1.就業規則の周知性
労働契約法7条本文は、
「労働者及び使用者が労働契約を締結する場合において、使用者が合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていた場合には、労働契約の内容は、その就業規則で定める労働条件によるものとする。」
と規定しています。
この「周知させていた場合」の意味については、
「労働者への実質的な周知・・・があれば足りる」
と理解されています。
https://www.jil.go.jp/hanrei/conts/04/24.html
「実質的な周知」の意味については、一般に、
「労働者が知ろうと思えば知り得る状態にしておくことで足りる」
という説明がなされています(白石哲編著『労働関係訴訟の実務』〔商事法務、第2版、平30〕190頁等参照)。
しかし、この、
「知ろうと思えば知り得る状態」
とは、どのような状態を言うのでしょうか? 物理的に「知ろうと思えば知り得る」と言えれば、それで周知性は満たされるといえるのでしょうか?
この問題を考えるうえで参考になる近時の裁判例に、大阪地判令2.5.28労働判例ジャーナル102-32 タカラ運送ほか1社事件があります。
2.タカラ運送ほか1社事件
本件はトラック運転手の方が原告となって提起した残業代請求訴訟です。
被告が支給していた各種手当に残業代としての性質が認められるか否かに関連し、就業規則の周知性が争点の一つになりました。
就業規則を見たこともないと主張する原告に対し、被告は、
「被告アイシスの就業規則は、被告アイシスの事務所兼被告P5宅に保管していた。」
「具体的には、建物の玄関に入り、すぐ左側に位置する部屋が、被告アイシスの事務所となっていたところ、同部屋の壁に掲げられていた額縁の中に就業規則を入れており、従業員に就業規則の存在を目に見えるように分からせていた。」
「もちろん、従業員においては、自由に額縁から就業規則を取り出して内容を検分することができる状態となっていた。」
「被告P5も、『事務所に来れば、いつでも就業規則を見せることができる。』と従業員全員に説明していた。実際に、これまで経営してきた間、従業員が事務所にて就業規則を見ていたこともある。」
などと反論しました。
これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、就業規則の周知性を否定しました。
(裁判所の判断)
「使用者が定める就業規則が、労働者との間の雇用契約の内容となるためには、当該使用者が、合理的な労働条件が定められている就業規則を労働者に周知させていることを要する(労働契約法7条)。」
「この点につき、被告アイシスらは、就業規則を、被告アイシスの事務所兼被告P5宅の壁に掲げられた額縁の中に入れており、従業員に就業規則の存在を目に見えるように分からせていた、従業員においては、自由に額縁から就業規則を取出して内容を検分することができる状態となっており、従業員に対し、事務所に来ればいつでも就業規則を見せることができると説明していた旨主張する。」
「しかしながら、上記主張は、額縁に就業規則を入れていたという点で不自然であるのみならず、被告P5は、本人尋問において、額縁の中に入れていたのは就業規則の表紙だけであり、就業規則の中身は被告アイシスの事務所のロッカーに入れていた旨供述しており・・・、被告アイシスの就業規則の保管場所に関する主張とそごする供述をしていることからすると、上記主張及び被告P5の供述は、いずれも信用しがたい。
また、上記額縁があるとされる事務所すなわち就業規則の保管場所は、原告らが業務中に立ち寄っていた埼玉県所在のプレハブ小屋・・・ではなく、原告らがトラックで立ち寄ることができない被告アイシスの事務所兼被告P5宅であり、実際に、原告らは、就業規則の保管場所である被告アイシスの事務所兼被告P5宅に行ったこともない・・・というのである。」
「そうすると、被告アイシスは、原告らに対し、就業規則を周知させていたということはできず、当該就業規則が、本件各雇用契約の内容を構成すると認めることはできない。」
3.物理的に知ろうと思えば知れるだけでは足りないのであろう
裁判所では上記判示の前提として、
「被告アイシスの事務所は、埼玉県所在の被告タカラのP6営業所と表示されたプレハブ小屋にあり、原告らは、業務中に同所の駐車場に車を止めて、同事務所に立ち寄っていた。」
「他方、原告らは、被告アイシスの事務所兼被告P5宅には、トラックの駐車場はなく、原告らが同所を訪ねたことはない。」
との事実が認められています。
判決文では、トラック運転手として雇入れた原告らについて、普段出勤するわけでもなく、トラックを止める駐車スペースもない事務所内に就業規則を備置しておいたところで、周知性を認めることはできないとの趣旨が示されています。
このような判示から考えると、
「知ろうと思えば知り得る状態」
という意味内容は、やはり単純に物理的に知ろうと思えば知れれば良いとするわけではないのだと思われます。
周知性に関する判断は、分かるようで分かりにくく、裁判所の判断も、必ずしも明確ではありません。
周知性を争う手掛かりになりそうな裁判例については、引き続き注視して行く必要があるように思われます。