1.セクシュアルハラスメントと精神障害との間の因果関係
セクハラを受けて精神疾患(精神障害)に罹患する方は少なくありません。
しかし、精神障害を発症したことによる慰謝料等を請求することは、実務上、必ずしも容易ではありません。セクハラと精神障害の発症との間には、医学的な因果関係が認められるだけではなく、相当因果関係が必要だと理解されているからです。
医学的な因果関係とは、簡単に言えば、医師の診断が得られていることを言います。
医師が「セクハラと疾患との間には因果関係がある」と言えば、基本的には認められます。しかし、法的な責任を問うには、
当該行為から当該疾患を発症することが社会通念上相当だ
といえる関係が必要になります(相当因果関係)。
「社会通念上相当だ」という文字面だけを見ると、相当因果関係は比較的簡単に認められそうにも見えます。しかし、裁判実務に携わる弁護士の感覚からすると、相当因果関係を認めてもらうためのハードルは、決して低くありません。実務上、相当因果関係が認められるのか否かの判断基準は、
令和5年9月1日 基発0901第2号「心理的負荷による精神障害の認定基準について」
という労災の認定基準に準拠して行われています。この認定基準は、相当因果関係を認めるにあたり、精神疾患の発症前に強い心理的負荷を伴う出来事の存在を要求しています。強い心理的負荷を伴う出来事というのは、具体的には、
・ 胸や腰等への身体接触を含むセクシュアルハラスメントであって、継続して行われた
・ 胸や腰等への身体接触を含むセクシュアルハラスメントであって、行為は継続していないが、会社に相談しても適切な対応がなく、改善がなされなかった又は会社への相談等の後に職場の人間関係が悪化した
・ 身体接触のない性的な発言のみのセクシュアルハラスメントであって、発言の中に人格を否定するようなものを含み、かつ継続してなされた
・ 身体接触のない性的な発言のみのセクシュアルハラスメントであって、性的な発言が継続してなされ、会社に相談しても又は会社がセクシュアルハラスメントがあると把握していても適切な対応がなく、改善がなされなかった
といった出来事を言います(業務による心理的負荷評価表参照)。
https://www.mhlw.go.jp/content/001140931.pdf
要するに、接触型のセクハラでも、行為が1回や2回に留まっている場合、精神疾患を発症しても相当因果関係は認められません。人格否定までは伴わない非接触型のセクハラでは、継続的なセクハラであったとしても、それだけで精神疾患との相当因果関係は認めれません。
接触型×非継続型
非接触型(人格否定なし)×継続型
の場合、
会社に相談して、適切な対応がなく、改善もなされなかった、
というワンクッションが必要になります。
ここで一つ問題があります。
代表取締役社長など高位者によるセクハラをどのように見るのかです。
高位者によるセクハラの場合、「どうせ言っても無駄だろう」という気持ちから、被害者が会社に対して相談などの積極的な行動に及んでいないことがあります。この場合、医学的に精神疾患を発症していたとしても、「業務による心理的負荷表」の「具体的出来事」に該当しないことがあり、強い心理的負荷が生じていたことが立証できるのかという問題が生じます。
近時公刊された判例集に、この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、東京地判令6.4.19労働判例ジャーナル153-34 キャドワークス事件です。
2.キャドワークス事件
本件で被告になったのは、
土木建築に関する企画・調査・測量・設計・監理、土木建築工事の施工・請負等を目的とする株式会社(被告会社)
被告会社の元代表取締役(被告C 昭和39年生 令和6年1月16日辞任)
です。
原告になったのは、被告との間で期間の定めのない雇用契約を締結し、設計及び設計補助の仕事をしていた方です(平成2年生まれ)。
被告からセクハラを受けたとして損害賠償を請求するとともに、休職期間満了による自然退職の効力を争い、地位確認等を求める訴訟を提起したのが本件です。被告Cが原告から拒絶されても交際の申し込みを繰り返し、私生活に介入してきたことで強い心理的負荷を受け、適応障害を発症して休職に至ったというのが原告の主張の骨子です。
この事案で、裁判所は、次のとおり述べて、セクハラと適応障害との相当因果関係を認めました。
(裁判所の判断)
