弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

求人票と実際の労働条件が違う場合の着眼点-打ち消すものというに十分か?

1.求人票と実際の労働条件が違う

 求人票に書かれている好条件に惹かれて応募したものの、実際の労働条件が違っていたという相談を受けることがあります。

 こうした場合に求人票に書かれているとおりの労働条件を主張できるかというと、それは難しいのが実情です。なぜなら、求人票の記載は、申込みの誘因にすぎず、商社側からの契約申込みそのものではないと理解されているからです(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕30頁参照)。

 一般的にいうと、労働契約は、

① 使用者側による求人、

② 労働者側の応募、

③ 使用者側から労働条件通知書が示される、

④ 労働者側の承諾、

という経過をたどって締結されます。

 労働条件の通知は労働基準法上の義務であり(労働基準法15条、労働基準法施行規則5条参照)、この過程が省略されていることはあまりありません。使用者は、この段階で、求人票よりも低い労働条件を通知します。これに対し、今更後に引けなくなった労働者が承諾の意思表示をし、その後「話が違っていた。」という不満が爆発するというのが典型的な紛争発生の機序です。

 こうした紛争の発生機序からも分かるとおり、使用者は求人票で労働条件を示した後、改めて労働条件通知書で労働条件を示し直します。そのため、求人票の内容通りの労働契約が成立しているとは言いにくいのです。これが、「申込みの誘因にすぎない」という言葉の意味です。

 しかし、求人票で好条件に見せかけておいて、採用段階で労働者を買いたたくという手法は公平とはいえないように思います。選考を経た後「あと一歩で採用してもらえる」という労働者の思いに付け込んで、済し崩し的に不利な労働条件を吞ませてしまうことに対しては強い違和感を覚えます。

 こうした手法には常々問題意識を持っていたところ、近時公刊された判例集に、求人票に示された労働条件との関係で、面白い判断をした裁判例が掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、大阪地判令4.11.16労働判例ジャーナル132-60 荒木運輸事件です。

2.荒木運輸事件

 本件で被告になったのは、貨物自動車運送事業等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告と期間の定めのない労働契約(本件労働契約)を締結し、トラック運転手として勤務している方です。時間外労働、休日労働及び深夜労働(時間外労働等)に対する割増賃金が支払われてないとして被告を提訴したのが本件です。

 本件では「時間外割増」と呼ばれている手当(本件手当 旧呼称:業績給)の固定残業代としての効力が争点の一つになりました。

 原告が請求したのは、平成30年5月16日から令和2年9月15日までの時間外勤務手当等でした(本件請求期間)。

 被告の賃金規程上、「業績給」「時間外割増」は、次のように定められていました。

・平成30年3月16日改定前 業績給

「等級評価と売上評価の合計をいい、業績給とは法所定の割増賃金、時間外手当を意味し、等級評価と売上評価により計算する。賃金規程第11条に基づいて計算した時間外手当が業績給を上回る場合は別途支給する。」

・平成30年3月16日改定後 時間外割増

「時間外割増とは法所定の時間外手当として支給する。賃金規程第11条に基づいて計算した時間外手当が時間外割増を上回る場合は、別途支給する。」

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、本件手当の固定残業代としての効力を否定しました。

(裁判所の判断)

・対価性要件について

「前記前提事実・・・、上記認定事実・・・のとおり、本件労働契約締結の際に作成した雇用契約書には業績給には一定の時間外手当を含む旨が記載され、Cはその内容に沿って原告に対して説明しており、前記前提事実・・・のとおり、被告の賃金規程では、業績給を基準外賃金と位置付けて割増賃金、時間外手当を意味する旨や時間外手当が業績給を上回る場合差額を支払う旨を定めている。以上に示した雇用契約書やこれに係る説明内容、当時の賃金規程の定めは、業績給が時間外労働等に対する対価として支払われる旨をうかがわせるものといえ、前記前提事実・・・のとおり、業績給は平成30年3月16日以降に時間外割増と名称を変更したものの、その余の点に異なるところはない。」

「他方で、前記前提事実・・・のとおり、被告の賃金規程では、等級評価と売上評価の合計により業績給を計算するところ、

〔1〕等級評価は等級ごとの日額で計算される旨、

〔2〕売上評価は車種や運行形態等に応じて定められた標準額と運行実績に基づく売上額から計算された評価額のうちの多い額とされる旨

が定められている。そして、上記認定事実・・・のとおり、本件手当は、

〔1〕運行明細書の売上金額の合計額に一定割合を乗じた金額の合計額と、

〔2〕従業員ごとの等級評価にその月の出勤日数を乗じた金額の合計額

の合計額として算出されていたことが認められる。以上に加え、本件手当が当初『業績給』という名称であったことを併せ考慮すると、本件手当は、等級や売上額を基に算出する旨の賃金規程の定めに沿って実際に算出されており、これらはいずれも労働時間とは関連性の認められない要素であり、所定労働時間内の労働によっても生じるものであることからすると、このような算出方法に係る賃金規程の定めや運用は、本件手当が時間外労働等に対する対価だけではなく、通常の労働時間の賃金を含むものであることをうかがわせるものといえる。」

