弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

セクシュアルハラスメントの成立が否定された例-女性従業員と妻子ある男性従業員との関係のもつれが被害申告に発展したケース

1.セクシュアルハラスメントと迎合的言動

 最一小判平27.2.26労働判例1109-5L館事件は、管理職からのセクハラについて、

「職場におけるセクハラ行為については、被害者が内心でこれに著しい不快感や嫌悪感等を抱きながらも、職場の人間関係の悪化等を懸念して、加害者に対する抗議や抵抗ないし会社に対する被害の申告を差し控えたりちゅうちょしたりすることが少なくないと考えられる」

との経験則を示しました。

 L館事件の最高裁判決以来、加害者の責任を追及するにあたり、被害者の迎合的言動をそれほど問題視しない裁判例が多数現れています。結果、被害救済には取り組みやすくなったのですが、セクシュアルハラスメントの加害者として名指しされた場合の防御活動は困難を極めるようになっています。

 こうした状況のもと、迎合的言動であるとの被害者側の主張を排斥し、セクシュアルハラスメントの成立を否定した裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令4.4.8労働判例1305-68 食肉加工業A社ほか事件です。加害者とされた側が防御活動を行うにあたり参考になるため、ご紹介させて頂きます。

2.食肉加工業A社ほか事件

 本件で被告になったのは、

食肉加工業者である会社(被告会社)

被告会社の正社員として、トラックの運転手として肉の仕入の運送業務を担当していた方(被告Y1)

の二名です。被告Y1は既婚者で、妻との間に3人の子を有していました。

 原告になったのは、被告会社でアルバイト従業員として稼働し、食肉加工場で鶏肉を串に刺す作業を担当していた方です。同僚からのいじめや、被告Y1からのセクシュアルハラスメントを主張して、被告らに対して損害賠償を請求した事件です。

 セクシュアルハラスメントの内容として、

「ア 原告は、平成28年末の忘年会に参加した際、従前ほとんど接点のなかった被告Y1から『今度、悩みをゆっくり聞きたいから食事に行こう。』と誘われた。原告は社内でのいじめに悩んでいたことから、無下に断ってこれ以上社内での自分の立場を悪くしないようにしたい等と考え、『今度、食事に行きましょう。』と社交辞令で返した。すると数日後から、被告Y1は業務時間外に原告を食事に誘う長時間の電話を頻繁にかけてきた。」

「イ 原告は、被告Y1の執拗な誘いにより、喫茶店で会うようになったが、社内でのいじめに疲れ、話を聞いてもらいたい気持ちもあって、機嫌をとるべく、『食事に行きましょう。』と口にすることはあった。被告Y1は次第に夜の飲酒を伴う食事に誘うようになり、原告が様々な理由で断ると、被告Y1は『社長もみんな自分の言うことは信じるし、言うことも聞いてくれる。だからX1ちゃんのことも社長に言えるし、Kさんが正社員になれたのも自分が頼んだからだ。意味分かるよね。』などと暗に強制するようになった。恐怖を感じた原告は、平成29年2月の初めころ、夜の食事の誘いに応じることにしたが、悩んだ末に約束の直前に断った。すると翌日から被告Y1は、職場内で原告とすれ違う際に、職場内の壁にのけぞるようにへばりつき、原告を汚いものでも見るような目つきで接するようになった。原告は、被告Y1の機嫌をとるべくメールで許しを請うことが何度か続いた。」

「ウ 原告は平成29年2月3日に被告Y1と食事に行ったが、退店時に被告Y1からエレベーターの中でキスされそうになり、これを断った。その後も被告Y1は執拗に原告を食事や温泉旅行に誘ってきた。」

「エ 原告は、平成29年7月29日、被告Y1から飲食に誘われ、渋々付き合わされた。退店後、被告Y1は急に『ホテルに行こう。』と言い出し、原告は断ったが、被告Y1は『ホテルで話をするだけ。少し休めば酔いもさめるから。』などと強引に原告の手を引きタクシーで池袋へ向かい、原告の抵抗を聞き入れずホテルに連れ込み、服を無理やり脱がせた。原告は被告Y1が怖くて抵抗できず、避妊だけは何とか懇願し、性交渉が行われた。」

