弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

解雇されるかも知れないというプレッシャーの中で行った賃金減額同意の効力が否定された例

1.勤務成績不良等を理由に賃金減額の提案を受けた労働者の立場

 勤務成績不良等を理由に賃金減額の提案を受けた労働者は、難しい判断を迫られます。断ると賃金と提供された労務の水準が見合っていないとして解雇される危険があるからです。裁判所は、賃金減額の打診をしたことを、解雇を回避するための努力として、解雇の適法性を基礎づける理由として評価することがあります。そのため、賃金減額の提案は、嫌なら即断れば良いといった単純な問題ではなく、断った場合に使用者が解雇まで踏み込んでくるのかを見極めたうえで判断しなければなりません。

 こうしたプレッシャーに押しつぶされ、不本意な形で賃金減額の提案に同意してしまう方は少なくありません。

 しかし、賃金減額に同意したからといって、使用者が解雇を諦めるとは限りません。解雇回避努力を尽くしたというために賃金減額の提案をしたところ、これが望外に同意されてしまったというケースもあります。このようなケースでは、結局、使用者は何だかんだ理由をつけて解雇に踏み切ってきます。

 それでは、このように解雇されてしまった労働者が、先行する不本意な賃金減額の同意の効力を争うことはできないのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。大阪地判例4.7.22労働判例ジャーナル129-30 カワサキテクノサービス事件です。

2.カワサキテクノサービス事件

 本件で被告になったのは、科学・工業技術に関する情報提供サービス業、コンサルタント業等を目的とする特例有限会社です。

 原告になったのは、中華人民共和国出身の男性であり、被告との間で無期労働契約を締結し、調査・コンサルティング業務等に従事していた方です。入社翌月である平成30年7月分からは基本給20万円に業務手当7万円を加えた合計27万円を賃金として支給されていました。しかし、令和元年7月分以降、基本給16万3000円、業務手当5万7000円の合計22万円にまで賃金を減額され、休業を命じられるなどした後、令和2年8月31日付けで解雇されてしまいました。その後、解雇が無効であるとして労働契約上の地位の確認等を求めるとともに、自由な意思による合意なしに賃金を引き下げたことは許されないとして差額賃金の支払を求める訴えを提起したのが本件です。

 本件の賃金減額には原告の外形的な同意がありましたが、裁判所は、次のとおり述べて、賃金減額の効力を否定しました。

(裁判所の判断)

・判断枠組み

「賃金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第1073号同48年1月19日第二小法廷判決・民集27巻1号27頁、最高裁昭和63年(オ)第4号平成2年11月26日第二小法廷判決・民集44巻8号1085頁、最高裁平成25年(受)第2595号同28年2月19日第二小法廷判決・民集70巻2号123頁等参照)。」

・検討

「本件賃金減額は、原告の月額賃金を合計27万円から22万円に引き下げるものであり、賃金の減額幅は約2割にも上るから、本件賃金減額が原告に与える不利益は相当大きいものであったといえる。」

原告は、令和元年6月26日に行われた被告代表者及びCとの話合いの結果、最終的には本件賃金減額に同意したものの・・・、上記の話合いの過程において、被告代表者は、原告に対し、原告の勤務成績及び勤務態度の不良を理由として、原告を正社員からアルバイトに変更する旨の打診をしていた・・・。原告は、自身の地位を正社員からアルバイトに変更することによって日本の在留資格が取り消される可能性についての懸念を抱いたため、被告代表者からの上記の打診を拒絶したところ、これを受けて、被告代表者から本件賃金減額に係る提案がされるに至った・・・。上記の経緯に照らせば、原告にしてみれば、仮に本件賃金減額に係る被告代表者からの提案を拒絶すれば、被告との間の本件労働契約の存続そのものが危ぶまれ、ひいては、日本の在留資格を取り消されるおそれがあるのではないかとの危惧を抱いたとしてもやむを得ない。

「なお、本件全証拠によっても、原告が被告代表者に対して無償でもよいので正社員たる地位を継続させてほしい旨述べたとの事実を認めることはできない。」

本件賃金減額により原告が被る不利益の内容及び程度並びに原告が本件賃金減額に同意するに至った経緯等に鑑みれば、原告の上記同意が原告の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとはいい難い。

これに関し、被告は、減額後に異議が述べられなかったことや減額後の業務量や責任の程度等にも照らせば、本件賃金減額について原告の自由な意思に基づく同意があったといえる旨主張する。

しかし、本件全証拠によっても、本件賃金減額後の原告の業務量及び責任の程度が本件賃金減額前のそれに比べて約2割も低下したとの事実を認めることはできないし、前記アで説示した経緯にも照らせば、本件賃金減額後に原告が被告代表者に対して抗議をしなかったとしても無理はないというべきである。

よって、本件賃金減額につき、原告による有効な同意があったものと認めることはできず、これに反する被告の主張は採用できない。

3.解雇自体は有効とされたが・・・

 本件は解雇は有効と判断されました。しかし、上述のとおり、賃金減額は無効とされたため、使用者側に一矢報いることができました。

 この例からも分かるとおり、解雇されるかもしれない・労働契約が解消されるかもしれないというプレッシャーの中で賃金減額に同意しても、その効力が維持される場面は限定的です。外形的に同意してしまっていても、その法的効力を争える余地があることは、広く労働者に周知されておいて良いことだと思います。