弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

医者でありながら健康保持に努めなかったことは過失相殺にあたり考慮されるのか?

1.過失相殺

 民法723条2項は、

「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。」

と規定しています。

 被害者の過失を考慮して損害賠償の額を定めることを、講学上、「過失相殺」といいます。判決の中では、「〇割の過失相殺をすることが相当である」といったように判示され、損害賠償額の減算が行われています。

 それでは、過重労働等が原因でメンタルを壊した労働者が医者であった場合、そのことは被害者の過失として考慮されることになるのでしょうか?

 確かに、医師であれば、自分の健康に変調が生じていることを認識したうえ、専門医を受診するなど、相応の自衛手段がとれそうではあります。

 しかし、労働者の側で偶々専門的知識を有していれば、損害賠償額が減額されるというのも、従業員の健康管理に係る使用者側の責任を、安易に労働者側に転嫁しているようにも感じられます。

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介した、新潟地判令4.3.25労働判例ジャーナル127-30 新潟市事件です。

2.新潟市事件

 本件は自殺した研修医の遺族が病院の設置者(市)に対して提起した損害賠償請求事件です。

 被告になったのは、研修医が勤務していた病院(本件病院)の設置者です。

 原告になったのは、自殺した研修医の遺族です。自殺の原因は本件病院における加重労働によって、鬱病に発症したためであるなどと主張し、損害賠償を請求する訴えを提起しました。

 この事件は、損害賠償責任を負うこと自体を争うとともに、責任が認められた場合に備え、過失相殺を主張しました。過失相殺に関する被告の主張は、次のとおりです。

(被告の主張)

「仮に亡e(研修医 括弧内筆者)の本件自殺が本件病院における労働に起因するとしても、損害額の算定に当たっては、損害額の衡平な分担の見地から、以下の点を考慮し、損害額から少なくとも9割の過失相殺等の減額をすべきである。」

「医師は、一般人に比してより正確に自らの心身の状態を把握し、これを自ら管理する能力が十分に備わっているのであるから、可能な限り自らの健康保持に努めるべき義務を負うところ、亡eは、自らの健康に異変が生じていることを認識していたにもかかわらず、専門医に受診する等の適切な対応を怠っていた過失がある。」

「亡a(亡eの夫、亡eの自殺後、自殺により死亡 括弧内筆者)及び原告cは、亡eの異変を認識していたにもかかわらず、亡eを専門医に受診させる等の適切な対応を怠った過失がある。」

「亡aは、平成14年より、パニック障害の診断名で診療機関に受診し、平成19年1月からはうつ病等の診断名で別の診療機関に受診し、亡eが死亡した平成28年1月25日当時も通院中であったが、このことは、亡eにとって、相当の精神的負担となっていた。」

「亡eは、本件病院に採用される前から不安症及び片頭痛という精神障害の既往症があり、同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れる脆弱性を有していた。」

 しかし、本件の裁判所は、被告の責任を認めたうえ、次のとおり述べて、過失相殺を行うことを否定しました。

(裁判所の判断)

「被告は、損害額の算定に当たっては、損害額の衡平な分担の見地から、少なくとも9割の過失相殺等の減額をすべきという旨の主張をするが、以下のとおり、採用することはできない。」

・亡eが専門医を受診しなかったことについて

「前記・・・認定の事実のとおり、亡eは、亡aに対し、よく眠れないと言って、亡aが処方されていた睡眠薬や精神安定剤を分けてもらい、それらを服用していたことからすれば、亡eは、後期研修医という立場にもあった以上、自らの健康に異変が生じていることについて認識していたと推認される。」

「しかし、前記・・・で判示したとおり、亡eは平成27年9月頃にはうつ病を発症したと認められるのであって、うつ病という精神疾患の性質からすれば、亡eは自身の変調を感じていたとしても、それが精神疾患によるものであるとまでは認識していなかったとしてもやむを得ないというべきであり、本件病院の同僚等から受診を勧められるようなこともなかったことからすれば、医師である亡eが専門医を受診しなかったとしても、何らかの過失があったとまでは評価することはできないというべきである。

・亡a及び原告らが亡eを専門医に受診させなかったことについて

「前記・・・認定の事実によれば、亡aや原告らは、亡eの異変を認識していたと認められる。」

「しかし、亡eが独立した社会人かつ医師として自らの意思と判断に基づき業務に従事していたことに照らせば、亡aや原告らが前記・・・のような亡eの言動を認識したとしても、亡aや原告らは専門家でもない以上、亡eを専門医に受診させる等の対応をとらなかったからといって、亡aや原告らに過失があったということもできない。」

・亡aの精神疾患等について

「前記・・・認定の事実のとおり、亡aは、平成19年1月以降うつ病等を患い、通院していたことが認められる。」

「しかし、前記・・・で判示したとおり、本件全証拠に照らしても、亡eが本件病院への勤務を開始する前と後とで亡aの症状に変化等があったであるとか、亡aとの生活によって日常的に生じる心理的負荷が、夫婦の共同生活において通常考え得る限度を越えるものであったとは認められない以上、亡aの精神疾患等が亡eの損害を減額すべき事情とは認められない。」

・亡eの既往症について

「前記・・・認定の事実のとおり、亡eは、不安症(ICD-10:F411)の傷病名で平成25年10月24日及び平成26年3月13日に下越病院で受診して薬剤処方を受けており、また、平成25年9月12日及び平成26年10月2日に片頭痛(ICD-10:G439)で、同病院で受診した事実が認められる。」

「しかし、亡eが継続して不安症等で受診をしていたと認めるに足りる証拠はなく、また、上記症状が継続していたと認めるに足りる証拠もない以上、同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を超えるものであったとは評価できず、素因減額すべき事情とは認められない。」

「以上より、本件において、過失相殺等の亡eに生じた損害を減額すべき事情は認められず、被告の主張は理由がない。」

3.医師であるからといって過失相殺はされなかった

 上述のとおり、裁判所は、医師であるからといって過失相殺をすることはありませんでした。鬱病という精神疾患の特性が踏まえられた結果であり、それ以外の疾病にも妥当するのかは不分明ですが、いずれにせよ、労務管理上の責任を果たさなかった使用者側の責任を安易に専門的知識を有する労働者に転嫁しなかったことは、意義のある判断であり、同種事件の処理の参考になります。