「そして、原告に対して支給された賃金の大部分を占める基本給及び本件手当の金額は別紙3のとおりであるところ、本件手当は基本給の1.13倍から1.65倍であり、200時間前後の時間外労働に相当する金額となっており、当裁判所が認定する時間外労働の時間や被告が主張する時間外労働の時間のいずれを前提とする残業代をも大幅に上回るものである。また、前記前提事実・・・のとおり、原告の基本給は平成30年9月25日支給分までは1時間当たり909円であり、同年10月25日支給分以降は1時間当たり936円であって、これらは大阪府の最低賃金額・・・と同額である(ただし、同月1日から24日までは最低賃金額を下回る)。以上のとおり、実際に算出された本件手当は労働者の実際の労働時間等の勤務状況を基に計算される残業代を大幅に上回る金額である一方で、基本給が最低賃金額であることからすると、本件手当には業務の成果に対する対価などの通常の労働時間の賃金が含まれていることがうかがわれるものといえる。」

加えて、上記認定事実・・・のとおり、原告が応募した求人票には、基本給が24万8000円から36万円の間であり、これは被告の基本給、本件手当及び無事故手当の合計額であったこと、手当に係る欄に何も記載されていないこと、配送実績に応じて給与が変動すること、同職種の大半の賃金が30万円を超えている旨が記載されていることが認められる。これらの記載によれば、被告は、配送実績に応じて24万8000円から36万円の間の基本給を支給し、ここに残業代の既払いに相当する部分を含んでいない旨を表示していたとみるのが相当である。そして、これは雇用契約書や賃金規程の内容とは相容れないものの、Cの説明は、雇用契約書の記載内容に沿った内容にとどまり、支払った業績給を超える時間外労働があった場合にその手当を支払う旨の説明や上記求人票の内容と雇用契約書の記載内容との関係についての説明はなく・・・、上記の表示内容を打ち消すものとはいえない。

「以上のとおり、本件手当は、雇用契約に係る契約書や賃金規程において時間外労働等に対する対価という位置付けを明示され、一応これに沿った説明がされているものの・・・、その算出方法は、労働時間とは関連性のない、所定労働時間内の労働によっても生じる要素に基づいて算出されものである上・・・、実際に算出された本件手当の金額は、労働者の実際の労働時間等の勤務状況を基に計算される残業代を大幅に上回る一方で基本給が最低賃金額であることからすると・・・、本件手当の算出方法及びこれによって算出される金額からは、本件手当には通常の労働時間の賃金が含まれていることが強くうかがわれ、本件労働契約締結に至る経緯等をみても、本件手当が通常の労働時間の賃金の一部であるかのような表示がされてこれが打ち消されていたとみることができないから・・・、本件手当は時間外労働等に対する対価という趣旨であるとはいえない。」

「したがって、本件手当は対価性要件を欠くものというほかない。」

・本件手当は有効な固定残業代の合意か否かについて

「上記・・・のとおり、本件手当は対価性要件を欠くから、判別要件も満たさない。したがって、本件手当は有効な固定残業代の合意であるとはいえない。」

3.打ち消すものとして十分か?

 本件で目を引かれるのは、傍線部、特に赤字部分の判断です。

 労働条件通知書や雇用契約書、就業規則、賃金規程等で、求人票で示された労働条件の上書きがされている場合、基本的には労働条件通知書等に記載された通りの内容の労働契約の成立が認められてしまいます。

 しかし、この裁判例は、雇用契約書の記載内容との不整合について説明がなかったことを指摘し、「表示内容を打ち消すものとはいえない」と述べ、雇用契約書の記載を重視しませんでした。

 求人票と矛盾した労働条件が記載されている書面が交わされていてなお、その書面に記載された労働条件に拘束されることを否定している点は、かなり画期的な判断だと思います。

 トラブルの頻発を受け、現在の法律では、労働者の募集段階から、固定残業代に係る計算方法、固定残業代を除外した基本給の額などの労働条件を明示しなければならないとされています(職業安定法5条の3、平成11年労働省告示第141号 第三-一-(三)-ハ参照)。そのため、固定残業代の論点との関係では、求人票と実際の労働条件が違っているというケースは徐々に減少に向かっているように思われます。

 しかし、それ以外の労働条件との関係で、求人票と実際の労働条件が違うという問題は、依然として残ったままです。本件は、この問題に立ち向かうにあたり活用できる判示を含んでおり、参考になります。