1.求人票と労働条件通知書・雇用契約書の内容が異なっている問題
過去にも何度か取扱ったことのあるテーマですが、求人票(募集要項)の記載と、使用者から示された雇用契約書の労働条件が異なっていることがあります。
こうした場合、雇用契約書にサインしてしまった労働者は、求人票に書かれていた労働条件を主張することができるのでしょうか?
この問題に関しては、基本的にはできないものと理解されています。なぜなら、求人や募集は、労働契約の申込みそのものではなく、申込みの誘因にすぎないと理解されているからです。佐々木宗啓ほか編著『労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕30頁にも
「求人ないし募集は申込みの誘因にすぎず、契約申込みではないから、労働契約締結の際に示された賃金額が、求人ないし募集のときの見込み額より低い場合に、直ちに見込み額どおりの労働契約が成立するわけではない」
と記述されています。
このように、求人票の記載と、雇用契約書の記載に齟齬がある場合、求人票の記載は、基本的には雇用契約書の記載によって上書きされます。
しかし、少し前に、
募集要項⇒面接⇒就労開始⇒雇用契約書の作成、
という事実経過が辿られた事件で、募集要項通りの契約の成立が認められた判決が言い渡されました(東京地判令4.9.12労働判例1306-58 東京高判令5.3.23労働判例1306-52 司法書士法人はたの法務事務所事件)。この事件では雇用契約書の作成について、
「ひとたび勤務を開始すると、労働者が使用者による不利益取扱いを恐れ萎縮して適切な意思表示ができないこともあり得るところである」
との判断が示され、雇用契約書通りの労働契約が成立していたとの被告の主張が排斥されています。
正社員として募集され、就労を開始した後、有期の雇用契約書に署名、押印したとしても、有期労働契約であるとはいえないとされた例 - 弁護士 師子角允彬のブログ
近時公刊された判例集に、これを一歩進め、
求人票⇒採用内定通知⇒労働契約書の作成⇒就労開始、
と就労開始前に労働契約書が作成されているケースでも、求人票通りの労働契約の成立を認めた裁判例が掲載されていました。大津地判令6.12.20労働判例1329-36 マンダイディライト事件です。
2.マンダイディライト事件
本件で被告になったのは、人材派遣業等を主な目的とする株式会社です。
原告になったのは、ハローワーク経由で被告の求人票を見て、被告に採用された方です。本件では、
令和5年6月19日 求人票を見て被告の従業員に電話、
令和5年6月20日 被告の従業員からウェブ使用面接を受ける、
同日午後 被告従業員から7月1日を就業開始日として採用内定を通知される、
令和5年6月21日、被告の事務所で労働契約書が作成される、
令和5年7月3日 被告においての執務が開始される、
という事実経過が辿られています。
本件の問題は、求人票には
正社員 期間の定めなし 試用期間あり 期間2か月
と記載されていたのに対し、労働契約書(本件契約書)には
雇用期間 令和5年7月1日~令和5年9月30日
と記載されていたことです。
被告が就労を拒否したことに対し、原告は、期間の定めのな労働契約が成立しているとして、地位確認等を求める訴えを提起しました。
この事件で、裁判所は、次のとおり述べて、原告が労働契約上の権利を有する地位にあることを認めました。
(裁判所の判断)
「本件求人票においては、配置先、採用職種、仕事内容、身分、賃金といった労働契約の要素がおおむね具体的に特定されている上、本件内定通知の際に原告に勤務開始日が伝えられ、原告がこれを了承していることからすると、本件内定通知時点では、原告と被告との労働契約の内容が具体的に定まっているものと認められる。」
「加えて、本件全証拠によっても、本件内定通知時点において、被告により原告との労働契約締結に何らかの留保が付されたことはうかがわれないことからすると、前記・・・に認定の被告代表者の了解を得て行われた本件内定通知は、原告の求人応募という労働契約の申込みに対する被告による承諾の意思表示とみることができ、本件内定通知により、原告と被告との間には、就労開始日を令和5年7月1日とする始期付労働契約(以下『本件始期付契約』という。)が成立したと解するのが相当である。」
