弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

芸能人の労働者性-出演機会への諾否の自由をどうみるか?

1.労働者性の判断基準

 契約当事者の一方が労働者はでない場合、立場の強い側が立場の弱い側に一方的な契約条件を押し付けたとしても、両者間の法律関係は、基本的に契約書に書かれているとおりに規律されます。

 立場の弱い側が、こうした状況を打開する方法の一つに、労働者性を主張することがあります。労働者であると認められると、労働基準法、労働契約法、労働者災害補償保険法、最低賃金法などの労働法による保護を受けることができるからです。当事者間で合意してしまった契約内容であったとしても、労働法に違反する約定は、その効力を否定することができます。

 それでは、労働者であるのかどうかは、どのように判断されるのでしょうか?

 労働者性の判断にあたり大きな影響力を持っているのは、昭和60年12月19日に厚生労働省の労働基準法研究会報告「労働基準法の『労働者』の判断基準について」という文書です。行政実務でも裁判実務でも、労働者性が認められるのか否かは、ここに書かれている基準に沿って判断されています。

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000xgbw-att/2r9852000000xgi8.pdf

 研究報告によると、労働者性の有無は、雇用契約、請負契約といった形式的な契約契約のいかんに関わらず、実質的な使用従属性が認められるのか否かによって判断されます。

 この「使用従属性」という概念を構成する重要な要素の一つに、

「仕事の依頼、業務従事の指示等に対する諾否の自由の有無」

があります。

 仕事の依頼に対する諾否の自由がある場合、それは労働者性を否定する要素になりますし、諾否の自由がない場合、それは労働者性を肯定する要素になります。

2.芸能人の「諾否の自由」

 「諾否の自由」に関しては、通常「嫌でもやらなければならないか。」といった脈絡のもとで議論されます。

 しかし、一昨年、芸能人の諾否の自由について、特徴的な判断がなされた裁判例が出現しました。東京高判令2.9.3労働判例ジャーナル106-38 エアースタジオ事件(控訴審)です。以前、このブログでもご紹介させて頂きましたが、この事件は、劇団員の労働者性を論じるにあたり、

劇団員らは公演への出演を希望して劇団員となっているのであり、これを断ることは通常考え難く、仮に断ることがあったとしても、それは被控訴人の他の業務へ従事するためであって、前記のとおり、劇団員らは、本件劇団及び被控訴人から受けた仕事は最優先で遂行することとされ、被控訴人の指示には事実上従わざるを得なかったのであるから、諾否の自由があったとはいえない。

と述べ、自己実現的な意味合いから断るという選択肢がない場合にまで、諾否の自由が認められない範囲を拡張しました。

労働者性の検討要素としての諾否の自由-断りたくない場合も自由がないといえるのか? - 弁護士 師子角允彬のブログ

 芸能人の労働者性を判断するにあたっての「諾否の自由」の内実について、エアースタジオ事件(控訴審)がどのような影響を及ぼすのかを注視していたところ、近時公刊された判例集に、この問題を取り扱った裁判例が掲載されていました。東京地判令3.9.7労働経済判例速報2469-3 Hプロジェクト事件です。

3.Hプロジェクト事件

 本件で被告になったのは、農産物の生産、販売等をするとともに「農業アイドル」として活動するタレントの発掘・育成に関する業務等を行う株式会社です。

 原告になったのは、被告と契約していた亡d(死亡時16歳)の相続人(両親)です。亡dがアイドル活動に関する被告との専属マネジメント契約に基づいて従事した販売応援業務に対する対価が最低賃金法所定の最低賃金額を割っているとして、差額賃金の支払を求める訴えを提起しました。

 本件では亡dの労働者性が主要な争点となりましたが、裁判所は、次のとおり述べて、その労働者性を否定し、原告の請求を棄却しました。

(裁判所の判断)

「dは、本件賃金請求期間中、平成28年契約又は本件契約に基づき、被告が提供するタレント活動のためのトレーニングを受けながら、被告が企画したり、取引先等から出演依頼を受けたイベント等に参加してライブ等を行ったり、イベント会場に出店した小売店等の販売応援を行うなどのタレント活動を行っていたことが認められる。」

「前記前提事実及び前記1の認定事実のとおり、dは、本件グループのイベントの9割程度に参加していたが、イベントへの参加は、本件システムに予定として入力されたイベントについてdが『参加』を選択して初めて義務付けられるものであり、『不参加』を選択したイベントへの参加を強制されることはなかった。また、平成28年契約にも本件契約にも就業時間に関する定めはなかった。

以上によれば、dは、本件グループのメンバーとしてイベント等に参加するなどのタレント活動を行うか否かについて諾否の自由を有していたというべきであり、被告に従属して労務を提供していたとはいえず、労働基準法上の労働者であったと認めることはできないというべきである。

4.諾否の自由の認定が粗すぎないだろうか?

 上述のとおり、裁判所は諾否の自由があったことを認定したうえ、亡dの労働者性を否定しました。

 9割の参加の実態がどうだったのか、アイドルとしての活動を希望する高校生位の年頃の女児に不参加の選択肢が現実的なものであったのか、エアースタジオ事件(控訴審)との整合性をどのように理解するのかなど、裁判所の判断内容には、やや疑問が残ります。

 とはいえ、東京地裁労働部による裁判例であることもあり、こうした裁判例が存在していることは、同種事案の処理にあたり、理解しておく必要があります。