弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

就業規則の周知性-当該労働者への交付があっても、なお周知性が否定された例

1.就業規則の周知性

 労働契約法7条本文は、

「労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。」

と規定しています。

 噛み砕いて言うと、就業規則の内容は、「周知」を条件に、労使間の労働契約の内容に取り込まれるという意味です。

 ここで言う「周知」とは、実質的周知、すなわち「労働者が知ろうと思えば知りうる状態に置くことを指す。労働者が実際にその内容を知っているか否かは問われない。」(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕188頁参照)と理解されています。そして、「知ろうと思えば知りうる」といるためのハードルは極めて低く、就業規則の周知性が否定されることは、実務上、決して多くはありません。

 しかし、近時公刊された判例集に、周知性が否定された裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介した、札幌地判令5.4.7労働判例ジャーナル137-16 宮田自動車商会事件です。この事案は、周知性の否定の仕方も独特で、対象労働者への交付があっても、なお、周知性がなかったと判断しています。

2.宮田自動車商会事件

 本件で被告になったのは、

自働車部品、輸入車部品等の自動車関連商品全般の卸売業などを事業内容とする株式会社(被告会社)と、

その代表者(被告c)

です。

 原告になったのは、

被告会社と営業職として期間の定めのない労働契約を締結し、g営業所長の営業所長等を歴任した方(原告a)と、

同じく被告会社との間で営業職として期間の定めのない労働契約を締結し、d営業所の主任や係長の地位にあった方(原告b)

です。

 本件の原告aは、退職願を提出した後に懲戒解雇の処分を受けたことに対し、懲戒解雇の無効等を主張し、労働契約上の権利を有する地位にあることの確認等を請求しました。

 就業規則の周知性は、懲戒解雇の効力との関係で問題になりました。原告の主張の骨子は、

本件の就業規則は周知されていない、

したがって、就業規則の懲戒に関する規定は労働条件に含まれない、

ゆえに、被告会社は懲戒権を行使することができない、

というものです。

 本件の裁判所は、次のとおり述べて、就業規則の周知性を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告会社は、令和元年就業規則に基づき、原告aに対する本件懲戒解雇をしている・・・ところ、原告aは、本件懲戒解雇の根拠となった令和元年就業規則が周知性を欠くと主張する。」

「そこで検討するに、被告会社の主張を前提としても、原告aが令和元年就業規則の制定された当時に就労していたg営業所・・・においては、令和元年就業規則は、所長であった原告aが自らの机にしまったままにしていた・・・というのであり、周知性を欠くものといわざるを得ない。

「なお、被告会社は、g営業所に令和元年就業規則が備え付けられていなかったとしても、それは原告a自身の失念によるものであり、周知性を欠くと主張することは信義則に反するとも主張する。」

確かに、就業規則の周知方法としては、書面の労働者への交付もその一方法として法定されており(労基法106条1項、労働基準法施行規則52条の2第2号)、被告会社の主張を前提とすれば、少なくとも原告aに関する限り、令和元年就業規則を記載した書面を同人に交付していることになる。しかしながら、就業規則は、職種や雇用形態により例外を設け、あるいは複数の就業規則を規定することがあり得るとしても、原則としては同一事業場に就業する労働者全員に対して一律に適用されるべきものであることに照らすと、その内の一人に対してのみ書面を交付したことをもって、就業規則が周知されたと評価するべきではない。

「そして、使用者は、就業規則を労働者に周知させる義務を負うのであるから(労基法106条1項)、令和元年就業規則がg営業所の労働者に周知されていたと認められない以上、これに基づく懲戒処分は根拠を欠くものといわざるを得ない。」

「そうすると、本件懲戒解雇につき客観的に合理的な理由があるかや、社会通念上相当であるかについて判断するまでもなく、本件懲戒解雇はその根拠を欠き、無効であるといわざるを得ない。」

3.交付を受けていても、全員に周知されていなければ、周知性を否定できる

 上述したとおり、裁判所は、一人に対してのみ書面が交付されていたところで、周知されていたとは認められないと判示しました。

 これだけならまだ予測の範疇ではありますが、裁判所は、更に進んで、その交付を受けた者からも周知性がないという主張をすることが可能だと述べました。

 就業規則の周知性に関する独特の判断であるほか、懲戒解雇の争い方という点でも、実務上参考になります。