弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

基本給の固定残業代への振り替え-疑問点はメールに残しておくこと

1.基本給の固定残業代への振り替え

 実務上、かなり強引に固定残業代が導入される例を目にすることがあります。その一例が、基本給を固定残業代に振り替える方法による固定残業代の導入です。これは、基本給30万円を、基本給20万円と固定残業代10万円に分割するといったような形で行われます。

 それまで残業すれば時間外勤務手当等が支払われていたのに、固定残業代の導入により、残業をしても時間外勤務手当等が支払われなくなるので、こうした形での固定残業代の導入は、明らかに労働条件の不利益変更に該当します。そのため、一定の厳格な要件のもとでしか許容されることはありません。

 それでは、法律で定める要件を無視し、強引に基本給の一部を固定残業代に振り替えられた場合、納得のいかない労働者は、どのような対応をとればよいのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時掲載された判例集に掲載されていました。東京地判令3.6.16労働判例ジャーナル117-60エディット事件です。

2.エディット事件

 本件で被告になったのは、出版物・印刷物の企画・制作等を業とする株式会社です。

 原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、記事の作成や出版物の制作等に関する業務に従事してきた方です。それまで42万5000円であった基本給を、平成31年4月以降、基本給32万2300円、固定残業代11万2700に分割されたことを受け、時間外勤務手当等を請求する訴訟を提起したのが本件です。

 本件では、基本給の固定残業代への振り替えについて、原告の同意の有無が争点になりました。

 この問題について、裁判所は、次のとおり述べて、同意はなかったと判示しました。

(裁判所の判断)

「被告は、新就業規則による1日の所定労働時間の変更、固定残業代制度の導入及び基本給の減額について、原告を含む被告の労働者全員の同意を得ており、原告との2回の個別面談でも特段の異議は出なかったと主張し、被告代表者はこれに沿う供述をする。」

「しかし、上記被告の主張を裏付ける確たる証拠はない。被告代表者が平成31年3月27日に原告と個別面談をした際、メモに『みなし残業OK』と記載しているが、原告が基本給に固定残業代を上乗せする制度であれば了承すると述べたと供述していることを踏まえると、上記メモは被告の主張を裏付けるものとはいえない。かえって、新就業規則の制定前後を通じて原告が新就業規則の内容に疑問を呈していることからすると、新就業規則による1日の所定労働時間の変更、固定残業代制度の導入及び基本給の減額について原告の同意があったとは認められない。

「したがって、被告の主張は採用できない。」

3.疑問点をメールに残しておいたことが効いた

 裁判所は原告が固定残業代を導入するための就業規則の改訂の前後に疑問を呈するメールを送信していたことを根拠として、同意の存在を否定しました。

 原告が送信したのは、平成31年3月14日の

「月給が変わらず、労働時間が増えることは、そもそも、労働条件の不利益変更にならないのか?」

というメールと、同年8月5日の、

「就業規則の件、弁護士に話を聞きました。私の場合、基本給が10万円超下がることについて、不利益変更の可能性がある、という話でした。総額で支給額が変わっていないから問題ない、ということではないとのことです。」

とのメール送信を指しています。

 この程度の疑問を呈するメールでも、同意の存在を否定する証拠としての効力があるとされた点は、意義のある判示だと思います。

 賃金の減額に関しては、同意の外形的事実があったとしても、

「当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である」(最二小判平28.2.19労働判例1136-6山梨県民信用組合事件)

と理解されており、その効力を否定できることがあります。

 しかし、こうした法理を適用するだけではなく、同意の外形的事実の認定自体も、裁判所は慎重に判断する傾向にあります。

 そのため、事後になったとしても、疑問点や異議がある場合には、そのことを証拠化しておくことが意味を持ちます。