弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

漫然と申立てた労働審判は本訴移行後の足枷となる

1.労働審判の代理人選任率

 株式会社産労総合研究所が発行している判例集に「労働判例」というものがあります。

 この「労働判例」という雑誌の最新号(2020.4/5 No.1217)に東京地裁労働部と東京三弁護士会の協議会の内容が掲載されています。

 これによると、平成28年から令和元年9月までの本人申立の割合は13%もあるとのことです(労働判例No.1217-7頁、10頁参照)。

2.本人申立(代理人をつけない申立)は非推奨

 それなりの割合が弁護士を代理人に選任せずに申し立てられているようですが、私は一般の方が自力で労働審判を申し立てることは推奨しません。

 労働審判は難しいからです。

 難しいポイントは色々ありますが、その中の一つに手続選択の問題があります。

 事件には労働審判が適合的な事案と、そうではない事案があります。そうではない事案で労働審判を申し立てても、望む結論が得られることは稀です。

 労働審判が適合的でない事件の一類型として、立証計画の柱に人証が据えられている事件を挙げることができると思います。

 現在の東京地裁では、第一回目の期日で、裁判官が具体的な心証形成までやってしまっています。そのことは協議会における、

「現在の東京地裁における労働審判の手続の運用としましては、第1回期日の充実審理ということで、第1回期日において争点整理のみならず当事者本人等に対する事実審理も行い、双方の意向を確認して調停の試みまで行うという運用を行っております。」(12頁)

という阿部裁判官の発言にも表れています。

 しかし、労働審判では基本的に突っ込んだ人証調べは予定されていません。

 そのことは同じく阿部裁判官の

「基本的には、労働審判は人証等の証拠調べまでは行わない手続ですので、客観的な証拠、例えば、電子メール等の書証を中心に判断をすることが多いと思います。ただ、客観的な証拠を得ることがどうしても難しいという事実については、当事者の供述で立証することになると思います。」(16頁)

との発言からもうかがわれます。

 審理にはタイムスケジュールがあります。他にも行うべきことはあるため、人証による立証活動には時間的な限界があります。

 では、時間的な限界をクリアするため、人証による立証を陳述書で代替することができるかと言えば、そういうわけでもありません。

 協議会で西村裁判官は次のような発言をしています。

「尋問が実施されない者が作成した陳述書に関してですが、陳述書は集中証拠調べを実施するための重要な役割を果たしてきていると思われますが、陳述書それ自体は一方当事者の作成した反対尋問を経ない供述証拠ですので、そのような証拠として相応の評価をして扱うことになると思われます。」(21頁)

 要するに、人証による立証活動を陳述書(書証)で代替しようとしても、十分な反対尋問の時間とセットでなければ、あまり意味がないということです。

 ある事件の立証計画をどのように構築するのかは、優れて専門的な判断です。

 問題となる要件事実を抽出し、事前交渉における相手方の言い分と食い違う部分を抽出します。食い違いのある部分のうち、客観証拠から立証できそうな部分と、そうではない部分とを仕分けし、そうではない部分を人証で立証することになります。

 労働審判に向くのは、この人証によって立証しなければならない部分が少ない事案です。労働審判の限定された時間の中で人証が立証計画の中核を占めるような事件を処理するのは困難であり、こうした事件は、最初から訴訟を提起して、期日を重ねながらじっくりと裁判官の心証に訴えかけて行くのが適切なのだと思います。

3.労働審判が足枷となったケース

 ここでポイントになるのは、不向きな手続は最初から訴訟提起しておいた方が良いと思われることです。異議を述べれば本訴移行するのだからと安易に考えない方が良いと思います。それは本訴移行した後に、労働審判が足枷になりかねないからです。

 本訴移行後に労働審判が足を引っ張った近時の事案に、大阪地判令2.1.16労働判例ジャーナル97-22医療法人貴生会事件があります。

 本件は看護師として勤務していた方が、合意退職は看護部長のにより無効だなどと主張して、勤務先であった病院に対して労働契約上の地位を前提として未払賃金などを請求した事件です。

 原告代理人欄が空欄なので、おそらく労働審判も本訴も、代理人弁護士なしで行われた事件なのではないかと思います。

 原告となった看護師の方の強迫についての主張は次のとおりです。

(原告の主張)

「C看護部長は、平成30年2月9日に原告と看護部長室で面談を行った際、机の上においたレポート用紙を手で叩いて音を立て、声を荒げて『ここでは無理や、辞めてくれる。君もこの業界にいるからどういうことになるかわかるやろう?』、『次、行くのにも、すぐに変な噂は広まるから困るん違う?』などと繰り返し退職願を書くよう求めて強迫した。これに畏怖した原告は、看護部長室でC看護部長が言うままの内容で退職願を作成した。したがって、原告の退職の意思表示は、C看護部長の強迫に畏怖して行ったものであるから無効である。」

 これに対し、裁判所は、次のとおり判示して、強迫の事実は認められないと判示しました。

(裁判所の判断)

