1.逆求償を肯定した最高裁判例
トラック運転手が、仕事中に起こした交通事故で、被害者に損害賠償金を賠償した後、その金額の分担を会社に求めた事件で、最高裁の判決が言い渡されました。最二小判令2.2.28 労働判例ジャーナル97-1 福山通運事件です。この判決文を判例集で読むことができました。
本件は、いわゆる逆求償の可否が問題になった事案です。
民法715条1項本文は、
「ある事業のために他人を使用する者は、被用者がその事業の執行について第三者に加えた損害を賠償する責任を負う。」
と規定しています。
この条文を根拠に、ある会社の従業員の不法行為によって被害を受けた方は、会社に対して損害の賠償を求めることができます。
被害者に損害を賠償した会社は、悪さをした従業員に対して、被害者に支払を余儀なくされた金銭の負担を求めることができます(民法715条3項)。
逆求償とは、この逆のパターンをいいます。すなわち、従業員の側が被害者に損害を賠償した時に、会社に対して応分の負担を求めることができないかという問題です。
2.逆求償に関する問題意識
逆求償が議論されるのは、使用者からの求償が一定の限度に制限されているからです。
求償権行使の可否・範囲が問題になった事案において、最一小判昭51.7.8最高裁判所民事判例集30-7-689は、
「その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により、直接損害を被り又は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被つた場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである。」
と判示しています。
従業員の不始末であるからといって、使用者は被害者に支払った損害賠償額の全てを従業員に転嫁できるわけではありません。従業員に負担を求めることができるのは、「信義則上相当と認められる限度」に限られます。
それなら、従業員が被害者に損害を賠償した場合には、使用者に対して応分の負担を求めることができてもいいのではないか? これが逆求償という議論が生じる背景になります。
3.最高裁は逆求償を認めた
逆求償の可否に関しては、大雑把に言って、二つの見解がありました。
一つは、民法715条の責任というものは、あくまでも会社に被用者の責任を肩代わりさせたものなのだから、直接不法行為をした被用者が会社に対して負担を求めることができる筋合いのものではないとする理解です。
もう一つは、業務中の事故に関しては、その態様に応じて使用者にも応分の責任はあるはずであり、逆求償は認められて然るべきだとする理解です。
最高裁は、前者のような理解をとった大阪高裁の判断を否定し、
「民法715条1項が規定する使用者責任は、使用者が被用者の活動によって利益を上げる関係にあることや、自己の事業範囲を拡張して第三者に損害を生じさせる危険を増大させていることに着目し、損害の公平な分担という見地から、その事業の執行について被用者が第三者に加えた損害を使用者に負担させることとしたものである(最高裁昭和30年(オ)第199号同32年4月30日第三小法廷判決・民集11巻4号646頁、最高裁昭和60年(オ)第1145号同63年7月1日第二小法廷判決・民集42巻6号451頁参照)。このような使用者責任の趣旨からすれば、使用者は、その事業の執行により損害を被った第三者に対する関係において損害賠償義務を負うのみならず、被用者との関係においても、損害の全部又は一部について負担すべき場合があると解すべきである。」
「また、使用者が第三者に対して使用者責任に基づく損害賠償義務を履行した場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防又は損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対して求償することができると解すべきところ(最高裁昭和49年(オ)第1073号同51年7月8日第一小法廷判決・民集30巻7号689頁)、上記の場合と被用者が第三者の被った損害を賠償した場合とで、使用者の損害の負担について異なる結果となることは相当でない。」
「以上によれば、被用者が使用者の事業の執行について第三者に損害を加え、その損害を賠償した場合には、被用者は、上記諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から相当と認められる額について、使用者に対して求償することができるものと解すべきである。」
と逆求償を肯定する判断をしました。
4.興味を惹かれる補足意見
逆求償の可否については、マスコミ報道されたこともあり、既に多くの法律事務所、弁護士が解説をしています。
ただ、逆求償に関しては、元々、これを可能だとする見解が通説的な立場を占めていました。
例えば、能美善久ほか編『論点体系 判例民法8 不法行為Ⅱ』〔第一法規、第2版、平25〕384頁には、
「求償権が制限されるということは使用者が最終的にも負担すべき部分があることを意味するとして、被用者からの逆求償を肯定するのが通説といえよう」
と書かれています。