「被告Cは、配偶者がいながら、原告に対し、異性として好意を抱いていることを伝え・・・、原告から否定的な返答を受けた後も、二人での旅行、オペラ鑑賞、登山及び寿司といった、業務とは無関係の外出に繰り返し誘い、原告は二人での外出を断っていた・・・ものである。これらの行為は、被告会社の代表者という立場から、部下である原告に対し、被告会社の代表者と従業員という関係を超えた交際を求めるものであり、要求を断った場合の職場での不利益を懸念させ、原告の職場環境を害する行為である。さらに、被告Cが、被告会社の従業員に原告との関係を問い質したこと・・・は、原告に交際を求めることと相まって原告の職場環境を害する行為であり、原告にGとの関係を問い質したこと・・・は、原告を困惑させ不快感を与える行為である。」
「もっとも、被告Cが令和3年7月9日に建築物の見学に誘ったこと・・・は、建築物の見学は被告会社の業務や原告の能力向上と無関係とはいえず、原告も建築物の見学への同行を明確に拒否したものではないから、原告の真意に反していたとしても、原告の職場環境を害する行為であるとまではいえない。」
「次に、本件展示会に関し、被告Cが述べるGの失礼な態度というのは、Gの被告Cに対する製品説明の機会が少なく原告ばかりに説明をしていたというものである・・・。これについて被告Cは、原告に対し、目上の者が退屈や疎外感を感じることのないよう振舞うべきと指導するのではなく、頭を下げて謝罪するよう叱責し、さらにGの行動の背景には原告への好意があるとの憶測を述べて、Gを被告会社の担当から外すことの伝達を指示するとともに、そのような事態に至ったことには原告にも責任があるとして、原告からJ所長に直接謝罪するよう命じたものである・・・。かかる被告Cの言動や指示は、適正な業務上の指示や指導の範囲を逸脱した不合理なものであり、原告に不快感や屈辱感を与える行為である。」
「以上のとおり被告Cは、原告に対する好意から、原告から拒否されているにもかかわらず交際を申込み、他の従業員に原告との関係を問い質す等して原告の職場環境を悪化させ、さらに本件展示会でのG及び原告の対応に苛立った挙句、業務の適正な範囲を超えて原告に被告Cや取引先への不合理な謝罪を命じ、原告に不快感や屈辱感を与えたものであり、こうした被告Cの一連の行為は、原告の人格権を侵害する違法な行為であり、不法行為に該当するというべきである。」
「よって,被告Cは、民法709条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任を負い、被告Cの前記一連の行為はその職務に属する行為であるから、被告会社は、会社法350条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任を負い、両者の関係は不真正連帯債務となる。」
(中略)
「原告は、令和3年10月14日にメンタルクリニックを受診し、適応障害と診断された・・・。そして原告は、被告Cからの交際の申込みを拒否していた中で、突如不合理な謝罪を命じられたものであって、原告にとっては交際を断った場合の不利益が現実化したものである。この点に加え、被告Cが被告会社の設計部門を取り仕切る代表者であり、被告会社による適切な対応や改善が期待できないこと等も併せ考えれば、被告Cの一連の行為によって原告が受けた精神的負荷は大きいというべきである。」
「よって、被告Cの一連の行為によって原告が適応障害を発症したものと認められ、被告Cの不法行為と、原告の適応障害の発症との間には相当因果関係がある。」
(中略)
「原告は、令和3年10月14日から令和5年8月31日までの間、メンタルクリニックに通院して、適応障害により休職が必要であると診断され、治療費等として合計26万1800円を支出し、通院交通費として合計2万0298円を支出した・・・。これらの費用はいずれも、被告Cの不法行為と相当因果関係のある損害と認められる。」
3.代表者によるセクハラ=相談して適切な対応・改善がなかったこと?
上述のとおり、裁判所は、
「被告Cが被告会社の設計部門を取り仕切る代表者であり、被告会社による適切な対応や改善が期待できないこと等も併せ考えれば、被告Cの一連の行為によって原告が受けた精神的負荷は大きいというべきである。」
というクッションを挟ませたうえ、セクハラと適応障害発症との間の相当因果関係を認めました。
類型としては、
非接触型(人格否定なし)×継続型
で会社への相談がなかったとしても、精神障害に相当因果関係が認められた事案として位置付けられるのだと思います。
一般の方にとっては当たり前だと思われるかも知れませんが、これは労災の認定基準から一歩踏み出すもので、法専門家からすると画期的なことです。高位者によるセクハラに対し、絶望して会社に相談していなかった被害者の救済にあたり活用できる可能性があるからです。このような意味において、裁判所の判断は、実務上参考になります。