1.非違行為に伴う責任
「従業員の企業秩序違反行為に対する制裁罰であることが明確な、労働関係上の不利益措置」を「懲戒処分」といいます。懲戒処分は「通常の企業では・・・懲戒解雇、諭旨解雇、出勤停止、減給、戒告、訓告などとして制度化」されています(菅野和夫・山川隆一『労働法』〔弘文堂、第13版、例6〕652頁)。
懲戒処分というと、優位にある使用者が、劣位にある労働者に対し、フリーハンドで行えるかのようなイメージを持っている方もいるかも知れません。
しかし、実際の懲戒処分は、それほど簡単ではありません。
労働契約法15条が、
「使用者が労働者を懲戒することができる場合において、当該懲戒が、当該懲戒に係る労働者の行為の性質及び態様その他の事情に照らして、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、当該懲戒は、無効とする。」
と安易な懲戒を戒めているからです。使用者が広範な懲戒権を持っているように見えるのは、懲戒解雇や諭旨解雇や長期間の停職を除き、その効力を争うことが経済的に割に合わないからにすぎません。法的措置をとって裁判所の判断を仰がなければ、問題のある懲戒処分でも有効であるかのような体裁は維持されることになります。
企業体質にもよりますが、労務管理がしっかりとしている企業では、懲戒処分を行うにあたっては、
懲戒事由に相当する行為があるのかどうか(労働者を懲戒することができる場合かどうか)、
当該の行為の性質や態様、関連する事情がどのようなものだったのか、
を調査するところから始まります。そして、調査結果をもとにした事実認定⇒先例・裁判例の調査⇒処分と手続が流れて行きます。
本日、焦点を当ててみたいのは、この懲戒処分の前提となる「調査」についてです。
調査を行うにあたっては、人手や費用を投じることが必要になるのが普通ですが、非違行為をした労働者に、調査にあたった役員の人件費を賠償すべき責任はあるのでしょうか?
この問題を考えるにあたり、近時公刊された判例集に参考になる裁判例が掲載されていました。東京地判令6.7.30労働判例ジャーナル155-44 イーブロードコミュニケーションズ事件です。
2.イーブロードコミュニケーションズ事件
本件で被告になったのは、電気通信事業等を業務とする株式会社です。
原告になったのは、被告との間で期間の定めのない労働契約を締結し、営業の業務に従事していた方です。女性従業員に対するわいせつ行為を理由として懲戒解雇されたことを契機として、地位確認や残業代の支払等を求める訴えを提起しました。
こうした訴えを受け、被告は、原告に対し、不祥事の調査にあたった役員の人件費等を損害として、その賠償を求める反訴を提起しました。その主張の骨子は、次のとおりです。
(被告の主張)
「被告の取締役であるg(以下『g』という。)及びh(以下『h』という。)は、・・・原告及び本件各従業員のヒアリングや、本件に関する会議への出席等、本件不法行為等がなければ必要のなかった業務に従事することを余儀なくされた。gは、営業等の現業部門を担当する取締役であり、本件不法行為等への対応は本来的業務に属するものではなかった。」
「gは、本件不法行為等への対応のため、f本社において合計87時間(1日当たり3時間の対応を合計29日間)、本件事業所において合計112時間の合計199時間を費やした。また、gの1時間当たりの人件費は、9292円(年間役員報酬総額1970万円を総労働時間2120時間(265日×8時間)で除した金額)である。そうすると、gによる本件不法行為等への対応のために要した人件費に相当する額は184万9108円となる。」
「hは、本件不法行為等への対応のため、合計88時間を費やした。また、hの1時間当たりの人件費は、3254円(年間役員報酬総額690万円を総労働時間2120時間で除した金額)である。そうすると、hによる本件不法行為等への対応のために要した人件費に相当する額は28万6352円となる。」
裁判所は労働者の非違行為を認め、懲戒解雇は有効だと判示しました。しかし、次のとおり述べて、被告側の反訴請求は棄却しました。
(裁判所の判断)
「被告は、原告の本件行為1及び本件行為2が原因で、被告の取締役であるg及びhが関係者に対する調査を行わざるを得なくなったことによって、g及びhの人件費、交通費等に相当する損害が発生するとともに、本件従業員2が退職したことにより、本件従業員2に代替する従業員を改めて採用することを余儀なくされたことによる費用に相当する損害が発生した旨主張する。」
「しかしながら、g及びhは、被告の取締役として、被告との間の委任契約に基づいて被告の業務執行を担う者であり、本旨に従って業務を執行する限りにおいては、その業務の種類や内容にかかわらず、報酬の支払を受けることができるものというべきである。そして、従業員を恒常的に雇用する被告において、従業員が不祥事を起こした場合に必要となる調査も被告の業務に含まれるというべきである上、証拠・・・によれば、gは原告の所属するc支店ネットワーク営業グループを管掌する営業本部の担当取締役であること、hは被告の総務グループ及び人事グループを管掌する管理本部の本部長であることが認められ、これらの事情を考慮すると、被告において、原告の不祥事についての調査業務をg及びhに行わせることとした場合、その報酬については、被告の業務の遂行のために想定される経費として折り込み済みのものと評価するのが相当であって、別途、被告に財産的損害が発生したと認めることはできない。」
「また、本件全証拠によるも、g及びhが、本件についての調査や会議等のためだけに出張をしていたと認めることはできない上、会議等を行う場合、映像及び音声を送受信するいわゆるリモートの方法により行うことも不可能とはいえず、本社のある大阪市内と本件事業所のある東京都内とを何度も行き来する必要性があったとはいえない(なお、被告は、本件事業所の会議室は密室になっておらず、内部の音声が外の執務スペースに漏れることを防止することができない構造となっていたため、リモートの方式により上記会議に出席することはできないと主張するが、自宅等を含め、本件事業所以外のしかるべき場所から出席することが不可能であったとは認められないから、上記認定判断は左右されるものではない。)。」
「さらに、証拠・・・によれば、本件従業員2は、令和3年6月1日、被告のf本社に復帰しており、被告を退職したのは令和4年3月であること、令和3年6月22日には医師に対して、『気分的にはいい』、『回復してきている』などと述べるなど、その症状に相当程度の改善があったことがうかがわれ、同日以降については、通院の記録が見当たらないこと等の事情が認められることに照らすと、本件従業員2の退職と本件行為2との間に相当因果関係があると認めることはできない。」
「そうすると、原告の行為によって、被告の主張する損害が発生したということはできないから、被告の反訴請求は理由がない。」
3.人件費まで負わされることはなさそう
上述のとおり、裁判所は、
従業員を恒常的に雇っていれば、不祥事調査は本来業務として存在する、
役員報酬は、調査業務まで織り込み済みである、
とのロジックで、損害賠償請求を棄却しました。
懲戒解雇されるような局面では、使用者側からの損害賠償を伴うことが少なくありません。裁判所のロジックは、役員の人件費だけではなく、不祥事調査にあたる従業員の人件費にも妥当するように思われますが、こうした人件費系統の侵害賠償に反駁して行くにあたり実務上参考になります。