「オ 原告は、平成29年の9月ころ、上記エと同様、食事の後にホテルに連れ込まれ、被告Y1に性交渉を強要された。最後にホテルに連れ込まれたのは同年11月17日であり、この日もホテルに強引に連れ込まれ押し倒されたが、原告の機転により性交渉に至らず一緒にホテルを出た。」

「カ 被告Y1は、平成30年2月、仮に原告と被告Y1が交際関係にあったのであれば自身も共同不法行為責任を負うにもかかわらず、被告会社等への告発を思いとどまらせるべく、妻に話もしないまま、あたかも妻の意思であるかのように慰謝料を請求する脅迫めいたメールを送信して原告を畏怖させた。

「キ 被告Y1は、平成30年2月ころ、原告との性交渉を含む関係を被告会社に開示し、原告が不貞行為を行ったという一方的な印象を被告会社に与えて社会的評価を低下させ、その名誉を棄損した。」

「ク 平成30年3月ころになると、被告Y1は職場で他の従業員も見ている前で突然背後から原告の腰や胸を触ったり、尻をなでたりするようになった。原告は被告Y1に気を使いながら、『こういうことをされると周囲の従業員の方に嫌な思いをさせてしまいます。』と言って、遠回しに身体を触らないでほしい旨を伝えたが、被告Y1は全く止めようとしなかった。」

といった主張を展開しました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、セクシュアルハラスメントの成立を否定しました。

(裁判所の判断)

「前記前提事実に加え、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、被告Y1は、平成28年の忘年会の際に親しくなった原告と連絡先を交換し、以後、勤務時間外に職場外で原告と食事を共にするようになったこと、平成29年7月29日午後8時頃に原告を新板橋駅に呼び出し、巣鴨で飲食を共にした後にホテルで性交渉に及んだこと、同年9月8日頃にも、板橋で飲食を共にした後にホテルで性交渉に及んだこと、同年11月17日頃にも、食事を共にした後にホテルに入ったことが認められる。」

「原告は、被告Y1の行為につき、同人が被告会社において影響力を持つ正社員であり、その意向次第で原告は解雇等の不利益を受ける可能性があるという背景のもとに行われたものとして、いわゆる対価型セクハラに該当すると主張する。」

「しかし、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、被告Y1は平成28年7月に被告会社に正社員として入社し、群馬県での仕入れを担当する運転手として稼働していたこと、既に被告会社に入社していた原告とは、就労場所が異なることもあって挨拶を交わす程度の関係に過ぎなかったが、同年12月末の忘年会で初めて親しく会話する機会を得たこと、被告Y1と原告との間に上司部下の関係はなく、被告Y1は運転手としての担当業務のほかに被告会社内で特段の役職や権限を有する立場にはなかったことが認められる。原告自身、別件訴訟の本人尋問において、被告Y1からの誘いに応じた理由として、誘いを断ると被告Y1が職場で原告とすれ違う際に壁伝いにのけぞって歩くような態度をとるのが嫌だったからである旨の供述をしており・・・、何ら被告Y1の被告会社における影響力を意識していたことは窺われない。」

「したがって、被告Y1の行為が被告会社における同人の影響力を背景とするセクハラであるとする原告の主張は、その前提を欠き、失当である。」

「さらに、前提事実・・・のとおり、原告は、被告Y1からセクハラを受けていたと主張する平成29年1月から12月にかけて、被告Y1に対し多数回にわたりメールを送付しているところ、その内容は、被告Y1への好意を率直に表現するものが大半を占め・・・、同年10月以降は、被告Y1が原告と距離を置いた素っ気ない態度をとることへの不満を表明するようになり・・・、同年12月20日には『異常だね ただのいじめだよ』『会社で大人のけじめつけられそうにない人みたい だったら全て会社に話する 私じゃ無理だから それから彼氏に話する』・・・と、被告Y1に対し、自身との関係を被告会社や原告の交際相手に暴露するという威迫的内容のメッセージを送信するに及んでいる。これらの内容からは、原告が何ら被告Y1から支配されることなく、自身の感情を率直に伝えることが可能な精神状態を保っていたこと、原告が被告Y1との親密な関係を積極的に希求していたことが推認される。

