弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

長期間(20年以上)に渡って事故等がなかったことはどのように評価されるのか

1.過失責任と予見可能性

 労働契約法5条は、

「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」

と規定しています。これは一般に「安全配慮義務」と呼ばれています。

 安全配慮義務が履行されなかったことにより損害を受けた労働者は、使用者に対して損害賠償を請求することができます。

 しかし、安全配慮義務に違反する事態が生じたとしても、使用者側に「過失」がなければ、損害賠償を請求することはできません。

 それは、債務不履行に基づいて損害賠償請求を行うための根拠条文である民法415条1項が、

「債務者がその債務の本旨に従った履行をしないとき又は債務の履行が不能であるときは、債権者は、これによって生じた損害の賠償を請求することができる。ただし、その債務の不履行が契約その他の債務の発生原因及び取引上の社会通念に照らして債務者の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。」

と規定しているからです。過失が認められない場合、仮に労働者の身を危険に晒したとしても、それは使用者の「責めに帰することができない事由によるもの」であると理解されるため、損害賠償を請求することはできません。

 この「過失」の概念は、

加害行為を行った者が、損害発生の危険を予見したこと、ないし予見すべきであったのに(予見義務)予見しなかったこと(予見ないし予見可能性)」と

「損害発生を予見したにもかかわらず、その結果を回避すべき義務(結果回避義務)に違反して、結果を回避する適切な措置を講じなかった」こと

の二つの要素から構成されています(我妻榮ほか『我妻・有泉コンメンタール民法-総則・物権・債権』〔日本評論社、第6版、令元〕1467頁参照)。

2.長期間に渡って事故等がなかったことを、どう評価するのか?

 安全配慮義務違反を理由に損害賠償を請求すると、しばしば、使用者側から、

「長年この仕事をやっているが、事故等にあったのは今回が初めてである」

という反論を受けます。

 これは、法的に翻訳すると、

予見可能性がないため、過失があるとはいえない、

仮に、責任を負うにしても、事故等は当該労働者固有の不注意さが原因であり、大幅な過失相殺がなされるべきである、

といった主張になります。

 それでは、こうした主張は、常に効力を持つといえるのでしょうか?

 近時公刊された判例集に、長期間に渡って事故等がなかったとの使用者側の主張が排斥された裁判例が掲載されていました。徳島地判令4.4.14労働判例ジャーナル127-52 二ホンフラッシュ事件です。

3.二ホンフラッシュ事件

 本件で被告になったのは、住宅及び住宅関連部品の製造・販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、合板の仕分け作業中、合板を積んだ台車の下敷きとなって死亡した被告従業員(亡D)の両親です(平成30年11月21日事故、同日死亡)。亡Dが死亡したのは、雇用主の安全配慮義務違反に理由があるなどと主張して、損害賠償等の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の被告は、

「少なくとも20年以上にわたって本件事故発生時と同様の方法で合板の台車への積込み、運搬が行われていたにもかかわらず、その間、同種事故の発生もヒヤリハット事例もなかったのであり、被告が、本件事故を予見することは不可能であった」

などとして、安全配慮義務違反等は存在しないと主張しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて被告の主張を排斥し、安全配慮義務違反を認めました。また、過失相殺の主張についても、これを否定しました。

(裁判所の判断)

・安全配慮義務違反について

「本件台車の形状は、底面が96cm×100cmのほぼ正方形、床面からの高さは196cmの縦長であり・・・、本件台車に積み込む合板の高さは、大きいもので、本件台車の高さを大きく超える244cmにもなり、その重量も、1枚当たり約10kg(=(650kg-140kg)÷51枚)にも及ぶものであるところ・・・、このような合板を本件台車の片側の端のスペースに50枚(約500kg)も集中して積み込めば、本件台車の片側に重心が偏り、全体の高さも高くなり、本件台車の安定性が大きく損なわれることは明白である。また、本件台車の運搬時の作業員の力のかけ方は、当該作業員の体格、性格、経験などから一様でないと推認できるし、本件事故現場の床面が平坦、平滑でなかったこと・・・を考慮すれば、本社工場内において、本件事故時のように本件台車に偏った合板の積載をするなど本件台車の取扱いによっては、これが転倒する可能性も十分に考えられる。しかも、本件台車は、その自重が140kgにもなり、かご部分に合板を積み込んだ場合には、合計重量が1tを超えることもあるのであるから・・・、これが転倒すれば、従業員らの生命身体に重大な危険を及ぼし得ることも明らかであったといえる。」

