1.固定残業代の有効性
最二小判令5.3.10労働判例1284-5 熊本総合運輸事件は、固定残業代の有効要件について、
「労働基準法37条は、労働基準法37条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまり、使用者は、労働者に対し、雇用契約に基づき、上記方法以外の方法により算定された手当を時間外労働等に対する対価として支払うことにより、同条の割増賃金を支払うことができる。そして、使用者が労働者に対して同条の割増賃金を支払ったものといえるためには、通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である。」
「雇用契約において、ある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当等に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの諸般の事情を考慮して判断すべきである。その判断に際しては、労働基準法37条が時間外労働等を抑制するとともに労働者への補償を実現しようとする趣旨による規定であることを踏まえた上で、当該手当の名称や算定方法だけでなく、当該雇用契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならないというべきである(以上につき、最高裁平成29年(受)第842号同30年7月19日第一小法廷判決・裁判集民事259号77頁、最高裁同年(受)第908号令和2年3月30日第一小法廷判決・民集74巻3号549頁等参照)。」
と判示しています。
傍線部の一番目は「対価性要件」と言われています。傍線部の二番目は「判別要件」「明確区分性」などと言われています。
特定の手当が明文で「固定残業代」として付記されている場合、当該手当は時間外勤務の対価であることが明示されているといえます。基本給等の通常の労働時間の賃金に当たる部分とも「手当」という形で括り出されていますし、原則的には固定残業代としての効力が認められると言っても良いかも知れません。
しかし、近時公刊された判例集に、雇用契約書上「調整手当(固定残業代)」と記載されている手当について、固定残業代としての効力が否定された裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、東京地判令6.5.17労働判例ジャーナル153-26ジャパンプロテクション事件です。
2.ジャパンプロテクション事件
本件で被告になったのは、施設警備等を業とする株式会社です。
原告になったのは、被告と雇用契約を締結し、警備業務に従事していた方です。
不活動仮眠時間の労働時間性、変形労働時間制の無効、固定残業代の無効等を主張し、割増賃金(残業代)等を請求する訴えを提起したのが本件です。
固定残業代との関係で問題になった手当は複数ありますが、本日、注目したいのは、雇用契約書上、
「調整手当(固定残業代)」
と書かれていた手当です。
裁判所は、次のとおり述べて、調整手当の固定残業代としての効力を否定しました。
(裁判所の判断)
「被告は、割増賃金の基礎賃金を、基本給、職能給、役職手当及び隊長手当であると主張し、Cもその旨供述する・・・。」
「しかし、基本給、職能給、役職手当及び隊長手当を合計した金額(令和2年3月分は基本給13万円及び役職手当3万円の合計16万円、同年4月分から令和3年8月分までは基本給13万円及び役職手当4万円の合計17万円)を月平均所定労働時間174時間で除すると(上記のとおり就業規則は周知されていたから、後記4のとおり、年365日の年を除き月平均所定労働時間は174時間と認められる。)、令和2年3月時点で920円、同年4月から令和3年8月までが977円(年365日の最大の月平均所定労働時間である173.81時間で除すると978円)となり、いずれも令和2年3月から令和3年8月までの当時の東京都の最低賃金である1013円を相当程度下回る。原告が『調整手当(固定残業代)』と記載のある雇用契約書に署名したことがあることを考慮しても、原告がこのような労働条件を了承するとは考え難いし、被告が、原告に対し、令和2年3月ないし令和3年8月当時、基本給及び役職手当の合計額を月平均所定労働時間で除すると、最低賃金を下回る旨の説明をしたとも認められない。