原告は、性犯罪被害者の心理に関する各種文献・・・に基づき、原告の行動は性被害者特有の迎合的言動であると主張するが、かかる文献が示す見解は、被害回避や被害申告等の行動をとらなかったことをもって安易に性犯罪を否定する傾向に警鐘を鳴らすものでこそあれ、性被害の主張と整合しない言動も性被害者の行動として説明がつくものとして、全て性被害を認定することを提唱する趣旨とは解されない。

以上によれば、原告と被告Y1は、単に雇用形態や担当業務が異なるのみで、支配従属関係のない対等な従業員同士の関係にあったことは明らかであり、かつ、原告が被告Y1との親密な関係を希求していたと認める余地は十分にあるということができる。

「これを踏まえ、原告主張の個別の不法行為につき検討する。」

「原告は、前記・・・【原告の主張】ア~ウのとおり主張するが、被告Y1が原告を食事や旅行に誘うことは自由であり、違法性を帯びる不相当な態様で誘った事実を認めるに足りる証拠はない。また、上記・・・に検討したところからすれば、原告が被告Y1の誘いを拒むことを妨げる事情は特に認められない。なお、被告Y1が原告に無理やりキスをしようとした事実を認めるに足りる証拠はない。」

「原告は、前記・・・【原告の主張】エ及びオのとおり主張するが、上記・・・に検討したところからすれば、被告Y1との性交渉が原告の意に反して行われたと認めることはできない。」

「原告は、前記・・・【原告の主張】カのとおり主張するが、被告Y1が平成30年2月18日に原告に対してメールを送った行為・・・は、平成29年12月20日に原告から被告Y1との関係につき被告会社や原告の交際相手に暴露することを示唆するメール・・・が送信されたことに対抗して行われた行為と認められるところ、原告の上記メール送信が被告Y1に対する脅迫罪を構成する可能性は否定し得ないこと、現に被告Y1の妻は原告に対する慰謝料請求訴訟を提起し勝訴したことも踏まえれば、これを違法と評価することはできない。」

「原告は、前記・・・【原告の主張】キのとおり主張するが、前提事実(5)及び証拠・・・によれば、原告は平成30年2月にB社長に対し被告Y1から届いたメールを示してセクハラを受けている旨相談したこと、これを受けてB社長が被告Y1を呼び出して事情聴取した際に、被告Y1は原告から送付されたメールを示しつつ、原告の側から会いたいというメールが届いている旨説明したことが認められ、このような被告Y1の行為に何ら違法性は見出し難い。」

「原告は、前記・・・【原告の主張】クのとおり主張するが、これに沿う内容を含む原告の供述並びにL及びMの証言書・・・に信用性がないことは上記・・・のとおりであって、他にこれを認めるに足りる証拠はない。」

「したがって、・・・原告の主張は採用することができない。」

3.不貞のもつれがセクシュアルハラスメントの被害申告に発展したケース

 当事者の主張や事実経過を見ると、本件では不貞行為のもつれがセクシュアルハラスメントの被害申告に発展したように思われます。

 私自身は被害者側で関与することも加害者側で関与することもありますが、この不貞行為のもつれが職場を巻き込んだセクシュアルハラスメントの被害申告に発展するパターンは、それなりの頻度で目にします。セクシュアルハラスメントの成否が微妙なケースのうち、結構な割合をこのパターンが占めているのではないかと思います。

 本件では、

両者の関係性が対等な従業員同士の関係にあったこと、

原告の被告Y1への好意を表明するメールが適切に保存されていること、

から被告側は防御に成功することができました。

 しかし、両者の関係性に権力勾配があったり、妻に不貞行為が発覚することを怖れてメールを都度証拠していたりしていたら、結果がどうなっていたのかは分かりません。実際、個人的な実務経験に照らしても、上司部下の不倫で、かつ、メッセージが残されていないケースにおいて、防御活動に悩む事案は少なくありません。

 色々なものを失うリスクを回避するためにも、無用な紛争に巻き込まれることを防ぐためにも、やはり不貞行為はしないに越したことはありません。