1.懲戒処分としての降格
「労務遂行上の懈怠や服務規律違反行為に対する制裁として、労働者の職位や資格を引き下げること」を「懲戒処分としての降格」といいます。(佐々木宗啓ほか編著『労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕84頁参照)。
懲戒処分としての賃金減額を行うには「懲戒の一方法として賃金を減額し得ることと、その要件と効果について、就業規則に定めが置かれている必要があり、その定め方としては、『減給』により賃金減額をすることのほかに、懲戒処分たる『降格』に伴って賃金減額をすることを定めておくこともあろう」と理解されています(前掲『労働関係訴訟の実務Ⅰ』84頁参照)。
それでは、降格によって基本給を減額するにあたり、就業規則上の根拠として、初任給の決定に関する規定を流用することは許されるのでしょうか?
この問題を考えるにあたり、参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令3.6.23労働判例ジャーナル117-52 ディーエイチシー事件です。
2.ディーエイチシー事件
本件で被告になったのは、化粧品の輸出及び製造販売等を目的とする株式会社です。
原告になったのは、被告のヘリコプター事業部(本件事業部)で部長として勤務していた方です。
平成30年5月1日付けでタイムカードの改竄を理由として、本件事業部の部長から次長へと降格する懲戒処分を受けました(本件降格)。
これに伴い、
月額124万円(基本給104万円 役付手当20万円)であった賃金が、
月額90万円(基本給75万円、役付手当15万円)
へと引き下げられました。
その後、更に別の理由で懲戒解雇されたことを受け、原告の方は、本件降格や懲戒解雇が無効であると主張して、降格前の賃金を基に、雇用契約に基づく賃金の支払を求める訴えを提起しました。
本件降格の効力との関係で言うと、役付手当に関しては、
部長 月額20万円
次長 月額15万円
と明記された就業規則の規定がありました。
しかし、基本給に関しては、賃金規程上、
「従業員雇入れの際の基本初任給は、本人の学歴、能力、経験、技能、作業内容などを勘案して各人ごとに決定する。」(第3条)
という規定しか定められていませんでした。
本件では、この規定を根拠に、基本給を減額することの可否が問題になりました。
裁判所は、この問題について、次のとおり判示し、基本給減額の効力を否定しました。
(裁判所の判断)
「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、懲戒権濫用として無効となり得る(労働契約法15条)。」
「前記前提事実及び認定事実によれば、被告は、部下にタイムカードの代行打刻を行わせていたことを理由として、原告を本件事業部の部長から次長に降格する懲戒処分(本件降格)を行っているところ、被告では、就業規則・・・には、出退社の際は本人自ら所定の方法により出退社の事実を明示する旨規定されていたのであるから、原告の上記取扱いは被告の上記就業規則の規定に違反し、被告による従業員の労働時間管理を妨げるものとして、被告の業務に支障を生じさせ得るものであったというべきである。そして、前記前提事実及び認定事実のとおり、本来、部下らに規則を守らせるべき本件事業部長である原告自らが部下に上記代行打刻を行わせていたこと、本件事業部の他の従業員らにも同様の代行打刻がみられ、被告として本件事業部内の規律を正す必要があったことも考慮すれば、後に判示する原告の不利益に鑑みても、被告が本件降格を行ったことは、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないとはいえず、本件降格が懲戒権の濫用として無効となるものとは認められない。」
「これに対し、原告は、上記代行打刻は、原告を含む本件事業部の従業員が直行又は直帰したときに他の者が打刻の代行をしていたものにすぎず、打刻された始業時刻及び終業時刻自体は概ね正確であるから、本件降格は相当性を欠く旨主張する。しかし、前記前提事実によれば、就業規則には、直行直帰の際には所属長の許可を得て、所定の届出を提出して行うべきものと規定されているところ、原告の上記取扱いは当該就業規則の規定に反するものであり、従業員らの直行直帰の管理を含めた被告の労務管理に支障を生じさせ得るものであるから、仮に打刻された始業時刻及び終業時刻が概ね正確であるとしても、そのことをもって本件降格が社会通念上相当性を欠き、懲戒権濫用として無効となるものとは認められない。」
「よって、本件降格は有効である。」
「次に、本件降格が有効であるとしても、本件減給については別途労働契約上の根拠が必要であるところ、前記前提事実及び認定事実によれば、役付手当については、賃金規程において、部長は月額20万円、次長は月額15万円と明確に定められているから、本件降格に伴い、賃金規程の上記規定に従って役付手当を減額したことは、有効である。」
「他方、基本給については、原被告間の雇用契約書にはその減額の根拠とすべき規定はなく、賃金規程にも、第3条に雇入れの際の初任給の決定に関する規定があるのみで、雇用継続中の基本給の減額を基礎づける規定は見当たらない。そうすると、本件減給のうち基本給の減額については、労働契約上の根拠なくされたものといわざるを得ず、これに対する原告の同意も得られていない以上、無効といわざるを得ない。」
「以上によれば、本件降格及び本件減給のうち役付手当の減額については有効であるが、本件減給のうち基本給の減額については、労働契約上の根拠を欠き無効である。」
3.雇用継続中の基本給減額規定がなければダメ
上述のとおり、裁判所は、雇用継続中の基本給の減額を基礎づける規定がなければ減給はできないとして、初任給の決定に関する規定の流用を否定しました。
個人的な実務経験の範囲内で言うと、賃金規程に雇用継続中の基本給減額を基礎付ける規定がない会社は、意外とあります。本件は懲戒処分としての降格に伴う基本給減額の効力を争う上で参考になります。
また、タイムカードの打刻代行について、始業時刻及び終業時刻が概ね正確であっても降格が許容されると判示されている点も印象的です。降格の可否については明確な規範がなく、事件の見立ては相場感覚に依存しています。公表裁判例になる事案が限られているため、部長⇒次長(手当5万円減)の降格の可否という点においても、本件は有益な示唆を与えてくれます。