弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

定年後再雇用に伴う労働条件の不利益変更と自由な意思の法理

1.自由な意思の法理

 労働者及び使用者は、自主的な交渉のもと、合意(同意)により労働契約の内容を変更することができます(労働契約法1条、同法3条1項等参照)。

 しかし、

就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である

と理解されています(最二小判平28.2.19労働判例1136-6山梨県民信用組合事件)。

 つまり、賃金や退職金を減額することを内容とする合意は、外形的に合意してしまった事実があるとしても「自由な意思に基づいてなされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在」しないという理屈で、その効力を否定できることがあります(以下「自由な意思の法理」といいます)。

2.定年後再雇用に伴う労働条件の不利益変更との関係

 高年齢者雇用安定法9条は、高年齢者の安定した雇用を確保するため、事業主に対し、①定年の引き上げ、②継続雇用制度の導入、③定年の定めの廃止のいずれかの措置をとることを義務付けています。この法律の定めに従い、多くの事業主は65歳までの継続雇用制度を導入しています。

 継続雇用制度に基づいて定年後再雇用される場合、賃金等の労働条件は、定年前との比較において、大幅に引き下げられるのが通例です。

 これが許容されているのは、定年後再雇用契約が、新たな労働契約の締結だと理解されているからだと思われます。

 しかし、定年後再雇用契約は、従前の労働条件を変更しているという側面も有しています。特に、再雇用の前後で、職務の内容に顕著な差がない場合は、猶更です。

 それでは、この定年後再雇用契約による労働条件の切り下げに対し、山梨県民信用組合事件で最高裁が示している自由な意思の法理を適用して、一定の歯止めをかけて行くことはできないのでしょうか?

 この問題を考えるにあたり参考になる裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。昨日もご紹介させて頂いた、東京地判令3.6.30 労働判例ジャーナル116-40 三誠産業事件です。

2.三誠産業事件

 本件で被告になったのは、アルミサッシ及び鋼製建具類の加工、取り付け、販売等を目的とする株式会社です。

 原告になったのは、正規雇用、定年後再雇用を経て退職した被告の元従業員です。

 本件では複数の請求が掲げられていましたが、その中の一つに未払時間外勤務手当等(いわゆる残業代)の請求がありました。

 原告の定年前の賃金構成は、

基本給35万円、

役付手当3万円、

物価手当3万4000円、

住宅手当1万円、

家族手当6000円

の合計43万円でした。

 これが定年後再雇用契約により、

基本給27万1000円、

定額時間外手当12万9000円、

役付手当3万円

の合計43万円になりました。

 額面は同じく43万円ですが、手当が固定残業代(定額時間外手当)に編入されいる点で、定年後再雇用契約の労働条件は、従前の労働契約における残業代の発生要件を不利に変更するものでした(定額時間外手当相当額が割増賃金計算の基礎に入らない・定額時間外手当相当額を超えるまで残業代の支払いを求めることができない)。

 これを自由な意思に基づいてなされていないことから無効であるなどと主張し、原告は定額時間外手当相当額の支払いが割増賃金の弁済にあたることを争いました。

 この論点について、裁判所は、次のとおり述べて、原告の主張を排斥しました。

(裁判所の判断)

「被告は、本件再雇用契約における月12万9000円の定額時間外手当は、割増賃金として原告に支払ったものである旨主張するところ、労働者に支払われる基本給や諸手当(以下『基本給等』という。)にあらかじめ割増賃金を含めて支払う方法は直ちに労基法37条に反するものではないが、他方で、使用者が労働者に対して同条の定める割増賃金を支払ったとすることができるか否かを判断するためには、割増賃金として支払われた金額が、通常の労働時間の賃金に相当する部分の金額を基礎として、同条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回らないか否かを検討することになるところ、その前提として、労働契約における賃金の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である(最高裁判所平成28年(受)第222号同29年7月7日第二小法廷判決・裁判集民事256号31頁等参照)。」

