弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

解雇に言及された退職勧奨は争いやすい-合意退職の効力と解雇の有効性との結びつきについて

1.退職勧奨で解雇に言及されたら

 退職勧奨を受けている時、使用者側から解雇に言及されることがあります。辞職、あるいは、合意退職しないのであれば、解雇するといったようにです。

 このような言い方をされ、狼狽して辞職・合意退職してしまったものの、後日、冷静になって後悔する方は少なくありません。こうした場合に労働者を保護する法律構成としては、

退職の意思表示が行われたといえるのかどうかを慎重に認定すべきであるとする主張、

自由な意思に基づいていないという主張、

錯誤取消(有効に解雇できるような事案ではなかったにもかかわらず、有効に解雇されるものと誤信して辞意を表明してしまった)や強迫取消(辞意を表明しなければ解雇すると脅された)の主張、

などが考えらえます。

 いずれの法律構成をとるにしても、退職勧奨の際に解雇への言及がある場合、合意退職の効力と解雇の有効性を結びつけて考える裁判例は少なくありません。

 例えば、大阪地判平元.3.27労働判例536-16 澤井商店事件は、

「使用者が労働者に対し退職を勧告するに当たり当該労働者につき真に懲戒解雇に相当する事由が存する場合はともかく、そのような事由が存在しないにもかかわらず、懲戒解雇の有り得ることやそれに伴う不利益を告げることは労働者を畏怖させるに足る違法な害悪の告知であるといわざるを得ず、かかる害悪の告知の結果なされた退職願いは強迫による意思表示として取消し得るものというべきである。」

と判示しています。

 大阪地判令4.1.13労働判例ジャーナル124-54 新時代産業事件も、

「原告は、被告代表者から本件解雇を告知されてこれが有効であることを前提に、再就職に当たって退職証明書や源泉徴収票の交付を早期に受けるために本件解雇の効力発生日(同月23日)より前の同月4日に本件退職の意思表示をしたものといえるところ、後に本件解雇が無効であることが判明したものである。そうすると、本件退職は、本件解雇が有効であるという動機が被告に表示されて法律行為の内容となり、もし錯誤がなければ原告が再就職に向けた活動をすることもなかったことから本件退職の意思表示をしなかったであろうと認められる。」

「したがって、本件退職は民法(平成29年法律第44号による改正前のもの。以下同じ。)95条所定の錯誤により無効である。」

と判示しています。

 もちろん、このような裁判例ばかりというわけではないのですが、昨日ご紹介した、大阪地判令4.9.9労働判例ジャーナル130-18 伊藤忠商事事件も、解雇の有効性を合意退職の効力と結びつける系譜に属しています。

2.伊藤忠事件

 本件で被告になったのは、幅広いビジネスをグローバルに展開する大手総合商社です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない雇用契約を締結し、総合職として勤務していた方です。被告との間で退職合意書を取り交わし、これを前提とした転職支援休暇制度を利用したものの、合意退職の効力を争い、地位確認等を求める訴えを提起したのが本件です。

 裁判所は、合意退職の効力を肯定しましたが、その結論を導くにあたり、次のような判断を示しました。

(裁判所の判断)

・本件意思表示が自由な意思に基づくものであるか否かについて

「前記認定によれば、原告は、被告の人事制度の下、大手総合商社の総合職として、将来、収益実現の基幹業務遂行を目的とする中核的職掌を担い得るよう、約8年間の教育期間においてその業務遂行能力を向上させていくことが求められていたところ、原告には、〔1〕上司や同僚等とのコミュニケーションがうまくとれず、指導・注意されたことの真意を理解せずに適切に対応しなかったり、他人に対して攻撃的になったりすることがあったこと、〔2〕効率的に業務を遂行することができておらず、担当業務量が他社員並みではなかったこと、〔3〕過去の指導・注意事項を十分に理解しておらず、あるいは、指導・注意事項自体を忘れ、ミスを減らすことができなかったこと、〔4〕上司等からの質問に対して明確に回答せず、質問に質問で返したり、何度も同じ反論を行ったりして上司等の指示を遵守しないことがあったこと、〔5〕業務上必要となる会計等の基礎知識の習得を含め自己研さんに努めていなかったことといった課題や問題点が指摘されていたものであり、このことは、前記1に認定した本件休務期間中の原告の行動・・・、本件復職後の原告のP4やP5に対する攻撃的な言辞・・・、被告が原告に対して注意事項や留意事項が記載された書面、『注意書』、『業務上の改善依頼』、『業務上の改善依頼(2)』及び『警告書』を交付していること及びその内容・・・、『振り返り会』における指導内容・・・、通常の営業経理部署担当者が営業課を2課以上担当していたのに対し、原告が1課のみを担当していたこと・・・等によって十分に裏付けられている。」

「そして、前記認定のとおり、被告は、これら原告の課題や問題点に対し、注意事項や留意事項が記載された書面、『注意書』及び『業務上の改善依頼』を交付することで注意・指導するとともに改善を求め、さらに、原告との間で『振り返り会』を実施するという特別の対応をとったが、その間にも『業務上の改善依頼(2)』が発せられている上、『振り返り会』の実施によっても、原告自身が自らの課題や問題点を認識できていないことも多く、これらの課題や問題点に十分な改善がみられなかったものであり、かえって、原告は、令和2年5月21日以降の『振り返り会』において、同会の対象事項や自らの改善事項に関して独自の主張を展開するに至っていること(別紙『振り返り会の概要』参照)からすると、自らの課題や問題点について真摯に振り返り、上司らの指導を受けてこれらを改善しようとする姿勢に乏しかったといわざるを得ない。」

「そうすると、原告は、少なくとも本件警告書が発せられた時点において、『勤務態度若しくは業務能率が著しく劣り、又は協調性に著しく欠け』ており、改善計画を実施してもなお改善がみられない場合には『改善の見込みがない』ものとして解雇の対象となり得る状況に至っていたといわざるを得ず、被告担当者らが原告との面談においてその旨告げたとしても、当時の原告の置かれた客観的状況を告げたにすぎないというべきであるから、そのことをもって原告の自由な意思が妨げられたとはいえない。

3.解雇に言及された退職勧奨は争いやすい

 一般論としていうと、合意退職は解雇よりも争うことが困難です。退職の意思表示の慎重な認定、自由な意思の法理、伝統的な民法上の意思表示理論など、労働者保護のための法律構成はあるのですが、いずれも解雇権濫用法理(労働契約法16条)ほど強力な保護を受けられるわけではありません。

 しかし、退職勧奨の中で解雇への言及があると、本当に解雇できるような状況にあったのか? が問われることになり、合意退職の可否を、解雇の可否に準じて判断してもらえることがあります。

 解雇への言及があると、合意退職は争いやすくなります。使用者から解雇権の行使を示唆され、間違った判断をしてしまったと後悔している方は、一度、弁護士のもとに相談に行ってみても良いのではないかと思います。