「原告は、C看護部長が、平成30年2月9日に原告と看護部長室で面談を行った際、机の上においたレポート用紙を手で叩いて音を立て、声を荒げて『ここでは無理や、辞めてくれる。君もこの業界にいるからどういうことになるかわかるやろう?』、『次、行くのにも、すぐに変な噂は広まるから困るん違う?』などと繰り返し退職願を書くよう求めて強迫した旨主張し、これに沿う供述(陳述書の記載を含む。)をする。」
「この点、原告の上記供述部分(陳述書の記載を含む。)は、平成30年2月9日のC看護部長とのやりとりを極めて詳細に供述するものである。」
「しかしながら、原告の上記供述部分(陳述書の記載を含む。)を裏付けるに足りる証拠がない一方で、C看護部長がそもそも面談の際に退職の話をしていないなどとこれとは異なる証言をしているにとどまらず、証拠(乙1、証人C看護部長、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、本件訴訟に先立つ労働審判手続申立ての際、原告は、合意退職が争点となることを予想していたこと、被告が労働審判手続の際にも本件訴訟と同様の退職願作成の経緯を主張していたこと、労働審判期日において、労働審判員から、退職願作成に当たり、C看護部長が大きな声を出すなどしたことがあったのかと尋ねられた際、原告がなかった旨回答していたこと、その後、原告は、本件訴訟において、訴状に代わる準備書面及び第一準備書面を提出しているものの、本件第2回弁論準備手続期日に陳述された第二準備書面に至るまで上記供述部分に沿う主張をしていなかったこと、以上の事実が認められる。
「加えて、本件労働契約の契約期間が平成30年4月15日までであることからすると、C看護部長に同年2月9日に原告を強迫してまで退職させなければならない動機も見当たらないこと、他方、原告は、数か月等比較的短い期間で、繰り返し勤務先を変えており、勤務先を変えることに特に抵抗がなく(甲7、原告本人)、原告の事情(知的障害を持つ子どもの送迎や子どもとの時間をできるだけ持ちたいとの考えから、残業ができない。)を十分に理解してもらえない職場環境であると考えて、退職を決意したとしても不自然とまではいえないことも考慮すると、原告の上記供述部分(陳述書の記載を含む。)を採用することができない。」
「そのほか、C看護部長が原告に対する強迫を行ったことを認めるに足りる証拠がない。したがって、原告の退職の意思表示がC看護部長の強迫によるものとは認められない。」

4. 負けた理由は労働審判が足を引っ張ったからだけではないが・・・

 本件で裁判所は、

① 労働審判時の発言、

② 詳細な供述に対応する主張提出の時期の遅れ、

を強迫が認められないとする消極要素として掲げています。

 本件は密室での面談での使用者側の言動が問題となっている事案です。原告と看護部長との間の言い分に食い違いがあり、人証が立証計画の中核を占める事件だったと言ってもよいのではないかと思います。

 こうした事件では、主張や供述を一貫させることが重要な意味を持ちます。

 相手方の主張が出尽くした後に人証調べに入る訴訟では、供述に矛盾・変遷が生じることをある程度予防できます。主張にしても、相手方の言い分を見たうえで、適宜、補充して行くことが可能です。

 しかし、労働審判ではそうはいきません。一回目の期日までに必要かつ十分な主張を出すことが必要になってきます。それは後の手続において、

「きちんとした主張が出ていないのはおかしい」

と指摘されることを意味します。

 また、訴訟での当事者尋問では代理人と当事者との問答の掛け合いが中核的な部分を占めるため、当事者の供述をある程度コントロールできます。

 しかし、労働審判では裁判所が積極的にどんどん発問して行くため、当事者サイドから顕出される供述をコントロールできる度合いが弱まります。人証が立証計画の中核を占める事件において、人証調べに対するコントロールを弱めるということは非常に危険なことです。単純な言い間違いや緊張からくる勘違いであったとしても、相手方当事者がそれを見過ごすはずもなく、事実認定上の消極要素として取られてしまいます。

 もちろん、本件で強迫の事実が認定されなかった理由は、労働審判時の不手際にだけあるわけではありません。しかし、判決で指摘されている幾つかの重要な事実の中には、原告サイドでコントロール可能であった消極要素が含まれていることは否定できません。

 本件は事案の性質が労働審判に向かないのに労働審判という手続選択がされた結果、労働審判での立証ができなかったことはもとより、労働審判が移行後の本訴の足枷となった事案として位置付けられるのではないかと思います。

 基本3回までの期日で終わるといったキャッチコピーを聞くと自分でもできそうな気がしてくるのかも知れませんが、労働審判は繊細で難しい手続です。

 また、複数の法的手続が考えられるときの手続選択は、できるかどうかではなく、目的との関係で適合的かどうかで論理的・戦略的に判断します。

 できそうかどうかという観点から判断を誤らないためにも、労働事件は基本的には弁護士に代理を依頼した方が良いだろうと思います。