1.ポジティブな思い込み
セクシュアルハラスメントの被害者心理について、最一小判平27.2.26労働判例1109-5L館事件は、
「職場におけるセクハラ行為については、被害者が内心でこれに著しい不快感や嫌悪感等を抱きながらも、職場の人間関係の悪化等を懸念して、加害者に対する抗議や抵抗ないし会社に対する被害の申告を差し控えたりちゅうちょしたりすることが少なくないと考えられる」
との経験則を示しました。
最高裁の判示からも分かるとおり、セクハラの被害者が嫌なことを嫌だとはっきりと伝えることは、必ずしも容易ではありません。性的な誘いを断るにあたっても、婉曲的な表現を用いることが通常といっても良いかもしれません。
しかし、この婉曲的な表現では、拒否的な感情が伝わらないことがあります。
例えば、妻子ある上長から関係を持ち掛けられ、
「配偶者がいるのにアプローチをするのはおかしい」
と述べたとします。
察しの良い上司であれば引いてゆきますが、そうではない場合、
「自分のことは嫌いではないが、配偶者がいるから関係を深めることに躊躇している」
とポジティブに変換し、更にアプローチが加速することがあります。
近時公刊された判例集にも、この系統の裁判例が掲載されていました。東京地判令6.4.19労働判例ジャーナル153-34 キャドワークス事件です。
2.キャドワークス事件
本件で被告になったのは、
土木建築に関する企画・調査・測量・設計・監理、土木建築工事の施工・請負等を目的とする株式会社(被告会社)
被告会社の元代表取締役(被告C 昭和39年生 令和6年1月16日辞任)
です。
原告になったのは、被告との間で期間の定めのない雇用契約を締結し、設計及び設計補助の仕事をしていた方です(平成2年生まれ)。
被告からセクシュアルハラスメントを受けたとして損害賠償を請求するとともに、休職期間満了による自然退職の効力を争い、地位確認等を求める訴訟を提起したのが本件です。被告Cが原告から拒絶されても交際の申し込みを繰り返し、私生活に介入してきたことで強い心理的負荷を受け、適応障害を発症して休職に至ったというのが原告の主張の骨子です。
裁判所は、次のとおり述べて、被告Cの行為の違法性を認めました。
(裁判所の判断)
「同年(令和3年 括弧内筆者)6月2日、原告は、被告Cと建築物の見学に赴き、その際に被告Cから、原告のことをきれいだと思っていた、原告にとって被告Cが一番頼れる男でありたい、ずっとそばにいて欲しい、Dに取られる前に自分の気持ちを伝えておこうと思った旨を伝えた。これに対し原告は、被告Cには配偶者がいるのに原告にアプローチをするのはおかしいと答えたところ、被告Cは、原告の気が変わるのを待っている旨述べた。・・・」
「さらに原告は、被告Cから、仕事の勉強として建築物の見学に同行することは構わないかと尋ねられたので、原告は、仕事の勉強ということであれば構わないと回答した・・・。」
「令和3年6月8日頃、原告は、E(被告会社の従業員 括弧内筆者)に対し、被告Cから上記・・・の話をされたことを相談した・・・。」
「令和3年7月9日頃、被告Cは、原告を、再び自転車での建築物の見学に誘い、原告はこれを承諾した。その際被告Cは原告に、見学当日は有給休暇を取得するよう指示し、原告はこれを承諾した。」
「同月18日、原告は友人に、被告Cへの対応について相談し、被告Cに忖度をしすぎないよう、少しずつ素っ気ない態度を混ぜていく旨友人に伝えた・・・。」
「同月28日、被告Cと原告は、一緒に建築物を見学した・・・。その途中、被告Cは、原告を、台湾旅行やオペラ鑑賞に誘ったが、原告はいずれも断った・・・。」
(中略)
「被告Cは、配偶者がいながら、原告に対し、異性として好意を抱いていることを伝え・・・、原告から否定的な返答を受けた後も、二人での旅行、オペラ鑑賞、登山及び寿司といった、業務とは無関係の外出に繰り返し誘い、原告は二人での外出を断っていた・・・ものである。これらの行為は、被告会社の代表者という立場から、部下である原告に対し、被告会社の代表者と従業員という関係を超えた交際を求めるものであり、要求を断った場合の職場での不利益を懸念させ、原告の職場環境を害する行為である。さらに、被告Cが、被告会社の従業員に原告との関係を問い質したこと・・・は、原告に交際を求めることと相まって原告の職場環境を害する行為であり、原告にGとの関係を問い質したこと・・・は、原告を困惑させ不快感を与える行為である。」
