弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

就業規則の周知性の否定例-尋問で足を掬えることもある

1.就業規則の周知性

 労働契約法7条本文は、

「労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。」

と規定しています(契約規律効)。

 就業規則に契約規律効が認められるための「周知」に関しては、

「労基法106条1項及び労基法施行規則52条の2の周知の方法(見やすい場所への掲示・備付け、書面交付又は記録した磁気テープ等を労働者が常時確認できる機器の設置)に限られず、事業場の労働者が実質的に知り得る状態となり得る方法が採られることで足りる」

と理解されています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕32頁参照)。

 この「実質的に知り得る状態」というのは極めて緩やかに理解されており、実務上、就業規則の周知性が否定されることは殆どありません。

 そうした状況の中、近時公刊された判例集に、就業規則の周知性が否定された裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、東京地判令3.4.13労働判例ジャーナル116-52 ノミック事件です。

2.ノミック事件

 本件は、いわゆる残業代請求事件です。

 被告になったのは、室内装飾及び店舗の設計、施工等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、

平成25年4月1日に被告との間で労働契約を締結し、被告のD支社に配属されて就労していた原告A

平成15年3月1日に被告との間で労働契約を締結し、被告のD支社い配属されて就労していた原告B

の二名です。

 原告Aは平成30年3月31日に退職し、原告Bは平成30年4月30日に退職しました。その後、催告を経て、平成30年12月27日、割増賃金の支払を求める訴えを提起しました。

 この事件の興味深いところは、原告Aにしても、原告Bにしても、かなり長期間に渡って「固定残業手当」の支給を受けていたことです。

 原告Aは被告に入社した平成25年4月当時から、原告Bは入社後約3年を経た平成18年7月から「固定残業手当」の名目で一定額の支給を受けていました。

 本件では、固定残業代についての合意の成否のほか、周知性の観点から就業規則の効力も争われました。

 裁判所は、この事案について、次のとおり述べて、就業規則の周知性を否定しました。

(裁判所の判断)

被告は本件就業規則を原告ら従業員に周知していたと主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はない。

この点、被告の従業員のE(以下『E』という。)は、その証人尋問において、被告のD支社では、本件就業規則を事務職員が就労している場所の後ろの棚に置いて周知している旨を証言するが、これを裏付ける証拠はない。また、E自身、実際にその棚に本件就業規則が保管されているのを見たことはなく、被告からその場所に本件就業規則が保管されていると聞いたこともないと証言している。

「また、被告は、平成18年8月24日の営業会議において就業規則を変更して固定残業手当を導入することについて説明し、これによって本件就業規則を周知したとも主張し、これに沿う証拠(乙27、30、証人E)もあるが、仮に上記営業会議において固定残業手当の導入を説明・告知したことがあったとしても、それだけでは本件就業規則について周知したとは認められない。」

「上記のとおり、被告においてD支社の従業員が本件就業規則の内容を知り得ることができる措置をとっていたと認めるに足りる証拠がない以上、本件就業規則は周知性を欠いており、無効であるから、本件就業規則の固定残業代についての定めが、原告らと被告との間の労働契約の内容になっていたと認めることはできない。

3.労働基準監督署による是正勧告が効いている可能性もあるが・・・

 本件では、

「本件就業規則は、原告らが所属していた被告のD支社を所轄する中央労働基準監督署長には届出られていない。また、被告は、平成30年4月30日時点で、中央労働基準監督署長に対し就業規則を届け出ておらず、平成31年3月18日、同監督署長から、労働基準法89条1項に従って就業規則を届け出ていないことと、労働基準法106条1項に従って就業規則を周知していないことについて、是正勧告を受けた。」

との事実が認定されています。

 本件が、こうしたやや特殊な前提事実のもとでの判断であることは、十分に意識しておく必要があります。

 とはいえ、曲がりなりにも、従業員が、

「被告のD支社では、本件就業規則を事務職員が就労している場所の後ろの棚に置いて周知している」

と証言する中、実務上極めて緩やかに認定されることの多い就業規則の周知性が、

「これを認めるに足りる的確な証拠はない。」

と極めてあっさりと否定されていることは、注目に値します。

 また、従業員の証言が、

「E自身、実際にその棚に本件就業規則が保管されているのを見たことはなく、被告からその場所に本件就業規則が保管されていると聞いたこともないと証言している」

と崩れている部分も興味深いところです。

 普通、証人尋問にあたっては、予め入念な予行練習を実施します。そのため、会社側証人が会社側に不利な証言をするという事態は、そうそう起きることではありません。

 それが起きたのは、周知性の要件が極めて緩やかであることから、会社側が反対尋問対策を御座なりにいていたのではないかと推測されます。こうした実例を目の当たりにすると、使用者側に有利な論点であるからといって安易に諦めることなく、反対尋問権を適切に行使することの重要性を自覚させられます。