弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

懲戒解雇するつもりもないのに、懲戒解雇されると誤信している労働者に退職勧奨をしていいのか?

1.退職勧奨

 退職勧奨をすることは、それ自体が違法とされているわけではありません。

 しかし、「労働者に対し執拗に辞職を求めるなど、労働者の自由な意思の形成を妨げ、その名誉感情など人格的利益を侵害する態様で退職勧奨が行われた場合には、労働者は使用者に対し不法行為・・・として損害賠償を請求することができる。」(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕964頁)と理解されています。

 ここで一つ問題があります。

 使用者は労働者の誤信を利用することが許されるのかという問題です。

 退職勧奨には、一定の理由があるのが普通です。経営不振に基づく人員削減であったり、非違行為であったり、協調性不足であったり、能力不足であったり、理由には様々なものが考えられます。

 このうち非違行為を理由として退職勧奨が行われる場合、労働者が問題を実際より深刻に捉えている場合があります。懲戒解雇をすることが法的には困難であるにもかかわらず、退職勧奨を断ったら懲戒解雇されてしまうのではないかと誤信しているようなケースが典型です。

 それでは、退職勧奨をしている時、懲戒解雇する意思のない使用者は、労働者が上述のような誤信をしていることに気付いた時、これを訂正することなく、済し崩し的に合意退職を成立させてしまうことが許されるのでしょうか?

 この問題を考える上で参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。札幌地苫小牧支判令4.3.25労働経済判例速報2482-26 A病院事件です。

2.A病院事件

 本件で被告になったのは、医療法人A病院が開設する病院(本件病院)の事務部長(被告事務部長)と臨床検査科の主任科長(被告主任科長)の2名です。

 原告になったのは、本件病院で臨床検査技師として勤務していた方です。

 被告事務部長は、無断無償発注行為(身体検査を外注業者に無償で依頼したこと)、情報漏洩行為、他院誹謗中傷行為、無断出張行為の各行為を挙げ、

「厳しい処分」を検討していること、

合意退職するのであれば、「処分」をしない方針であること、

を告げ、退職を勧奨しました(1回目の面談)。

 これを受け、2回目に面談した時、原告は、

「私が自主的に退職するっていう部分で処分が免れるんであれば、そこは私は退職します」

「退職さしていただきます」

などと外形上退職に合意する旨の発言をしました。

 しかし、1回目の面談に先立ち、本件病院は外部弁護士に相談しており、原告の方を直ちに懲戒解雇することは困難であるとの持っていました。

 このような事実関係のもと、原告の方は、

「合意退職に応じなければ懲戒解雇が避けられない旨を告げて二者択一を迫るなどして退職を強要したのであるから、被告事務部長による退職勧奨は、社会通念上相当と認められる限度を超えて不当な心理的威圧を加えたものとして、不法行為法上違法である」

と主張し、被告らに対して損害賠償を請求する訴えを提起しました。

 これに対し、被告らは、

「そもそも原告に対し、合意退職に応じなければ懲戒解雇となる旨を誤信させるような発言は一切していない。」

と反論しました。

 当事者双方の主張を受け、裁判所は、次のとおり判示し、退職勧奨の違法性を否定しました。

(裁判所の判断)

「被告事務部長が、原告に対し、合意退職に応じなければ懲戒解雇とする旨を明言したことはなく、かえって、・・・原告を懲戒解雇とすることが困難であることを理解した上で面談に臨み、原告から(懲戒)処分の見込みを尋ねられても、1回目の面談では『それは12月5日(2回目の面談)に来たときにお話をします。今ここではお話はしません』などと述べ、また、2回目の面談でも『それ(処分の内容)は話せません、今は話せない。この今の状況も聞いてますし』などと述べるなど、慎重な言い回しを用いて(懲戒)処分の内容等をいまだ検討中であるという旨を告げ、既に懲戒解雇とすることが決定しているかのような誤解を与えないよう細心の注意を払って対応していたといえる。この点、確かに、原告が『私も家族がおりますので、解雇となった場合に次のステップを踏むときに、やっぱりそれが不要なものになりますので、それは避けたいと思います」などと述べていることから、原告が(懲戒)解雇となることを恐れ、少なくとも、それを回避することが、退職に合意する旨の発言をした動機の一つとなったこと自体は認められるものの、被告事務部長の退職勧奨が不法行為法上違法であるかは、原告の主観のみによって決せられるべきものではなく(換言すれば、結果的に原告が被告事務部長の言動の趣旨・意図を誤信したからといって(それが退職合意の無効原因となるかは措くとしても)当該言動が直ちに不法行為法上違法となるものではなく)、一般通常人の捉え方を基準として客観的に決せられるべきものであることからすれば、上記で説示したとおり、被告事務部長の退職勧奨に虚偽の告知が含まれていたとまでは評価できないといわざるを得ない。」

「なお、被告事務部長は、原告に対し、1回目の面談において『当院として厳しい処分を検討してます」と述べるなどして、懲戒処分を検討している旨を告げているが、本件病院として、懲戒処分を検討していること自体は真実であって、前記認定事実・・・のとおり、原告の非違行為を推認させる相応の客観的資料を既に取得していたことに照らせば、懲戒解雇に至らないとしても何らかの懲戒処分がされる可能性は否定できない状況にあったのであるから、そのような状況下において、原告に対し、将来の転職活動等に際して懲戒処分歴があることによって生じる不利益を回避させる目的で、懲戒処分を検討している旨を告げた上で、合意退職とするかの判断を委ねること自体が社会通念上許容されないとはいえず、少なくとも不法行為法上違法であるなどとはいえない。」

3.自由な意思形成を妨げているとはいえないのか?

 本件の使用者は、原告が退職勧奨を断ったら懲戒解雇されると誤信していることを認識していたはずです。懲戒解雇する意思がなかったとしたら、このような誤信を訂正しないばかりか、奇貨として利用し、合意退職に持っていくことは、労働者の自由な意思形成を妨げているように見えます。

 しかし、裁判所は、被告らの行為の違法性を否定しました。

 このような裁判例が出ると、懲戒解雇の困難性を自覚しながらも、厳しい処分を示唆し、労働者の誤信を誘発して辞職を迫るといった態様での退職勧奨の横行が懸念されます。使用者側の言動が虚喝かどうかを見極める必要があることも考えると、退職勧奨を受けた方には、その場で返事をすることなく、速やかに対応を弁護士に相談することが推奨されます。