また、平成21年給与規程13条及び平成29年給与規程13条では、基本給は、本給及び職能給をもって構成するとし、本給は、満年齢、本人の勤続、学歴等に応じて定める額とし、職能給は、本人の職務遂行能力に応じて定める額とするところ、原告の基本給は、平成23年契約書の12万4000円から令和4年4月の退職時の13万円までの間、10年以上勤務したにもかかわらず、6000円の増加にとどまっている。他方、原告の役職手当及び調整手当がそれぞれ増加しているところ、役職手当の増額は、原告の役職が、主任、課長へと昇格したことによるものと考えられるものの、調整手当が平成23年契約書の4万6000円から令和2年契約書の11万8000円まで7万円以上増額している。このように原告の基礎賃金となる額が、最低賃金の額を下回る上、勤続等を考慮する原告の基本給がほとんど増額せず、調整手当が増額するなどの原告の賃金の経過も踏まえると、調整手当には、固定残業代以外の通常の労働時間の賃金に当たる部分が含まれていると認めるのが相当であり、その部分については、時間外労働等に対する対価性を欠くといえる。」
「そうすると、調整手当について通常の労働時間の賃金に当たる部分と固定残業代に当たる部分とを判別することはできず、少なくとも令和2年3月分から令和3年8月分までの調整手当は、固定残業代の定めとして有効であるとは認められない。」
「これに対し、被告は、仮に原告の時給を東京都の最低賃金で計算しても、残業代の合計金額から調整手当及び管制業務に関するその他手当を充当した差額はマイナスとなっていることから、原告の基本給13万円を時給に換算すると東京都の最低賃金を下回り労基法37条を潜脱するものとして無効であるとはいえない旨主張する。」
「しかし、調整手当が固定残業代と認められないのは、被告の主張を前提とする原告の基礎賃金が東京都の最低賃金の額を下回ることなどから、調整手当には、固定残業代以外の通常の労働時間の賃金に当たる部分が含まれていると認められる点にあり、原告の賃金単価を最低賃金で計算しても、調整手当及びその他手当をもって割増賃金相当額を支払えるか否かは、上記結論を左右しない。」
「また、令和3年9月分以降、その他手当を除く原告の賃金総額は変わらないものの、原告の受け取る調整手当の額は4万5000円(令和3年12月分及び令和4年1月分は2万1000円)となり、他方で、職能給が3万8800円支払われるようになったが、原告の令和3年8月分までの調整手当が固定残業代と認められない以上、同年9月分以降の調整手当を固定残業代と認めることは、原告の労働条件を不利益に変更するものであり、原告は、令和3年契約書に署名押印しておらず、他に原告がこれに同意したと認める証拠もないから、同月分以降の調整手当が固定残業代の定めとして有効であるとは認められない。」
3.最低賃金割り込み型
固定残業代の問題の一つに、定額働かせ放題のための仕組みとして使われ易いことがあります。それは、基本給を極端に低く設定し、想定残業時間を極端に多くした固定残業代を設定することにより実現できます。例えば、想定残業時間として200時間を設定していれば、200時間も残業が発生することは先ずありませんので、理論上、使用者は定額で労働者を際限なく働かせることが可能になります。
これの行き過ぎた形が、本件のような最低賃金割り込み型の賃金形態です。固定残業代の比率が高くなりすぎて、それ以外の部分が最低賃金すら割り込んでしまう形をいいます。以前、基本給と固定残業代が同額と設定されていて、基本給だけだと最低賃金を割り込んでしまう事案について、固定残業代の効力を否定した裁判例を紹介しました。
基本給と同額の「残業手当」の固定残業代の効力が否定された例 - 弁護士 師子角允彬のブログ
本裁判例は、この系譜に属するものです。
この最低賃金割り込み型は、契約や就業規則でかなり明確な形で括り出されている手当でも、固定残業代としての効力が否定されるところに特徴があります。本件でも、「調整手当(固定残業代)」と記載のある雇用契約書に署名した事実が認定されていますが、それでも、固定残業代の効力は否定されました。
先にも類似裁判例が判例集に掲載されていることからも分かるとおり、この最低賃金割り込み型の固定残業代は、決して少なくありません。同種事件を処理するにあたり、本裁判例は、実務上参考になります。