「もっとも、被告Cが令和3年7月9日に建築物の見学に誘ったこと・・・は、建築物の見学は被告会社の業務や原告の能力向上と無関係とはいえず、原告も建築物の見学への同行を明確に拒否したものではないから、原告の真意に反していたとしても、原告の職場環境を害する行為であるとまではいえない。」
「次に、本件展示会に関し、被告Cが述べるGの失礼な態度というのは、Gの被告Cに対する製品説明の機会が少なく原告ばかりに説明をしていたというものである・・・。これについて被告Cは、原告に対し、目上の者が退屈や疎外感を感じることのないよう振舞うべきと指導するのではなく、頭を下げて謝罪するよう叱責し、さらにGの行動の背景には原告への好意があるとの憶測を述べて、Gを被告会社の担当から外すことの伝達を指示するとともに、そのような事態に至ったことには原告にも責任があるとして、原告からJ所長に直接謝罪するよう命じたものである・・・。かかる被告Cの言動や指示は、適正な業務上の指示や指導の範囲を逸脱した不合理なものであり、原告に不快感や屈辱感を与える行為である。」
「以上のとおり被告Cは、原告に対する好意から、原告から拒否されているにもかかわらず交際を申込み、他の従業員に原告との関係を問い質す等して原告の職場環境を悪化させ、さらに本件展示会でのG及び原告の対応に苛立った挙句、業務の適正な範囲を超えて原告に被告Cや取引先への不合理な謝罪を命じ、原告に不快感や屈辱感を与えたものであり、こうした被告Cの一連の行為は、原告の人格権を侵害する違法な行為であり、不法行為に該当するというべきである。」
「よって,被告Cは、民法709条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任を負い、被告Cの前記一連の行為はその職務に属する行為であるから、被告会社は、会社法350条に基づき、原告に生じた損害を賠償する責任を負い、両者の関係は不真正連帯債務となる。」
(中略)
「原告は、令和3年10月14日にメンタルクリニックを受診し、適応障害と診断された・・・。そして原告は、被告Cからの交際の申込みを拒否していた中で、突如不合理な謝罪を命じられたものであって、原告にとっては交際を断った場合の不利益が現実化したものである。この点に加え、被告Cが被告会社の設計部門を取り仕切る代表者であり、被告会社による適切な対応や改善が期待できないこと等も併せ考えれば、被告Cの一連の行為によって原告が受けた精神的負荷は大きいというべきである。」
「よって、被告Cの一連の行為によって原告が適応障害を発症したものと認められ、被告Cの不法行為と、原告の適応障害の発症との間には相当因果関係がある。」
(中略)
「原告は、令和3年10月14日から令和5年8月31日までの間、メンタルクリニックに通院して、適応障害により休職が必要であると診断され、治療費等として合計26万1800円を支出し、通院交通費として合計2万0298円を支出した・・・。これらの費用はいずれも、被告Cの不法行為と相当因果関係のある損害と認められる。」
「前記認定した、被告Cの不法行為の内容や期間、頻度に加え、原告が適応障害を発症したこと、その他本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、原告の精神的苦痛を慰謝するための慰謝料額は100万円、弁護士費用はその1割の金額として10万円と認めるのが相当である。」
3.誘い続けること自体が違法
本件で興味深く思ったのは、原告が
「被告Cには配偶者がいるのに原告にアプローチをするのはおかしい」
と述べて以降、誘い続けたこと自体にも違法性が認められているところです。
当たり前ですが、不倫ないし不貞行為に積極的な方はあまりいません。本件の判示を前提とすれば、不倫を持ち掛けるアプローチの多くはセクハラとして捕捉されてくる可能性があるように思います。
職場内での不倫・不貞(一方に性的同意がないものも含む)は労働問題に発展することが多く、裁判所の判断は、実務上参考になります。