弁護士 師子角允彬のブログ

師子角総合法律事務所(東京:水道橋駅徒歩5分・御茶ノ水駅徒歩7分)の所長弁護士のブログです

司法試験:新型コロナウイルス感染症等の罹患が疑われる場合に受験を認めない措置は適法だろうか

 

1.新型コロナウイルス感染症当の感染防止対策

 7月15日に司法試験委員会から、

「令和2年司法試験及び司法試験予備試験に係る新型コロナウイルス感染症等の感染防止対策について」

という文書が出されました。

http://www.moj.go.jp/content/001324266.pdf

 この文書には、

「試験場入口にサーモグラフィを設置するなど、体温測定を実施する予定ですので、時間に余裕を持って試験場に到着するようにしてください。」

(中略)

発熱や咳等の症状などから新型コロナウイルス感染症等の罹患が疑われる場合は、他の受験者等への影響を考慮し、受験を控えていただくようお願いします(試験場に来られても、受験を認めないことがあります。)。

なお、・・・、受験しなかった場合の追試験や受験料返還等の特別措置は予定していません。

と書かれています。

 文書を形式的に理解すれば、サーモグラフィで発熱等の症状が疑われる場合、追い返されて、その年の受験機会を喪失してしまうように読めます。

2.司法試験の特徴

 司法試験の場合、その年の受験機会を喪失するというのは、割と深刻な問題です。司法試験の受験には、期間制限が課せられているからです。

 具体的に言うと、司法試験の受験資格は、法科大学院修了後、5年間付与されることになっています(司法試験法4条1号)。現在の司法試験は、毎年1回行われているため、5回不合格になると、受験資格を喪失してしまうことになります。

 最も切実なのは、今年が5回目の人で、サーモグラフィーに引っかかって試験場から追い返されてしまうと(本気で法務省や司法試験委員会がサーモグラフィーに引っかかった人を機械的に追い返そうとしているのかは不分明ですが)、その時点で法曹になる道が絶たれかねないことになります。

 こうした措置を突然打ち出し、受験者を拘束することは、果たして法的に許容されるのでしょうか。最新号の判例タイムズ(2020年8月号)に、この問題を考える上で参考になる裁判例が掲載されていました。東京地判平31.1.10判例タイムズ1473-217です。

3.東京地判平31.1.10判例タイムズ1473-217

 本件は、能力検定試験の試験中にトイレに行ったところ、再入室を一切認めない受験ルールに阻まれ、試験続行を断念せざるを得ず不合格を受けた方が、試験管理団体に対して、慰謝料等を請求した事件です。

 原告が組み立てた理屈の一つが、

「トイレを理由とする途中退室の場合に試験室への再入室を一切認めない受験ルールは、公的性格を有する試験制度として著しく不合理であり、公序良俗に反し無効である」

というものです。

 裁判所は、試験実施者に委ねられた合理的な裁量の範囲内のルール設定にとどまるとして再入室禁止ルールの違法性を認めず、原告の請求を棄却しました。

 本件で興味深いのは、結論というよりも、試験実施者と受験者との間の法律関係についての理解です。この問題について、裁判所は、次のとおり判示しています。

(裁判所の判断)

「本件では、民間の能力(技能)検定試験の実施者である被告が受験者の原告に対して課した特定の受験ルールの違法性が問題となっている。」

「一般にこの種の検定試験において、特定の者(受験者)が所定の受験料を支払って特定の回の試験の受験を申し込み、試験実施者がその者に所定の受験資格があるものと認めて受験票を交付した場合には、試験実施者は、受験者に対し、申込みに係る試験を所定の受験ルールに従って受験することを認めると共に、試験終了後は公平かつ公正に採点をして合否判定を行う債務を負うものと解される。一方、受験者は、試験実施者に対し、実際に申込みに係る試験を受ける際には、試験実施者が定めたルールと試験の運営を監督する者の指示を順守して、公正かつ誠実に受験すべき債務を負うものと解される。これによれば、検定試験の試験実施者と受験者との間では、特定の回の試験に関して各々が上記各債務を負うことを内容とする一種の契約関係(以下「受験契約」という。)が成立したものと解するのが相当である。

