弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

精神障害等級の認定を受け、通院して服薬治療を受けていることのみを理由とした退職勧奨は違法-自由な意思を阻害しなくてもダメ

1.退職勧奨の適法/違法の分水嶺-自由な意思

 退職勧奨については、

「基本的に労働者の自由な意思を尊重する態様で行われる必要があり、この点が守られている限り、使用者はこれを自由に行うことができる。・・・これに対し、使用者が労働者に対し執拗に辞職を求めるなど、労働者の自由な意思の形成を妨げ、その名誉感情など人格的利益を侵害する態様で退職勧奨が行われた場合には、労働者は使用者に対し不法行為(民法709条)として損害賠償を請求することができる。」

と理解されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、第2版、令3〕996頁参照)。

 つまり、「自由な意思」が退職勧奨の適法/違法の分水嶺とされてきたわけですが、近時公刊された判例集に、「自由な意思決定を阻害したものとまでは評価できない」としつつ、退職勧奨を違法だと判示した裁判例が掲載されていました。京都地判令5.3.9労働判例1297-124 中倉陸運事件です。

2.中倉陸運事件

 本件で被告になったのは、貨物自動車運送事業等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、大型自動車・大型特殊自動車等の運転免許を有する方です。令和2年6月30日、同年8月1日を就労開始日とする採用内定を得ました。

 その後、同年8月1日から就労を開始し、同月3日、4日と勤務を重ねました。

 同年8月4日、原告は、被告に対し、労働契約書、身元保証書、家族名簿、給与振込同意書、通勤方法調査表とともに「精神障害3級 交付日平成29年9月29日」との記載がある給与所得者の扶養控除等(異動)申告書(本件扶養控除等申告書)を提出しました。

 同日、被告の営業所長は、原告に架電し、退職勧奨を行ったうえ、翌5日に退職手続のため出社するように求めました(退職勧奨が行われたのか解雇されたのかは争いがありましたが、裁判所は解雇の事実を認定しませんでした)。

 このような事実経過のもと、原告は、被告に対し、

労働契約上の権利を有することの確認、

判決確定までの未払賃金、

不当解雇、あるいは、違法な退職勧奨を受けたことを理由として慰謝料

を請求する訴えを提起しました。

 裁判所は、地位確認請求や未払賃金請求を棄却しましたが、次のとおり述べて、退職勧奨の違法性を認め、被告に対し慰謝料80万円の支払を命じました。

(裁判所の判断)

「原告は、自身に退職の意思がないことを認識しながら、事務的な手続のためのものとして本件退職届を作成、提出したもので、心裡留保に当たるとか、原告には、本件退職届作成、提出に対応する意思を欠く錯誤があるとか、あるいは、被告から令和2年8月4日に解雇されたものと誤認して本件退職届を作成、提出した点で動機の錯誤があるなどと主張する。」

「しかしながら、前記1で認定した事実によると、原告は、以前にも、勤務していた会社を退職する際、退職届を提出したことが複数回あり、被告において就労を開始するに当たっても、勤務していた食品会社を退職する際、同様に退職届を提出したというのである。」

そうすると、原告は、本件退職届を作成、提出した際にも、その意味するところを十分に理解していたというべきであるから、原告の本件退職届の作成、提出につき、心理留保があるとか、これに対応する意思の欠缺があるということはできない。また、原告がいう動機の錯誤は、自身が令和2年8月4日に解雇されたと認識していたことを前提とするところ、上記のとおり、原告が同日解雇されたと認識していたとは認められないから、その点で錯誤があるということもできない。

「したがって、これらの点に関する原告の主張は、その余を論ずるまでもなく、いずれも採用することができない。」

(中略)

「被告は、令和2年8月4日、原告から、本件扶養控除等申告書の提出を受けて、A所長を通じ、原告がうつ病で通院しており、服薬治療を受けていることを確認し、その際、A所長において、原告から、精神障害者手帳は返還できるなどと聞いたものの、本社として雇用を継続することは難しい旨の意向を伝え、退職手続のため出社するよう求めたところ、原告は、これに応じて、同月6日には、被告◇◇営業所に出社し、持参した被告からの貸与品を返還し、同月4日までの賃金を受領した上、本件退職届を作成、提出したというのである。」

上記退職勧奨行為自体は、その具体的内容や態様、これに要した時間等からみて、執拗に迫って原告に退職の意思表示を余儀なくさせるような行為であったとまでいうことはできず、後記・・・のとおり不法行為に該当し得るとしても、退職に関する原告の自由な意思決定を阻害するものであったとは認め難い。

そうすると、上記退職勧奨行為があったからといって、原被告間で退職合意に至ったことそのものが、公序良俗に反するということはできない。

「したがって、この点に関する原告の主張は、採用することができない。」

(中略)

「被告は、原告から、二次面接時に過去5年間行政処分歴がない旨記載された令和2年4月10日付け運転記録証明書を受け、また、体験入社時や、同年8月1日、同月3日及び同月4日に勤務した際にも、その勤務状況等に特段の指摘や指導を受けるようなことはなかったにもかかわらず、同日、原告から『精神障害3級 交付日平成29年9月29日』との記載がある本件扶養控除等申告書の提出を受けたことを契機に、原告からうつ病で通院、服薬治療を受けていることを聴取したのみで、原告の健康状態や服薬が原告の担当業務に及ぼす影響について専門家である医師等の意見を聞くなどして、その業務遂行の可能性等について検討するようなこともないまま、雇用を継続することは難しい旨の意向を示したというのである。」

上記一連の経緯に照らすと、被告は、原告が精神障害等級3級との認定を受け、通院して服薬治療を受けていることのみをもって、その病状の具体的内容、程度は勿論、主治医や産業医等専門家の知見を得るなどして医学的見地からの業務遂行に与える影響の検討を何ら加えることなく、退職勧奨に及んだものといわざるを得ない。

そうすると、被告の上記退職勧奨行為は、前記4で説示したとおり、原告の自由な意思決定を阻害したものとまで評価できないにしても、障害者である原告に対して適切な配慮を欠き、原告の人格的利益を損なうものであって、不法行為を構成するというべきである。そして、被告の上記退職勧奨行為の内容のほか、本件記録に表れた諸事情を考慮すると、原告の精神的苦痛を慰謝するには80万円をもってするのが相当である。

3.自由な意思を阻害していなくても許されない退職勧奨

 本件の裁判所は、退職勧奨が原告の自由な意思決定を阻害したものとはいえないとしつつ、その違法性を認めました。

 障害者差別解消法8条は、

「事業者は、その事業を行うに当たり、障害を理由として障害者でない者と不当な差別的取扱いをすることにより、障害者の権利利益を侵害してはならない。」

「事業者は、その事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をするように努めなければならない。」

と規定しています。

 こうした法の趣旨からは、やはり障害者であることのみを理由として労働契約を解消することは許容されないのだろうと思います。

 本裁判例は、退職勧奨を違法とする範囲を従来の理解よりも拡張するものであり、画期的な判断だと思います。