弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

9日後の退職届(雇用契約の合意解約の申込みの撤回)が認められた例

1.退職届の撤回

 退職届の提出には、二通りの理解の仕方があります。

 一つは、雇用契約の解約申入れ(辞職)です。

 民法627条1項は、

「当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。」

と規定しています。この条文に規定されている

二週間の経過により一方的に雇用契約を終了させる意思表示

であるという理解です。

 もう一つは、合意解約(契約)の申込みです。

 これは飽くまでも雇用契約を終了させることを内容とする契約の申込みであって、使用者の承諾がなければ、雇用契約を終了させる効果は生じません。使用者が承諾をしなければ、雇用契約は引き続き維持されます。

 いずれの意思表示と理解されるのかは、事案によりけりですが、合意解約の申込みと理解した場合に、

労働者は、いつから退職届を撤回できるようになるのか?

という論点があります。

 これは、契約申込みについて、民法に次のようなルールが定められていることから生じる論点です。

第五百二十三条 承諾の期間を定めてした申込みは、撤回することができない。ただし、申込者が撤回をする権利を留保したときは、この限りでない。
2 申込者が前項の申込みに対して同項の期間内に承諾の通知を受けなかったときは、その申込みは、その効力を失う。

第五百二十五条 承諾の期間を定めないでした申込みは、申込者が承諾の通知を受けるのに相当な期間を経過するまでは、撤回することができない。ただし、申込者が撤回をする権利を留保したときは、この限りでない。
2 対話者に対してした前項の申込みは、同項の規定にかかわらず、その対話が継続している間は、いつでも撤回することができる。
3 対話者に対してした第一項の申込みに対して対話が継続している間に申込者が承諾の通知を受けなかったときは、その申込みは、その効力を失う。ただし、申込者が対話の終了後もその申込みが効力を失わない旨を表示したときは、この限りでない。

 特に法専門家というわけでもない労働者が退職届を出す時、届出用紙に承諾期間が付されていることは先ずありません。「撤回する権利を留保する」などと明記することもありません。大抵の場合、書面の形式で会社に提出しています。

 しかし、退職届を出したものの、やはり気が変わったということは珍しくありません。こうした場合、退職届の撤回を検討することになります。

 ここで問題になるのが、民法525条1項の

「申込者が承諾の通知を受けるのに相当な期間を経過するまでは、撤回することができない。」

とするルールです。

 退職届が雇用契約の合意解約の申入れであると理解される場合、有効な撤回を行うまでに必要な「相当な期間」はどの程度と理解されるのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。仙台高判令6.2.20労働判例ジャーナル146-26 社会福祉法人しのぶ福祉会事件です。

2.社会福祉法人しのぶ福祉会事件

 本件で被告(控訴人)となったのは、

障害者福祉施設を運営している社会福祉法人(被告法人)と、

被告法人の職員ら(被告A、被告B、被告C)です。

 原告(被控訴人)になったのは、被告法人の職員の方2名です(原告D、原告E)。

 原告の請求や本件の論点は多岐に渡りますが、その中の一つに、原告Dに対する退職扱いの効力がありました。

 原告Dは、

令和元年5月18日に鬱病と診断され、

令和元年5月22日、同年7月12日をもって退職する旨を記載した被告法人宛ての退職届を提出しました。

 その後、

令和元年5月31日に、被告法人に対し、退職届を撤回する旨記載した書面を送付しましたが、

令和元年6月4日、被告法人は、原告Dに対し、同年7月12日をもって退職とする旨の辞令を交付しました。

 このような事実経過のもと、本件では退職届の撤回の効力が問題になりました。

 裁判所は、次のとおり述べて、退職届の撤回を認めました。

(裁判所の判断)

「当裁判所も、原判決の『事実及び理由』の第3の5、6の説示のとおり、原告らは、被告法人の職員としての雇用契約上の地位を失っていないものと判断する。」

原告Dが行った退職届の提出は、雇用契約の合意解約を申入れる意思表示、すなわち合意解約の申込みをしたものと解釈するのが合理的な意思解釈であって、原告Dは、被告法人が申込みを承諾するより前に、同年5月31日に退職届を撤回しており、退職届の撤回は、合意解約の申込みを撤回する意思表示をしたものと解されるから、被告法人が、その後に退職を承認しても、原告Dの雇用契約の効力が失われることはない。

3.被告は辞職だという争い方をしていたようであるが・・・

 原審段階で被告は、

「原告・・・が、規定書式でなく自ら用意した退職届を用い、残有給休暇日数を消化しきった日付を退職日に設定していること、退職に向けた準備行為を経ていたこと、本件退職届の提出に先立ち、家族や同僚と十分に相談していたことなどからすれば、本件退職届の提出は、被告法人の承諾の有無にかかわらず確定的に退職することを前提としたものといえ、辞職の一方的意思表示である。」

という争い方をしていました。

 つまり、

民法525条1項の相当期間が経過していない

という争い方はしていません。

 そのため、どこまで確度の高い判断になるのかは留保が必要ですが、裁判所は、9日後の退職届の撤回を認めました。類似事案において多くの判断は、本件の被告と同じく「辞職だ」という争い方をすることが想定されるものの、本裁判例は撤回が可能になる時期を推知するうえで参考になります(ただし、実務的な対応としては、退職届の提出を後悔した場合、相当期間が経過しているかどうかといった理論上の問題を一々考えることなく、一刻も早く撤回の通知を出すことが多いとは思います)。