支払うよう命じました。

 これに対して、一審被告会社が控訴し、一審原告が付帯控訴したのが本件です。

 本件控訴審裁判所は、次のとおり述べて被告会社の注意義務を否定し、結論として一審被告会社の支払い義務を2万0700円まで削減しました。

(裁判所の判断)

「平成25年6月23日より前に、上司や同僚から被控訴人(一審原告 括弧内筆者)に対する暴力を伴う指導があったことや、被控訴人が、暴力を伴う指導の対象になっているとして自ら又は両親を介して控訴人会社に苦情を申し出たり、相談したりしたことがあったことをうかがわせる事情や証拠はない。」

「また、本件不法行為1が、被控訴人に商品券を探すよう指示した際に控訴人Y4が偶発的に行ったものであり、本件不法行為2も、被控訴人から唾をかけられるなどの対応をされるようになった控訴人Y5がとっさに行ったものにすぎないことは、前期説示のとおりである。」

「さらに、被控訴人が控訴人会社に入社して以降、人事評価において低位の評価が続いており、注意や指導が困難な社員であると受け止められていたからといって、本件全証拠によっても、控訴人会社において、そうしたことを理由に、被控訴人が上司や同僚から暴力を伴うような指導や叱責等を受ける可能性があることを予見することができたとは認めるに足りない。

そうすると、本件不法行為1、2当時、控訴人会社に、被控訴人の上司や同僚に対して被控訴人への業務上の注意・指導を行うに当たり暴力を伴うような指導等をすることがないよう注意すべき義務があったとまでいうことはできない。

3.暴行の阻止は当たり前の注意義務のように思われるが・・・

 厚生労働省告示第5号 令和2年1月15日「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」は、身体的な攻撃(暴行・傷害等)を職場におけるパワーハラスメントの一類型として位置づけ、こうした事態が生じないよう、事業主に雇用管理上の措置を講じる義務を課しています。

https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000584512.pdf

 指針が出る以前も、平成24年1月30日には、厚生労働省の職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループが、身体的な攻撃をはじめとしたパワーハラスメントの予防・解決に取り組むよう報告をまとめています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000021hkd.html

 こうして見ると、身体的攻撃を予防すべき注意義務を負うことは、自明なことであるように見えます。しかし、裁判所は、予見可能性を厳格に要求し、

「被控訴人の上司や同僚に対して被控訴人への業務上の注意・指導を行うに当たり暴力を伴うような指導等をすることがないよう注意すべき義務」

の存在を否定しました。

 身体的攻撃型のハラスメントを問題にする場合、上述のような注意義務が措定されることは多々みられます。本件は、予見可能性の論証をおざなりにできないことを示す一例として参考になります。