弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

査定・評価による賃金減額を連続して行われることへの対抗手段

1.査定・評価による賃金減額

 労働者を辞職に追い込むなどの目的で、査定・評価による賃金減額が毎年のように繰り返される事例があります。

 査定・評価による賃金減額の可否については、一般に次のように理解されています。

「労働者の能力や成果の評価に基づいて個別に賃金額を決定する賃金制度において、評価が低いことを理由に賃金が減額されることもある。このような減給措置が適法になされるためには、①能力・成果の評価と賃金決定の方法が就業規則等で制度化されて労働契約の内容となっており、かつ、②その評価と賃金額の決定が違法な差別や権利濫用などの強行法規違反にならない態様で行われたことが必要になる。」(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕603-604頁参照)。

 このうち①の制度化の要件は分かりやすいのですが、②の権利濫用などの強行法規違反にならない態様という要件の内実に関しては、「権利濫用」という言葉自体の多義性も相俟って、それほど明確に分かっているわけではありません。

 それでは、毎年のように低査定・低評価による賃金減額を繰り返し、賃金を削って行くことは、果たして法的に許容されるのでしょうか?

 こうした嫌がらせにも近い連続的な賃金減額措置に対抗するにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。東京地判令4.2.28労働判例1267-5 マーベラス事件です。

2.マーベラス事件

 本件で被告になったのは、ソフトウェア及びコンテンツの企画、開発、制作、販売等の事業を営む株式会社です。

 原告になったのは、訴外会社と雇用契約を締結し、ネットワーク開発部のネットワークエンジニアとして稼働していた方です。訴外会社が平成23年10月1日に被告に吸収合併されたことに伴い、被告との間で、

雇用区分 正社員

従事すべき業務の内容 現行と同じ

所属部署 オンライン事業部 製作部 Aグループ

などとする雇用契約を締結しました(本件雇用契約)。

 平成27年5月31日当時、原告の月額賃金は30万2390円とされていましたが(当初賃金)、被告の人事考課により、

平成27年12月1日には27万6730円に、

平成28年6月1日には25万3240円に、

平成29年6月1日には23万1750円に、

平成30年6月1日には21万2090円に、

といったように、立て続けに減額されてゆきました。

 こうした人事考課による賃金減額は無効であるとして、原告は差額賃金等の支払いを求める訴えを提起しました。

 この事案で、裁判所は、次のとおり述べて、原告に対する評価が降級基準を充足していることを認めながらも、当初賃金から10%以上賃金を減額することは許されないと判示しました。

(裁判所の判断)

「前記・・・によれば、賃金(基本給及びみなし時間外手当。LD手当月額5万5000円は定額)を減額する根拠規定があり、被告が本件評価にあたり考課裁量を逸脱又は濫用したと認められないから、前記・・・のとおり、本件評価、すなわち、平成27年度上期行動評価、平成27年度通期行動評価、平成28年度通期行動評価、平成29年度通期行動評価のいずれについても、本件降給基準を充足しており、被告は、本件報酬テーブルにおける原告のグレードを下げて降給(賃金減額)を検討して実施する権限があったと認められる。そして、前記・・・のとおり、被告は、従業員に周知されていない内部の運用として、上記降給に当たり本件報酬テーブルの『月次報酬』の減額が年10%を超えないようにしていたものであり、本件賃金減額の割合も、平成27年12月1日の変更は約8.4857%、平成28年6月1日の変更は約8.4884%、平成29年6月1日の変更は約8.4860%、平成30年6月1日の変更は約8.4833%といずれも10%以内に止められている。」

「もっとも、前記・・・によれば、被告の就業規則・給与規程には具体的なグレード毎の賃金額等の定めがなく、従業員に周知された本件ガイドブックの本件報酬テーブルにおいても、基本給(LD手当導入後は基本給及びLD手当)とみなし時間外手当を合計した『月次報酬』について84(別紙6枝番1)ないし242(平成30年6月までに改定された後〔別紙6枝番2〕)のグレードが設定されているものの、グレード毎の定義(役職・職務内容・責任等)は規定されていない。そうすると、被告に原告の賃金グレードを下げて降給を検討して実施する権限があり、本件降給基準を充足した場合に賃金が減額され得ることが労働契約上予定されていたと認められるとしても、被告の権限行使による減額内容等によっては、なお減額幅決定権限の濫用により賃金減額の効力が否定されると解すべきである。

