弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

労働事件における一事不再理の考え方

1.懲戒処分と一事不再理

 使用者の労働者に対する「懲戒処分は制裁罰との性格をもち刑事処罰と類似性を持つため、罪刑法定主義類似の諸原則を満たすものでなければならない」と解釈されています(水町勇一郎『詳解 労働法』〔東京大学出版会、初版、令元〕557頁参照)。

 この「罪刑法定主義類似の諸原則」には「一事不再理の原則」も含まれます。

 一事不再理の原則は、刑事訴訟法で採用されているルールの一つであり、

「ある事件について判決が確定した場合、同一の事件について再度の訴訟提起を認めないこと。」

を意味します。

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 一事不再理の原則があるがめ、刑事被告人は、一度有罪になった事件で、また裁判にかけられて有罪判決を受けることはありません。一度無罪になった事件で、後々有罪の証拠が見つかったからといって、また裁判にかけられて有罪判決を受けることもありません。

 使用者の労働者に対する懲戒処分の場面でも、一時不再理の原則の適用を受けます。

 具体的に言うと、

「同じ事由について繰り返し懲戒処分を行うこと」や

「1つの懲戒事由(非違行為)に対し2つの処分を同時に行うこと」

は禁止されることになります(前掲『詳解 労働法』558頁参照)。

 ただ、懲戒処分は使用者が一方的に行うもので、刑事裁判ではありません。適用を受けるといっても、法領域が異なる以上、その内容は、刑事訴訟法上の一事不再理の原則と同じでにはなり得ません。労働法の世界に馴染むよう、その概念の内容は一定の変容を遂げることになります。

 それでは、労働法の世界における一事不再理の原則は、具体的な事件との関係で、どのように適用されているのでしょうか? 昨日ご紹介した、東京地判令4.2.10労働判例ジャーナル125-32学校法人國士舘事件は、一事不再理の原則についての裁判所の考え方が示された例としても参考になります。

2.学校法人國士舘事件

 本件で被告になったのは、国士舘大学その他学校を運営する学校法人です。

 原告になったのは、国士舘大学経営学部、国士舘大学大学院経営学研究科で教授を務めていた方です。

 本件では多岐に渡る請求がなされていますが、その中の一つに、懲戒処分としての教授から准教授への降等級処分(本件降等級処分)がありました。

 本件降等級処分は、原告が行った複数回の熊本出張に関するもので、

「本件熊本出張において、調査研究概要書に記載した調査、研究を行わなかったにもかかわらず、それを行ったとする虚偽の事実を出張報告書に記載して提出し、旅費、交通費及び日当として支給を受けた9万8030円(本件熊本出張1)、10万8682円(本件熊本出張2)、9万5500円(本件熊本出張3)を不当に取得したこと」

を対象行為とするものでした。

 しかし、原告は、これに先立ち、

「本件熊本出張において、各焼酎酒造会社の所在地に赴き、建物外観の写真撮影を行ったものの、それらの会社を訪ねて、経営者、従業員等に対して面談を求め又は面談を行った事実は一切なく、調査研究概要書に記載した調査研究としての『訪問』を理由なく行わなかったにもかかわらず、それを行ったとする虚偽の事実を出張報告書に記載して提出したこと」

を対象行為として、戒告処分を受けていました(本件戒告処分)。

 被告は面談を行った事実がなかったどころか、目的地に赴いた事実自体がなかったとして、本件戒告処分を取消して、本件降等級処分を行いました。

 これに対し、原告の方は、

「本件降等級処分は、本件戒告処分と同じ本件熊本出張の事実関係をもとに行われたものであるところ、両処分の懲戒対象行為は、結局のところ出張報告書を提出したことであるから同一であることは明らかであり、一事不再理に反する手続的不備がある」

と主張し、本件降等級処分の有効性を争いました。

 裁判所は、次のとおり述べて、一時不再理違反はないとして、本件降等級処分の有効性を認めました。

(裁判所の判断)

「原告は、本件降等級処分は一事不再理の原則に反し違法無効であると主張する。」

「そこで検討すると、使用者の懲戒権の行使は、制裁罰の性質を有するものであるから、同一の行為について重ねて懲戒権を行使するものと評価されるときは、その権利を濫用したものとして無効となると解される。他方、使用者による懲戒処分は刑事罰そのものではない上、労働契約における使用者は捜査機関のような事実調査能力を有するものではないから、使用者による懲戒権の行使について、刑事手続における一事不再理の原則のような厳密な制限を課すことも相当でない。

「これを本件についてみると、本件戒告処分は、原告が提出した本件写真データに基づき、原告が本件熊本出張において本件各焼酎酒造会社の所在地へ赴き写真撮影を行ったことを前提に、本件各焼酎酒造会社の関係者らと面談をしなかったとして、本件熊本出張の目的とした調査研究のうち『訪問』を行わなかったことを懲戒対象行為としてなされたものであるのに対し、本件降等級処分は、原告は本件各焼酎酒造会社の所在地へ赴いてすらいなかったことが判明したとして、本件戒告処分を取消した上で、原告が本件熊本出張の目的とした調査研究自体を行わなかったことを懲戒対象行為としてなされたものである。そうすると、本件降等級処分における懲戒対象行為は、本件戒告処分における調査対象行為を包含するものといえるが、上記のとおり本件各焼酎酒造会社の所在地に赴くことすらしなかったことを本質とするものであって、両者の間に質的な相違があることは明らかであるから、同一の行為について重ねて懲戒権が行使されたとは評価できず、本件降等級処分が権利の濫用に当たるとはいえない。

3.刑事訴訟法上の一事不再理原則ほど強力には守ってくれない

 上述のとおり、裁判所は、本件降等級処分の一事不再理原則違反を認めませんでした。

 使用者の側で一方的に事実を認定を認定して行うことができる以上、労働者に対して行われる懲戒処分との関係では、刑事訴訟の場合以上に広範に一事不再理原則を妥当させるという考え方も成り立ちそうに思えます。しかし、裁判所は、そのような考え方は採用せず、刑事訴訟の場合よりも制限は緩和されると判示しました。

 二重処分が疑われる場面は、実務上も一定の頻度で目にします。本裁判例は、労働事件における一事不再理の原則の適用のされ方を知るうえで参考になります。