(中略)
「原告は、本件求人票記載の内容で労働契約の締結を申し込んだものと認められるところ、前記・・・に認定のとおり、被告は、原告に対し、本件契約書作成時まで、雇用期間について説明することはなかったのであるから、被告は、本件求人票記載の内容による原告の労働契約締結の申込みにつき、雇用期間に関して何らの言及なくこれを承諾したものといえ、本件始期付契約は、求人票記載の雇用期間をその内容として成立したものと認めるのが相当である。」
「したがって、本件始期付契約による原告と被告との労働契約は、本件求人票記載のとおり・・・、試用期間を2か月とし、雇用期間は定めがないものとして成立したものといえる。」
(中略)
「本件契約書の作成は、本件始期付契約による原告と被告との労働契約の変更合意に当たると解し得るため、次に、その有効性につき検討する。」
「就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁平成25年(受)第2595号同28年2月19日第二小法廷判決・民集70巻2号123頁参照)。そして、この理は、就業規則によらない労働条件の変更のうち、賃金等の変更に比肩するような重要な労働条件の変更にも当てはまるものと解するのが相当であるところ、雇用期間を期間の定めのないものから、2か月という短期の雇用期間に変更する合意は、賃金等の変更に比肩するような重要な労働条件の変更に当たるものといえる。」
「したがって、本件始期付契約の雇用期間の定めがないという労働条件を、本件契約書により本件契約書記載のとおり雇用期間を2か月へと変更することの有効性についても、上記理が当てはまるものといえる。」
「証人Aは、本件契約書作成時に、2か月の試行的有期雇用を先行することについて適切に説明をし、原告の承諾を得た旨を供述するが、雇用期間の定めがないものを2か月の有期雇用とすることは、雇用期間の定めがない正社員を募集する本件求人票による求人・・・に応募した原告からして相当の不利益変更であるため、相応の疑問が呈されたり、反発されたりすることが予想されるにもかかわらず、原告をどのように説得したのか具体的な供述はない。したがって、原告が本人尋問において供述するように、原告に対し、そもそも2か月の試行的有期雇用の先行につき具体的な説明をせずに本件契約書を取り急ぎ作成させたか、2か月の雇用期間については試用期間のような趣旨である旨の適切とはいえない説明をしたため、原告において有期雇用に切り替えることについて適切な検討をさせないまま本件契約書の作成に応じさせた可能性が相当程度存在する。」
「したがって、本件契約書の作成は、労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するものとは認め難く、これにより本件始期付契約における雇用期間の内容が有効に変更されたものとはいえない。」
「以上からすると、原告と被告との間の労働契約は、雇用期間の定めのないものであるところ、前記・・・に認定の労働契約の終了通知につき、被告は、原告に対する解雇の意思表示ではない旨を主張していることからすると、本件においては、被告による解雇の意思表示があったものとは認められない。仮に、原告が主張するとおり、上記終了通知が被告による解雇の意思表示であったとしても、解雇の有効性を基礎付ける事実については何らの主張がない。」
「したがって、原告と被告との間の労働契約が、解雇によって終了したものとは認められず、原告と被告との間の雇用期間の定めのない労働契約は、現在も継続しているものと認めるのが相当である。」
3.就労開始前であっても契約内容の書き換えを阻止できた
以上のとおり、裁判所は、雇用契約書の作成が就労開始に先行している事案においても、求人票に記載された労働条件の書き換えを否定しました。
これは、司法書士法人はたの法務事務所事件の判示内容を一歩先に進めたものとして注目されます。
期間の定めがない労働契約を期間の定めのある労働契約の変更にあたり、自由な意思の法理を適用していることも含め、実務上参考になります。