「そして、証拠・・・及び弁論の全趣旨によれば、本件賃金減額は、通常の労働に対する対価としての賃金を継続的に一定額減給するものといえる上、本件降給基準を充足して賃金グレードが下げられたからといって、それに伴う労働契約上の職責や職務内容の変更を伴わなかったと認められる。そして、上記10%を超えない運用については、労働基準法91条が減給の制裁について『総額が一賃金支払期における賃金の総額の十分の一を超えてはならない』と規定していることと対比し、一定の合理性を有すると評価できるものの、繰り返し賃金グレードを下げることとした場合、労働者の不利益が大きくなっていくことは明らかであるが、被告は、繰り返し賃金グレードを下げることについて、労働契約においても内部の運用においても何らの手当をしていないから、労働者の不利益の大きさと対比して連続減額の客観性及び合理性の乏しさは否定し難い。さらに、本件賃金減額は、連続する4年度にわたり毎年度繰り返し実施されていて、その結果、月額賃金(『月次報酬』)が30万2390円(当初賃金)から21万2090円に約29.8621%も減額されていて、上記減額結果の月額賃金(うちLD手当及び基本給の合計額は15万7427円)は被告の認識する東京都の最低賃金額を下回らない最低水準であったと認められ・・・、原告の不利益は非常に大きいものがあったといえる。この点、証人E・・・は、本件賃金減額により賃金グレードが下げられていった点について、原告に対する評価が専門学校の新卒より下であることから同新卒の初任給以下の賃金グレードでも原告が文句を言えないというところがあるなどと供述しているが、専門学校の新卒の職責・職務内容等の定義やこれに相当する賃金グレードが労働契約上明記されていないことから、原告の職務能力が専門学校の新卒に劣ることを理由として同新卒の初任給以下の賃金グレードに設定したとしても、なお客観性及び合理性の乏しさは否定し難い。」

これらの事情を総合考慮すると、本件賃金減額については、平成27年12月1日の変更前の月額賃金(当初賃金)30万2390円を10%減額した27万2151円を超える減額部分について、減額幅決定権限の濫用に当たり無効というべきである。

「具体的な月額賃金は、平成27年12月1日の変更(30万2390円→27万6730円)が全部有効で、平成28年6月1日の変更(27万6730円→25万3240円)が27万2151円まで有効でその余は無効となり、平成29年6月1日の変更(25万3240円→23万1750円)が全部無効で27万2151円が維持され、平成30年6月1日の変更(23万1750円→21万2090円)が全部無効で27万2151円が維持され、平成30年10月1日の変更(21万2090円→21万6331円)、令和元年6月1日の変更(21万6331円→21万7028円)、令和元年10月1日の変更(21万7028円→21万9154円)、令和2年6月1日の変更(21万9154円→22万0870円)、令和3年10月1日の変更(22万0870円→22万7493円)にかかわらず27万2151円が維持されることになる。この点、本件報酬テーブルにおいて、27万2151円のグレードが設定されていないが(別紙6)、グレード毎の定義等が労働契約上されていないことから、該当するグレードが存在しなくても濫用判断による賃金額の認定は可能と解すべきである。」

3.グレード毎の定義が規定されていない事案ではあるが・・・

 本件は賃金に対応するグレードに定義が与えられておらず、権限の濫用を指摘しやすかった事案ではあります。

 その点は割り引いて考えなければならないにしても、

「本件降給基準を充足した場合に賃金が減額され得ることが労働契約上予定されていたと認められるとしても」

(10%を超えて)連続して賃金を減額して行くことを違法だと判示した点は、かなり画期的なことです。人事考課は使用者側に広範な裁量が認められることが多く、これを違法だということは必ずしも容易ではありません。そうした中、人事考課それ自体が違法だとまではいえなくても、なお一定の閾値を超えて賃金を減らすことは許されないと主張する根拠になるからです。

 本件は人事考課権限を利用して労働者を辞職に追い込む手法に対抗するための重要な裁判例として位置付けられます。