また、近時公表された村木洋二判事による論文『被用者が使用者又は第三者に損害を与えた場合における使用者と被用者の間の賠償・求償関係』判例タイムズ1468-5にも、
「被用者の賠償により使用者が免れた被害者に対する損害賠償債務のうち、使用者が内部的関係において最終的に負担すべき部分につちえは、不当利得の観点から逆求償を認めるのが相当と考えられる。」(17頁)
と書かれています。
それに、実務上、逆求償が問題になることは殆どありません。なぜなら、一般に従業員個人よりも会社の方が賠償資力を持っているからです。
お金がない方に損害賠償をしても回収不能で終わるだけなので、一般に不法行為で損害を受けた被害者は、従業員個人ではなく会社を訴えます。そのため、従業員が会社よりも先に損害賠償をするというケースは現実には生じにくいのです。逆求償の可否について長らく最高裁判決が出なかったのも、実務上、問題になることが稀であったことが関係しています。
そのため、逆求償が可能とされた最高裁の判例が出た件についても、それほどの驚きがあったわけではありません。実務へのインパクトも、実際のところ、それほどでもないのではないかと思います。
それよりも目を引かれたのは補足意見です。
最高裁判例には、菅野博之裁判官、草野畊一裁判官により、次のような補足意見が付けられています。
(両裁判官の補足意見)
「当審が原審に求めている審理事項は、本件事故による損害に関して各当事者が負担すべき額であり、その際に考慮すべき諸事情は法廷意見で述べたとおりである。これらの諸事情のうち本件においてまず重視すべきものは、上告人及び被上告人各自の属性と双方の関係性である。これを具体的にいえば、使用者である被上告人は、貨物自動車運送業者として規模の大きな上場会社であるのに対し、被用者である上告人は、本件事故当時、トラック運転手として被上告人の業務に継続的かつ専属的に従事していた自然人であるという点である。使用者と被用者がこのような属性と関係性を有している場合においては、通常の業務において生じた事故による損害について被用者が負担すべき部分は、僅少なものとなることが多く、これを零とすべき場合もあり得ると考える。なぜなら、通常の業務において生じた事故による損害について、上記のような立場にある被用者の負担とするものとした場合は、被用者に著しい不利益をもたらすのに対し、多数の運転手を雇って運送事業を営んでいる使用者がこれを負担するものとした場合は、使用者は変動係数の小さい確率分布に従う偶発的財務事象としてこれに合理的に対応することが可能であり、しかも、使用者が上場会社であるときには、その終局的な利益帰属主体である使用者の株主は使用者の株式に対する投資を他の金融資産に対する投資と組み合わせることによって自らの負担に帰するリスクの大きさを自らの選好に応じて調整することが可能だからである。さらに付け加えると、使用者には、財務上の負担を軽減させる手段として業務上発生する事故を対象とする損害賠償責任保険に加入するという選択肢が存在するところ、被上告人は、自己の営む運送事業に関してそのような保険に加入せず、賠償金を支払うことが必要となった場合には、その都度自己資金によってこれを賄ってきたというのである(以下、このような企業の施策を『自家保険政策』という。)。被上告人が自家保険政策を採用したのは、その企業規模の大きさ等に照らした上で、そうすることが事業目的の遂行上利益となると判断したことの結果であると考えられる。他方で、上告人は、被上告人が自家保険政策を採ったために、企業が損害賠償責任保険に加入している通常の場合に得られるような保険制度を通じた訴訟支援等の恩恵を受けられなかったという関係にある。以上の点に鑑みるならば、使用者である被上告人が自家保険政策を採ってきたことは、本件における使用者と被用者の関係性を検討する上で、使用者側の負担を減少させる理由となる余地はなく、むしろ被用者側の負担の額を小さくする方向に働く要素であると考えられる。」
5.使用者から労働者への求償金請求事件・損害賠償請求事件への応用可能性
両最高裁裁判官の補足意見は、
上場企業-自然人(個人)の間で、
通常の業務において生じた事故による損害
の被用者の負担割合は、僅少な場合が多く、零になることもある
と判示しています。
私は、この最高裁判例の最大の意義は、この補足意見にあるのではないかと思っています。
先に触れたとおり、逆求償という現象は実務上滅多に起こりません。それよりも、よくあるのは、使用者から労働者への求償や、業務上のミスを理由とする使用者から労働者への損害賠償請求です。
従前の最高裁判例は、「信義則上相当と認められる限度」という定式は示していても、原則的な負担割合については何も言っていませんでした。
上述の村木判事の論文では、多数の裁判例が分析されていて、問題となる事件類型毎の大まかな労使間の負担割合の傾向はつかむことができます。しかし、それは飽くまでも傾向レベルの議論でしかありません。
今回の最高裁判例の両裁判官の補足意見は、原則的な負担割合を言語化したものです。これは使用者から労働者への求償金請求事件・損害賠償請求事件に応用できる重要な判示だと思います。
今後の求償金請求事件・損害賠償請求事件において、両裁判官の補足意見は、免責をも可能にする法理として、労働者側が防御活動を展開して行くにあたり、有用なツールとして機能して行くものと思われます。