「このような受験契約上の試験実施者の債務は、飽くまでも試験実施者が事前に策定した受験ルールに則って受験者が試験を受け、個々の試験会場において試験が適正かつ公正に行われているかどうかを監督する者(試験管等)の指示に受験者が従うことをその履行の前提とするものであるから、事柄の性質上、試験実施者においては、検定試験の目的を達成するためにどのような受験ルールを定めて、いかなる方法や人的・物的態勢をもって試験を運営するのかについての広い裁量を有するものと解される。また、受験者の側でも、試験実施者が検定試験の目的を達成するためにどのよううな受験ルールを定めているのかに関しては、少なくともその概要を試験の申込書類や試験案内のホームページ等を通じて予め知ることができるのが通常であるから、遵守すべき受験ルールの存在を十分理解した上で受験の申込みを行っているものといえる。そうすると、特定の受験者の立場からすれば、試験実施者の定めた特定の受験ルールが自己にとって不都合なものであるからといって、個々の受験者との関係で、個別具体的な受験ルール自体が無効となり、当該ルールに従った試験の運営方法が受験契約上の債務不履行又は不法行為の法的問題を生起させる事態は、原則として想定し難いというべきである。」

「もっとも、かかる受験契約の一般的性格を念頭に置いたとしても、試験の目的や社会通念にてらしてみた場合に、余りにも非常識で不合理な内容の受験ルールが定められていたり、受験者の人格的利益や受験者間の取扱いの平等性を著しく侵害することにもつながりかねない明白に不当な受験ルールが設けられていたりするような例外的な場面では、試験実施者が受験者に課している個別具体的なルール自体が公序良俗等の一般条項に反するものとの評価を受け、結果的に試験実施者の受験者に対する受験契約の債務不履行又は不法行為の法的責任が生じる可能性もあり得ると解するのが相当である。

4.突然「感染防止対策」を設けることは許されるのか?

 上記判例タイムズの事案の試験の実施者は民間の団体ですが、法務省・司法試験委員会であったとしても、おそらく試験実施者と受験者との間の法律関係は「契約」として理解されるのではないかと思います。

 そう理解すると、受験案内に記載されていなかった「感染防止対策」なる条件を突然持ち出して、受験を制限する措置をとることは、債務不履行に該当するのではないかという議論は考えられると思います。

 確かに、法務省・司法試験委員会は、

「令和2年司法試験予備試験実施延期に伴う受験手数料の返還について」

という文書を出して、受験を取りやめるのであれば、受験手数料を返還すると告知しています。

http://www.moj.go.jp/content/001322342.pdf

 しかし、この文書が出たのは令和2年6月19日で、受験手数料返還申請の期限は令和2年7月10日とされています。

 問題の、

「令和2年司法試験及び司法試験予備試験に係る新型コロナウイルス感染症等の感染防止対策について」

が発出されたのは、令和2年7月15日なので、

「文句があるなら、受験契約を解除できたはずだ。」

という理屈は構築しにくいように思われます。

5.受験者間の平等性を著しく侵害しないだろうか?

 上記のほか、受験者間の平等性という観点からも議論を組み立てることは可能ではないかと思います。ここでいう平等性とは、コロナのない時代に5回の受験機会が与えられていた受験生と、コロナ禍でそれよりも少ない受験機会しか与えられていない受験生との間の平等性です。

 指摘するまでもなく、新型コロナウイルスの発生・流行は、個々の受験生の責任ではありません。偶々、新型コロナウイルスが発生・流行したことを理由に、そうした災厄がない時代の受験生との間に受験機会の差異が生じることが、果たして合理的なのだろうかという問題です。

6.サーモグラフィーで試験さえ受けられずに受験資格を喪失した場合、問題提起してみてもいいのではないだろうか?

 8月半ばの炎天下のもと、屋外(試験場入口外)でサーモグラフィー検査を待っていれば、新型コロナウイルスに罹患していなくても、熱が出ておかしくないだろうと思われます。

 ただ単に体温が高いからとの理由で試験場から追い返され、追試験さえ認められずに受験資格が奪われたという方は、試験の在り方を法的に問題提起してみても良いかも知れません。もちろん、行政相手の事件で簡単に勝てるということは在り得ませんが、何等かの理屈を構築することができない事件ではないし、同情的な見解を持って協力してくれる弁護士は、決して少なくないのではないかと思います。