「前記前提事実及び認定事実によれば、本件再雇用契約の労働契約書には、定額時間外手当について、基本給とは別に、月60時間分の時間外労働手当相当分として月12万9000円を定額支給する旨記載されており、また、被告代表者は、本件再雇用契約を締結する際に、原告に対し、同契約の労働契約書に記載されたとおりの条件を提案し、原告は、上記記載のある労働契約書を一度持ち帰って検討した上で、同契約書に署名捺印し、本件再雇用契約を締結したことが認められる。以上の本件再雇用契約の労働契約書の記載内容及び同契約の締結に至る経緯に加えて、原告の毎月の給与明細書にも、定額時間外手当として12万9000円が計上されていることに照らせば、原告に支払われていた定額時間外手当は、通常の労働時間の賃金ではなく、労基法37条の定める割増賃金として支払われた手当であると認められ、本件再雇用契約における賃金の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができるといえる。」

「したがって、被告による定額時間外手当の支払は、割増賃金として支払われたものと認められる。」

原告は、定年前後で原告の業務内容等に変更はないから、本件再雇用契約の締結は、新たな雇用契約の締結ではなく、その実質は労働条件の変更であり、定額時間外手当について原告の自由な意思に基づく同意はないから、同手当に基づく合意は無効である旨主張する。

しかし、被告の就業規則第28条によれば、被告では、社員の定年は60歳であり、定年で退職扱いとなるが、社員が再雇用を希望する場合には再雇用される旨記載されており、原告も、平成28年○○月○日で定年となったところ、再雇用を希望したことから、被告との間で、新たに期間の定めのある本件再雇用契約を締結したのであって、原告の業務内容等に変更がないからといって、本件再雇用契約が新たな雇用契約の締結ではないとはいえない。また、前記・・・の本件再雇用契約の労働契約書の記載内容及び同契約の締結に至る経緯に照らせば、原告は、定額時間外手当は割増賃金として支払われる手当であることを理解できたといえるし、その理解を前提に本件再雇用契約の内容について十分に検討した上で同契約を締結したといえるから、定額時間外手当につき、自由な意思に基づいて合意したものと認められる。なお、原告は、被告代表者は、本件再雇用契約の締結の際に、原告に対し、振り込まれる給与総額は定年前と変わらない旨説明したことを捉えて、原告に誤解を与える説明である旨主張するが、上記労働契約書の記載内容等に照らせば、上記のとおり、原告は、定額時間外手当は割増賃金として支払われる手当であることを理解できたといえるから、原告が指摘する説明内容をもって、原告による自由な意思に基づく合意がないとは認められない。

「また、原告は、定額時間外手当は、再雇用前の基本給の一部、物価手当、住宅手当及び家族手当を名目だけ変更したものであるから、割増賃金の性質を有していない旨主張する。」

「しかし、前記認定事実のとおり、被告代表者は、被告が把握する残業の実態を考慮して月60時間の時間外労働に相当する割増賃金を定額時間外手当として支払うこととし、その旨労働契約書にも明記していることからすれば、定額時間外手当は単に再雇用前の手当等の名目を変更したものとは認められないから、原告の主張は採用することができない。」

4.結論として原告の主張は否定されたが、「自由な意思」が認定されている

 裁判所は、結論として、定額時間外手当の固定残業代としての効力を認めました。

 しかし、その理由として「自由な意思に基づく合意」が認められることを指摘しています。

 もし、定年後再雇用契約が純粋な新契約の締結であり、自由な意思の法理の適用の枠外に置かれるのだとすれば、論理的に「自由な意思に基づく合意」を認定する必要はないはずです。

 本件が業務内容に変更がないという特殊性がある事案であることは考慮に入れておく必要がありますが(「原告の業務内容等に変更がないからといって」参照)、定年後再雇用に伴う労働条件の切り下げに対し、自由な意思の法理を適用する可能性を示唆する点において、本件は画期的な判断を示した裁判例であるように思われます。