弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

合意解約の申込みと辞職の意思表示の区別-熟慮期間を経た書面での退職願が合意解約の申込みと評価された例

1.辞職か合意解約の申込みか?

 辞職とは「労働者の一方的意思表示による労働契約の解約」をいいます(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』〔青林書院、改訂版、令3〕532頁参照)。

 これに対し、合意解約(合意退職)とは「労働者と使用者が合意によって労働契約を将来に向けて解約すること」をいいます(前掲『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』533頁参照)。

 「労働者から退職の意思表示を行った場合、それが『合意解約の申込み』と解釈されれば、使用者が承諾するまでは、信義則違反等特段の事情のない限り、撤回可能である。これに対して、『辞職の意思表示』の場合、使用者に到達した時点で撤回不能となる。」といったように、辞職と合意解約の申込みとは概念的に区別されています(前掲『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』536頁)。

 それでは、この辞職と合意解約の申込みは、どのように区別されるのでしょうか?

 一般的に言うと、

「両者の法的効果の違いと労働者の保護を考えると、『辞職の意思表示』と解するためには、明確にそう解し得る状況が必要で、いずれか曖昧な場合には、合意解約の申込みと解すべきである。実際に、裁判例はそのように介している。

と理解されています(前掲『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅱ』536頁)。

 このように、いずれであるのかがはっきりとしない場合、基本的には「合意解約の申込み」と認定されるわけですが、具体的な事案に引き直した場合、どこまでを「合意解約の申込み」と理解することが可能なのでしょうか?

 この問題を考えるうえで、近時公刊された判例集に目を引く裁判例が掲載されていました。札幌地判令5.4.7労働判例ジャーナル137-16 宮田自動車商会事件です。

2.宮田自動車商会事件

 本件で被告になったのは、

自働車部品、輸入車部品等の自動車関連商品全般の卸売業などを事業内容とする株式会社(被告会社)と、

その代表者(被告c)

です。

 原告になったのは、

被告会社と営業職として期間の定めのない労働契約を締結し、g営業所長の営業所長等を歴任した方(原告a)と、

同じく被告会社との間で営業職として期間の定めのない労働契約を締結し、d営業所の主任や係長の地位にあった方(原告b)

です。

 本件の原告aは、退職願を提出した後に懲戒解雇の処分を受けたことに対し、懲戒解雇の無効等を主張し、労働契約上の権利を有する地位にあることの確認等を請求しました。

 その中で、退職願の提出が、

辞職なのか、

合意解約の申込みなのか、

が問題になりました。これが問題になったのは、懲戒解雇が無効だという話になっても、辞職の意思表示があったということになると、結局、労働契約上の地位が認められなくなってしまうからだと思われます。他方、合意解約の申込みということになると、懲戒解雇(一方的な意思表示)という合意解約の成立とは矛盾した行為をしていることなどから、懲戒解雇の効力さえ否定すれば、合意が成立する前に懲戒解雇されたものとして、地位確認請求が認められることになります。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、退職願の提出は、豪解約の申込みだと判示しました。

(裁判所の判断)

・本件退職願が辞職の意思表示であるか

「令和2年1月14日付けの本件退職願・・・は、原告aが、

〔1〕令和元年12月28日、被告c及びi部長を始めとする被告会社の役員らと面談し、その際、原告aが横領をしたとの疑惑について追及を受け、i部長らから『進退伺』を出すように求められ・・・、

〔2〕令和2年1月6日、i部長に対し、『年末は退職しないと言う方向で顛末書と進退伺書提出と言う話でしたがj所長と明日面談させていただき退職したい旨をお伝えしたいと思います』などとのメッセージを送信する・・・などの経緯を経て、被告会社に提出されたものである。」

「また、本件退職願の内容自体は、『この度、一身上の都合により、来たる令和2年3月31日をもちまして退職いたしたく、ここにお願い申し上げます』という端的なものである・・・。」

「上記の各事情を前提として検討するに、本件退職願については、原告aが一定の期間熟慮をした上で提出したものとまではいい得るものの、これをもって被告会社の意思にかかわらず原告aと被告会社の間の雇用契約を終了させる意思、すなわち辞職の意思表示であると評価し得るまでの事情は見出し難い。したがって、本件退職願の提出については、雇用契約の合意解約の申込みであると評価するのが相当である。

・退職合意の成否

「令和2年1月14日付けの本件退職願・・・について、原告aは、同年2月27日付けの書面でこれを撤回している・・・ものの、i部長は、これに先立つ同年1月22日、原告aに対し、『j統括所長より連絡がありましたので、それをiが受け、c社長に確認いたしました。その結果を報告致します。「退職願」は正式に受理されました。「受理証明書」の発行は、会社の慣例としてありません』などとのメッセージを送信している・・・ことは、被告会社が主張するとおりである。」

「しかしながら、被告会社は、上記のメッセージが送信された後も、原告aに対し、令和2年3月22日付けで、諭旨解雇処分として(再度の)退職願の提出を勧告している・・・上に、本件退職願に明記された退職日(同年3月31日・・・)より後の同年4月28日をもって懲戒解雇とする旨を通知する・・・など、本件退職願の承諾による雇用契約の合意解約とは矛盾する行動をとっているものといわざるを得ない。」

「そうすると、上記のメッセージの内容を考慮しても、本件退職願の提出による原告aの雇用契約の合意解約の申込みに対し、被告会社がこれを承諾したとまでは評価することができないというべきである。」

「したがって、原告aと被告会社の間において、退職合意が成立したと認めることもできない。」

3.合意解約の申込みに寄せられる「曖昧な場合」の領域は結構広い

 上述したとおり、裁判所は、本件退職願を合意解約の申込みだと認定しました。

一定の熟慮期間が経られている、

書面での意思表示である、

「この度、一身上の都合により、来たる令和2年3月31日をもちまして退職いたしたく、ここにお願い申し上げます」と特定の日に辞める意思が明記されている、

など辞職に傾く事実はそれなりにありましたが、それでも、裁判所は、本件退職願を合意解約の無視込みだと判断しました。

 こうしてみると、冒頭に掲げられた文献に書かれている、辞職か合意解約の申込みなのかが「曖昧」とされる領域は案外広く、安易に合意解約の申込みだとする主張を諦めてはならないなと思います。