「そうであれば、被告としても、本件台車が転倒することによって従業員の死傷事故が発生し得ることは、十分に予見可能であったというべきであり、本件台車の転倒事故を防ぐため、従業員に対して、台車を用いた合板の運搬作業について、台車の端のスペースにまとめて積み込むなど、重心が偏った状態で運搬することのないよう作業標準を作成したり、重心の偏りによる転倒の危険について危険予知訓練や安全教育を行ったり、本件台車に代えて、より安定性が高く転倒の危険性がない台車を使用するなどの対策を講じる義務を負っていたというべきである。ところが、被告においては、本件台車の危険性を顧慮することなく、Dを含む作業員らに対し、作業の効率性の観点を重視して、台車の端のスペースから合板を積み込むよう指導していた一方・・・、転倒を防止するための台車の移動方法などについては、何らの指導も行っていなかった・・・というのであるから、被告には、Dに対する安全配慮義務ないし不法行為法上の注意義務違反があったというほかない。そして、その結果、Dは、片側に偏って多数の合板が積まれ、安定性を欠いた状態にある本件台車を移動させることとなり、転倒した本件台車の下敷きとなって死亡したのであるから、被告の安全配慮義務ないし不法行為法上の注意義務違反とDの死亡との間には、相当因果関係があるというべきである。」

これに対し、被告は、少なくとも20年以上にわたって、本件事故発生時と同様の方法で合板の台車への積込み、運搬が行われていたにもかかわらず、その間、事故等はなかったのであるから、被告が本件事故を予見することは不可能であった旨主張する。

しかし、長年にわたって本件台車の転倒事故が起きていなかったという経験のみから、直ちに予見可能性が否定されるものではない。そして、前記のような本件台車の形状や、合板の積込方法等に鑑みれば、本件台車が、物理的に安定性を欠く場合があることは、通常人の経験則をもって、容易に予測し得るというべきであり、被告の上記主張は、採用することができない。

・過失相殺について

「本社工場での合板せどり作業においては、作業効率の観点から、本件台車の端のスペースから合板を積み込む方法が通常の方法として行われ、合板の一方の端に合板がまとまっている状態で台車を移動させることも珍しくなかったというのであって、本件事故時、Dは、まさに被告に指示された通常の方法で作業を行っていたにすぎない。また、Dが平成30年4月2日に被告に雇用され、同年9月から合板せどり作業に従事していた新入社員であったこと・・・にも鑑みれば、Dが、被告に指示された作業手順に従って作業を行うのみでなく、本件台車が転倒しないよう特段の配慮をもって合板せどり作業に従事し、本件事故の発生を回避すべき注意義務があったともいえない。したがって、Dに本件事故についての過失があったということはできない。

4.予見可能性あり/過失相殺否定

 上述のとおり、裁判所は、かなりあっさりと被告の主張を排斥し、予見可能性を認めました。作業手順を定める法令に慢性的に違反していたというのであればともかく、明確な条文のない領域で、長期間(20年以上)に渡って事故等がなかったという主張が簡単に排斥されているのは興味深く思います。今後、使用者側から類似の主張が提出された時には、この裁判例を引用してみることが考えられます。

 もう一点、目を引かれたのが、過失相殺に関する判示です。本件では新入社員であることを考慮要素として挙示したうえで過失相殺を否定しました。熟練していない新入社員は事故等に遭いやすい傾向にあり、損害賠償をめぐって紛争になることも少なくありません。本件は新入社員と会社が争う場面において、新入社員側の過失を否定するためにも活用できる可能性があります。

 本件は一見すると事例判断のようにも見えますが、参考になる場面は意外と多いのではないかと思います。