1.残業時間の推計
残業代(時間外勤務手当等)を請求するにあたっては、労働者側で、
「日ごとに、始業時刻、終業時刻を特定し、休憩時間を控除することにより、(時間外労働等の時間が-括弧内筆者)何時間分となるかを特定して主張立証する必要」
があるとされています(佐々木宗啓ほか編著『類型別 労働関係訴訟の実務Ⅰ』〔青林書院、改訂版、令3〕169頁参照)。
そのため、労働時間の全部又は一部が管理されていない会社に対する残業代請求は、しばしば立証責任の壁に阻まれます。刑事罰は殆ど機能していないため、残業代を踏み倒そうとする会社にとっては、労働時間管理を「しない」という選択が最も経済合理性に適う選択となっています。
ただ、労働時間管理を放棄したり、タイムカードを破棄したりする会社が利得させることに問題意識を持つ裁判官も決して少なくはなく、始業時刻や終業時刻、あるいは、残業時間を推計することを許容する裁判例も相当数存在します。特に、タイムカード等の客観的な証拠が一部分でも存在する期間がある場合、その期間のデータから、客観的な証拠のない期間の始業時刻や終業時刻・残業時間を推計する手法は、比較的よく採用されています。近時公刊された判例集に掲載されていた、東京地判令7.10.29労働判例ジャーナル169-36 じっこ事件も、そうした裁判例の一つです。
2.じっこ事件
本件で被告になったのは、飲食業等を行う株式会社です。
原告になったのは、被告が経営する店舗で調理スタッフとして働いていた方です。被告に対して未払時間外勤務手当等(いわゆる残業代)の支払を求める訴えを提起したのが本件です。
原告が支払を求めた残業代は、
令和3年8月1日~令和6年8月31日
に対応するものでした。
このうち
令和3年9月1日~令和6年8月31日
の期間にはタイムカードがありましたが、
令和3年8月
に対応するタイムカードはありませんでした。
そのため、原告は、
「令和3年8月について、労働時間に関する資料が被告から提出されておらず確認することができないが、原告の時間外労働は常態化していたから、同月分の割増賃金は、同年9月分から令和6年8月分までの35か月分の平均金額である14万2937円(500万2793円÷35=約14万2937円)とするべきである。」
と述べ、推計計算を主張しました。
これに対し、裁判所は、次のとおり述べて、次月と同程度の残業時間を認定する方法で推計計算を行いました。
(裁判所の判断)
「令和3年8月分の割増賃金は、本件請求期間の労働時間等に照らし、同月にも時間外労働があったと認められるものの、タイムカードその他の労働時間を裏付ける書証はなく、具体的な労働時間を算定するのは困難であるから、同年9月と同程度の時間外労働はあったものと推計して、法外残業を22時間の限度で認めるのが相当であり、以下のとおり5万5385円と認める。
【計算式】
2,014円×1.25×22時間=約55,385円」
3.控え目な認定ではあるが・・・
裁判所の推計は平均値を根拠とした原告の計算よりも大分控え目なものになっています。紛失したのか破棄したのかは分かりませんが、資料を提出しない被告使用者側に甘い感は否めません。
それでも、推計計算が許容されたのは良い判断だと思います。
裁判所の判断は、資料散逸期間のある残業代請求を行ってゆくにあたり、活用できる先例の一つとして、実務上参考になります。